小説『不在の部屋』  書籍関係

連日の安倍首相ネタで恐縮ですが、
驚くような調査結果が朝日新聞から出たので、紹介します。

朝日新聞社が9月2、3日に実施した世論調査(電話)で、
第2次安倍政権の7年8カ月の実績評価を聞くと、
「大いに」17%、「ある程度」54%を合わせて、
71%が「評価する」と答えた
「評価しない」は、「あまり」19%、「全く」9%を合わせて28%だった。

フジテレビや産経新聞の調査ではない。
朝日新聞の調査である。

国民の大多数が、
安倍首相の実績を評価している。
朝日新聞の論調とは真逆の結果だが、
これを朝日新聞が隠蔽せず、
公表したのは正しい対応だ。

これを国民の「民意」とすれば、
安倍政権の7年8カ月を
口を極めて罵る朝日新聞は、
その基調を変更すべきだろう。

安倍首相の政策の中で、評価する政策を選んでもらうと、
「外交・安全保障」の30%が最も多く、
「経済」は24%、
「社会保障」は14%、
「憲法改正」は5%、
「評価する政策はない」は22%だった。

なお、同じ電話調査で、
安倍晋三首相の後継に誰がふさわしいかを聞いたところ、
菅義偉官房長官が38%で最も多く、
石破茂・自民党元幹事長が25%、
岸田文雄・同党政調会長は5%だった。
前の調査でトップだった石破氏の支持は低下。
それというのも、菅義偉官房長官が
「安倍路線の継承」を表明しているからで、
国民は、安倍路線の存続を望んでいるのだ。


[書籍紹介]

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昔、「修道院に入る」ということは、
世の中との隔絶を意味した。
結婚しないのは当たり前で、
生涯に渡って、清貧、従順、貞潔を誓い
厳粛な環境のもと沈黙を守り
日々労働と祈りの共同生活を送ること、
を思われていた。

この小説の小川多枝子は、
日本海側の松野という、
やや旧弊な町の土建屋の長女として生まれた。
まだ昔の日本だから、
父親は二号を持ち、
そこに腹違いの妹がいた。
外国資本の聖マリア女子大学に通っている間に
洗礼を受け、修道女となることを決意する。

あこがれていた外人のシスター・アグネスは、こう言う。

「(修道生活とは)一度、霊的に死ぬのです。
そして、只、神と一致するためだけに生まれ変るのです」


父母をはじめ、親戚は反対する。
その反対を押し切り、入る時には、
別れの小宴を張る。

それはまさにお通夜以上に、悲しみに満ちたものであった。

父は荒れ、母は泣く。
本当に死にゆく娘を見送るようで、
多枝子が入ったのは、
実家に近い修練院だが、
それでも、今生の別れのようだった。

金銭をはじめ、全ての所有物を放棄し、
私服も捨て、修道生活が始まる。
下着さえ共有するような生活だ。
修道女は「マルタ」と「マリア」に別れており、
掃除や選択、食事の支度は「マルタ」の修道女がし、
「マリア」の多枝子は、ミサと祈りと沈黙だけが仕事だ。
時計さえない
起床は係が起こしに来る。
                                        
物語の前半は、
多枝子の修道生活が描かれる。
それは、キリスト者以外には理解不能な、
濃密な神との交わりだった。

自分の時間は、聖堂での祈祷の時だけ。
聖堂に灯された一つの明かりに
神とキリストを感ずる生活は、
至福の時間だった。

新聞もなく、テレビもなく、
世の中の動きも全く知らない。
実家との便りは月1回だけ許されるが、
それも必要ないほど、
濃厚な神との生活は幸福だった。

やがて、修道服を着ることが許され、
終生誓願がなされる。

女子修道院というものの生活を
曽野綾子さんは、どうやって取材したものか、
活写する。

恋愛経験のないまま修道会に入った多枝子である。
神父の一人や神学生に対して淡い恋心も描かれる。
人間として当然の描写で、
修道女といえども血の通った人間であることを感じ、
ほっとする。

そして、後半になって、様相は一変する。

1962年から65年の
第2ヴァチカン公会議での
「教会の現代化」「教会の刷新」が
多枝子の修道会にも押し寄せて来る。

まず、修道服が一変する。
外出時、私服が許される。
私服があるということは、
私有物が許されることで、
その発端が、
出入りの洋品店からの下着だった、いうのも面白い。
修道女たちが、しゃれた下着を着て、狂喜する。
かつては、下着まで共有していたというのに。
やがて、共同寝所は、個室になり、
カップやポットなど所有物は増え、衣服も買い、
ブランドものの味も覚える。
その費用は、実家からもらったり、
「スポンサー」からの寄贈だ。
お菓子などの食べ物も部屋に貯蔵し、
そのために糖尿病が悪化するシスターも出て来る。
外部との会食で、美食も知る。
新聞が置かれるようになり、
テレビが運び込まれ、
大晦日には紅白歌合戦が見られ、
年越しソバも食べられる。
集会室にばインスタントコーヒーの瓶が置かれる。
ゲームやトランプが置かれ、
一日中それで遊ぶ修道女も出てきた。

一度、それを見た神父から、
「この家は下宿家だ」と言われる。
というところを見ると、
これは女子修道院だけのことだったのだろうか。

食堂や聖堂での席順は破られ、
自由に坐っていいことになった。
沈黙は破られ、
普通の世間話が修道会に満ちる。
ミサに遅れて朝寝坊も自由。
外出が増え、その時着ていく服で悩んだりする。
あれほど涙の別れをした実家には、
正月休みに帰り、
母のおせちを食べ、
こたつに入ってぬくぬくと過ごす。

信じられないことだが、
お喋りが自由になってみると、
修院は「家庭」どころか、
会社の寄宿舎よりもっとだらしのない、
女子アパートのようになった。
人々は、部屋を閉め切って独りでいるか、
何かと口実をつけて出歩いてばかりいた。


遺産相続を受けても、それを修道院に捧げるわけではない。
多人数の食事を作るのは大変だということで、
3つか4つに分散される。
                                        
部屋は一つの卵の殻であった。
心理学の時間に習った人間の子宮回帰願望の具現であった。
本を読むでもなく、考えているのでもなく、
眠っているのでもない。
時間はふんだんにあり、
時はいくらでもとどこおることもなく流れていった。
しなければならないことは、あるようでいて、なかった。
誰も多枝子を、ここから、力ずくで引きずり出す人はいない。


健康に気を付けるようになり、
長生きを望むようになった。
かつては、生きるも死ぬも神の手に委ねていたにもかかわらず。
病院に入院した多枝子の述懐。

多枝子は、修院には帰りたくなかったが、
修道女をやめる気など少しもなかった。
世間の人々は、多枝子たちに威厳と尊敬を感じ、
そこに彼らが一方的に思い込んだいたましさや
神秘的ないとおしさをも感じるのであった。
それらがなくなったら、
蓑をむかれたミノムシのように、
多枝子はただの女、
それも四十を過ぎた、
「人生体験」という名のあやしげな贅肉にさえ欠けた、
青くさい中年女になるほかはないのであった。


修道院は神よりも世間の眼を恐れるようになる。

修道院の生活の厳格化がすたれた結果、
奇妙なことが起こる。
修道女になる志願者が激減するのだ。
ついに、ある年は、ゼロになる。
沈黙と清貧、従順、貞潔のない場所に、
誰も魅力を感じなくなったのだ。
修道院を出ていく修道女も増える。

実は、多枝子が修道院に入ることを決意した時、
訪れた温泉で、久守という青年と遭遇する。
その青年は、修道院に入るという多枝子の話を聞くと、
サンタ・カテリナという世界最古の修道院を書いた旅行記を紹介する。
そこには、修道院の奥に、
歴代の修道士たちの屍が累々と重ねられ
異臭を放っている情景が書かれていた。
修道院に入るということは、
それほどのものだということを久守は教えていた。
多枝子は、その後、自分の教え子の父親となった久守と出会い、
心理学者である久守に、シスターたちからの誤解について相談する。

「神というものは、人間の心の底までお見通しなんでしょう」
「もちろんでございます。神は万能でいらっしゃいますから」
「それだったら、お仲間のシスターたちが、
あなたのことを何と言おうが、
構わないじゃありませんか」
「でも人間にわからせませんと・・その努力もいりますでしょう」
「それは、我々のような俗姓では必要だけれど、
あなた方の世界では必要ない、
と思って諦められませんか?」
「どうして、私たちの世界だけは特別でございますの?
皆さん、そうおっしゃるんですけれど、
修院も世間の暮しも同じでございます」
「同じじゃ、意味がないんじゃないかな」
「同じでなければ、私たちは、
世間一般の方にお尽くしすることができません」


久守は沈黙する。
この人には、もう何を言っても駄目だ、
とでもいうように。

この「同じじゃ、意味がないんじゃないかな」
という言葉に、全てが集約されている。

多枝子の修道院でも、
「民主化」の流れに背いている人がいた。
四十人分の食事作りをするシスター・マグダレーナ。
太って、見映えの悪い容貌で、
多枝子は内心軽蔑しているが、
彼女だけが、昔の修道院の方が良かったと思っている。
物語の終盤、
その彼女が、多枝子の部屋に行っても、いつも留守で、
入り口にかけてある丸い板の
所在を示す針がいつも「不在」を指していた、
と言う場面がある。
これが題名「不在の部屋」の由来で、
言うまでもなく「神の不在」を意味している。

実は、この小説、40年前に読んでいた。
(昭和54年・1979年刊)
図書館で目について、再読したが、
ほとんど忘れていて、
おぼえていたのは、三カ所。
久守がサンタ・カテリナについて指摘するところと、
修道院の演芸大会みたいのが、すごく幼稚であったこと、
そして、最後の「不在」のくだり。
1983年の文庫本なので、
活字が小さくて、読みづらかった。
新聞もそうですが、
昔のものは、字が小さい。

ちなみに、
昔聖心女学院に行っていた女子大生の話だと、
大学の図書館に曽野綾子さんの本は沢山置いてあるけれど、
「不在の部屋」だけは置いてなかった、とのこと。





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