マスターズで松山英樹選手が優勝  様々な話題

マスターズ松山英樹選手が優勝したニュースは、
ゴルフにうとい私でも快哉の声をあげるほど素晴らしいことだった。

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今まで青木や中島らが何度トライしても成せなかった偉業を
なし遂げたのだから、
コロナ禍で下を向いている日本人の顔を上げさせる快挙だった。

そんな隣国の快挙を喜べないのが、
韓国という国。
さっそく韓国メディアが「テレビ視聴率では半分の成功だ」
と酷評したのだ。
そのメディア「スポーツ傾向」は
今年のマスターズ最終ラウンドの米国での視聴率が5.5%だった、と紹介。
昨年の大会より視聴率が13%低く、
一昨年の大会と比較すると27%も下落してしまった、
と米国での低視聴率ぶりを強調。

他のメディア「文化日報」でも、
近年の大会と比べて視聴率が「はるかに低かった」と厳しく報じたうえで、
その原因を分析。
「最終日の視聴率下落は、何よりもスター選手たちの不振のためだという分析がある。
ダスティン・ジョンソン(米国)やロリー・マキロイ(北アイルランド)は脱落し、
ジャスティン・トーマスとブライソン・デシャンボー(以上米国)は
優勝争いに加われなかった」
と米国で注目度が高い選手の不振を挙げた。
それだけでなく
「最近2年間顕著な成績を出せなかった松山英樹というアジア人選手の快走は、
どうしても米国人の目を引くためには力不足だった」
とバッサリ。
まるで松山が米国で人気がないと言わんばかりの論評を展開した。

視聴率と優勝とは何の関係もない
激しい接戦を制して優勝した日本人選手の偉業をなぜ素直に認めようとしないのか。
マスターズのアジア人初制覇の偉業がよほど悔しかったのかもしれない。
しかし、敵対する相手でも、
良い業績をあげれば、賞賛するのが紳士というもの。
ここでも韓国人の心の狭さ
というより、いつも私の言う「性格の悪さ」を発揮したといえよう。

むしろ、韓国が恥としなければならないのは、
韓国のキム・シウ選手で、
この日はスタートから好調を維持していたキムだが、
14番で3パットを叩いて初のボギーを記録し、スコアを落としてしまう。
すると続くパー5の15番では、
ウェッジでのアプローチがカップを通り過ぎて反対側のエッジにまで到達。
これで「イライラした」キムは、
4打目に臨む前にうつむきながらパターのグリップを握った右手を
いったん突き上げると地面に思い切り、垂直にたたきつけた。
パターはぐにゃりと曲げてしまった。
クラブはゴルフ選手にとって「武士の魂」のようなものではないかと思うが、
その「魂」に対して八つ当たり。
ルール上、替えのパターは使えないため、
以後のブレーでは、
3ウッドでパッティングに臨んで、
バーディは獲れず。
優勝を狙える位置にいたのに、
成績に響いたのは自業自得といえよう。
おまけにボールを池に投げ捨てるなど
マナーを逸脱した行為が続いた。

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米スポーツ専門局「CBSスポーツ」の公式ツイッターは、
パターを破壊した一部始終の動画を公開。
米ファンから
「子供たちに悪い例として見せよう」
「パターのせいじゃないだろ」

などと指摘されていた。

ネットの書き込みには、
あきれた声があふれている。

○自国の選手が目立った活躍をしてないと
ゴルフなどは特に視聴率の影響を受けます。
日本人が活躍することが気に入らないんでしょうね
人の振り見て我が振り直せをいつも教えてくれてありがたいです。
友達にはなりたくないですが

○同じアジア人として(もはや同じカテゴリーにすら入れられたくはないが)
純粋にそのさもしい考え方に恥ずかしさを感じます。

○開いた口が塞がらない。

○難くせ付けて批判する、
この国民性は今に始まったことではないですよね。
パターを壊しボールを池に投げ捨てた自国のプレーヤーは容認ですか? 
スポーツマンシップのかけらもない国とは、交流は無くてもいいと思います。
よほど日本が「アジア初」ということを認めたくなかったんですね。

○くっだらない。
自国の選手が、感情に任せてパターを折ってしまう、
程度の話題にしかならなかったことをひがんでいるとしか思えないですね。
サッカーの方もそうですが、
やはり器の小さいお国柄だということを再認識させられました。
他の国の人たちは称賛してくれていますし、
日本では誇りに思われているので、まったく気にすることはないですね。

○悔しいからといって重箱の隅をつつくようにマイナス面?(かどうかは疑問) を探して、
素直におめでとうと言えないのは却って情けないと思います。
負け犬の遠吠えというのはそういう事では?

○アジア初を取られた事も面白くないのでしょう。
この国の方たちにこの偉業をご理解いただこうとは思わないけど。

○純粋にほめられる余裕を見せなさい。
日本からお金だけを取る算段しかできない国だからね。

○こんなことにはとてもマメなお国柄ですね。
そのマメな分析能力をぜひとも
「自国が世界で受け入れられない理由」を探る方に
向いてくれることを願っています。

○本当に嫌な国だ。
他国を、特に日本を批判することが生き甲斐なんだろう。
そんなに日本が嫌いなら断交すれば良いと思うのだが、
そんな勇気はさらさらない。
嫌いな日本でプレーしているプロゴルファーが多いことも批判されてはどうでしょう。

○パターをへし折った12位の韓国選手は来年マスターズに招待されないだろう。
マスターズの威厳、アメリカメディアを敵に回しでしまった。
どうして、韓国ってこう言う不用意な記事を書くのか理解出来ない。

○マスターズはテレビの視聴率で評価されるものではありません。
「視聴率が低いから半分の成功だ」と言う
マスターズそのものを侮辱する韓国メディアは
パターを故意に壊した選手と共に
来期以降オーガスタナショナルクラブへの入場は禁止にすべきでしょう。

○自分たちの姿が、哀れで惨めだということが分からないのですね。
とてもじゃないが、お付き合いできません。
いつも、韓国を擁護したがる人たちの、
この件に関するコメントを聞いてみたい。

○TV視聴率が大事なことではなく、偉業を達成したことが最も価値あることだよ。
それは称賛に値する。
それを報道しないで、
視聴率ごときを報道するレベルだということがよくわかる記事。
偉業を素直に讃えられないということはスポーツマンシップに欠けるということ。
スポーツ報道について、ちゃんとお勉強しましょうね。

○あなた方に、認められて誉められなくても、気にしませんけどね。
悔しくて仕方ないんでしょう。

○教育の恐ろしき一面がまさにこの記事。
メディアにして、ねじ曲がった感性が当たり前の様に蔓延している国なんだね。
相手をリスペクトすることなど恥以外のなにものでも無いってか。
どうりで世界的に著名な研究者や文化人、
世界に冠たるトップアスリートが生まれない筈だわ。
もはや教育というよりも洗脳に近い状態、その結果なのかもしれない。

○訳が分からんこと言ってるなあ。
視聴率を取るためにマスターズで出場している選手はいないし、
それを選手に求めるのは筋違い。
韓国車でタイガー・ウッズの足を潰さなければ視聴率良かったかもしれないけどな。

○キム・シウがパターを叩き折って、
ボールを池に投げ捨てた行為の方を問題視したらどうだ?
自分達には、松山の偉業を論評する資格すらないことに気づけよ。

○韓国のことは基本的には無視していればいいと思うけど、
日本の尊厳を傷つけるような振る舞いには断固として報復をしなければならない。

○よほど悔しくて
あら捜ししてなんとか
自分たちのちっぽけなプライド
を保ちたいのですね
可哀想に

○サッカーとゴルフ、韓国が日本に関して優越感を持てる
数少ないスポーツでの日本の躍進に心中穏やかではないのがよくわかる記事だなあ。

○松山君に対しても、マスターズ関係者全員に対しても、
PGA関係者に対しても、大変失礼な話。
お隣は全てを敵に回したいのだろうか?
他の国のプレイヤーをどうこう言う前に自国のプレイヤーのマナーを何とかして

○トーマス、ジョンソン、マキロイ、ケプカといった
錚々たるプレイヤーですら歯が立たないほどに、
今年のオーガスタ・ナショナルは厳しいコースセッティングだったというのが事実。
松山はそのコースに勝ったのです。

○何と言う了見の狭さ。書いてて自分自身が恥ずかしくならないのかねー 
視聴率が低いかどうか全く問題では無い。
オーガスタに集まったパトロンが最高の祝意を示し、
最大の賛辞を惜しまなかったことが一番重要。
そして日本中の多くの人々を、感動の坩堝に誘った事実が重要なのだ。
隣国の心ない、はしたない記者のコメントなど一顧だの価値もない。
恥を知れと言いたい。

○これが本当に韓国の世論だったら「さもしい!」の一言に尽きるね。
まず私は松山英樹さんがグランワンジャケットを着れる活躍をしたら、
その個人を賞賛します。
アジア初の快挙にはアジアにいる私として、喜びます。
日本人の優勝についてはこれを誇りに思います。
そして、他国の選手が優勝しても、これを讃えるでしょう。
何故、やっかみ、中傷が好きなのだろうか?私には理解できない?

○何も松山英樹選手はテレビ視聴率の為にゴルフをしているんじゃないと思うがネ。
韓国メディアは日本人がマスターズで優勝をかっさらったのが、
癪で癪で仕方ないから、
何でも良いからネガティブなネタを探していたんだ。
そうしたところ、たまたま、テレビ視聴率が低下した事に目を付けて、
マスターズ優勝の価値は半分しかないと捲し立てているだけだ。
これで韓国メディアも韓国国民は少しは溜飲を下げ、
傷付いた自尊心の快復に貢献したと言いたいんだろう。
イソップ物語の酸っぱい葡萄の寓話を想起させる様な情け無い話だ。
このような他人の不幸や失敗に慰められないと生けていけないのが
韓国という国なのだ。
負け惜しみもここまで行くと立派としか言いようがない。
もちろん、TV視聴率の数字なんか全く気にしなくて良い。
松山選手のマスターズ優勝は掛け値なしに賞賛されるべき偉業なのだ。
本当に嬉しい限りだ。


小説『グローバリズム出づる処の殺人者より』  書籍関係

[書籍紹介]

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映画「ザ・ホワイトタイガー」の原作本。

原題は映画と同じ「THE WHITE TIGER」なので、
書籍化にあたり、おかしな邦題をつけたものだと思う。
これでは読者を減らして損したのではないか。
2008年度に
イギリスの最も優れた本に送られるブッカー賞を受賞している。

低いカーストで教育も受けられなかった青年バルラムが、
地主の家に入り込み、御曹司の運転手になる。
御曹司夫婦はアメリカ生活の経験があり、
その分、進歩的で平等思想の持ち主だが、
妻が起こした人身事故を運転手に押しつけるなど、
地主のDNAからは逃れられない。
自分を取り巻く「檻」から逃れるために、
バルラムは御曹司を殺して、
政治家へのワイロのための金を奪い、
グローバリズムのIT企業の町、バンガロールで
警察へのワイロを使ってタクシー会社を設立し、
成功をおさめる。

という話を中国の温家宝首相に宛てた手紙、という形で綴る。
もちろん本当に首相に送ったわけではない。

世界第2位の人口を抱える国の青年が
世界第1位の人口を抱える国の要人に送った手紙、
というのがミソ。
近く中国を追い抜いて世界一の人口の国になるインドの
輝かしい経済成長の背後に潜む
歴史と伝統と因習にがんじがらめになった社会を活写する。

その檻から逃れるには、
殺人者にならざるを得なかった青年の心の闇。
しかも、その檻からの逃走の代償は、
故郷に残してきた家族たち、という、心の痛み。

映画はほぼ原作通りに進行する。
御曹司が妻に逃げられた後、昔の恋人とよりを戻すところと、
青年が御曹司の妻からもらった金で
金髪女を買う場面がないくらいだが、
大変すぐれた脚色だという印象がある。
ただ、原作が言葉で表現するだけに、
諧謔的で皮肉が効いている
中国の温家宝首相が「起業家精神」を学ぶため
バンガロールを見学に訪れると聞いて手紙を書き、
インドの制度的檻の中から出て起業するためには、
主人を殺さねばならなかったとの告白は、
まさに象徴的。

以下、皮肉の効いた記述を抜粋すると、

自由を愛する国、中国の……温家宝閣下机下

中国はあらゆる点でインドよりはるかに進んでいるのに、
起業家だけはいないようですね。
かたやインドには、電気も水道も下水も交通機関もなければ、
衛生観念も規律も時間の正確さもありませんが、
起業家だけはいます。

(私には教育がありませんが)でも、いいですか、閣下!
十二年の学校教育と三年の大学教育をめでたく終えた連中は、
いいスーツを着ていい会社にはいって、
あとは一生他人の命令をきいて過ごすだけです。

インドにはひとつ問題がある。
このでたらめな体制を議会制民主主義と呼んできたことだ。

(インドで虐げられてきた連中の)奴隷根性のすさまじさたるや、
自由への鍵をわたしてやっても、悪態とともに投げ返されるほどです。

貧乏人のあこがれといえば、金持ちみたいな姿になることですが、
金持ちのあこがれといえば、体重を減らして貧乏人みたいな姿になることです。

わたしの見るところ、
あなたがた黄色人種には、
下水や水道やオリンピックの金メダルはあっても、
民主主義はないようですね。
わたしが国を作るとしたら、
まず下水をつくって、
それから民主主義を手に入れて、
それからよその国の人々にバンフレットや
ガンジー像をわたすことを考えるでしょう。

インドの三大病といえば、
コレラ、チフス、選挙熱です。
なかでも選挙熱はたちが悪くて、
感染すると、
口を出す資格もないことをああだこうだと議論するようになります。

インドには毎日大勢の外国人が悟りを求めてやってきます。
そういう連中はヒマラヤや、
バラナシや、ブッダガヤに行きます。
で、へんてこりんなヨガのポーズを覚え、
ハッシッシを吸い、サドゥーを追いかけ、
それで悟りに近づいていると思いこみます。

(こうして私の人生を包み隠さずお話ししたことで、
起業家精神というものがどういうもので、
どういう環境と心情から生まれるものか、
閣下は充分おわかりになったでしょう)
まさに“インド人と中国人、
(ヒンデイー・チーニー・バハーイー・バハーイー)!”
になったわけです。

映画「ザ・ホワイトタイガー」の紹介ブログは↓をクリック。

映画「ザ・ホワイトタイガー」                                        


映画『サウンド・オブ・メタル:聞こえるということ』  映画関係

[映画紹介]

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突然聴覚を失ってしまった音楽家の苦悩を描く。

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ルーベンは女性ボーカルのルーと共に、
ヘビメタバンドで演奏するドラマーだった。
しかし、ステージでの大音量がたたったのか、
聴覚に異変が起こり、音が聞こえなくなってしまう。
耳の機能が完全に失われたため、
あとは、インプラントを埋め込んで、
脳に直接音を伝えて聴覚を回復するしかなく、
しかし、手術代はかなりの高額だという。

自暴自棄になるルーベンを救うために、
ルーは、聴覚障害者の支援施設に連れていく。
そこは、治療はせず、心のケアだけをする所だった。
反発するルーベンに決断させるために、
ルーはルーベンを置き去りにしてしまう。

仕方なく施設で手話を学び、
子どもたちと交流して役割を果たすうち、
ルーベンは施設になくてはならない人材となっていくが、
秘かに計略をめぐらして金を作り、
手術を受けようとする・・・

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聴覚障害者を扱った映画は、
「奇跡の人」や「名もなく貧しく美しく」「息子」「聲の形」など、
多くあるが、
主人公が音楽を生業とするミュージシャンであることがミソ。
音楽は生活であり、生きがいであり、
仕事であり、収入の手段であり、
その全てを失う、
つまり、人生そのものを失うことになってしまうからだ。

舞台は聴覚障害者の支援施設。
キリスト教会の支援でつくられている施設だが、
信者でなくとも受け入れるのは、
「困っている人を助ける」という思想に基づくのだという。
また、「耳が聞こえないことは障害じゃない。
治すべきものではないと思っている」

とさえ施設長は言う。
「ここで解決すべき問題は、
ここ(頭)であり、ここ(耳)じゃない」
と。
映画はその施設でのルーベンの生活と、
心のケアだけでは満足出来ないルーベンが、
本格的な聴覚の回復を願って、
施設を抜け出して手術を受ける経過を描く。

視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚の五感
どれを失っても大変だが、
やはり視覚を失うのが一番大変で、
次が聴覚だろう。
なにしろ、会話での意思疎通が出来ないだけでなく、
音楽という人生の大きな楽しみも奪われてしまうからだ。
しかも、ルーベンは音楽の送り手そのものだ。
その苦しみは倍加される。

ただ、手術後、ルーベンが得た音は、
「サウンド・オブ・メタル」という金属音で、
それで音楽活動は無理というものだろう。
また、装置を通じて送られて来る音は、
やはり自然音と比べて心の癒しには遠い。

そういった状況の中、
最後にルーベンが至った心境とは・・・

施設の所長は、手術を受けたルーベンに問う。

「君に訊くが、毎朝、ここで坐っていた時、
少しは静かな時間を過ごせたのか。
君の言うとおり、世界はどんどん進んでいくし、
残酷な場所にもなりうる。
でも、私にとっては、
あの静寂な時間が、あの場所が、あれこそ
『神の王国』だったんだ。
そして、その場所は決して君を見捨てない」


この「神の王国」という言葉は、
吹き替え版には出て来るが、
字幕版には出てこない。
「私にとっては、その静寂こそ、
心の平穏を得られる場所だ」
と字幕版は語る。
英語版セリフでははっきりと
「kingdom of God」と言っているのだが。
字幕制作者は、時々、こういう意訳をすることがある。

映画の背景には、
深い宗教的思索があり、
「音」のない「静寂」の中にこそ聞こえて来るものがある、
失って初めて分かることがある、という深い内容を含む。
宗教的になるのを避けたのかもしれないが、
勝手な変更は字幕制作者の領分を越えている。

音のない世界。
それを表現する音響設計が素晴らしい。
客観的な音と、ルーベンの耳に聞こえる音を
交錯させるその絶妙な手腕。
そして、無音の時間
音がないという最大限の効果。
是非、ヘッドホンで視聴することをお勧めする。

監督は、ダリウス・マーダー
ルーベン役のリズ・アーメッドの演技が素晴らしい。

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施設所長役のポール・レイシーの渋い演技も秀逸。

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この二人は、今度のアカデミー賞で、
主演男優賞、助演男優賞にそれぞれノミネート。
他に作品賞、オリジナル脚本賞、編集賞、音響賞にもノミネート。

予告編は↓をクリック。

https://youtu.be/hxrqsMpWnLY

Amazonプライムで配信中。

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ラジオ番組『今週のベスト・テン』  音楽関係

娘に「また、昔話ですか」と笑われそうですが、
昔、ラジオで「今週のベスト・テン」という番組があったのを御存知だろうか。
1957年1月にラジオ東京(現TBS)で放送を開始した、
洋楽ヒットチャート番組

その前に文化放送で1955年10月から始まった
「ユア・ヒット・パレード」が日本におけるチャート番組の草分けとされているが、
それから遅れること1年あまり、
番組開始当初は水曜日の日中(午後2時から)の放送で、
後、月曜夜7時〜7時30分になった。

ハリー・ジェームスの「トランペット・ブールス」に乗せて始まる番組は、
当時中学生で、
ようやく日本の歌謡曲から洋楽に守備範囲を広げた私には、
その時のヒット曲が必ず聴ける番組で、
毎週、ラジオにかじりつくようにして聴いた。

「トランペット・ブルース」を聴きたい方は、↓をクリック。

https://youtu.be/12xTkNsd7KQ

(今でも、この曲を聴くと、当時のことが蘇ります。)

のみならず、毎週のベスト20を付けておいて、眺めていた。
折れ線グラフまで付けた。
修学旅行で聞けなかった時は、
往復ハガキを番組に送って、
その集のベスト20を記入して返送してもらうほどのファンぶりだった。

「今週のベスト・テン」は1969年に発展的解消し、
新番組「ホリデイ・イン・ポップス」に内包される形で、
新たに「TBSトップ10」として放送。
1970年10月に「ホリデイ・イン・ポップス」終了を機に、
チャートの発表は「全国ポップスホットテン」のタイトルで
再度独立番組となった。

ということを見ると、
洋楽をチャート形式で扱う番組に対する要望は
聴取者から強かったものと見える。

この番組名での放送は1972年3月まで続き、
1972年4月から、
邦楽(歌謡曲)チャートと洋楽(ポピュラー)チャートの発表が
一つの番組に内包され、「TBS今週のベストテン」としてリニューアル。
歌謡曲ベストテンとポピュラーベストテンの
それぞれのチャートを交互に発表する形であった。
1975年4月より歌謡曲とポピュラーは分割され、
ポピュラーベストテンは「TBS今週のポップスベストテン」と
番組名を改めた上で独立番組となり、
1984年3月まで続いた。

このような頻繁な番組改題・独立に際しても、
ランキングに関する記録集計は「今週のベスト・テン」時代から
連続・通算しての扱いとなっており、
後に、年間ベストテンが発表されている。
ランキングの決定方法は
週間ランキングの1位を20点、以下1点刻みで20位を1点として集計。

年間ランキング第1位獲得曲は、次のとおり。

 『今週のベスト・テン』時代
1956年 エデンの東(ヴィクター・ヤング楽団)
1957年 エデンの東( 〃 )2年連続年間第1位
1958年 真夜中のブルース(ベルト・ケンプフェルト楽団)
1959年 小さな花(可愛い花)(ボブ・クロスビーとボブ・キャッツ/クリス・バーバーズ・ジャズ・バンド
1960年 太陽がいっぱい(フィルム・シンフォニック楽団)
1961年 太陽がいっぱい( 〃 )2年連続年間第1位

私が聴き始めたのはこの頃で、
毎週1位が「太陽がいっぱい」なのは、妙に感じた。
レコード売り上げの資料などない時代だったので、
ハガキ投票で決めたようだ。
組織票があったのか?
ちなみに、ブラザーズ・フォアの「グリーンフィールズ」
毎週不動の2位を占めていた。
「ベン・ハー序曲」がベストテンに入っていたりで、
今考えると不思議な気がする。

「太陽がいっぱい」の音楽と映像を見たい方は、↓をクリック。

https://youtu.be/OaCaxiQcMDU?t=194

「グリーンフィールズ」を聴きたい方は、↓をクリック。

https://youtu.be/0Q1IF8To88I

1962年 禁じられた遊び(ナルシソ・イエペス/ヴィセンテ・ゴメス)
1963年 ヘイ・ポーラ(ポール&ポーラ)
1964年 ロシアより愛をこめて(マット・モンロー)
1965年 ゴールドフィンガー(シャーリー・バッシー)
1966年 夜のストレンジャー(フランク・シナトラ)
1967年 花のサンフランシスコ(スコット・マッケンジー)
1968年 サウンド・オブ・サイレンス(サイモン&ガーファンクル)

 『ホリデイ・イン・ポップス』/「TBSトップ40」時代
1969年 ラヴ・チャイルド(ダイアナ・ロス&シュープリームス)

 『全国ポップスホットテン』時代
1970年 コンドルは飛んでいく(サイモン&ガーファンクル)
1971年 恋のかけひき(ハミルトン、ジョー・フランク&レイノルズ)

 『TBS今週のベストテン』/「TBS今週のポピュラーベストテン」時代
1972年 メタル・グゥルー( T. レックス)
1973年 イエスタデイ・ワンス・モア(カーペンターズ)
1974年 ジェット(ポール・マッカートニー&ウイングス)

 『TBS今週のポップスベストテン』時代
1975年 キラー・クイーン(クイーン)
1976年 ボヘミアン・ラプソディ(クイーン)
1977年 ハードラック・ウーマン(キッス)
1978年 ストレンジャー(ビリー・ジョエル)
1979年 ブレックファスト・イン・アメリカ(スーパートランプ)
1980年
ガラスのニューヨーク(ビリー・ジョエル)
1981年 愛のコリーダ(クインシー・ジョーンズ)
1982年 エボニー・アンド・アイボリー( ポール・マッカートニー&スティーヴィー・ワンダー
1983年 フラッシュダンス〜ホワット・ア・フィーリング(アイリーン・キャラ)
1984年 フットルース(ケニー・ロギンス)

ああ、あの曲は、そんなに前だったか、
と懐かしい想いにされませんか?


短編集「昨日みた夢」「日本橋本石町やさぐれ長屋」  書籍関係

実は、宇江佐真理という作家、初読み。
江戸の市井を描く作家は沢山いるので、
手が回らなかったのだ。
親戚筋が、この人の文庫本を沢山送ってくれたので、手に取った。
これが、なかなかいい。
物語の設定、人物造形、
起こる出来事、描写、どれを取っても一流。

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「昨日みた夢」は、
「口入れ屋おふく」と副題がついているように、
口入れ屋(人材斡旋業)の娘のおふく・25歳が
女中として派遣された相手先で見た事柄を描く。

おふくは、勇次という男と結婚していたが、
勇次が勤め先の金を着服して出奔、
その結果、離縁させられ、実家に出戻っていた。
おふくは、勇次への想いが断ち切れないでおり、
出奔の真相も知りたがったが、誰も教えてくれない。
口入れ屋では、斡旋した女中が途中で辞めてしまったり、
短期間だけのため応ずる人がいない時、
身軽なおふくが臨時に派遣されていた。
おふくも、父と双子の伯父が経営する
口入れ屋「きまり屋」への恩返しのつもりで応じていた。

派遣先も様々で、
人使いが荒く、金にしわい青物屋の
三日で逃げ出した女中の代わり。(慶長笹書大判
旦那と番頭が伊勢参りにでかける間、
お内儀が実家に帰るため、
隠居の世話で向かった箸屋。(粒々辛苦
お産で実家に戻った女房に代わり、
台所と身の回りの世話をするために訪れた座頭の家。(座頭の気持ち
母親が怪我をしたため、女中の手が必要になった
町医者の家。(名医
料理茶屋の内儀が病気で実家に帰ったため、
その身の回りの世話で行った我が儘娘の実家。(三日月
八丁堀の役人の家に行って見た、
女中あがりで妻となった女性への差別と精神的虐待。(昨日みた夢
提灯屋の近江屋の主人が亡くなったため、
元吉原勤めの内儀が微妙な立場に立たされる。
というのは分家の弟が店を継ぐと言い出したからだ。
主人は妻に一服盛られたという噂がある。
おふくは、頼まれて、内儀の家で働き、
その真相を探ろうとする。(秋の朝顔

これらの一連の話に、
「きまり屋」のおふくの父と双子の伯父の暮らし、
おふくの従兄弟の辰蔵の恋、
公事宿の主人で岡っ引きの権蔵などがからむ。
更に、別れた勇次が登場し、
金を着服した事情とその後の処置も明らかになる。
そうした経過を通じて、
おふくの勇次への未練も消えていく。

家政婦の派遣先での見聞を描く
「家政婦は見た」の江戸版。


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日本橋本石町にある弥三郎店(やさぶろうだな)に住む
住人たちの哀歓を描く。
口の悪い人は「やさぐれ長屋」と呼ぶ、
最下層の人々の暮らし。
特定の主人公はいない群像ドラマ。

夕刻の時を告げる鐘に聞き入る大工の鉄五郎と
たばこ屋で店番をする出戻り娘のおやすとの恋。(時の鐘
痴呆の始まった母親の介護の生活をするおすぎは、
隣家の男の勘違いで結婚すると思われ、
あらぬ疑いをかけられる。(みそはぎ
かざり職人の夫が外に女を作り、
胸の中に穴があいたおときが、
働く居酒屋の常連の番頭に
一緒に大阪に行こうと誘われ、
子どもを捨てて出発する直前に救われる話。(青物茹でて、お魚焼いて
ねずみが大嫌いなおやすの家にねずみが出た。
隣に住むようになった六助夫婦が手助けしてくれるが・・・。(嫁が君
芝居茶屋の跡取り息子がおすがの家に居候することになった。
実家の芝居茶屋の跡目争いに嫌気がさしたのだという。
父親も訪ねてくるが、らちがあかない。
長屋の者が総出で、息子の説得をするが・・・。(葺屋町の旦那
弥三郎店に店立て騒動が起こる。
隣家の医者に地所を売ったため、
全員出て行ってくれというのだ。
住民は戦々恐々として、移転先を考えるが・・・。(店立て騒動

二つの短編集に共通するのは、
江戸の市井の人々の生き生きとした息づかいだ。
夫婦の関係、親子の関係、近所との付き合い・・・
そうした生活の一つ一つの哀歓が見事に描かれる。
登場人物の一人一人が物語の中から立ち上がり、
いとおしく思える。
給金も少なく、蓄えもなく、
まさに、その日暮らしだが、
その生活には歓びがあふれている。

そうした人間像に触れることは、
読む人の心に豊かなものを残してくれる。
まさに、時代小説を読む歓びを与えてくれる好短編集。

著者の宇江佐真理は、
1949年生まれ。
短大卒業後、OL生活を経て、主婦となり、
1995年、「幻の声」でオール讀物新人賞を受賞してデビュー。
沢山のシリーズものと単発ものを書いたが、
中では、デビュー作を含む連作短編集「幻の声髪結い伊三次捕物余話」が
最も有名で、直木賞候補にもなり、
テレビドラマ化もされている。
2014年、著書の中で
乳癌が全身に転移していることを告白。
翌2015年11月7日、死去。
66歳没。
惜しい作家を亡くしたものだ。





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