映画『ファーザー』  映画関係

[映画紹介]

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自分の年齢から考えて、
最も観たくない種類の映画なのだが、
アンソニー・ホプキンス
アカデミー賞の主演男優賞を受賞したことで、
敬意を表して鑑賞。

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ロンドンで独り暮らしの81歳のアンソニーに、
認知症の症状が出始める。
娘のアンが頼んだ介護人が気に入らずに断ってアンを困らせている。
そんな時、アンが新しい恋人とパリで暮らすと言い出す。
そのために、新しい看護人が来るという。
しかし、家の中に見知らぬ男が現れ、
自分の家だと主張する。
アンと結婚して10年になるというが、
現れたアンは見たこともない女性だ。
こうして、アンソニーの混乱が拍車がかけられていく。

老人の周辺に起こった不思議な出来事、
もしかして、財産を狙った人々が
老人を騙そうとしているのか?
というミステリーじみた展開だが、
次第に、それがアンソニーの
認知の混乱の中で起きている出来事だと分かる。

症状の進展に戸惑うアン。
それ以上に困惑するアンソニー。
新しく現れた看護人に、
昔死んだ次女ルーシーの姿が重なる。
そして、アンソニーの混乱は頂点に達し・・・

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原作は演劇だという。
生身の俳優によって演じられるのだから、
リアリティは半端ではなかっただろう。
自身の戯曲を自ら映画化して
監督デビューを果たしたのは、フロリアン・ゼレール
脚本はクリストファー・ハンプトンと共同脚色で、
アカデミー賞の脚色賞を受賞。
                                        
こういう映画の納得性は、
ひたすら演技の質によって正否が決まる。
演技が作り物めいていれば、
それだけ観客との距離が広がり、白けるばかり。                  
しかし、名優アンソニー・ホプキンスの演技が
その距離を狭め、没入させる。
ホプキンスの演ずる
老人の記憶の喪失、混乱、孤独、焦燥、悲哀が伝わって来て、
なによりも、悲しい
どんな高い地位にいた人も、
如何に社会的業績のある人も、
そうなってしまえば、
ただの哀れな老人でしかない。
「認知症にはならない」と強がりを言っている人でも、
いつ襲って来るか分からない現実。
しかも、その危険は、
どんな人にも平等だ。

実は、私の母は終わりの頃、認知症の症状が出ており、
その介護は姉に押しつけてしまった。
娘は「私は親の介護はやりません」と宣言している。
なぜなら、親が尊厳を失う姿を見たくないからだという。
それも一つのリクツだが、そううまくはいかない気がする。
場合によっては、家庭は悲惨な地獄に化する。
どうなるかは、誰にも分からない。
あと10年以内に、
団塊世代の沢山の人が80歳台に突入する。
その時、日本全国にどれだけ多くの悲しみと闘争が起こるのだろうか。
昔、平均寿命がまだ50歳だった頃、
人はぼける暇もなく、鬼籍に入った。
病気が克服され、栄養状態が改善された日本は、
超高齢化社会だ。
長生きが幸せだった時代ははるか昔だ。

アンを演ずるオリビア・コールマンももちろんいいが、

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やはり、この映画は、アンソニー・ホプキスの演技に尽きる。

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先のアカデミー賞主演男優賞では、
亡くなったチャドウィック・ボーズマンに同情票が集まるかと思えば、
アカデミーの会員は、
確実で老練なアンソニー・ホプキンスを選んだ。
アカデミー会員の演技評価は、堅実である。

ただ、気になったのは、
妻に対する言及が全くなかったこと。
おそらく死別ではなく、離婚で、
あまり良い思い出がなかったのだろうが、
普通の描き方では、妻は登場するものなので、
そのあたりは、謎。

5段階評価の「5」

予告編は↓をクリック。

https://youtu.be/_33QqkWSBTc

タグ: 映画

朝日新聞の赤字  様々な話題

朝日新聞社が26日発表した
2021年3月期連結決算は、
売上高が前年比16.9%減の2937億7100万円、
営業損益が70億3100万円の赤字(前期は23億円の黒字)だった。
更に、将来の利益を前提に税金の前払い分を資産として計上する
「繰り延べ税金資産」を取り崩したため、
純損益は441億9400万円の赤字(前期は106億円の黒字)となった。
赤字は11年ぶり

単体の決算も
売上高は2102億8600万円(前年比12.3%減)
営業利益は74億0600万円の赤字
純損益は458億8700万円の赤字。

営業利益の赤字は、
本業の新聞発行業務レベルが赤字であるということで、
新聞そのものの売上が大きく落ち込んでいることがうかがえる。
販管費は売上や売上原価と比べてあまり落ちていないので、
急激な部数減少の可能性がある。

「新型コロナウイルス感染拡大の影響を受けた」と説明しているが、
それだけが原因だろうか。
確かに広告料収入は減っているだろうが、
販売部数の減少の方が納得がいく。

朝日新聞は入管難民法改正を全力で反対し、
「土地利用規制法案」にも異議を唱える。
国民のためになる策にはもれなく反対だ。

この朝日新聞の赤字に対して、
「国民の審判が下ったのだ」とさえ言っている人がいる。

以下、ネットの書き込みを拾ってみる。

○オリンピック中止論をはじめに
反政府運動みたいなことばかりしてる割に、
スポンサーは降りないし、
夏の高校野球甲子園はバリバリやるつもりやろうし。
ワクチン不正予約の一件も
完全に国民に不利益を被るものだった。
反権力ならそれは良いが、
一貫した意思の強さが感じられないね。
そもそも、最近はネットを通して
偏向的な情報も弾ける人が増えてるし、
全体的に新聞媒体自体も信用無くなってきてるかな。

○ネット全盛の時代に、情報は遅いし、
自分に都合のよいことばかり書くメディアに
果たして存在意義があるのでしょうか。
もうビジネスモデルとして成立しないいわば賞味期限切れ?

○紙面内容が誇張、偏り過ぎなども原因で
購読数が年々減少しているのでは?

○そろそろ、これに懲りたら国民のためにならないこと、
少しは控えてくれないかなぁ。
って、原因がこれ(コロナ)だと公言しているうちは無理ですね。

○一部の左翼の高齢者が支持層なので
近い将来いなくなるのは確実。
10年もすれば支持層はいなくなり誰も支持しなくなる。
私の直接の知り合いで
朝日新聞なんて読んでる人なんて誰もいない。
でたらめなメディア事業はやめて、
不動産業に専念した方がいいのではないか?

○社説でオリンピック中止という、
ちょっとずれた発想してるくらいだからな。
オリンピック開催したら
日本にコロナが拡散するとでも思うのだろうか?
ちなみに来日する選手や関係者はワクチン接種を条件にしている。
だとしたらワクチン接種していない若者が溢れる繁華街に比べれば
危険でもなんでもない。
新聞社なのにそんなこともわからないらしい。

○こんないいニュースは最近なかったのでよかった。
自分で自分らの首絞めてるのもきっとわかってないよね?

○テレビのワイドショーや報道番組を観ると、
コロナにしてもオリンピックにしても
視聴者の感情をあおるような箇所だけ切り取って報道するようになり
日本の報道現場もここまで落ちたかというのを痛感する。
真っ当で当たり前の意見やコメントは決して報道されない、
火に油を注いで国民感情をあおる番組制作はやめて頂きたい。

○この新聞を読んで将来に希望と言うものを感じる人がいるでしょうか?
あまりに恣意的記事で
国民を自社の信条に沿わせようとする嫌らしさがひどくて
普通の国民であれば、購読をやめるでしょう。
自分も親の時代から続けてきたこの新聞を一昨年やめました、
家族の為に。
願わくば、このまま破産への道を歩んで欲しいです、
日本国民の幸せの為に。

○個人的には日本に貢献はしていないメディアだと思う。
インターネットの登場により、
無価値と気づいた人が増えたからの、結果。

○朝日は単純に信用が無い。
五輪に関し、なぜ中止しないのかといった
ネガティブな報道をしながら、
一方で五輪選手の情報はしっかり流し、
五輪が中止された場合は政府の責任と言う。
結局、くだらない現在の野党と同じで
建設的な提案はなく、
批判のみに徹しているから国民から信用されない。

○新型コロナの影響でここまで落ちないと思いますよ
それ以外の要因があるけど、それは表立って認めない訳だ。
むしろ、新型コロナで国民を煽って
メディアへの注目を高めようとしてるよね。

○最近のマスコミは何でも反対的な論評が多すぎて腹が立つこともある。
別に政府を擁護するつもりはありませんが
おかしな方向に世論を先導し
日本が混乱に陥ることを望んでいるかのような記事も多い。
朝日新聞はその先鋒であまりにも左翼的だとおもいます。
マスコミは中立で冷静な報道をお願いしたい。

○メディアはできるだけ是々非々でやって欲しいのですが
朝日は親韓親中で極左のような感じがしますので
全くもって読もうとは思いません。
テレ朝も同じです。

○いつまでも偏向報道や恣意的世論調査を続けて
未だに会社が存在していること自体不思議だ。

○第2次大戦前の日本は、日米開戦に消極的だった政府に対し、
当時の朝日新聞は「腰抜け!」と罵って、戦争を鼓舞し、
世界情勢を何も知らない日本国民に「鬼畜米英!」と扇動し、
ついに戦争が始まりました。
ですから、
現在の日中問題について、中国に何も言えない政府に対し、
テレビ朝日&朝日新聞は「自民党の腰抜け!」と罵って、
「早く憲法改正して、やるべきことをサッサとやれ!」
と報道すれぱ、購読者の減少は止められると思います。

○まだこんな新聞を読んでる者がいるなんて信じられない。

○同じ左翼新聞である毎日も大赤字のようです。

○新聞だけではありません。
テレビについても、NHKの5年毎の定点調査により
1日のうち見る人の割合が
2015年85%、2020年79%と
減少していることが明らかになりました。
特筆すべきなのは、コロナ禍という
テレビにとっては有利な状況下で
10代20代のテレビを全く見ない人の割合が
50%前後もあることです。
おそらくメディア関係者の想像以上に、
メディアを信用しない人は多いです。
報道姿勢を根本的に改めない限り、
今のメディアのジリ貧は続くでしょう。

○今の朝日新聞は、
60年代安保世代が支えた。
商業左翼です。
正しい政策に対しても政権批判が、
ジャーナリズムと勘違いし、
国民無視の偏向報道に邁進する。
後5年もすれば、
立ち行きません。

○新聞社も一企業ですから、
企業の評価は消費者の支持があるかどうか、
つまり、利益が上がっているかどうかですから、
朝日への退場勧告でしょ。

○朝日新聞がいかにも世論を喚起するような報道機関なら
何も言うことはないが
ここまでくるともはや報道機関として許可された会社と言うよりは
日本国の共産化を、独裁化を推進するような
日本にとって非常に危険な会社であることが明確になった。
こういう輩が日本学術会議を牛耳り
全国高校野球の主催者でありながら
コロナ対応策は全く聞こえてこず
五輪だけは中止をと吠えている。
二面性を持った報道機関はスポーツに関与することを絶対反対する。

○もうお亡くなりになったが、勲章までもらった元国税局長が
「日本を良くするためにはまず朝日新聞を潰さなきゃダメだ」
って言ってたな。
今からかれこれ15年も前のことだけどね。
その時は自分はまだ20代で
世間のこともよくわからないから、
随分極論だなって思ってたけど、
今は本当にその通りだと思う。

○すでに朝日は左派の機関誌程度でしかない。
自らの非を認めようともしない。
ねつ造記事で社会に大きな影響を与えている。
(これがメーカーのリコールであれば大変な騒ぎになるし
メーカーも何年もかけてリコールをする。)
健全な企業であれば、左派を応援しない。
健全な企業は、朝日への広告掲載を辞めよう!

○朝日が反対する法案は日本には必要な法案と思います。
過去の実績を見れば一目瞭然です。
特に外交、安全保障関係は。ワクチンの件も。
これからも朝日が反対する法案は
国民の為に必要な法案と考えた方がいいと思います。
とにかく慰安婦問題を含め日本を貶めまた国益を損ねるメディアです。
多分このままジリ貧になっていくと思いますけど。

○国民の意志が数字に出たのは喜ばしいことです。
朝日、毎日やNHKも、
とても国益を思ってニュースや記事を書いているなんて思えない。
他のマスコミも含め、国民の不安や
スキャンダルばっかり記事にしてないで、
事実をストレートに、
どうすれば国が良くなるかを
考えて、報道して欲しい。

○インターネットの発達と共に、
情報の収集をテレビや新聞だけに頼らない人が増えたうえ
偏向報道や歪曲記事の真贋を調べるために裏を調べる事もできる現在。
メディアによる発表を、そのまま信じるのではなく、
情報を取捨選択する目がすこしづつ肥えて来た証左かと。


小説『高瀬庄左衛門御留書』  書籍関係

[書籍紹介]

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初読みの作家・砂原浩太朗の本。
まだ長編2作目らしいが、
時代小説としてのクオリティは高い

神山藩で、郡方を務める高瀬庄左衛門は、
50歳を前に妻を亡くしてしまった。
郡方(こおりがた)とは、
藩の郡を担当して、
年貢・ 戸口・ 宗門・ 検断・ 訴訟など
農村に対する諸政にあずかった地方行政官。
郡代・ 郡方奉行・ 代官頭などと呼ばれることもある。
つまり、農村を広く視察して、諸事に関わる職種で、
庄左衛門の年齢には少々きつくなっている。
隠居して息子に譲る気持ちになっていた時に
息子に死なれてしまい、
跡継ぎもないまま仕事に従事している。

息子の啓一郎は、藩校の俊才で、
欠員が生じた助教の考査で次席に甘んじ、
優秀さを見込まれて
庄左衛門の隠居を待たずに郡方に就いたが、
不本意らしく、勤めに向き合う姿勢がどこか上の空だった。

妻として迎えた志穂との仲もうまくいかず、
時には手をあげることもあったようだ。

啓一郎は担当の新木(にいき)村の郷村廻りの際、
早朝一人で見回っていた時に、崖から落ちて死んだ。
一緒に着いていった小者の余吾平(よごへい)は、
その事故について責任を感じており、
暇を申し出る。
夫を亡くした志穂を家に置いておくわけにもいかず、
実家に帰した。
その結果、庄左衛門は一人暮らしをすることになってしまった。

そんな庄左衛門を志穂が訪ねて来る。
幼少の弟と一緒で、
絵を教えてくれという。
庄左衛門には絵の趣味があり、
それは田んぼの稲の育ち具合を写し取っているうちに
描くこと自体が楽しくなって、続けていたものだ。
実家で世話になるくらいなら、
団扇絵で少しでも収入を、ということらしい。
嫁に行く気がないのは、
啓一郎に嫁いでこりごりしたということか。

こうして、余生の少ない老人と、
家に帰した嫁との生活に、
庄左衛門自身の郡方としての仕事、
それと、藩政を巡る事件に巻き込まれていく話が進む。

それに、江戸から帰った藩校の秀才、立花弦之助、
夜泣き蕎麦屋の半次、
上役の定岡市兵衛、
弦之助の兄で目付の立花監物、
藩主の側用人・鏑木修理などがからむ。
庄屋の次郎右衛門も大きな役割を果たす。
更に、道場に通っていた若い頃、
切磋琢磨した二人の友人も登場する。
特に弦之助は、助教を決める考査の時、
啓一郎に勝った神童、という因縁がからむ。
物事に囚われない、自由な発想の持ち主で、
将来の藩の方向性は、この人物が決めることを匂わせる。

秘かに庄左衛門に想いを寄せる志穂の造形がいいし、
一カ所だけ登場する
道場の館主の娘の芳乃も
物語に彩りを添える。
若い頃、庄左衛門は芳乃をめぐって
道場の跡取りを何人かの門人と争ったことがあるのだ。
その時、芳乃の想いを知って、
勝ちを譲ったことがある。

余吾平も去って一人暮らしになった庄左衛門が、
米研ぎから始めて、
沢山の家事をこなす場面で、
「女たちは、毎日こんなことをふっておったのか」
と感じる場面は面白い。

弦之助が頭脳も美貌もそなえ、
家格も恵まれているのを見て、
啓一郎と比べて、
「これほどすべてを持っている者がいて、いいのか」
と思ってしまうが、
後で、庄屋の次郎右衛門から
弦之助の幼少時の辛い生活を知り、
自分を笑ってしまうのもいい。

ひとの幸不幸など
かんたんに推し量れるわけもないが、
すくなくとも啓一郎は
父母から慈しまれた記憶を抱いて成長したはずだった。
──すべてを持つ者など、いるわけがなかったな。
そのようなことは最初から分かっていたはずだが、
おのれの嘗めてきた理不尽にのみ目が向いていたらしい。
五十年生きてこのざまかと心づけば、
いたたまれぬほど恥ずかしかった。
理不尽というなら、
世は誰にとってもそうしたものであるだろう。


独居についての庄左衛門の述懐。

独居も静穏でよい、と感じたのは
たかだか一年ほどまえのことにすぎぬが、
この暮らしはこの暮らしでよいように思える。
さびしさというせのが苦にならぬほうではあるものの、
ひとりで過ごす刻がながくなると、
内心に渦まくさまざまな思いに果てなく沈む瞬間が幾度となく訪れるのだった。
志穂や半次がいなければ、
とうにそうした渦へ呑みこまれていたかもしれぬ。


再会した芳乃の「おすこやかでおられましたか…あれから」という問いに
「幸せだったか、と聞いているのだ」と察した庄左衛門は、
「悔いばかり重ねてまいりました」と答える。
芳乃と別れた後の庄左衛門の述懐。

こうとしかならなかったのだな、と思った。
堅吾に勝ち、芳乃とともに道場を継いでいれば、
と考えたことがないわけではない。
とくに若いころはそうだった。
が、長い年月を経てそのひとに出会ってみれば、
うまく言葉にはできぬものの、
やはりこうなるしかなかったのだという気がする。
ちがう生き方があったなどというのは錯覚で、
今いるおのれだけがまことなのだろう。


弦之助が「わたしさえいなければ」と
悔うのに対しての庄左衛門の言葉。

「人などと申すは、しょせん生きているだけで
誰かのさまたげとなるもの。
されど、ときには助けとなることもできましょう・・・
均(なら)して平らなら、それで上等」


ある秘密に口をつむぐことを決意した後の述懐。

おのれがそれを決めてよいのか、
という心もちがないわけではないが、
──だめなら、あの世で針の山を歩めばよい。


文体が大変素晴らしく、
風景描写、情景描写という
時代小説に付き物の描写を自家薬籠中のものにしている

なにより、物語の世界が
美しく、穏やかで、静謐だ。
時代小説の読み方の醍醐味を久々に味わうことができた。
藩での使命を終え、
後は老いていくだけという話は、
藤沢周平の「三屋清左衛門残日録」を想起した。
長編2作目にしてこの手練ぶり。
著者は52歳。
やがては直木賞を受賞するだろう。

「御留書」とは、
郷村廻りの後、
収穫高や検見、現地の様子などをまとめて
上司に提出する帳面のこと。


映画『ハイ・フォン』  映画関係

[映画紹介]

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題名はベトナムの地名ではなく、人名。
と間違えるくらいな、ベトナム映画
原題は「Hai Phuong」、英語題は「Furie 」(怒り)。

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「ママは元ギャング」は勝手に日本で付けた副題。
コメディ映画だと間違えられそうだが、
純粋なアクション映画

ハイ・フォンは、かつては都会で
女ギャングとして悪名を轟かせていたが、
今は、片田舎で娘(マイ)とひっそりと暮らしている。
ひっそりと書いたが、
実はひっそりではなく、
借金の取り立て屋をしており、
かなり荒っぽい取り立てで、
相手から逆襲されたりする。
娘はそのために学校でいじめられていた。

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ある日、市場でマイが拉致誘拐される。
ここからハイ・フォンの元ギャングの血が騒ぎ、
すさまじいアクションが展開する。
船で逃げる犯人グループを川沿いの道をバイクで追跡し、
犯人たちがホーチミンに逃げたと知るや、
ホーチミンに乗り込んで、
昔のつてを辿って、犯人グループに迫る。
誘拐犯らが国際的な人身売買グループだったことが分かり、
マイが臓器売買のために列車に乗せられるのを知ると、
列車を追いかけ、車中と屋根の上で壮絶を戦いを展開する。
これに何年も人身売買組織を追っている
腕利きの刑事ルオンがからむ。

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ハイ・フォンが娘を救いたいという気持ちを駆り立てるのが、
拉致直前の出来事で、
市場でマイが財布を盗んだと騒ぎになり、
「本当に財布を盗んだの!?」
とハイ・フォンは皆の前で問い詰め、
信じてもらえないマイはショックを受ける。
結局、マイは落ちていた財布を拾っただけだということが判明し、
疑ったことを後悔して、ハイ・フォンは娘の姿を探すが、
その前で娘は拉致されてしまう。
娘を救い出して、謝りたいという想いが
ハイ・フォンを突き動かす。

子供を想う母親の壮絶な闘いは、
リアム・ニーソン主演の「96時間」(2008)の
母親版、ベトナム版の趣。

ハイ・フォンを演じるのは、
ゴー・タイン・ヴァンで、英語名ベロニカ・グゥ

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↑↓ご覧のような美人だが、

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映画では、かなり汚れ、必死な顔付きで演ずる。

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「スター・ウォーズ 最後のジェダイ」にも
ローズの姉、ペイジ役で出演している。

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ベロニカ・グゥのアクションだけでも、
この映画を見る価値が十分にある。
ベロニカ・グゥ本人が演じているアクションの
ベースとなっているのは
ベトナム総合格闘技ボビナムだという。
ボビナムとは東洋の中国拳法、古武術、
西洋のレスリング、キックボクシングなど、
東洋と西洋の武術をベトナム人が独自に練り上げた格闘技。
礼で始まり礼で終わるなど、日本の武道にも通じるものがある。

監督はレ・ヴァン・キエ

2019年2月22日にベトナムで公開され、
興行収入は2000億ドン(約9億5700万円) を超え、
ベトナム映画の興行収入ランキングのトップに立った。
日本では3月に開催された
「第14回大阪アジアン映画祭」で初めて上映された。

ベトナムの農村の風景と、
大都会ホーチミンの魔都市の情景と
両方を堪能できる。
ホーチミンを「サイゴン」と文字が出たのは、いかなる理由か。

Netflixで配信中。

予告編は↓をクリック。

https://youtu.be/TZ1Uknfg4qE

タグ: 映画

朝日新聞の社説  政治関係

今日は、私の誕生日です。

先日、映画を観に行って、カミさんと娘から大目玉を食らい、
「今年の誕生日のお祝いはなし」の宣言を受けましたが、
↓のとおり、誕生ケーキを買ってくれました。

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更に、夕食は家で焼肉
その上、誕生祝いの皆既月食で天体まで祝ってくれました。
残念ながら、曇ってしまい、
皆既の状態では見ることが出来ませんでした。
↓は拝借した写真。

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私は、長年の観察で、
「人は75歳でダメになる」
という見解を持っており、
賢人・曽野綾子さんも
全く同じことをどこかで書いていましたが、
その歳まで、あと1年となりました。

幸い、健康には恵まれており、
この分ではコロナも回避できそう。
2度目のワクチン接種の後、
効果が確実となる2週間後の
6月23日までは、
東京に「上京」することも、映画も控えることにします。


ところで、
朝日新聞は本日の社説で、
東京五輪・パラリンピックの開催中止を決断するよう
菅義偉首相に呼びかけた。

その内容は、次のとおり。

新型コロナウイルスの感染拡大は止まらず、
東京都などに出されている緊急事態宣言の再延長は避けられない情勢だ。
この夏にその東京で五輪・パラリンピックを開くことが
理にかなうとはとても思えない。
人々の当然の疑問や懸念に向き合おうとせず、
突き進む政府、都、五輪関係者らに対する
不信と反発は広がるばかりだ。
冷静に、客観的に周囲の状況を見極め、
今夏の開催の中止を決断するよう菅首相に求める。

生命・健康が最優先

驚くべき発言があった。
国際オリンピック委員会(IOC)のコーツ副会長が先週、
宣言下でも五輪は開けるとの認識を記者会見で述べた。
だが、ただ競技が無事成立すればよいという話ではない。
国民の感覚とのずれは明らかで、
明確な根拠を示さないまま「イエス」と言い切るその様子は、
IOCの独善的な体質を改めて印象づける形となった。
選手をはじめ、五輪を目標に努力し、
様々な準備をしてきた多くの人を考えれば、
中止はむろん避けたい。
だが何より大切なのは、市民の生命であり、
日々のくらしを支え、成り立たせる基盤を維持することだ。
五輪によってそれが脅かされるような事態を招いてはならない。
まず恐れるのは、言うまでもない、健康への脅威だ。
この先、感染の拡大が落ち着く保証はなく、
むしろ変異株の出現で警戒の度は強まっている。
一般へのワクチン接種が始まったものの対象は高齢者に限られ、
集団免疫の状態をつくり出せるとしてもかなり先だ。
そこに選手と関係者で9万を超す人が入国する。
無観客にしたとしても、ボランティアを含めると
十数万規模の人間が集まり、活動し、
終わればそれぞれの国や地元に戻る。
世界からウイルスが入りこみ、また各地に散っていく可能性は拭えない。
IOCや組織委員会は「検査と隔離」で対応するといい、
この方式で多くの国際大会が開かれてきた実績を強調する。
しかし五輪は規模がまるで違う。

「賭け」は許されない

選手や競技役員らの行動は、おおむねコントロールできるかもしれない。
だが、それ以外の人たちについては自制に頼らざるを得ない部分が多い。
順守すべき行動ルールも詳細まで決まっておらず、
このままではぶっつけ本番で大会を迎えることになる。
当初から不安視されてきた酷暑対策との両立も容易な話ではない。
組織委は医療従事者を確保するめどがつきつつあると言う。
では、いざという場合の病床はどうか。
医療の逼迫(ひっぱく)に悩む東京近隣の各知事は、
五輪関係者だからといって優遇することはできないと表明している。
県民を守る首長として当然の判断だ。
誰もが安全・安心を確信できる状況にはほど遠い。
残念ながらそれが現実ではないか。
もちろんうまくいく可能性がないわけではない。
しかしリスクへの備えを幾重にも張り巡らせ、
それが機能して初めて成り立つのが五輪だ。
十全ではないとわかっているのに踏み切って問題が起きたら、
誰が責任をとるのか、とれるのか。
「賭け」は許されないと知るべきだ。
こうした認識は多くの市民が共有するところだ。
今月の小紙の世論調査で、
この夏の開催を支持する答えは14%にとどまった。
背景には、五輪を開催する意義そのものへの疑念が深まっていることもうかがえる。
五輪は単に世界一を決める場ではない。
肥大化やゆきすぎた商業主義など数々の問題を指摘されながらも
支持をつなぎとめてきたのは、掲げる理想への共感があったからだ。
五輪憲章は機会の平等と友情、連帯、フェアプレー、相互理解を求め、
人間の尊厳を保つことに重きを置く社会の確立をうたう。

憲章の理念はどこへ

ところが現状はどうか。
コロナ禍で、競技によっては予選に出られなかった選手がいる。
ワクチン普及が進む国とそうでない国とで厳然たる格差が生じ、
それは練習やプレーにも当然影響する。
選手村での行動は管理され、
事前合宿地などに手を挙げた自治体が期待した、
各国選手と住民との交流も難しい。
憲章が空文化しているのは明らかではないか。
人々が活動を制限され困難を強いられるなか、
それでも五輪を開く意義はどこにあるのか。
社説は、政府、都、組織委に説明するよう重ねて訴えたが、
腑(ふ)に落ちる答えはなかった。
それどころか誘致時に唱えた復興五輪・コンパクト五輪のめっきがはがれ、
「コロナに打ち勝った証し」も消えた今、
五輪は政権を維持し、選挙に臨むための道具になりつつある。
国民の声がどうあろうが、首相は開催する意向だと伝えられる。
そもそも五輪とは何か。
社会に分断を残し、万人に祝福されない祭典を強行したとき、
何を得て、何を失うのか。
首相はよくよく考えねばならない。
小池百合子都知事や橋本聖子会長ら組織委の幹部も同様である。


まあ、何にでもリクツは付くものだし、
危険を強調し、責任をどう取るのか、
と責めれば、論調は成立する。

しかし、中止した時の責任はどう取るのか、
五輪に向けて練習してきた選手の心情、
開催に向けて努力を重ねて来た人々の気持ちはどうなるのか、
ということには配慮しない。

前にも書いたが、
オリンピックの開催は、日本の「国際公約」である。
開催を希望し、指名されたものとしての責任がある。
ならば、コロナ禍であっても、
万全の感染防止対策をして開催する責任を果たさなければならない。
そのために努力せよ、というのが正しい意見ではないのか。

今「中止を」というのがトレンドになっている。
影響力のある経済人の発言も目立つ。
野党は、政府の攻撃材料として、
これほど有効なものはないと張り切っている。
外国メディアも中止をとなえる。
やめるのは簡単だ。
しかし、開かれなかった時の国際的批判に耐えられるのか。
2カ月前になって、急遽開催を断念したりすれば、
世界の物笑いになるだろう。
そういう内外の事情を勘案して、
政府は開催に踏み切ったのだとすれば、
それを後押しするのが、正しい世論というものではないのか。

朝日は「五輪は政権を維持し、選挙に臨むための道具になりつつある」
と言うが、
それ以上に、日本人の名誉を賭けた決断だとは、
どうして思えないのか。

よく知られているとおり、
朝日新聞は五輪のオフィシャルパートナーだ。
そのための優遇も受けている。
そういう立場を見て、
社説に対するネットの反応は、主に次のようなものだ。

@社説として中止を言うなら、
 まずオフィシャルパートナーを辞退してから言うべきではないか。
A中止を進言したならば、
 開催した時、一切報道しないという覚悟はあるのか。
Bこの時期に反対を表明したのは、
 もはや開催やむなしと政府が決めたことから、
 反対の立場を表明して、
 アリバイ作りをしているのではないか。
Cなにより、反日の手段として中止を主張している。


賢明なネットの読者は、
朝日新聞の魂胆など、
あっさりと見抜いている


主なネットの書き込みは、次のとおり。

○中止を主張するならまず自社がスポンサーを降りるべきでは。
スポンサーのポジションを維持したままなら、
ただのパフォーマンスでしかない

○スポンサーである朝日が大会中止の社説を出したのは、
大会開催がほぼ確定したとみたからではないかともとれる。
本気はこれから試される。

○そこまで主張するなら、スポンサーは降りるべき。
そして、オリンピック開催されても
テレ朝含めて、報道は一切しないと宣言すべきだ。
そこまでしてこそ、本気度が伝わる。
間違っても、
金メダルに浮かれるような番組や記事など制作してはダメだ!

○この社説を真意とするならば、
朝日系列でのすべてのTV中継・報道、新聞記事報道をしないことを公言してほしい。

○あと2か月。
どうにもならない事をわかっててアクションを起こしたかな?
自分たちは反対した!と既成事実を作りたいのかな?

○朝日新聞が社説で中止を主張するのは言論の自由だが、
五輪始まれば、ゴールデンタイムで放映するのでしょ?
日本人メダリストが出たら実家まで追っかけ取材するでしょう?
報道ステーションでもスポーツコーナーで五輪特集している。
今後も応援団長の松岡修造がインタビューなどを放映するだろうが、
私は五輪放送は楽しみでしかない。

○こういう社説はあって良い。
同様に、開催すべきという社説があったって良い。
ひとつの意見が絶対で
それ以外は全部間違いかのような風潮にならないで欲しい。

○オフィシャルパートナーになるにあたっての契約条項とかに
「オフィシャルパートナーは大会の推進に向けて協力する」
みたいな条項ってないものなのでしょうか?
ありそうなもんだと思うんですが。
もしあるなら、是是非非とか偉そうなことを言ってる場合ではなくて
ただの契約違反にならないんでしょうかね?
契約条項を読めるような立場にないので分かりませんが(笑)
この辺どうなってるんでしょう?

○朝日新聞の考える国益を改めて問いたい。
コロナの感染拡大を防ぎたいを仮に是として、
今の対策のどこがダメなのか。
それは予約システムの弱点を報じたり、
内閣参与の言葉尻を捉えて非難する事を経て達成される事なのか。
そもそも危機管理における日本の有り様をどう考えるのか。
私権の制限や「非常」事態宣言の発令をどう考えるのか。
もし中止を言うのなら、新聞系列のテレビ局も含めて開催された場合でも、
危険な大会なのだから報道も一切しないと言う事でよろしいのか。
当然オフィシャルパートナーとやらからも降りる覚悟はあるんですよね。
下手な対応や動きをしたら、
会社そのものの信用を更に無くすくらいの
危機感と覚悟があるのか、注視していきます。

○・まずは何よりも,即刻スポンサーを降りること。
・五輪が開催された場合,五輪関連の報道は一切しないこと。
上記の覚悟があるかどうかです。
中止をここまで喚いておいて,
開催されたらしれっと感動を押し売りすることだけは許されません。
これは,多かれ少なかれ他のマスコミ各社も同じですが,
社説に掲載したことの意味はそれほど大きいと自覚すべきです。

○右手では、五輪のスポンサー、左手では、五輪の中止。
朝日はどちらの手が強いのか。
これでは、まるでコウモリと同じでは無いか。
どちらに転んでも良いようにしている積もりだろうが、
端から見ていて良い気はしない。
朝日らしさは有るには有るが、流石に国民は承知も納得もしまい。

○でましたね、得意の正義の味方気取りのダブルスタンダード。
公式スポンサーを続けておきながら、
左巻きや俗に言う中道左派的な人にとって
耳障りの良い中止の要請をする。
そして、系列のテレビでは、松岡修造さんを起用して
これからもオリンピック関連のスポーツニュースをどんどんやっていくのでしょう。
先日のワクチン予約報道のような日のないところに
無理やり煙を起こすような新聞社のいうことなど、全く信用できません。

○打倒自民党を公言している朝日新聞なので
オリンピックを開催できなかった政権として
叩くために中止を求めているように感じる。
中止を求めるなら、まず朝日新聞がオリンピックのスポンサーを降りるべきでは。
もしくは、夏の甲子園を中止すると発表してオリンピックの中止を求めるならわかる。
自身のことに触れないのは矛盾している。

○朝日新聞の本音は
「オリンピック開催してほしい。
だけど賛成を示すと、左派の皆さんにそっぽ向かれてしまう。」
だから、いままでに賛成も反対も表明しなかった。
今になって開催が確定的になったから、やっと反対の姿勢を示し、反対パフォーマンス。これで「私たちは反対したけど、国の横暴でオリンピック開催になった」
という言い訳ができた。
本当に野党と朝日系はダメダメだね。

○IOCがやると決めたとたんに発言するなんて
なんというタイミング!
これでもし中止にならなくても
「私たちは反対してた!」っていう布石なんですね!
いや〜その策士ぶりは尊敬に値します

○IOCが緊急事態宣言中でもやると言ったし、
政府も東京都も中止に動く可能性がないと確信したから、
いまになって政府方針に反対する社説を出したのでしょう。
朝日は、事の是非よりも、
政府に反対することが目的で報道することが多いので、
本気でやめるべきと考えているとは思えません。
常に報道の裏を読む必要がある、
真に受けてはいけないマスメディアです。






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