有罪・無罪〜二つの裁判〜  様々な話題

二つの裁判の話をしよう。
                            
池袋で昨年4月、乗用車が暴走して通行人を次々とはね、
母子が死亡した事故で、
自動車運転処罰法違反(過失致死傷)の罪に問われた
旧通産省工業技術院の元院長は
10月8日の東京地裁の初公判で起訴内容を否認し、
無罪を主張したという。

検察側は冒頭陳述で、
被告はアクセルを踏み間違え加速、母子に衝突したと指摘した。
ところが、被告は、罪状認否で
「アクセルペダルを踏み続けた記憶はありません。
車に何らかの異常が起きて暴走した。
暴走を止められなかった」
と述べ、
弁護側も「過失運転は成立しない」として無罪を主張した。

自分の過失ではない、
車のせいだというのだ。

主張では、
車の故障の証拠を提示したわけではない。
単なる責任逃れだ。
普通の感覚なら、
89歳(事故当時は87歳)という年齢から見て、
ブレーキとアクセルの踏み間違いと見るのが妥当だろう。

事実、加害者は事故の約1年前から脚が不自由で、
杖を使うこともあり、
その原因について通院先の医師は
パーキンソン症候群の疑いがあると診断し、
男性本人に「運転は許可できない」と伝えており、
事故後には別の医師が改めて診断した結果
「パーキンソン症候群の疑いがある」と判断している。

加害者が運転していた自動車のドライブレコーダーには、
事故前後の様子が克明に録画されており、
加害者は制限速度を超えるスピードでカーブに進入し、
前方のバイクや車を追い越すため、
3回にわたり車線変更(蛇行運転)をしていた。
同乗していた加害者の妻が夫(加害者)に対し
「危ないよ、どうしたの」と声を上げ、
加害者が「あー、どうしたんだろう」と応じた直後、
車は車道左側にあった金属製の柵、縁石に衝突した。
そのままパニックとなり、
制限速度を大幅に超過する時速100km近くのスピードで
交差点に進入し、ごみ清掃車両と衝突して横転させ、
100m以上にわたって暴走しながら
複数の横断歩道で周囲の自転車・歩行者などを多数巻き込み、
反対車線に停車していたトラックと衝突して停止した。

ドライブレコーダーの記録から、
加害者が事故直前に赤信号を2回無視していたことが判明したほか、
ブレーキをかけた形跡がないことも判明している。
加害者は事故直後に息子に電話をかけ
「アクセルが戻らなくなり、人をひいた」
と説明したが、警視庁が調査したところ車に不具合は見つからず
エアバッグも正常に作動していた。
そのため、警視庁は最終的にこの事故の原因を
「運転手によるアクセルとブレーキの踏み間違い」と判断した。

誰が見ても、警視庁の判断は妥当だ。

検察官は冒頭陳述で
「加害者は2008年に事故車両を新車購入し、
事故直前(2019年3月)の点検でも
アクセルなどに異常は確認されておらず
事故当日の記録にも異常が起きた記録・
ブレーキペダルを踏み込んだ記録はない」
などと指摘し、
車に異常はなかったとする証拠を複数点にわたり提示した。

閉廷後、死亡した母娘の遺族(母親の夫と父親)は、
記者会見で「そのような主張をするなら謝ってほしくない」
「本当に妻や娘の死と向き合っているとは思えない」
と批判した。

第2回公判(2020年12月3日)では
加害車両の後続車を運転していた運転手らの
証人尋問が行われる予定だ。

車の故障だと言われたら、
自動車メーカー(トヨタ)も黙っているまい。
場合によっては、別な裁判も発生してしまう。

なによりも、加害者の往生際の悪さが際立つ。
自分のせいではない、車のせいだ、というのでは、
亡くなった人は浮かばれない。
何故過失を認め、罪に服するという判断ができないのか。
おそらく、弁護士主導で無罪の認否をするという方針なのだろう。
しかし、それは正義に反する。
加害者の年齢から見て、
裁判が長引けば、
亡くなってしまうかもしれない。
その場合、罪に服することなく、
そのまま生涯を終えることになる。
これほど惨めな人生はないだろう。

この裁判と180度違う裁判が進んでいる。
交通事故で人を死なせ、
一審無罪の被告人が、
控訴審で「有罪にして欲しい」と主張したというのだ。

2018年1月、
群馬県前橋市の県道で乗用車を運転中、
対向車線の路側帯を自転車で走っていた女子高校生2人をはね、
市立前橋高1年の女子生徒=当時(16)=を死亡させ、
同校3年の女子生徒=同(18)=に
脳挫傷などの大けがを負わせた。

88歳の加害者は自動車運転処罰法違反(過失致死傷)の罪に問われた。
今年3月、一審の前橋地裁は
事故前に飲んだ薬の副作用で意識障害に陥ったと認めた上で、
副作用が生じることについて説明を受けた証拠はないとして
「(事故前に陥った)意識障害の予見可能性は認められない」
として無罪判決を言い渡した。
検察側は控訴。

ところが控訴審で、男性の弁護側が
被告人家族の意向などを理由に、
有罪を求めたというのだ。

東京高裁で10月6 日に行われた控訴審第1回公判で、
被告は出廷しなかったが、
弁護側は
「被告が、遺族の無念を思うと
自ら犯した罪を認めて責任を取り罪を償いたいと話している」
と述べた上で、
「有罪判決をお願いする」と異例の主張を行った。
弁護人によると、被告の親族が「被害者に申し訳ない」として
無罪判決の破棄を望み、被告も同意したという。
弁護人は
「本人と面談し、相当な方法で
有罪を認める意思確認を行った」
としている。
即日結審し、判決は11月25日に言い渡される。

弁護人は、被告は被害者の無念を推し量り
「88歳で余命も長くない。
人生の最期を迎えるに当たり、
罪を認め、その責任を取り、償いたい」

と言っているという。
第1審の弁護士は解任され、
新たな弁護士は被告と40年来の知人だという。

弁護人は閉廷後、記者団に
「(被告は)過去に何度も事故を起こし、
予見可能性があった。
運転を回避する義務があった」
などと説明した。

死亡した女子生徒の遺族は6日、
弁護士を通じてコメントを発表した。
「私たちとしては、有罪主張に至った経緯を
弁護人の口から聞くことができたことで、
その点について一定程度理解することができました。
いずれにしても、判決を待ちたいと考えております」
               
                                        
無罪判決を受けたのに、
被告人が自ら有罪を望むとは。
親族共々、あっぱれではないか。

池袋の事件も前橋の事件の第1審も、
弁護士は被告を無罪に導くために
方針を立てたものと思われる。
弁護士の使命は依頼人に有利な判決に導くことだから当然だが、
しかし、「車のせい」にするなど、常軌を逸している。

ある弁護士のサイトでは、
「本当は有罪だと思うのに無実だと弁護することはありますか?」
との質問に対して、弁護士はこのように答えている。

「(本当は有罪だと思うのに無実だと弁護することは)あります。
ただ、弁護人は極力、被告人の言い分を信じようとしますから、
被告人が無実を訴えているときに、
こいつは絶対に有罪だという印象を持つことはそう多くはありません。
また、無実を確信できないという程度の心証に止まる場合は、
被告人が無実を主張している以上、迷わず無罪を主張します。

ご質問のように、有罪だという心証の場合、
私自身納得できない旨を被告人に告げて、
疑問点についての説明を求めます。
その説明も納得がいかないときは、
さらにその旨を告げて、
且つ裁判所を説得するのは難しいことを説明します。
それでも依頼者が無実を主張する場合は、
それに従って無罪を主張します。
しかし、無罪を主張することが、
どうしても納得いかない場合もあり得ます。
そのようなときは、弁護人を辞任します。
被告人が無罪だと言っているときに、
自分の心証が黒だからといって、
法廷で被告人は犯人に違いないと言えば、
その弁護士は明らかに懲戒の対象になります」

このように、弁護士というもの、
因果な職業だが、
池袋事件も、
「89歳という年齢から、もう後がないのだから、
罪に服して人生を完結させたらどうか」
と説得するのが、正義の道ではないのだろうか。





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