小説『空の声』  書籍関係

[書籍紹介]

クリックすると元のサイズで表示します

実在のアナウンサー、和田信賢(わだのぶかた 1912年〜1952年)
を巡る堂場瞬一による実録小説。
尊敬をこめて、「わだしんけん」と呼ばれることもある。

クリックすると元のサイズで表示します

私は知らなかったが、
この和田信賢という方、
日本の放送史に残る伝説のアナウンサー

特に有名なのは、
1939年1月15日の大相撲中継。
この日、69連勝を続けていた双葉山が、
結びの一番で安藝ノ海に外掛けで敗れた。
誰もが70勝を確信し、負けると思っていなかったため、
和田は
「双葉敗る! 双葉敗る! 双葉敗る!!
時、昭和14年1月15日!
旭日昇天、まさに69連勝。
70勝を目指して躍進する双葉山、
出羽一門の新鋭・安芸ノ海に屈す!
双葉70勝ならず!!」
と絶叫した。

感情的なアナウンスに批判もあったが、
おおむね好意的に迎えられた。

ベルリンオリンピックでの河西三省による
「前畑頑張れ!!」に匹敵するもので、
この小説の中で、河西と和田の会話で、
河西が「スポーツ中継の教科書があったら、
『絶対にやってはいけない中継』の例に
挙げられるかもしれない」と反省するのに対して、
和田が「私は感動しました」と言い、
「私もいつか、あんな放送をしたいと思います」と言うと、
河西が「よしなさい。あれはやはり、失敗だ」
という会話(創作と思われる)が興味深い。

河西の「前畑がんばれ」は、
レコード↓になっているくらいだから、
人々の評価は高かったのだろう。

https://youtu.be/njQzSf5mDBo

それ以外にも、
日本軍のハワイ真珠湾攻撃で始まった日米開戦を
当直で受けたのも和田だし、
1945年8月15日の終戦玉音放送では進行役を担当。
全国に向けて終戦の詔勅を朗読した。

和田の「ただいまより、重大なる発表があります。
全国聴取者K皆様、ご起立ねがいます」
という音声と、続く玉音を聴きたい方は、↓をクリック。

https://youtu.be/5XWt8-dmHBA

NHK会長派に可愛がられていたため、
戦後、NHK山形放送局に左遷されたが、まもなく退職。
その後、NHKに嘱託として呼ばれ、
1946年末からNHKのラジオクイズ番組「話の泉」の司会者として活躍、
徳川夢声をはじめとする一癖も二癖もある文化人の
レギュラー回答者たちを相手に絶妙な問答を繰り広げ、
人気を博した。

その人気故か、1952年のヘルシンキオリンピック
派遣団に抜擢された。
戦後初めて日本が参加する夏季オリンピックであるため、
体調が悪かったにもかかわらず、
「どうしても、オリンピックを中継したい」
その一心で、ヘルシンキに向かう。

この小説は、飛行機に乗る場面から始めて、
長い乗り継ぎで体調を崩し、
その後もヘルシンキで更に体調が悪化し、
帰路立ち寄ったパリでの客死までを描く。

なにしろ、まだジェット機がない時代で、
走行距離が短く、
東京からヘルシンキまでは、
羽田→那覇→バンコック→ラングーン→ボンベイ
→バスラ→カイロ→ローマ→ジュネーブ→フランクフルト
→コペンハーゲン→ストックホルム(一週間滞在)→ヘルシンキ
という気の遠くなるような旅程だ。
ストックホルムまで60時間。丸二日半。
その間、狭い機内で、まずい機内食を食べる生活が
和田の健康を蝕む。

興味深かったのは、座席がベッドになることで、
二段ベッドに眠る。
構造が違ったらしいし、
長時間に対応できるようになっていたようだ。

和田は高血圧の持病を抱えており、
200を越えることが常態だったという。
医者に飛行機は止められたが、
やはり「オリンピック放送をしたい」
というアナウンサー魂が後を押した。

しかし、現地で休んでも病状は好転せず、
ますます悪くなる。
どうも高血圧だけでなく、
腎臓も悪くなっていたようで、
現地の医者の見立てにも疑問がわく。

いずれにせよ、
いくつかの放送を同僚に譲り、
不本意な結果だった。

その間、小説の描写は、
和田の体調と日本食への渇望を延々と描き、
読んでいるこちらまで、体調が悪くなりそうだった。

ただ、和田を支える後輩の志村と
技術者の大原の描写が
心暖まるものを与えてくれる。

日本に放送が届いただろうか、と心配する和田に対して、大原が
「大丈夫ですよ。
和田さんの声は、ちゃんと空を伝って
日本にまで届いています。
空の声を、皆が聴いたんです。
間違いありません。
僕が保証します」
と励ますところは胸を打つ。

帰国のルートは、パリからアメリカに渡り、
当時始まっていたテレビ局も視察するはずだったが、
和田はパリから日本に直接帰国することにし、
しかし、パリ郊外の病院で、
8月15日、40歳の生涯を閉じた。
直接の死因は腎不全だった。

8月25日、芝・増上寺で日本放送協会葬が行われた。

まだテレビのない時代。
映像がない中、
言葉だけで状況を正しく伝えなければならなかった
アナウンサーのプロフェッショナル魂
感じられる本だった。

1988年、発見された小惑星
和田信賢(わだしんけん、9745 Shinkenwada)と命名された。





AutoPage最新お知らせ