映画『蘇る三大テノール』  映画関係

[映画紹介]

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ルチアーノ・パヴァロッティプラシド・ドミンゴホセ・カレーラス
いわゆる「三大テノール」のコンサートを巡るドキュメンタリー。
英語の「The Three Tenors」には、
日本語の「三大」に相当する意味はなく、
直訳すれば、「三人のテノール」だが、
「三大美術館」「三大瀑布」など、
何でも「三大」とつけたがる日本の習慣で、
「三大テノール」と呼ばれる。
なお、正確には「イタリア・オペラの三大テノール」で、
曲目がそれに反映し、
ワーグナーやモーツァルトは一曲も出て来ない。
イタリア・オペラの方がポピュラーだからなのと、
イタリア民謡も耳になじんでいるからだろう。

1990年当時、3人は実力人気共に脂の乗り切った状態で、
ライバルとも目されていたが、
その3人が一緒にコンサートをすることになったのは、
サッカー・ワールドカップ・ローマ大会の際、
ホセ・カレーラスに公演の依頼が入り、
「ローマでは何度もコンサートをしている。
この際、何か、いつもと違うことをしたい」
というカレーラスの要望を受けた
プロデューサーのマリオ・ドラディが、
「パヴァロッティとドミンゴとの共演はどうか」
ともちかけたのが始まり。
つまり、ドラディが「産みの親」だ。

1987年、カレーラスが白血病を患った後、完治、
その励ましを兼ねるということで、
二人が共演を承諾。
初めての会合の時、とげとげしさがあったものの、
伴奏者と共に歌ったところ、打ち解けた、
というドラディの証言など、
貴重なインタビューが頻発する。

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映画は主に、最初のコンサート、
1990年7月7日土曜日の
ローマのカラカラ浴場でのコンサートを中心に描く。
3人が順に歌う間奏部分にインタビューが被さる。
歌を聴かせてくれよ、という気もするが、
それほど邪魔にはならない。

当初、パヴァロッティが観客は集まらないと思って、
2千人分のチケットを引き受けると申し出たり、
CDの契約で、印税方式を申し出たレコード会社(デッカ)に対して、
ドミンゴが強硬に契約金方式を主張し、
後で、印税にしとけばよかったと後悔した話など、
当初、3人はこれほどの成功を想定していなかった風が伺える。
(放送は世界8億人が視聴、
コンサートのレコードは、
3日間で50万枚、1 か月後には300万枚、
最終的には、クラシック音楽最大の1600万枚のベストセラーとなった。)


また、ローマの放送局はワールドカップ中継でカメラが出払っており、
カメラの調達に苦労した、という話も興味深い。
なんだかカメラワークが窮屈だったのは、そのせいか。

当初は成果を当人たちでさえ期待していなかったのに、
これほどの成功をしたのは、
3人の歌唱が素晴らしかったからに他ならない。
このとき、パヴァロッティ54歳、ドミンゴ49歳、カレーラス43歳
テノール歌手として頂点の年齢だ。
どの歌も心がこもっており、
オペラファンならずとも、「すごい」と思わせるものを持っていた。
特にパヴァロッティの「誰も寝てはならぬ」は、
映画館の中で鼓膜がビリビリ来るほどの強烈さ。
歌い終えた後のパヴァロッティのドヤ顔がすごい。
ドミンゴの「星は光りぬ」もいいし、
カレーラスは見直した。

この日は、西ドイツとアルゼンチンの決勝戦の前日。
当日は、3位決定戦でイタリアがイングランドに勝利という
絶好の環境が整っていた。
ワールドカップと三大テノールが強烈な絆を持った日だった。
その結果、
三大テノールのコンサートはサッカー・ワールドカップに付き物のイベントとなり、
1994年ロサンゼルス、1998年パリ、2002年横浜と続いた。
それ以外にワールドカップと関係なく世界中でコンサートが開かれた。

しかし、ローマが3人の友情とサッカーへの愛に満ちていたのに対し、
ロサンゼルスのドジャース・スタジアム以降は、
「金儲け」が前面に出て、魂が失われた格好、
と関係者が証言する。
5000人のカラカラ浴場から
5万人の野球場と大規模になり、
それだけ観客は遠くから3人を見ることとなった。
ロサンゼルスでは、3人はあまり熱心にリハーサルをしなかったという。
耳で覚えさせるために、
三人の「影武者」が登場するのも興味深い。
それでも、「マイ・ウェイ」を歌った後、
客席でフランク・シナトラが立って観客に感謝するなどの
貴重な映像も見られる。

「クラシック音楽の俗化」などという批判もあったようだが、
音楽の楽しみ方にはいろいろある。
自分と違う楽しみ方をするからといって非難するのは間違いだ。

インタビューを受けたのは、
デッカ・レコード販促責任者のディディエ・ド・コッティニー、
カレーラスの担当医ライナー・ストーブ腫瘍専門医、
バス・バリトン歌手ブリン・ターフェル、
ルチアーノ・パヴァロティの再婚相手ニコレッタ・マントヴァーニ、
タレント発掘番組に出場して、
「誰も寝てはならぬ」を歌って優勝したポール・ポッツ、
ロサンゼルス以降の三大テノール・プロデューサーのティボール・ルーダス、
ロサンゼルス・ドジャースの元オーナーのピーター・オマリー、
3人の「影武者」ら。

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最初のコンサートから30周年を迎えるにあたり、
今更ながら、3人のすごさを感じさせてくれる、
貴重なドキュメンタリーで、
涙を禁じ得なかった。
このような花も実もある3人は
2度と現れないだろう。

予告編は↓をクリック。

https://youtu.be/JlyOy_ZVk-c

ル・シネマで上映中。

関連映画は↓をクリック。

「パヴァロッティ 太陽のテノール」


なお、ちょっと自慢話を。
カラカラ浴場で私は「アイーダ」を最高の席で観たことがある。
この時、主役のソプラノが不調で、
最終幕が割愛されるという、貴重な体験をした。

1996年6月9日の
国立霞ヶ丘陸上競技場の三大テノールコンサートも行ったが、
残念ながら、あまり記憶にない。
なにしろ、遠かったもので。

ホセ・カレーラスの武道館コンサートも行ったが、
これも、2箇所以外、記憶が薄い。

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