あゝ山口百恵  音楽関係

本日、午後3時35分から、
NHK総合で、
山口百恵の引退コンサートの様子が放送されました。

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(以下、「百恵」と呼び捨てにしますが、
これは、マイケル・ジャクソンを「マイケル」と呼んで、
「マイケルさん」と言わないのと同じです。)

昨年10月、40周年を記念して、
NHKBSなどで放送したものですが、
要望に応えて、地上波でも放送

40年前のコンサートが
ノーカットで放送されるなど、
前代未聞です。

ただ、当時はハイビジョンではなかったため、
左右に黒い部分が残ります。

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テレビのリモコンの操作で、
ワイドに切り替えると、
↓このようになります。
ただ、画面の一部が欠けます。

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当時、私は山口百恵の熱心なファンで、
主演映画は全部観ていますし、
4枚組CD「百恵全集」他を所持。
引退の記念コンサートは、
武道館は切符が取れないだろうと思い、
新宿コマのコンサートに行きました。

そして、武道館当日の生中継では、
生涯2度目の借金をして
ビデオレコーダーを購入、
コンサートを録画しました。
(当時、ビデオレコーダーは15万円位しました)

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40年前のコンサートですから、
今と比べて多くの違いがあります。

まず、セットは簡素で、

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電気的な変化は、このイルミネーション様のもののみ。

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可動性の照明器具はまだ発明されていないので、
照明がぐるぐる回ったりの演出効果はありません。

巨大画面の映像モニターもまだ。
マイクは有線です。
無線のマイクはなかったわけではありませんが、
まだ音が悪いということで、
使われないことが多かったのです。

舞台前の返しスピーカーもなく、
歌詞のモニターもありません。
もちろん耳に入れるモニターは、
ずっと後の産物。

カメラワークは、
クレーンを使ったりはまだなく、
スイッチャーが頻繁にカットを切り替えたりもせず、
かなり緩いカット割で終始します。

舞台機構の仕掛けも無く、
ダンスは3曲のみ。
大部分が歌手が中央に立って歌うだけで、
それがかえって歌をじっくり聴かせるものになっています。

↓が数少ないダンスシーン。

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振り付けが時代を感じさせます。

曲目は、↓のとおり。[ ]内は、作詞・作曲>

1.Overture
2.This is my trial(私の試練)[谷村新司]
3.横須賀サンセット・サンライズ[阿木燿子・宇崎竜童]
4.I CAME FROM 横須賀[阿木・宇崎]
5.プレイバックPart1[阿木燿子・馬飼野康二]
6.プレイバックPart2[阿木・宇崎]
7.絶体絶命[阿木・宇崎]
8.イミテイション・ゴールド[阿木・宇崎]
9.愛の嵐[阿木・宇崎]
10. 夢先案内人[阿木・宇崎]
11. 謝肉祭[阿木・宇崎]
12. 横須賀ストーリー[阿木・宇崎]
13.「スター誕生」AGAIN[阿木・宇崎]

  <休憩>
1.メドレー
  ひと夏の経験〜禁じられた遊び〜冬の色〜湖の決心〜
  春風のいたずら〜青い果実〜としごろ[千家和也・都倉俊一]
2.ロックンロール・ウィドウ[阿木・宇崎]
3.いい日旅立ち[谷村新司]
4.一恵[横須賀恵(百恵のペンネーム)・谷村新司]
5.曼珠沙華[阿木・宇崎]
6.秋桜[さだまさし]
7.イントロダクション・春[阿木・宇崎]
8.不死鳥伝説[阿木・宇崎]
9.歌い継がれてゆく歌のように[阿木・宇崎]
10.さよならの向う側[阿木・宇崎]
11. This is my trial」(instrumental)

阿木燿子と宇崎竜童夫妻の歌が大部分を占めます。
阿木・宇崎コンビとの出会いが
百恵の世界を広げたことが分かります。

全曲、百恵の持ち歌
カバーはなく、
ゲストなどは迎えない。
それだけ百恵がヒット曲を沢山出していた証左です。

百恵の歌手生活の集大成にふさわしい構成でしたが、
この構成になるまで、多少の紆余曲折が。
百恵は、
「最後のコンサートだから、ヒット曲ではなく、
最新の『大人の曲』を中心に、
私のやりたいことをやらせてほしい」
と訴えましたが、
演出の山田修爾(「ザ・ベストテン」の生みの親でもある名プロデューサー)は、
「最後のコンサートだからこそ、
ファンのために、
これまでのヒット曲から今までという構成にすべきだ」
と説得。
賢い選択でした。

40年ぶりに聴く、百恵の歌声。
素晴らしい歌唱力です。
そして、聴く者の心を取り込んでしまう、その吸収力
なにより言葉が明瞭で、意味が伝わる。
歌手として、一番大切なことです。
40年経ってもコンサートが放送されることが納得出来ます。

衣裳は4点。
まず金色。

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赤。

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ブルー。

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衣裳が変わるたびに、
マイクの色も変わります。

そして、最後は、白。

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百恵は13歳でデビューし、この時21歳。
7年半の芸能生活の絶頂での引退。
事務所とレコード会社は引き止めましたが、
結婚して家庭に入りたいと、自分の意思を貫きました。

最後に百恵は、
「私のわがままを許してくれて、ありがとう。
幸せになります」

と述べ、感謝をこめて
「さよならの向こう側」を
涙を流しながら絶唱。

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「ラスト・ソング・フォー・ユー。
今度は何時とは言えません。
サンキュー・フォー・ユア・エブリシング」
と歌った後、
深々と礼をし、

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持ったマイクを

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静かにステージに置きます。

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マイクを見つめるその表情。

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そして、後姿を見せて退場。

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「いよっ、千両役者!」と声をかけたくなるような、
潔い引き際。
最後に、観客席を目に焼き付けるように見て、

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去って行きました。

1980年10月5日、
午後8時34分。
一人の偉大なスターが
人々の記憶に残って、
消え去りました。

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2時間25分。
タイムスリップしたような、
堪能の映像でした。

山口百恵は、
引退までにシングル31枚、累計1630万枚、
LP45枚、累計434万枚、

1970年代最もレコードを売り上げた歌手です。
引退後も様々な形でアルバムが発売されては、
沢山の人に変われています。

たとえば、1992年に発売された「百恵回帰」↓。

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音源から百恵の声だけを取り出し、
新たな編曲の伴奏を付けるという、斬新な試み。
時代が進んだ新しい編曲にも、
全く負けていない百恵の歌声が響きます。

以下、シングル盤の記録。
発売日・題名[オリコン最高順位・売り上げ枚数]

1.1973年5月21日 としごろ[37位 6.7万枚]
2.1973年9月1日  青い果実 [9位 19.6万枚]
3.1973年11月21日 禁じられた遊び[12位 17.6万枚]

4.1974年3月1日 春風のいたずら[11位 16.1万枚]
5.1974年6月1日 ひと夏の経験[3位 44.6万枚]
6.1974年9月1日 ちっぽけな感傷[3位 43.2万枚]
7.1974年12月10日 冬の色[1位 52.9万枚]

8.1975年3月21日 湖の決心[5位 24.9万枚]
9.1975年6月10日 夏ひらく青春[4位 32.9万枚]
10.1975年9月21日 ささやかな欲望[5位 32.6万枚]
11.1975年12月21日 白い約束[2位 35万枚]

12.1976年3月21日 愛に走って[2位 46.5万枚]
13.1976年6月21日 横須賀ストーリー[1位 66万枚]
14.1976年9月21日 パールカラーにゆれて[1位 47万枚]
15.1976年11月21日 赤い衝撃[3位 50.4万枚]

16.1977年1月21日 初恋草紙[4位 24.1万枚]
17.1977年4月1日 夢先案内人[1位 46.8万枚]
18.1977年7月1日 イミテイション・ゴールド[2位 48.4万枚]
19.1977年10月1日 秋桜[3位 46万枚]
20.1977年12月21日 赤い絆[5位 21.5万枚]

21.1978年2月1日 乙女座宮[4位 31.4万枚]
22.1978年5月1日 プレイバックPart2[2位 50.8万枚]
23.1978年8月21日 絶体絶命[5位 37.6万枚]
24.1978年11月21日 いい日旅立ち[3位 53.6万枚]

25.1979年3月1日 美・サイレント[4位 32.9万枚]
26.1979年6月1日 愛の嵐[5位 32.8万枚]
27.1979年9月1日 しなやかに歌って[8位 27.1万枚]
28.1979年12月21日 愛染橋[10位 22.1万枚]

29.1980年3月21日 謝肉祭[4位 28.6万枚]
30.1980年5月21日 ロックンロール・ウィドウ[3位 33.6万枚]
31.1980年8月21日 さよならの向う側[4位 37.9万枚]
32.1980年11月19日 一恵[2位 27.7万枚]

(1994年4月21日 惜春通り をリリース)

当時は、アイドルは3カ月に1枚新譜を出していました。
また、テレビの歌番組も多く、
「ザ・ベストテン」などを通じて、
広くヒットが認識されていました。
だから、百恵は国民的スターになったのです。
「百恵は次はどんな歌を歌うんだろう」
と世間は注目しました。
そんな歌手は、他には沢田研二、
ピンクレディくらいです。

百恵は引退してすぐ、
11月19日に結婚式を挙げ、
三浦友和と円満な家庭を築き、
二人の息子を立派に育て上げ、
武道館コンサートで
ファンに約束したとおり、
幸福になりました。
おそらく何度もオファーがあったと思われる、
復帰については、
「出戻り」をする他の歌手とは違い、
かたくなにまで、引退を貫きました。

こうして、スターの伝説は、
不死鳥のように残っています。





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