小説『十の輪をくぐる』  書籍関係

[書籍紹介]

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「十(とお)の輪」とは、
1964年と2020年(2021年)の2つの東京オリンピックのこと。
バレーボールを巡る親子三代の物語。

スミダスポーツというスポーツ用品会社で働く佐藤泰介は、
認知症を患う80歳の母・万津子を自宅で介護しながら、
妻・由佳子と、娘・萌子と共に暮らしている。
萠子は、バレーボール部でエースとして活躍している。
会社で泰介は不得手な部署にまわされ、
口うるさい上司や同僚の冷たい視線に耐えながら、
慣れないパソコンをいじって、
定年をひたすら待つ生活だった。

ある時、万津子がテレビのオリンピック特集を見て
「私は・・・・・・東洋の魔女」
と呟いたことで、
泰介は、母が昔、
日紡貝塚でバレーボールをしていたのではないかと疑いを持つ。
泰介にバレーボールを教えたのは、母だった。
泰介はバレーボールを大学まで続けたものの大成しなかったが、
バレーボールが縁で妻と出会い、
そのバレーボールの血筋は娘に引き継がれていた。

しかし、そのことで、
泰介は、九州生まれで東京へ出てきて、
女の腕で二人の息子を育てた
母の過去を何も知らないことに気づく。

こうして、佐藤家の認知症の母の介護の話と、
51年前の万津子の話が交互に描かれる展開となる。

確かに万津子は紡績工場で女工として働いていたし、
バレーボール部で活躍していた。
しかし、日紡貝塚ではなく、
愛知県の紡績工場に1958年就職、
寮の同室の仲間と、幸福な結婚を夢見ていた。

万津子は、19歳で帰郷し、
三井鉱山の職員と見合い結婚。
しかし、結婚して分かったのは
夫がとんでもない性格破綻者のDV男だったことだ。
(当時、DVなどという言葉はなく、
ひたすら耐える生活だった)

夫は炭坑の爆発事故で亡くなり、
実家に戻った万津子は、
肩身の狭い思いをしていた。
というのも、息子の泰介が、ちょっと変わった子で、
すぐに癇癪を起こし、大声でわめき、
近所の子供にも暴力をふるう、問題児だったからだ。
母親からは、
「腐った種からは、花は一生咲かんたい」
などとひどいことを言われる。
実は、泰介は発達障害で、
当時はそんな概念も言葉もなく、
ただ耐えるしかなかったのだ。

そういう子は一つのことに集中することで
問題が解決するのだが、
それがバレーボールだった。
万津子は、家族の目を盗んで、
泰介にバレーボールの練習をほどこす。

着の身着のままで上京したのも、
泰介が事件を起こして、
故郷にいられなくなったからで、
東京に出たのは、
あのバレーボールで金メダルを取った
オリンピックの開かれた場所だったからだ。

やがて、上京した母がどのようにして子供2人を育てたかが
泰介にもわずかだが、明らかになって来る・・・

というわけで、
知らなかった母親の
過酷な過去が読者には知らされる。
当時の日本ではどこにでも転がっていたような
貧困と無知が生む不幸だが、
その中から、バレーボールという一点で突破した
母親の愛情が描かれる。
しかし、その過去は泰介には知らされない。

九州の田舎にも1964年の東京オリンピックの熱気は伝わっており、
家のテレビでバレーボールの日本対ソ連の決勝を見て、熱狂する。
当時万津子は24歳で、
泰介は3歳。
記憶にはない。

泰介は会社でも家庭でもダメ人間で、
読んでいてイライラさせられるが、
ある時、娘の口から「発達障害」ではないか、
と聞かされ、物語が一変する。
注意欠如・多動性障害。
そうか、子供時代からの泰介の厄介な性格も、
発達障害だったのだ。
治療をほどこすことになり、
その日から泰介の生活が一変し、
会社でも優秀な後輩の引きで、
得意分野の部署に異動することになる。

そして、娘が活躍する
春高バレーの様子を見ながら万津子は・・・

小学館の文芸誌「きらら」に
2018年11月号から2020年4月号まで連載し、
残りを書き下ろしたもの。
おそらく、2020年の東京オリンピックの
女子バレーの試合につなげるつもりだったのだろうが、
1年延期されたために、
別な展開にせざるを得なかった様子。
しかも現実のオリンピックでは、
女子バレーは予選リーグ敗退だから、
この結末で良かったのかもしれない。

よく出来た妻の由佳子と
更によくできた娘・萌子に恵まれた泰介は幸福だ。
そうなったのも、母の万津子の育て方による。
母親の万津子の無償の愛に包まれていた泰介だが、
その母の過酷な人生は、
ほんの少しかいま見ただけだった。
それでいい、
と万津子は満足だろう。

ただでさえ、母子家庭に対する世間の目が厳しかった時代だ。
二度と思い出したくない出来事や、
あえて泰介本人には伝えなかったトラブルも、山ほどあっただろう。
そして母は、それらの記憶を胸のうちに秘めたまま、
この世を去っていこうとしている。
「つらかったよな。
嫌なことだらけだったよな。
それでも、俺を見捨てないでくれたんだな」
自分は、守られていたのだ。


途中の泰介のダメぶりにイライラして読書放棄しない限り、
読後感は大変いい

著者の辻堂ゆめは、
「いなくなった私」で第13回「このミステリーがすごい!」大賞の
優秀賞を受賞した人。
まだ20代の新進作家だ。





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