小説『OKI 囚われの国』  書籍関係

[書籍紹介]

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月刊「正論」に令和元年11月号から2年9月号まで連載された
「緊急シミュレーション小説 202X年日本黙示録 OKIを奪還せよ」
に加筆、修正された作品。

「OKI」とは、
島根県隠岐の島のこと。
場所は↓。

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対馬、竹島に次いで朝鮮半島に近いところにある。

その隠岐の島に独裁国家から送られた武装集団が襲来、
実効支配されてしまう。
しかし、兵士たちは発砲するわけではなく、
島民を拘束するわけでもなく、
島からの出入りも自由。
ただ、300人のよく訓練された精鋭部隊が、
日本国の領土を奪ったという事実だけが存在するようになった。

その前提として、
朝鮮半島が南北統一されたという事実がある。
しかも、北主導の統一で、
北のやり方の施政で、
「若き独裁者」統一国家を支配
そのことが、後で身の毛もよだつ状況を生む。

領土が奪われたのだから、
当然自衛隊が派遣されるはずだが、
自衛隊は攻撃できない。
島民が人質になっているからだ。
1万人の島民を戦争に巻き込むわけにはいかない。

世論は沸騰する。
「自衛隊派遣反対」の方向でだ。
「戦争を起こしてはならない」というのだ。
領土を奪われたのにもかかわらず、
それを排除する戦闘が許されないのだという。

それを主導したのは野党とマスコミで、
大規模なデモが計画され、
国会を取り囲む。

硬骨漢の藤堂首相は、
「島民の全員脱出」を企てる。
それには、国会審議を経なければならず、
その審議を野党が阻止しようとする。
本会議を開くために警官の導入も決意し、
ついに、警官に守られて議決が決行される。
国会の外にはデモ隊が渦巻き、
煽動家によって、国会突入の指示も出る。
ついに死者さえ出る。

これを読んで、1960年日米安保改訂
国会の混乱を思い出した人もいるだろう。
「安保条約を締結すると、日本が戦争に巻き込まれる」
という煽動により、国会周辺をデモ隊が囲み、
国会突入がされ、死者も出た。
そして、国会では警官隊が導入され、
大混乱のうちに強硬採決がなされる。
その60年以上ぶりの再現である。

ちなみに、日米安保締結の結果、
日本が戦争に巻き込まれることはなかった。
それどころか、日米安保によって
日本が戦争に巻き込まれずに済んだことは歴史が証明している。

領土に外国の戦闘部隊が侵入したのに、
その排除が出来ない。
まことにまことに不思議な国だ。

物語は、藤堂首相、内閣情報調査室室長の仁科、
ニュースキャスターの淀川らを軸に展開するが、
肉厚の人間ドラマがあるわけではない。
むしろ、筆者の関心は、
こんな国難にあっても、
「平和憲法」のもとに戦争反対を叫ぶ
世論の動向にあるようで、
その不思議な光景がずっと描かれる。

若き独裁者は別に全周211キロ、1万人が住み、
観光と漁業が主たる収入源の離島を領土として欲しいわけではない。
占拠された隠岐に自衛隊を出動させるかどうか。
イエスかノーかの究極の選択を突きつけて、
国内に対立の構図をつくり出す。
武装集団はまさしくその対立を引き起こす火種となったわけである。

                       
隠岐占拠と並行して、
それより深刻な事態が出来する。
半島の独裁国家化を逃れた難民たちが、
船で続々と日本にやってきたのだ。
それも「独裁者」の計画の一つだ。
その受け入れに苦慮した政府は、
自衛隊の駐屯地に収容するが、
最大収容人数は5万4千。
パンクするのは時間の問題だ。
日に1000人、2000人と増え続け、
その数は万単位で膨れ上がり、
最終的には700万人と予想される。
中には、難民を装った工作員もいるだろうし、
総理がもっと恐れるのは、感染症患者がまぎれこむことだった。

中国なら避難民の船が領海に近づいた時点で、
間違いなく海警の艦艇が威嚇射撃をするなりして追い返すだろう。

しかし日本はそんな手荒な真似はできない。
それを見越して半島の南北避難民も日本をめざしてやってくる。


一方、総理の計画は図に当たり、
隠岐の島民1万はすみやかに全員退去する。
いよいよ自衛隊が島を襲撃するが・・・

という、おそるべき未来シュミレーション小説
そういうこともあるかもしれない、と震える内容だ。

私は、人間の道に反することをしている韓国には、
かならず鉄槌が下されるだろう、と思っている。
それは、北による強圧的な南北統一による
内戦の勃発で、
半島が焦土に化す、というものだが、
その際の難民の襲来だけは恐れる。
そのまま難民が日本に定着してしまえば、
日本の国の形が違うものに化してしまうからだ。

「若き独裁者」は、日本のことをよく研究した上で、
一つの島を占拠するだけで、
国民を分断できると判断した。
有事の可能性から目を背けて過ごしてきたツケを
まざまざと見せつけるが、
そうならないように、
法整備をしてほしいものだ。
それも野党の大反対があるだろうが。

本書には、平和国家日本に対する沢山の警句が書かれている。

たとえば、ポーランドの政治家ドモフスキが残した言葉。

<民族と民族の間に、正義も不正義もない。
あるのは、ただ強いか弱いかでけだ>
そう、世界は悪意と敵意に満ち満ちている。
善意など通用しないし、期待してもいけない。
19世紀も20世紀も、
そして21世紀も変わらない。
それが世界の真実なのだ。
自分の国以外に頼りになる味方など、
どこにもいやしない。


仁科とロシア大使館のカガノフとの対話。

「島民を危険に晒したくないから自衛隊を出動させない。
日本では人命第一の対応として
国民やマスコミから支持されるんでしょうね。
しかしロシアなら非難轟々だ。
なんで政府は軍の投入をためらう。
自国民を守らないのか。
島民を危険に晒さないというのは、
単なる逃げ口上の言い訳としか、
私たちロシア人には聞こえません。
一見、国民の命を大切にしているようで、
その実、国家としての義務を果たしていない。
国民を守れるのは、他でもない、国民の軍隊だけですからね。
その責任を放棄しているとみなされるわけです。
ロシアだけではない。
アメリカでもヨーロッパでも、
そして中国でも
日本以外の国はそう考えるはずです」


さらに、仁科は、
敗戦の結果、マッカーサーによって
「日本人の心の奥深い部分にまで手を突っ込んで、
日本という国へのネガディヴな意識や会議新を植えつけ」

られたことを指摘する。

「以来、戦後の日本人は、
自分の国を愛するということを、
家族を愛するのと同じようには、
素直に口にすることができなくなった。
口はばったいというか、ためらいというか、
どこか後ろめたい気持ちを持つようになったんだ。
代わりに、自分の生まれた国をディスることが、
高尚で、知性に溢れ、先進的で、
カッコいいかのような空気が生まれていった」

「体制や政権への批判はどこの国にもある。
だが、生まれた国そのものを、
その国の知識人やメディアが貶したり、
貶めたりするのは、
世界広しと言えども日本だけだろう」

「マッカーサーは日本人の心の牙まで奪ったんだ。
戦争に負けるとはそういうことさ」


国会を取り囲むデモの中に
75歳以上の年金生活者が多数含まれるのは興味深い。
彼らは1970年代の大学紛争を闘い、
その後、体制側に組み込まれ、
生活を安定させ、
今は国から年金をもらっている人たちだが、
突然起こった状況に、昔の自分たちの
熱にうかされた頃を思い出し、
血が騒いだのだ。

侵入軍の司令官が言う、
独裁者の動機も興味深い。

「総統様は日本が欲しくて欲しくてたまらないのです。
ディズニーランドであり、ワンダーランドであり、
そしてネバーランドである、
豊かで美しい日本」


そして、独裁者の意図を口にする。

「銃を一発も放つことなく
ひとつの国家を手に入れる。
そんな壮大な実験が可能なのも
世界広しといえども日本だけです。
この国では、話せばわかる式の
何とも無邪気な平和主義と、
人類みな兄弟的な世間知らずの人道主義が、
至高の教義のように崇められています。
それらは国民の意識の中に
ひとしく無意識のうちに刷りこまれているのです。
そう、一種の信仰のように・・・」
                                        
「われわれはそれを逆手にとろうと考えました。
日本のもっとも弱く柔らかい部分、
世論に揺さぶりをかけ、
この国を未曾有のカオスに陥れるのです」


難民のことを言う。

「OKIとは別に
こちらは人道主義という
日本のアキレス腱を衝いている。
やはりわれわれの想定通り、
人道主義が足枷になって日本政府は
難民の強制送還や難民船に威嚇射撃をするといった
水際での強硬手段に踏み切れません。
現状、完全なお手上げです。
ただなすすべもなく上陸させるしかない」


著者の杉山隆男氏は、
1952(昭和27)年、東京都生まれ。
一橋大学社会学部卒業後、
読売新聞記者を経て執筆活動に入った。

日本国内の正論陣営、
自衛隊派遣賛成派などの動きは書かれておらず、
そのあたりの対立の構造が描かれたら、
もっと面白くなったと思われる。
その点、不満が残るが、
まさしく「平和ボケ」した日本の隙をついだ
外国勢力による日本乗っ取り大作戦という、
警鐘を鳴らす面白い小説だった。





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