小説『罪の轍』  書籍関係

[書籍紹介]

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奥田英朗による犯罪小説。

物語は北海道の礼文島で始まる。
昆布漁に従事していた宇野寛治(20歳)は、
網元の家に空き巣に入り、船を盗んで逃走する。
しかし、盗みを誘導した仲間に騙され、
燃料のないまま漂流し、陸に近いところで海に飛び込み、
空き巣を続けながら、東京を目指す。

一方、警視庁の刑事・落合昌夫は、
荒川区で元時計商の殺人事件に従事する。
捜査する中、林野庁の作業着と腕章の若者が
現場付近でうろついていた事をつきとめ、
訛りに関する証言から、北海道出身者だと推定し、
やがて、盗品の換金のルートから
宇野寛治の存在に行き着き、
礼文島まで出張して、寛治の足跡を追う。

物語は宇野寛治、落合昌夫の視点と、
もう一人、山谷の旅館の娘・町井ミキ子の
3人の視点で描かれる。

宇野寛治には、記憶障害を伴う精神障害があり、
周囲からは「莫迦」と呼ばれていた。
(他の場所では「馬鹿」と表現しているのだが、
宇野寛治に関してだけは「莫迦」と表現する。)
物語が進むにつれて、
寛治の精神障害の原因としての
子ども時代の不幸な環境が明らかになって来る。

落合昌夫は、まだ当時では珍しい大学出で、
そのことで周囲から揶揄されたりしている。
その頃の刑事はヤクザとすれすれの所にいたのだ。

町井ミキ子は、
半島出身という出自故に差別を受けて就職もままならず、
いつか山谷から抜け出すことを夢見ている。

三者三様の事情を背景に、
物語は展開する。

やがて、浅草で小児誘拐事件が発生する。
当時はまだ誘拐事件の捜査ノウハウが確立しておらず、
身代金を奪われるという、大失態が生ずる。
脅迫電話の音声が公開され、
事件は全国民の注目の的となるが・・・

と、ここで、誘拐された小児の名前が吉夫ということで、
ああ、吉展ちゃん事件がモデルなのか、
と思い当たった。

「吉展ちゃん誘拐殺人事件」は、
東京オリンピック前年の1963年3月に起こった誘拐事件で、
「戦後最大の誘拐事件」と言われた。
この小説は吉展ちゃん事件をモデルにしているものの、
全く同じではなく、
報道協定がなされたこと、
身代金が50万円と少額だったこと、
捜査の連携の悪さから
身代金が犯人に持ち去られたこと、
誘拐の証拠として、子どもの靴が置かれたこと、
身代金の紙幣のナンバーを控えなかったこと、
脅迫電話の音声がテレビ等で公開されたこと、
警視総監がマスコミを通じて犯人に呼びかけたこと、
犯人が誘拐直後に被害者を殺害していること、
嘘発見器では反応が見られなかったこと、
死体の遺棄が寺の墓の中であったこと
などは同じだが、
被害者の一家が建築業者から豆腐屋に、
身代金の持ち去り場所が被害者宅の近所から東京スタジアムに、
犯人(小原保)の出身が礼文島ではないこと、
年齢をはじめ、犯人像が全く異なること、
犯人が同棲していたホステスを殺す第2の殺人が起こったことなど、
小説家による脚色が行われている。
死体遺棄現場の寺の名前が「円通寺」から「円台寺」に変更されるなど、
本事件を背景にした細かい変更もある。
また、犯人を逮捕するまで2年の歳月を要したのに対し、
小説は年内に解決している。
犯人から自供を引き出したのは、あの平塚八兵衛だが、
小説ではベテラン刑事の大場がそれで、
刑事と犯人の間に共感が生じている。

小説は、東京オリンピックの前年1963年という
時代的背景を取り込んだものになっている。
たとえば東京に出てきた寛治は、
高度成長期に入った東京を別世界のように感ずる。

(東京に着いた時の感想を、札幌や稚内と違ったか、と訊かれて)
「ちがう、ちがう。
人の数も、車の数も、音も、匂いも、何もかもちがう。
だいいち女の子が髪にパーマかけて、
ハンドバックを肩にかけて町を颯爽と歩いてるべ。
なんか映画の中に入ったみてえだったな」


また、当時の警察の雰囲気も見事に活写する。

昌夫が刑事部捜査一課に配属されて、
最初に抱いた印象は、
刑事は個人事業者かというほどの独立性であった。
確かに捜査の駒としても扱われるが、
それ以外の部分では多くが個人の裁量に任され、
勝手に動いている。
自分がホシを挙げるという欲望が強烈なのである。


作者の巧みなのは、
犯人の宇野寛治に対する読者の感情移入で、
凶悪な犯罪者なのに、親しみを感じてしまう。
というのも、札幌時代の義父が鬼畜で、
寛治を当たり屋の道具として使い、
それが寛治の記憶障害、精神障害の原因になっていることなどが
中途で明らかになって来るからだ。
寛治は車のクラクションを聴くと
気を失うという奇病を持っている。
過去のことにかかわると、意識を失う。

思い出しそうになったところで、
記憶の糸がぷっつりと切れた。
義父は自分に何をしたのか。
全ては霧の向こう側にあり、
入ろうとすると、
足がすくんで動かない。


本作が「小説新潮」に連載された時の題名が
「霧の向こう」であったことを考えると、
作者の意図は、
犯人の恵まれない、愛されなかった過去であることが分かる。

嘘発見器が反応しなかったのも、
寛治が追究された時、
過去に逃亡したからである。

寛治は大きく息を吸い込み、意識を飛ばした。
霧の向こうへ行けば、
少なくとも現実からは逃げられる。
それが寛治の安全地帯だ。


殺人の瞬間も、人格が乖離し、
高い場所から傍観しているようになる。
それも、子ども時代の酷い経験からのものと考えられる。

電話にテープレコーダーを取り付ける場面で、
昌夫はテープレコーダーの実物を見るのが初めて、
という記述があり、
テープレコーダーは公安部に一台あるのみで、
ソニーから借りてきた、と言うが、
私がアルバイトの賃金を貯めてテープレコーダーを買ったのが、
1964年3月で、高校生が買えるくらいだから、
当時はテープレコーダーは相当普及していたのではないか。

警視庁は、誘拐事件に関しての対応策を
まだ確立していないというのが実情だった。
それは誘拐が、家庭電話の普及に伴って広まった
新手の犯罪だからである。


という記述には、なるほど、と思った。
当時、電話局の抵抗で、
逆探知はまだできなかった。
逆探知が可能になったのは、
吉展ちゃん事件以降である。

身代金の引き渡し現場に東京スタジアムが設定されたり、
傷痍軍人が出て来たり、
プラッシーだの売血など、時代を感じさせる。
                                        
被害者が通っていた小学校に記者がむらがり、
教師に「事件を今まで知らなかったのか」
「校長に会わせろ」と罵声を浴びせるシーンは、
今と同じと感じさせる。

この事件は社会を巻き込む予感がした。
警察にも、マスコミにも、国民にも、
未経験のことが多過ぎる。


被害者宅に沢山のいやがらせの電話がかかって来るのも、今と同じ。
捜査本部に寄せられる情報も多く、
その情報への対応に振り回される。

落合昌夫は、
改めて時代の変化を実感した。
警察が市民からの情報に振り回される事態など、
過去にはなかったことである。


最後の特急列車を使っての追跡劇は、
小説家のサービスだが、
なかなか読ませる。
是非、映画化してもらいたい。

犯罪の背景にある事実を
様々な視点から明らかにしようとする作者の意図は成功している。
監視カメラもない時代の綿密な捜査の場面といい、
犯人の行動と周囲の状況など、
久しぶりの充実した読後感を持った。
当然、直木賞候補、と思ったが、
既に奥田映朗は「空中ブランコ」で受賞済み。





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