映画『私というパズル』  映画関係

[映画紹介]

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1月7日Netflixで配信開始したカナダ・ハンガリー合作の映画。

舞台はボストン。
マーサは出産を間近に控えており、
夫のショーンと共に、
病院ではなく自宅出産を望んでいた。
しかし、陣痛が来た時、
信頼していた助産婦のバーバラは別の出産の立ち会い中で、
代わってエヴァという中年婦人が派遣されてきた。
激しい陣痛と難産の末、女児の産声を聞くことが出来たが、
その直後呼吸が停止、
救急車を呼ぶが、間に合わず、赤子は死んでしまう。

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子供を失った夫婦は、
悲しみを思うように分かちあうことが出来ず、
献体を希望するマーサと
遺体の子供の顔を見たい夫のショーンの間には
徐々に溝が生じていた。
マーサは娘イヴェットの墓を作ることさえ拒む。

さらに、マーサの母親のエリザベスは、
「助産師を告訴して責任を取らせるべきだ」と強硬に主張し、
「助産を巡る魔女狩りが過熱」「懲役5年の可能性」とマスコミも注目、
マーサは原告席に立たされる・・・。

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子供を死産で失った母親が、
現実と向き合う中、
徐々に自分を取り戻していく姿を描く。

死産の波紋が職場や家族たちの間に
次第に広がり、亀裂となっていく様をていねいに描く。
町で子供の姿を見ていただけでも胸から母乳が出るという
生理的反応が悲しい。

特に注目するのは、
出産シーンで、
破水から陣痛、いきみのうめき、
出産に至る女体の苦痛をあますところなく描く。
このシーン、20分余りの長回し。(正確には20分49秒)
レビューを読んで指摘されるまで、
実はワンカットであることに気付かなかった。
ワンカット大好き人間にしては恥ずかしいが、
それだけ映像が強烈であると共に、
夫婦と助産婦の演技がリアルであったためだろう。

マーサの苦悩と葛藤を見事に演じたヴァネッサ・カービーは、

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批評家達から高く評価され、
この演技によって、第77回ヴェネツィア国際映画祭で女優賞を受賞した。
夫役はシャイア・ラブーフ

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母親役はオスカー女優、エレン・バースティン
助産婦はモリー・パーカーが演じている。
監督はコルネル・ムンドルッツォ
元々2018年にポーランドで上演された舞台劇で、
ムンドルッツォ監督は、舞台劇でも演出を務め
ポーランドの月刊誌「Teatr 」で、最優秀監督賞を受賞している。
出産シーン以外にも長回しのシーンが頻発する。

何でも訴訟に持ち込むアメリカだが、
映画で見る限り、助産婦に非はない。
なのに、刑事だけでなく、民事にまで持ち込む
母親の姿勢は疑問だ。
そのため、辛い法廷にマーサは立たされる。
あの結論は、当然気付くべきもので、
だったら、裁判に持ち込むことはなかったじゃないか、
と思わせもするが、
そこに至るまでマーサの悲しみは深かったということだろうか。
マーサの最後の言葉、
「こんな痛みを他の人に味わわせたくない。
あの子もそんなことを望んでいないし、
娘はそんな事のために生まれてきたわけではない」

が胸を打つ。

時間経過を表す日付と共に、
ボストンの湾にかかる橋が
両側から延び、最後に一つの橋になる。
でも、夫婦の仲は元には戻らない。
元々ショーンの事務所に飾られた橋が、
「1940年に崩落したいわくつきの橋だ」で、
数学者、科学者がくまなく調べたものの
崩落の原因が判明しなかったが、
調査団の一人が崩落の原因は
「共振」によるものだと唱えたという。
マーサとショーンの悲しみの共振が
夫婦の崩壊を暗示しているようだ。

マーサは発芽に関する本を買い、
毎日食べているリンゴの種を発芽させようと試みる。
ラストのリンゴの木に上る幼い頃のマーサの姿と呼応する。

なかなか味わい深い人間ドラマだった。

予告編は↓をクリック。

https://youtu.be/IYRQ3PCOWKg

タグ: 映画




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