アカデミー賞への批判  映画関係

アーノルド・シュワルツェネッガーが、
先日放送された第93回アカデミー賞授賞式を酷評したという。
ABC局のトーク番組での発言。
「三分の一しか観ていない」
「ものすごく退屈だった。
だからわたしは、テレビを消して続きは見なかった。
ステージにはあんなにもたくさんの才能のある人たちがいたのに、
すごくつまらなかった。
なぜそんなことが可能だったんだ?」

と。

批判をするなら、
最後まで観なかったというのは、どうかと思うが、
実際、全部を観ていた私にとっても、
例年よりつまらなかったのは、確かだ。

原因として上げられるのは、

@会場を小規模にしたため、豪華な印象が失せた。

A受賞スピーチに時間制限を設けなかったため、
 スピーチが冗長な印象になった。

 (誰だか知らない人の名前をだらだらあげて
  「ありがとう」というのは、退屈だ、という意見は前からある。)

B司会者を立てず、イベントそのものに個性が感じられなかった。

C「お遊び」の部分がほとんどなく、単調な進行だった。

Dアカデミー賞授賞式の華ともいえる、
 主題歌賞のパフォーマンスがなかった。

 (事前に収録したパフォーマスは、
  直前番組で流し、
  授賞式本番では流さなかった)

E作品賞をはじめ、候補作に話題性が乏しく、
 華やかさに欠けた。


Bは、やはり司会者を立てた方が良いと思うし、
Cは企画力の不足だろう。
司会者は自分の存在意義を懸けて、
イベントを面白くしようとするものだ。

ただ、視聴者数が、
前回から58%減で1000万人を下回り、
958万人で、
過去最低を記録した、というのは、
イベント当日以前の問題で、
沢山の人が最初から観る気がなかったというのは、
Eが原因だろう。
それはコロナ禍で、
映画館での上映作が少なく、
話題作が公開延期となったことで、
配信作品が候補の半数を占め、
やや小粒な作品が顔をそろえたことが一因だ。
作品賞の顔ぶれを見ても、
認知症や黒人差別の告発、移民、
車上生活の高齢者、聴覚障害者など
暗い題材が多く、
エンタテインメントとしての楽しさが欠けていた。

(ちなみに,史上最高の視聴者5500万人を記録したのは、
 「タイタニック」が受賞した1998年。
 その後は減り続けている。)

3億3千万人の人口を抱えるアメリカで、
視聴者が1000万人しかいない、
というのは驚きだが、
授賞式そのものを観ないというのは、
やはりそれだけ魅力が失せていることの証拠だろう。

政治的になり過ぎたり、
人種や性別や差別に対する忖度が過ぎる、
という意見も多い。

それについて、ネットの書き込みを紹介する。

○要員はいくつもあると思う。
 まずコロナ禍で作品を見ていない人が多く、興味がわかない。
 にもかかわらず昨夜の演出は
 なぜか作品のハイライト映像が全然流れず、
 候補者の過去のちょっといい話みたいなのを
 紹介するやり方だった。
 その話がみんな似ているので飽き飽き。
 そして何より、ほんの数年前までは暗黙のルールだった
 政治的発言を控えるというものがなくなり、
 政治的発言、黒人差別問題への怒り、うんざりした。
 よそでやってくれよ。
 司会も含め黒人だらけで、
 黒人問題の話ばっかりなアカデミー賞。
 あれでは視聴率も、映画の興行への興味も伸びないと思う。
 政治的発言を影響力のある人たちがするのはいいが、多すぎた。

○結果から見れば
 視聴者は政治演説会を望んでないのは明白
 このビジネスモデルも限界にきているのではないか

○ノミネート作品も主演男優女優も全てにおいて目玉なし。
 超小粒な映画すぎて。
 今年は中止にしても良かったんじゃないかと思ってしまう
 ラインナップ。

○最近は賞をとった俳優が
 政治的発言するようになって、理屈っぼく、
 以前の様なエンターテイメント性を感じなくなってきたので、
 視聴率低下もうなずける。

○最近はワクワク感がなくなった気がします。
 多様化に配慮するのも大切だと思いますが、
 それを含めても、本当に面白い作品を
 遠慮なく選んでほしいですね。

○「パラサイト」が作品賞取ったから
 よっぽど素晴らしいのかと思って観に行ったのに、
 アカデミーとは程遠いような、なんの感動も無い三流映画で、
 アカデミー賞というものに幻滅した。
 多分、そういう人が多くてこの視聴者数になったんだと思うよ。

○アカデミー会員が純粋な映画の選び方ではなく、
 人種、テーマのバランスを気にして投票するから、
 こういうことになる。
 映画本来の「出来」だけを考えて投票してほしい。
 最近、妙に黒人系、ヒスパニック系、アジア系と
 有色人種に色目使ったノミネートになっている。
 アカデミー賞進歩的だろ! 的なアピールに使っていることで、
 自らの権威を貶めていることに会員は気づいてほしい。
 昨年、今年と、
 非常に夢のない受賞作に偏っているのは問題だと思う。

○今年に限っては面白い作品が極めて少なかった。
 プレゼンターもサプライズがなく、例年通り、
 さらに例年より規模が小規模で良い要素が少なかった。

○単純なことで、作品も俳優も華やかさが足りないからでしょう。
 映画の質や良し悪しは別として、見ていて面白くない。
 結果だけ知れば十分です。

○選出されたものが政治やモラルやハラスメントについてを
 帯びたものが来たり
 娯楽や心ときめく感動のような物も少なかったと感じる。

○昔はビリークリスタルのトークで、受賞者いじりなど
 司会が面白かったけど、
 昨年に引き続き今回も司会者なし、
 会場も分散されていてエンターテイメント性が無かった。
 年々面白くなくなってきたな。

○コロナ禍で娯楽大作が激減したのも大きいけど、
 遠慮なしに多様性やポリコレを推し進めて
 逆に嫌気が差した大衆が多いのでしょう。
 ミニシアターレベルの地味なものばかりだし。
 政治とか社会派とかはそっちのけで、
 昔みたいに単純に夢のある、面白いゴージャスな作品が
 実力でひたすら受賞されないことがさらに拍車をかけたね。

○作品自体を評価するべきなのに
 最近のアカデミー賞は多様性の名のもとに
 マイノリティ枠を優先させている印象。
 そのため本来評価されるべき作品が受賞できていないとしたら
 賞自らが権威を失墜させていることになる。

○コロナのせいで会場をいくつにもわけたり、
 オンラインで中継したりでは、盛り上がりに欠ける
 やはり正装した候補者やスター達が
 華やかに一堂に集まり緊張したり興奮したり、
 息を呑んで発表を待ったり、
 歓喜を爆発させたりしてこその醍醐味だと思う

○昔のアカデミー授賞式は、
 ワクワクしながら単純にエンターテイメントを楽しんで、
 綺麗に着飾った女優さんたちを見てた。
 政治的発言もマーロン・ブランドみたいに一人二人の時代は、
 そんなことも言いたいよねって思えたけど最近はウンザリする。
 ただ映画を楽しみたい。
 俳優は演説じゃなくて演技で勝負してくれ。

○アカデミー賞の投票権(?)を持っている人と、
 一般観衆の感性がかなりずれてきているように感じる。
 ここ3年の作品賞受賞作品「グリーンブック」
 「パラサイト」「ノマドランド」
 いずれも格差をテーマとしているけど、
 映画を見に行っている人すべてが
 そういう作品を見たいと思っているわけではない。

○俳優賞の候補者に黒人がいなかったら人種差別がどうの、
 監督賞候補が男性ばかりだったら女性蔑視がどうの、
 そこらじゅうに気を使いまくり・忖度しまくりの賞の魅力が
 下がるのはむしろ当然でしょう。
 ポリコレを意識しすぎて業界全体がおかしくなっている。

○今までもそういう傾向あったけど今回は特に
 作品の内容や出演者の内容より
 国籍や人種が基準になっちまったので、
 純粋に映画の賞として観てる人は興味失ったからだよ。
 ぶっちゃけ、ポリコレが強まると、そのジャンルは全て衰退する
 例外あるなら教えてほしい

○昔は作品賞受賞作は必ず見にいってたけど、
 最近面白いのがない。
 何でこの作品がみたいなのが多い。
 歴史に名を残すような名作がない。

○「パラサイト」のせいで多くの支持層が離れたと思います。
 アカデミー賞のラインナップは昔の方が華があったな。

○単純に「ラストエンペラー」「ダンス・ウィズ・ウルブズ」
 「タイタニック」の様な、見応えのある大作が無い。
 また、「美女と野獣」「ベイブ」の様な
 万人受けするノミネートも無い。
 作品賞を何の為に10作品まで増やしたか、意味不明。
 会員の好みの小品ばかり。
 観客の好みと乖離しているのか、観客が幼稚なのか??

タグ: 映画

『貸本屋のぼくはマンガに夢中だった』  書籍関係

[書籍紹介]

クリックすると元のサイズで表示します

以前のブログで、
貸本屋について触れた。↓

http://star.ap.teacup.com/applet/shokuniku/20151007/archive

貸本屋に関する本は多数出ているが、
本書は、一家で貸本屋を経営した話なので、興味を持って読んだ。

著者は1950年生まれだから、
私より3年ほど後。

クリックすると元のサイズで表示します
                                        
1957年3月、
著者が小学校に上がる直前、
家が貸本屋を経営することになった。
父親はシベリア帰りの職工で、
母親は「ニコヨン」と呼ばれる日雇い労働者。
(ニコヨンとは、当時の職安からもらう日当が240円だったことから、
百円玉2個と10円玉4個で、そう呼ばれた)
父の叔父夫婦の誘いがきっかけで
貸本業に乗り出すことになった。

当時、全国に貸本屋が林立し、
様々な商売の人が転業して貸本屋になった。
一時期のレンタルビデオ屋の乱立と同じと思えばいい。
たとえば、小遣い稼ぎのつもりで貸本屋を開業したところ、
予想外に客が押し寄せ、
初日の売り上げが1500円にもなった。
月にすれば4万円近くなり、
その頃の工場社長の給料が7000円、
職工が3500円から4000円の時代のことだ。

その道を開いたのが「ネオ書房」という
チェーン店だということを初めて知った。

クリックすると元のサイズで表示します

神戸市で始まったネオ書房は、
それまで古本屋が貸し出しをしていたのに対して、
最初から貸本として使う目的で
新刊雑誌や単行本を大量に仕入れ、
保証金を取らずに貸し出した。
まだ著作権法に「貸与権」の項目がない時代で、
新刊が安い値段で読めるため、沢山の顧客を獲得し、
全国に広がっていった。

まだテレビもなく、
夜の時間の過ごし方は、
ラジオを聴くか本を読むしかない時代のことである。

その時の時代背景は、次のような冒頭の記述がよく雰囲気を伝えている。

すでに敗戦後の混乱はおさまっていたが、
人びとは誰も貧しく、
着るものも食べるものもつつましかった。
娯楽といってもビデオはもちろん、テレビもない。
せいぜい近所の小便臭い映画館に行くぐらいで、
ふだんの暮らしは地味なものだった。
それでも少年少女たちの日々は、
今よりずっと輝いていたように思う。
毎日通う駄菓子屋、自転車でやってくる紙芝居、
近所の原っぱで暗くなるまで夢中になった
Sの字や三角ベース・・・。
その輝きのひとつに街角の貸本屋があった。
わずかな小遣いで宝物のようなマンガの単行本、
月刊マンガ雑誌が読める貸本屋は、
子供たちにとって大いなる喜びだった。                      
店の中は暗かったが、
空は底抜けに青い。
そんな時代の話である。


著者の父親は当時、宝くじ150万円が当たり、
いろいろな支払いであらかた消えてしまい、
15万円しか残金がなかった。
大叔父夫妻の出資金と従兄弟からの借金、
合わせて35万円の資金で出発。
いろいろ物件を探し、
東武線下赤塚駅近くの練馬区田柄(たがら)で開業する。
店名は息子(著者)の名前を取って「ゆたか書房」と名付け、
最初に小説700冊を仕入れた。
会員証を発行した初日の売り上げは1500円。
翌日、翌々日と会員は増え、売り上げも順調に伸び、
最初の1週間で1日平均2400円前後の売り上げを記録。
その結果、従兄弟から借りた10万円も毎月返済。

当時、全国2万軒、
東京だけで3000件の貸本屋がひしめいており、
既に飽和状態だったが、
立地と品揃えが充実していけば、
やっていけたのである。
         
当時の品揃えは、
小説、雑誌とマンガの比率がほぼ半々。
残滓では「平凡」と「明星」が稼ぎ頭だったという。
「映画の友」「オール読物」「小説倶楽部」
「文芸春秋」「中央公論」なども揃えていた。
「週刊朝日」や「週刊新潮」などの週刊誌は、
一週間が入れ替わってしまうため、扱わなかった。

少年向けは「少年」「少年画報」「少年クラブ」
「ぼくら」「おもしろブック」「冒険王」、
「少女」「少女クラブ」「なかよし」「リボン」など。

ただ、書棚を充実させるために、
常に新刊本を仕入れなければならず
もうけは仕入れにどんどん消えていく。
母は朝8時から神保町の貸本屋卸し専門の
竹内書房へ行って新刊本を仕入れ、
父は5時に会社が終ると、また竹内書房に行って仕入れる。
その後、本の補強とカバーかけを一家総出でやる。
常に棚が“生きている”状態にしなければ、
客が離れてしまうのだ。
それで、近所のライバル店を半年で閉店に追いやった。
レンタルビデオ屋が次々と新作を仕入れないと、
客離れが起こるのと同じだ。

クリックすると元のサイズで表示します

題名にあるとおり、
本書の大部分は、マンガについて書かれている。
小学生の著者にとっては、
店に行けばいくらでもマンガが読める楽園だった。
マンガは大手出版社のマンガ本はあったが、
点数が足りず、
大半は貸本屋専門のマンガ出版社の出すものに頼った。
ここに、貸本マンガの一大文化が発生するのである。
各出版社も最盛期には月10冊から20冊の
書き下ろしマンガ単行本を量産していた。
貸本屋向けマンガ単行本の1冊当たりの部数は、
1950年半ばで大体8千部、
後に部数が落ちて5千部から3千部数程度だったと言われている。
貸本屋の貸し料は大体定価の1割程度だから、
少なくとも10人に借りられなければ採算は成り立たない。
大手貸本マンガ出版社は、
最盛期には年間70万部以上を出していたから、
1社当たり年間700万人の読者がいたことになる。

莫大な読者がいた一方、マンガ家も有名無名膨大な数がいた。
その中から、
その後一流雑誌に掲載された「出世組」もいる。
手塚治虫を別格として、白土三平、水島新司、水木しげるなどがいる。
劇画畑の出世頭はさいとう・たかおだろう。
時代ものでは、平田弘史、小島剛夕がいる。
原稿料は安く、一冊128ページを描いて2万5千円程度。
1ページたったの200円だ。
その他大勢の大部分の貸本マンガ家は、
きわめて多作だったにもかかわらず、
人びとから忘れ去られ、
無名のまま消えていった。

貸本マンガの世界では、
名作映画もことごとく剽窃され、ネタとして使われていた。
面白ければ、何でも模倣され、盗作されていた。
著作権の概念などなかった。
ある時期の日活映画が洋画を模倣したのと同じである。

ゆたか書房は、自宅に近い
池尻大橋に2号店を出すほど成功した部類だ。
ただ、田柄店の方は成績が悪く、
大叔父夫妻に譲ってしまった。
老夫婦には新刊を仕入れる力がなく、やがて閉店する。
開店から10年と3カ月だった。
2号店の方は大叔父夫婦と共同出資ではなかったので、
月7千円の配当金を支払う必要がなく、
経営はうまくいっていた。
本書の発刊は1999年だが、
その時点でもまだゆたか書房は経営を続けていたという。

やがて貸本屋には大敵が現れる
テレビだ。
夜の時間の娯楽はテレビが主役になり、
読書は追いやられる。
テレビの受像機数が100万台を突破した1958年(昭和33年)を境に、
貸本屋は徐々に衰退の道を歩み始める。

1959年には「少年マガジン」「少年サンデー」という週刊誌が発刊された。
定価は80円。
貸本マンガの定価は200円。
真っ先に消えて行ったのは、
新刊を仕入れることが出来ず、
古本屋のようになってしまった店だったという。
積極は資本がモノを言うのだ。
貸本屋の衰退と同時に、
貸本や向けに本を出していた出版社も淘汰され、姿を消していった。

1967年から69年にかけてが貸本マンガの断末魔だったという。

クリックすると元のサイズで表示します

当時の食生活について、次のような記述もある。
                                       
ゆたか書房が開店した当時、
私はハンバーグもスパゲッティも知らなかった。
たまのライスカレーは大のご馳走、
デパートの食堂で年に一、二度食べる
旗の立ったお子様ランチなどは望外のぜいたくである。
ふだんのごはんのおかずといえば
サメの煮付け、サバの味噌煮、煮豆、でんぶなどで、
肉屋から買ってくるコロッケなどは
おかずの王様だった。


私の当時の思い出でも、
母親に連れられて行った渋谷で、
入った食堂で食べたのは、ラーメン。
イタリアンもフレンチもハンバーグも
存在すら知らなかった。

クリックすると元のサイズで表示します

私の住んでいた代々木八幡駅近辺にも貸本屋は3軒あった。
私は常連で、月300円のお小遣いは、
1泊2日10円の貸本に全て消えた。
大阪の日の丸文庫の出していた
短編集「影」のファンで、毎月、出るのを楽しみにしていた。
発行日には、おばさんがちゃんと取っておいてくれた。
辰巳ヨシヒロ、さいとう・たかお、松本正彦、佐藤まさあき、桜井昌一、
山森ススム、石川フミヤス、K・元美津、影丸譲也
らの名前を聞くと、
その画風が浮かぶほどである。
単行本で平田弘史の「復讐つんではくずし」というのを読んだ時には、
その残酷さに、体が震えるほど衝撃だった。

クリックすると元のサイズで表示します

復刻版が出ているらしい。

クリックすると元のサイズで表示します

貸本マンガの前は、
「少年」「おもしろブック」などの少年雑誌を読んでいた。
中でも「少年」の「鉄腕アトム」は聖書だった。
ただ、月に1回の発行なので、その間がもどかしい。
貸本はいつでもいろいろな本を借りることが出来、天国だった。
私が貸本にはまったのは、
1959年から1962年までの
3年少々だから、
意外と短い間に卒業したことになる。
その後は「ガロ」「COM」を継続的に購入したくらい。
つげ義春は、「ガロ」で初めて知った。
大学生になると、何時の間にかマンガからは卒業していた。

国会図書館にあるのではないかと調べたら、
「影」と「街」の第1号の復刻版が所蔵されているらしい。
一度行ってみようかと思うが、
意外と「こんなものに夢中になっていたのか」と
がっかりするのではないかと危惧している。

他の関連本。
「ぼくらの時代には貸本屋があった」は、
マンガではなく、大衆小説の系譜。

クリックすると元のサイズで表示します

柴田錬三郎、五味康祐、村上元三、松本清張、井上靖らについて取り上げている。

「貸本マンガと戦後の風景」は、
題名のとおり、マンガに焦点を当てる。

クリックすると元のサイズで表示します


ドラマ『トッカイ〜不良債権特別回収部〜』  映画関係

[ドラマ紹介]

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

まず、このドラマの背景について、学習。

1970年代、住宅資金需要が旺盛になり、
大蔵省が主導の上、
銀行等の金融機関が共同出資して、
住宅金融を専門に取り扱う会社を設立した。
これが住宅金融専門会社(住専)。

1980年代に入って、
銀行が直接個人向け住宅ローン市場に力を入れはじめ、
住専の市場を侵食し始めた。
住専は融資先を求めて
事業所向けの不動産事業へのめりこんでいった。
それに乗じたのが母体行で、
銀行本体では融資したくない相手だが、
融資しなければ何かとまずい、
という顧客をつぎつぎと住専に紹介した。
暴力団がらみ、不良債権化している融資の肩代わり、
焦げ付いた融資を引き受けさせる、
といった
不良債権のゴミ箱としての役割を担わされ始めた。
まこに、バブルの時代である。

地価高騰を抑制するために、
1990年3月、総量規制がなされたが、
不動産向け融資は住宅金融専門会社を対象とせず、
また、農協系金融機関は対象外とされたため、
農協系から住宅金融専門会社、
そして不動産投資へと資金が流れることとなった。
住専には農林系金融機関を中心とした金融機関が貸し込んでいった。

やがてバブルが崩壊すると、
地価が下落して担保価値が下がり、
土地は売るに売れない状況となり、
融資先は元金返済どころか、
金利の支払いすら滞る事態となった。
融資は固定化、塩漬けとなり、不良債権化していった。

1995年8月には、
大蔵省の住専立ち入り調査が行われ、
農林系1社を除く全体で、
総資産の半分に達する6.4兆円の損失があることが判明した。
そしてその貸し倒れ、損失処理が遅れることにより、
金融システムの破綻を避けることが急務となった。

1995年12月、閣議決定がされ、
6.4兆円の損失の穴埋めについては、
母体行と一般行並びに農林系金融機関がそれぞれ債権放棄
(母体行3.5兆円、一般行1.7兆円)により分担し、
農林系金融機関の負担能力(5300億円)を超える
6850億円については公的資金投入を行うことになった。
つまり、税金で救うというのである。

農林系の協同住宅ローンを除く
住専7社は実質的に倒産・消滅させ、
預金保険法を改正し、預金保険機構の子会社として
住専処理機構を新設し、
住専7社の資産をこれに譲渡させ、
その債権回収に当らせることになった。

この過程で、国会の審議が紛糾し、
「住専国会」と呼ばれ、
野党新進党の議員が成立を阻止するため
委員会室の前でピケを張るほどであったが、
最終的に法案は可決成立。

およそ四半世紀前の出来事だが、
既に記憶の彼方にある。
要するに、バブル期、
無理で無謀で不正な貸し付けをしたツケで生じた不良債権を
国民の税金で補填した、というお粗末。
                                        
ただ、手をこまねいていたわけではなく、
不良債権の回収のために、
国策会社として、住専処理機構
(のち住宅金融債権管理機構と改称、
のちに合併して、整理回収機構)を作り、                              関係金融機関から出向させて、その回収に当たらせた。
社長には、高名な弁護士の中坊公平が就任した。

クリックすると元のサイズで表示します

ドラマは、住管機構の中の、
悪質債務者への取り立てを任務とする
不良債権特別回収部(通称・トッカイ) の
奮闘を描いている。
メンバーは、あおば銀行・融資部の柴崎朗(伊藤英明)、
銀行から出向した塚野智彦(萩原聖人) のほか、
経営破綻した元住専社員の葉山将人(中山優馬) 、
多村玲(広末涼子) 、岩永寿志(矢島健一) らが集められていた。

クリックすると元のサイズで表示します

「不良債権を1円残らず回収する」
社長の東坊平蔵(橋爪功) が掲げた至上命題とともに
彼らに背負わされた回収目標額は、
年間6309億円。

クリックすると元のサイズで表示します

気の遠くなるような金額に負けず、
バブル時代に銀行や住専がした失態を取り戻すために、
努力する。
社長をつとめて中坊公平は「東坊平蔵」と変えられている。

中でもビルに居すわった暴力団を退去させるための努力、
ナニワの不動産王と呼ばれる男の隠し資産の摘発、
悪質債務者の一人が海外に隠匿した資産の摘発に力を注ぐ。
6850億円の税金投入を申し訳なく思い、
不良債務者から1円でも多く回収したいという思いでなした方策で、
東坊社長が詐欺の責任を問われ、辞任し、
弁護士廃業にまで及ぶ件も
描かれる。

随所にメンバーの熱い想いが胸を打つ。
暴力団退去の作戦で、
大阪府警の刑事が柴崎の意気に感じて協力する場面など、爽快。

WOWOWの開局30周年記念番組で、
今年1月17日に放送スタート。
4月4日に放送を終えた。

原作はノンフィクション作家・清武英利による、
「トッカイ バブルの怪人を追いつめた男たち」。

クリックすると元のサイズで表示します

監督は「Fukushima50 」の若松節朗、村谷嘉則、佐藤さやから。
脚本は同じ原作者によるドラマ、「しんがり」「石つぶて」の戸田山雅司が手掛ける。

班長の柴崎役の伊藤英明が
キャラクターを生かした適役で、
熱い思いを伝える。

クリックすると元のサイズで表示します

“ナニワの不動産王”と呼ばれる金丸岳雄を演ずる
イッセー尾形ははまり役で、
金に執着する下劣な男を見事に演ずる。

クリックすると元のサイズで表示します

東坊を演ずる橋爪功も味のある演技。
特に部下の犯した失敗で責任を問われる場面でのふるまいは、
人物の大きさを感じさせて好演。

クリックすると元のサイズで表示します

今、民放の作る若者向けドラマは、
志としては、絶望的だが、
唯一WOWOWだけが作る、硬派のドラマ。
見応えあり。

クリックすると元のサイズで表示します

タグ: 映画

アカデミー賞授賞式  映画関係

今日は、アカデミー賞の授賞式
コロナ禍でのアカデミー賞。
昨年は、少し早めの2月10日の開催で、
ぎりぎりのところで間に合いましたが、
今年は、4月まで遅らせたのに、
まだ真っ只中。
そのため、異例なことが沢山起こりました。

まず、会場がドルビーシアターだけでなく、
ロス市内のユニオン・ステーション

クリックすると元のサイズで表示します

ドルビー・シアターと交互に展開するのかと思いきや、
メイン会場はユニオンの方で、
ドルビー・シアターの方は
数えるほど出て来ません。
ご覧のとおり、中は空席。

クリックすると元のサイズで表示します

ユニオンの方の席に限りがあるのか、
一部のノミニーはドルビー・シアターに。

クリックすると元のサイズで表示します

どうやって配分したのでしょうか。

開会前のインタビューは、
↓のようなパーティー会場風の場所で。

クリックすると元のサイズで表示します

レッドカーペットはがらがらです。

クリックすると元のサイズで表示します

会場以上に
映画界の地殻変動とも言えるのが、
配信映画の台頭
コロナで映画館が閉じ、
「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」
「ブラック・ウィドウ」
「ワイルド・スピード/ジェットブレイク」
「トップガン マーヴェリック」
などの有力映画が続々公開延期し、
家で配信映画を観るスタイルが通常化した中、
いたしかたない状況。
そのため、規約を変更し、
対象作品が
「アメリカ・ロサンゼルス郡内の映画館で
 1日3回、7日以上連日上映された作品」

から
「劇場公開を予定していた作品であれば、
 デジタル配信のみで公開された作品もノミネート対象」

と大転換。
それまでは、配信作品が資格を取るために
限定された劇場で短期公開されていたのが、
そういう手法を取らずとも対象とされるようになりました。

その結果、Netflix作品(提供を含む)が17作品38ノミネーションに。
一昨年は4作品15ノミネート、
昨年は8作品24ノミネートだったのに対し、大幅増加。
国際長編映画部門を除く22部門
候補作を送り込みました。
撮影賞、美術賞、オリジナル音楽賞、主題歌賞、
メイクアップ&ヘアスタイリング賞の5部門では、
5作品中、3作品をNetflix作品が占める事態となりました。
他にAmazon Primeの配信作品も12部門を占め、
ディズニ、Apple TV、HBO Maxなどの配信作品を加え、
全体の約56パーセントを占有。
主題歌賞はついに、
5候補全てが配信作品で占めることになりました。

そうした中でのアカデミー賞。
しかし、コロナ禍で開催したこと自体に意味があります。

総合司会は立てず、
レジーナ・キング
オスカー像を持って、入口から会場へ。

クリックすると元のサイズで表示します

それを追うカメラの移動撮影という、

クリックすると元のサイズで表示します

映画らしい、なかなかのオープニングでした。

クリックすると元のサイズで表示します

会場に到着。

クリックすると元のサイズで表示します

階段状のラウンジのようなところにテーブルと椅子を設置。

クリックすると元のサイズで表示します

上から見たところ。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

参加者はワクチン接種をし、検査済み。
マスクをしていませんが、
レジーナは「映画の撮影だと思って」と説明。
カメラが回っている時だけ、
マスクを外すのだそうです。

はい、このとおり。

クリックすると元のサイズで表示します

音楽はオーケストラではなく、DJで。

クリックすると元のサイズで表示します

海外などで、会場に来れないノミニーは、

クリックすると元のサイズで表示します

リモートで参加。

クリックすると元のサイズで表示します

プレゼンターは、
ノミニーの映画好きになったきっかけなどを問います。
「シャカ・キングの映画の初仕事は、
『30デイズ』のエキストラでした」
「リー・アイザック・チョンは、
初めて『E.T.』を観た時は、
興奮のあまり
映画館で立ちっぱなしに」
「アーロン・ソーキンは、映画館のチケットもぎりと
ポップコーン作り」

等々。

受賞者のスピーチが長めだと感じたのは、
スピーチの時間制限をなくしたからだそうです。

国際長編映画賞を受賞した
デンマーク映画「アナザーラウンド」の
トマス・ヴィンクーベア監督が、
「撮影を始めて4日目に
自動車事故で娘のアイダが亡くなりました。
娘が恋しいです。
撮影に入る2カ月前、
娘は滞在先のアフリカで
この脚本を読んで
手紙を送ってくれました。
とても気に入って、ワクワクしていると。
出演する予定だったんです。
きっとこの場に娘もいて、
拍手を送りながら、
喜んでくれていると思います。
アイダ、奇跡が起きたよ」

と語って、涙を誘いました。

クリックすると元のサイズで表示します

ドキュメンタリ映画賞[長編」は、
「オクトパスの神秘:海の賢者は語る」が受賞。

クリックすると元のサイズで表示します

Netflixで観て感銘を受けたので、嬉しかったですね。

授賞式に付き物のお遊びでは、
かかった曲が、受賞したか、ノミネート止まりか、
ノミネートさえされなかったか、
を当てさせるクイズ。
地味ですねえ。

クリックすると元のサイズで表示します

ジーン・ハーショルト友愛賞は、
沢山の映画人を救った
映画テレビ基金(MPTF)と、
貧困に困る人々を支援したタイラー・ペリーに。
「影響のある人物には責任がある」という
タイラー・ペリーのスピーチは胸を打ちました。

クリックすると元のサイズで表示します

「ある日、車に向かう途中、
歩いているホームレスの女性を見かけて、
ポケットからお金を出そうとすると、
“靴はありませんか”と言われました。
その瞬間、自分もホームレス時代、
靴がボロボロだったと思い出しました。
そこで彼女をスタジオに連れて行きました。
衣装部屋には布や衣装が壁面一杯に並び、
靴をみつけてはかせると、
彼女は下を向いたままでした。
顔を上げると、泣きながら言いました。
“イエス様ありがとう。
やっと地面から足が離れました”
彼女はこんなお願いをしては
嫌われると思っていたそうです。
同じ経験をした人を嫌うわけがありません。

母は南部の人種差別の中で育ちました。
ある日帰ると母が家で泣いていました。
ユダヤ人の子供を預かるコミュニティセンターに
爆破予告があったというのです。
母は憎しみを拒みました。
子供たちには、憎しみを拒むよう教えていきましょう。
人を憎んではいけない。
メキシコ人、黒人、白人、それは関係ない。
LGBT、警察官、アジア人だからと
憎むことをしてはなりません。
この友愛賞は、そういう人に捧げたい。
憎しみを拒み、誰かに靴をはかせてあげたい人に捧げます」


発表順に異変があり、
いつもは最終段階で発表される監督賞
かなり早めになりました。
今年の監督賞は女性監督が2名候補にあがり、
アジア出身の監督も2名いるなど、
多様性が感じられます。

そのうちの一人、「ノマドランド」のクロエ・ジャドが受賞。

クリックすると元のサイズで表示します

女性というだけでなく、
アジア女性初の監督賞受賞です。
ただ、ゴールデングローブ賞では大々的に報じた中国も、
アカデミー賞には冷淡で、
それというのも、クロエ・ジャドが
2013年に海外雑誌で
「私が若かった時、中国での生活は嘘であふれていた」
と発言したことが発覚したためだという。
今、中国国内で厳しい制限がかけられており、
「ノマドランド」「アカデミー」などに関連する投稿は
時間を置かずネットから削除されている。
まったく中国という国、
非寛容で大国らしくないなあ。

監督賞だけでなく、
演技賞も人種の壁が取り払われ、
20人中、9人が非白人。
2015年以来の会員増加多様化の効果が現れたようです。

今年から、音響部門2部門が統合され、1部門に。
毎回両賞は似通った候補で、
同じ作品が受賞する傾向がるあるため、
音響部会の要請でそうなったようです。

クリックすると元のサイズで表示します

プレゼンターのリズ・アーメッド自身の発表で、
「サウンド・オブ・メタル 聞こえるということ」が受賞。
見事な音響技術でした。
リズ・アーメッドが受賞者とハグ。

クリックすると元のサイズで表示します

物故者の追悼は、
スティービー・ワンダーの「永遠の誓い」に乗せて。

マックス・フォン・シドー、90歳。

クリックすると元のサイズで表示します

オリビア・デ・ハビランド、104歳(長生き!)

クリックすると元のサイズで表示します

クリストファ・プラマー、91歳。

クリックすると元のサイズで表示します

エンニオ・モリコーネ、91歳。

クリックすると元のサイズで表示します

ショーン・コネリー、90歳。

クリックすると元のサイズで表示します

そして、最後が
チャドウィック・ボーズマン、43歳。

クリックすると元のサイズで表示します

淋しかったのは、主題歌賞のパフォーマンス
授賞式の中ではなかったこと。
前番組で、アカデミー映画博物館の屋上のテラスで収録した
パフォーマンスを流していたので、
それを会場でやれば、世界中の視聴者に観てもらえたのに、
なぜそうしなかったのは、謎です。

「ユーロビジョン歌合戦」から
「HUSAVIK」を歌うモリー・サンディーン

クリックすると元のサイズで表示します

「これからの人生」から
「SEEN」を歌うライラ・パウジーニダイアン・ウォーレン
赤いピアノは、ヤマハです。

クリックすると元のサイズで表示します

「シカゴ7裁判」から
「HEAR MY BOICE」を歌うセレステ
このピアノも、ヤマハです。

クリックすると元のサイズで表示します

「あの夜、マイアミで」から
「SPEAK NOW」を歌うレスリー・オドム・ジュニア。

クリックすると元のサイズで表示します

「Judas and the Black Messia」から
「FIGHT FOR YOU」を歌うH.E.R.

クリックすると元のサイズで表示します

助演男優賞、助演女優賞は、
「Judas and the Black Messia」のダニエル・カルーヤ

クリックすると元のサイズで表示します

「ミナリ」のユン・ヨジョンが順当に受賞。

クリックすると元のサイズで表示します

ユン・ヨジョンは達者な英語でスピーチ。
アメリカに13年在住した経験があり、
離婚後、韓国に帰って俳優に復帰した73歳。
なかなかのおばさんで、
受賞後、記者から
「(エスコートした)ブラッド・ピットはどんな匂いでした?」
と訊かれると、
「私は犬じゃないよ」と答えたそうです。
ただ、アジア初、というのは間違いで、
1957年に「サヨナラ」でミヨシ・梅木
東洋人初の助演女優賞を受賞しています。

この助演女優賞の時、
候補者の一人、オリヴィア・コールマンは、
ドルビー・シアターに配置。
謎です。

クリックすると元のサイズで表示します

終盤に入って、再び異変が。
通常、最後に発表される作品賞が、
最終ではなく、
主演女優賞、主演男優賞の前に。
なぜ?

クリックすると元のサイズで表示します

作品賞は、前評判のとおり、「ノマドランド」が取りました。

クリックすると元のサイズで表示します

主演女優賞は、前哨戦である
5つの賞が、全部違う女優が受賞しており、
混戦模様。

クリックすると元のサイズで表示します

結果は、やはり本命の「ノマドランド」の
フランシス・マクドーマンドの受賞でした。

クリックすると元のサイズで表示します

最後は主演男優賞
ここで、順番を変えた意図が判明。
主演男優賞の最有力候補、
「マ・レイニーのブラックボトム」の
チャドウィック・ボーズマン
史上3人目の故人の受賞で、
遺族が受賞して、涙の幕切れにしたかったようですが、
何と受賞者は「ファーザー」のアンソニー・ホプキンス

クリックすると元のサイズで表示します

83歳の最高齢のノミネート、最高齢の受賞でしたが、
本人不参加で、オスカー像の受け取りもスピーチもなし。
なんとも、あっさりした終わり方になりました。

かつて、「リンカーン」の作品賞受賞を見越して、
ホワイトハウスのオバマ夫人にプレゼンターを依頼し、
見事に空振りになって以来の、思惑外れ。
そうでなければ、「ノマドランド」の作品賞受賞で、
舞台に関係者が並んで、の
いつもの光景で終れましたのに。
完全に間が抜けた終幕になりました。
だから、こういう、勝手に予測しての
小細工はしない方がいい。

しかし、アンソニー・ホプキンスがその後、インスタを更新し、

「おはようございます。故郷のウェールズにいます。
83歳でこのような賞を受賞するとは思ってもみませんでした。
アカデミーに感謝します。
そして、あまりにも早くこの世を去ってしまった
チャドウィック・ボーズマンにこの賞を捧げます。
ありがとうございます。
予想外でした。
光栄で名誉なことと思います」


と述べたのは、
さわやかな風がウェールズから吹いて来たような
気持ちにさせられました。

終ってみれば、
主要部門は映画館で上映された作品が占め、
配信作品は主に技術部門の13部門の受賞。
(Netflix7、Amazon2、ディズニー2、HBO2)
57パーセントと、
ノミネートの比率とほぼ一致。

作品賞の8作品で見ると、

ノマドランド・・・・・6ノミネート → 3部門受賞
Mank/マンク・・10 → 2 
Judas and the Black Messia 6→ 2
ファーザー・・・・・6 → 2
サウンド・オブ・メタル・・・・6 → 2
ミナリ・・・・・・・6 → 1
プロミシング・ヤング・ウーマン・5→ 1
シカゴ7裁判・・・・6 → 0

という結果でした。

受賞作で、このブログにあるものは、↓をクリック。

ノマドランド

マ・レイニーのブラックボトム

サウンド・オブ・メタル 聞こえるということ

オクトパスの神秘:海の賢者は語る

受賞はしなかったノミネート作品で、
このブログにあるものは、↓をクリック。

シカゴ7裁判

ザ・ホワイトタイガー

ザ・ファイブ・ブラッズ

ユーロビジョン歌合戦

ウルフウォーカー

私というパズル


『ウナギが故郷に帰るとき』  書籍関係

[書籍紹介]  

クリックすると元のサイズで表示します
                           
ウナギについての考察本

太古の時代から、ウナギの生態は謎だった。
アリストテレスなど、
「ウナギは泥から生まれる」
という間違ったことを言っている。

魚なのか、そうでないのか。
どう変態をくり返すのか、
どうやって増えるのか、
雌雄の別はあるのか、
生殖器はあるのか、
どこかからやって来て、川をさかのぼり、
ある時に、また川から海に戻り、どこへ行くのか。


こうした研究に沢山の人が関わり、
真相の解明をしようと努力する。

本書は、その努力の過程を記す章と交互に、
著者の父親とのウナギを介しての交わりが回想として加わる。
スウェーデンの片田舎の川べりの町に住んでいた筆者は、
しばしば父親とウナギ捕りをしていた。
そこで触れ合う父との交流が
死に至るまで続く。

ウナギと言えば蒲焼、
という発想しかしない日本人の一人として、
ウナギの生態など、全く関心がなかったが、
本書を読んで、へえ、そうだったのか
という驚きの連続だった。

ウナギ(ここでは、ヨーロッパウナギ)の故郷は、
大西洋北西部のサルガッソー海
4つの大きな海流に囲まれた地帯(海帯)。

クリックすると元のサイズで表示します

ここでウナギの成体が卵を産み落とし、
オスのウナギが受精させる。
やがて卵から幼生が生まれる。
幼生は、柳の葉に似た透明で平らな体を持ち、
体長はほんの数ミリ。
生まれると間もなくメキシコ湾流に流され、
大西洋を何千キロも漂って、
ヨーロッパ沿岸にたどり着く。
時には3年がかりの旅の間、
少しずつ成長し、
ヨーロッパに辿り着く頃には、
最初の変態を遂げて、シラスウナギになる。
体長は5センチから7.5センチ。
シラスウナギは、大小様々な川をさかのぼり、
淡水に適応し、更に変態して黄ウナギとなり、
やがて定住の地をみつけて、そこに住み着く。
小川や湖底で四季をすごし、
寿命は長く、同じ場所で50年も生きられる。

やがて、ある時点、生まれてから15年から30年くらいで、
ふいに繁殖を思い立ち、
川を出て、元の故郷、サルガッソー海を目指す旅に出る。
その間に最後の変態をし、黄ウナギは銀ウナギになる。
ここへ来て、生殖器官が発達し、
ウナギの体は魚卵または魚精で一杯になる。
消化活動が停止し、胃袋は消滅、
旅に必要なエネルギーは、
身体に蓄えられた脂肪だけに頼る。
銀ウナギは1日50キロメートル近く泳ぎ、
6カ月以上続く。
やがてサルガッソー海に到達した後、
渦を巻いて浮遊する海藻の下で、卵を産み、受精する。
こうしてウナギの最後の使命を果たした後、
ウナギは死んでいく。

ということが判明したのは、丁度100年前
それを研究して解明した人々の手によるものだ。
本書は、その人々について記す。

たとえば、19歳のジークムント・フロイトは、
地中海のトリエステの研究室で、
来る日も来るもウナギを解剖し、
生殖器の発見をしようとした。
結果は徒労に終わり、発見はできなかったのだが、
それもそのはず、
ウナギは故郷へ戻る最後の旅の途中で性的に成熟するため、
普通のウナギには、まだ観察可能な生殖器が生じていなかったのだ。
フロイトの研究が報われずに終ってから
シチリア島で性的に成熟したオスの銀ウナギが捕獲され、
ウナギは魚であると証明されたのは、20年後だった。
あの高名な精神分析のフロイトが、
若い頃、ウナギの解剖をしていた、という話は驚きだった。

ウナギの繁殖地を特定するために努力した人に、
ヨハネス・シュミットという人がいる。
この人はトロール網を引いた蒸気船で太西洋を動き回って、
幼生の発見に時をついやした。
より小さな幼生を探し求め、
体長3センチの幼生、
体長1.7センチの幼生と次々と発見し、
ウナギの繁殖の場所として、
サルガンソー海近くを特定したのだ。

何という気の長い話だ。
それにしても、なぜそんなことに執心したのか。
筆者は、こう書く。

世の中には、好奇心をそそられる謎の
答を見つけると決めたら
絶対諦めない人たちがいて、
求める答を見つけるまでは、
どんなに時間がかかっても、
どんなに孤独でも、
どんなに見込みがないように思えても、
ひたすら努力し続ける、
ということなのかもしれない。


なお、ヨーロッパウナギとアメリカウナギは別種だが、
繁殖場所は同じで、
幼生の時に、別々の方向に向かうのらしい。

彼が導き出したのは、
この一見よく似た二種の幼生は、
別々の目的地へ向かうように
生まれつきプログラムされているという答えだった。


ただ、サルガッソー海が本当の繁殖地かどうかの疑問は残る。
その海域で実際に産卵中のウナギ成魚を見た人はおらず、
卵も発見されていない。
最近では、標識放流による回遊調査で、
ヨーロッパウナギ成魚は
サルガッソ海より遥か東方の
大西洋中央海嶺にあるアゾレス諸島海域に集まる事が知られている。

ニホンウナギの繁殖地は太平洋の中にあり、場所も分かっている。
ただ、海から泳いで沿岸の川に入り、
そこで長期暮らした後、
再び海に戻って、繁殖地へ向かう、
というプログラムが、
いつ、どのように確立したのか
それは、自然界の不思議としか言いようがない。
サケが川から出て海を回遊し、
再び故郷の川に戻って産卵するのと同様、不思議だ。

最後に本書は、ウナギの絶滅の危機について触れる。
複数ある原因の中の一つは、人間だという。
水質汚染、川における閘門や水門、発電所がウナギの通過を妨げる、
シラスウナギ漁、食用ウナギの乱獲、                     
そして気候変動。
ウナギを大量に消費する日本の食文化にも矛先が向かうかもしれない。

地球上に生命が誕生してから30億年の間、
5回の大量絶滅が行われたという。
1度目は4億5千万年前。
大陸移動によって引き起こされた寒冷化のおかげで、
地球上の60から70パーセントの種が絶滅してしまった。
次は3億6400万年前。
やはり寒冷化が原因で、地球上の70パーセントの種が姿を消した。
3度目は2億5千万年前、
気候変動で95パーセントの種が死に絶えてしまった。
4度目は、2億年前で、75パーセントの種が絶滅。
5度目は、比較的近い6500万年前、
ユカタン半島を隕石が直撃し、
恐竜と75パーセントが絶滅した。
多くの研究者は6度目の大量絶滅は進行中だという。

ウナギは4千万年前から世界に存在し、
氷河期を生き延び、大陸移動を目の当たりにし、
人類が地球上に現れるのを、
何百年前から待ち受けていた。
そのウナギがない世界は想像できない、と著者は言う。

先日はドキュメンタリー「オクトパスの神秘:海の賢者は語る」を観て、
タコを食べれなくなった、と書いたが、
本書を読んで、
ウナギは食べれないな、という気がした。
自然界のことは、知れば知るほど、
畏敬の念を覚える。

こうしたウナギに関する蘊蓄と並行して描かれる
著者と父親との思い出。
著者はやがて、故郷を出て、
スウェーデンのジャーナリストとなる。
しかし、父の死と共に、故郷に帰る。
その姿がウナギの一生と重なる。
ウナギの探求と著者の人生が
一つにつながる時、
生命とは、人生とは
という深い洞察が表われて来る、
傑作と呼ぶにふさわしい良書である。





AutoPage最新お知らせ