小説『憂き夜に花を』  書籍関係

[書籍紹介]

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飢饉に沈む民に
花火で希望を与えようとする
江戸時代の花火師の物語

時は享保17年(1732年)。
日照時間が足りず、全国的に飢饉に見舞われた。
米の値段が上がり、疫病が追い討ちをかけ、
江戸は経済的に沈み込み、
失業者、餓死者も続出した。
為政者(将軍吉宗)も救済策を施すが焼け石に水。
町が活力を失い、暮らしが困窮する中、
人々の心はすさみ、打ち壊しが起こる。
そんな時、花火師・六代目鍵屋弥兵衛は、
花火で江戸市民の気持ちを変え、
それで経済を建て直そうと考えた。

「花火は夜を照らす。
人の心も照らせる」


弥兵衛は仲間を集め、
ある計画を練り始める。
大川(隅田川)で、
将軍・吉宗が死者供養と災厄除去を祈願して執り行う「水神祭」。
その場で一世一代の大仕掛け花火を披露しようというのだ。
人を集め、夜店を出して、経済の起爆剤にする。
弥兵衛はそのために、水茶屋を始め、
商人を回り、協力を依頼するが、
失敗すれば、鍵屋は倒産の憂き目にあう。
妻は言う。

「世の中を励ます、明るくするって。
それ、うちがやらなきゃいけないんですか」


状況のせいにせず、お上を当てにせず、
〈オレがやらなきゃ〉と先頭に立つ弥兵衛。
一人の男が信念を持ち、
後に続いてくれるのを信じて邁進する。
その志に共鳴して、次々と人が集まって来る。
その様は、やはり感動を呼ぶ。

花火といえば、
今は続々と打ち上げる派手な花火だが、
昔は、単発の花火だった。
幼少の時、土手に並んで、
対岸に上がる花火を見た記憶では、
時々あがる花火を見て、
最後に仕掛け花火で豪快に閉じる、
という印象だった。

その花火大会が始まる以前の花火師の仕事を初めて知り、
興味深かった。

というのも、大川に浮かぶ船遊びの客を対象に交渉、
どの種類の花火を何発でいくら、
と料金を頂戴して、
花火を上げる。
それを周辺の岸や橋の上から庶民が楽しむ、
ということだったのだ。
屋形船の武士が花火を注文しないと、
「貧乏大名、けちけちすんな」
「けちの殿様、花火を上げろ」
と罵声が飛ぶ。

町民のおもちゃ花火は、
火事の予防から花火が出来る場所が
川岸だけと限られているため一般的ではなかった。

しかし、飢饉が押し寄せ、
花火の注文も減少し、
花火師の経営も逼迫する。

そんな中、
志を立て、花火で暗く沈んだ人々の心を照らしたいという、
鍵屋弥兵衛の心意気は、やはり、江戸っ子のものだ。
しかし、今のような民間企業のスポンサーを募ることも出来ない。
御公儀も金がない、町民も金がない、
花火を打ち上げるのは金がかかる。
では、どうやって花火を打ち上げて祭りを盛り上げるのか。
そこが話のキモになる。

この鍵屋の花火が、
隅田川花火大会の始まり
と物語は結ぶが、
歴史的にば事実は違うらしい。

ただ、興味深いのは、
今のコロナ禍の状況が
当時の状況と似通っていることだ。
自粛自粛で商売が縮み、
更に、感染者の増加が追い討ちをかける。
倒産と失業者が増加し、
気分はふさぎこみ、生活が貧しくなる。
その状況はいつ変わるのだろう。
みんなが思っていることだ。

先日も花火師たちが
全国で花火を打ち上げて、
コロナ禍で沈む日本人の心を元気付けようとしたが、
この話と通じる。
もしかして企画者はこの本を読んだのだろうか。

そのプロジェクトの詳細は、↓をクリック。

https://www.cheeruphanabi.com/

いろいろ新知識も増えた。
たとえば、稲荷神社が花火師の守り神だということ。
社に鎮座する二つの狐は
右側が玉を、左側が鍵をくわえている。
鍵屋の屋号もそれに由来している。

ところで、
日本で最初に花火を観賞した人物は、
徳川家康だと言われている。
1613年、英国王使節が駿府城を訪れた際、
中国人を使って、家康に花火を見せた。
この時の花火は現在の打ち上げ花火とは異なり、
竹筒から火の粉が噴き出す単純なものであった。
これを機に家康が三河の砲術隊に命じて、
観賞用の花火を作らせるようになったのが、
日本における花火の起源とされる。

花火の掛け声、「たまや〜、かぎや〜」の
鍵屋と玉屋だが、
歴史は鍵屋のほうが古く、
7代目鍵屋の番頭(玉屋清吉、のちの玉屋市兵衛)が
暖簾分けの形で玉屋を創業し、
双方が腕を競いあった。
当時評判がよかったのは玉屋のほうだったが、
玉屋は幕末期(1843年)に失火事故を起こし、
半丁ほどの町並みを焼失させた罪で、
江戸処払い(追放)を命じられ、
1代限りで断絶した。
一方の鍵屋は、
日本最古の花火会社
「株式会社宗家花火鍵屋」として現存している。






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