アンソロジー『別れる理由』  書籍関係

[書籍紹介]
                                   
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名作短掌編アンソロジー「短編伝説」シリーズ
「めぐりあい」「愛を語れば」「旅路はるか」 と来て、
今回のテーマは「別れ」
男女の別れだけでなく、
父親との別れや、淡い恋心を抱いた男性との別れや、
オウムとの別れなど、多彩。

収録作は、
氷室冴子「女の長電話」
野坂昭如「青いオウムと痩せた男の子の話」
小池真理子「さびしい」
佐々木譲「マダムB」
小川洋子「ガラスのジェネレーション」
原田康子「サビタの記憶」
高橋克彦「花嫁」
北方謙三「フローティング」
志水辰夫「夏の終わりに」
浅田次郎「角筈にて」
山本周五郎「その木戸を通って」
篠田節子「内助」
赤川次郎「離婚案内申し上げます」
と、錚々たるメンバーによる13編
中でも心に残ったのは、
浅田次郎「角筈にて」
山本周五郎「その木戸を通って」
篠田節子「内助」
の3つ。

「角筈にて」

プロジェクト失敗の責任を取って
リオデジャネイロ支店に左遷された貫井恭一は、
送別会の後、新宿の旧角筈あたりで、
白いパナマ帽をかぶった昔の父親の姿を見かける。
道路を渡って行ってみると、父の姿は見当たらない。

40年近く前、そのバス停で父と別れた記憶が甦る。
父は事業に失敗し、
子供を捨てて逃げたのだ。
親戚の家に預けられ、
また従兄弟の久美子と結婚し、
出世街道を歩いてきたのは、
その父親との記憶が影を落とし、
負けまいとしていたからだ。
妻が妊娠した時、
父親になるのがおそろしくて、中絶を命じ、
妻は子供が出来ない体になってしまった。

全てを整理し、空港に向かうタクシーから降りて、
花園神社の参道に入った恭一は、
そこで、父と出会い、
既に死んでいる父との別れをする。

角筈(つのはず)とは、
今は町名表示から消えた、
新宿の一角の名称。
花園神社もそこにある。

本作は、直木賞受賞作「鉄道員(ぽっぽや)」に収録された短編。
既に一度読んでいるが、
再読しても味わい深い。
高度成長時代の日本を背景にした
父と子の物語。
特に、花園神社の場面では、
落涙すること必至。

1999年、テレビ東京でドラマ化
松原敏春脚本、石橋冠演出。
出演は、西田敏行、竹下景子、柄本明、橋爪功ら。


「その木戸を通って」

平松正四郎は、名門の平松の家督を継ぎ、
城代家老の娘との縁組も決まり、
順風満帆であった。
そんな正四郎の元に、自分の名前も知らず、
どこから来たのかも覚えていない娘が尋ねてきた。
娘は平松正四郎という名前だけを記憶しており、
それでやって来たのである。
その事が家老の娘の耳に入り、
縁談の仲立ちをした中老の田原権右衛門から苦情を言われる。

娘はふさと名づけられ、
働き者で優しい人柄に家の者から可愛がられる。
正四郎もいつしかふさに好意を持つようになった。
そして、家老の娘との縁談を断り、ふさを嫁に迎える。
中老の田原権右衛門は当然怒ったが、
正四郎の真剣さとふさの人柄に好感を持ち、
後に応援するようになる。

やがて娘が生まれ、
三人の幸せな日々が続いたが、
ある日、ふさが取り付かれたように、
ここに木戸があってと記憶をたどる素振りをし、
倒れた後、気づくとその事は何も覚えていない。
正四郎は不吉な予感を感ずる。

そして、
屋敷からふさの姿が消えてしまう。
ふらっと木戸から外に出て行くふさを見た人がいる。。
正四郎は、必死で付近を探すが見つからない。

そして、十数年の年月が過ぎ、
娘の婚礼の日に
薪を割りながら木戸を見つめている正四郎の目には、
木戸を通って帰って来たふさの幻が見えていた。

「神隠し」のような不思議な現象を
人間の心の緻密な描写で描ききる。
江戸時代の武士の家で起こった
人と人の触れ合いを描いて秀逸。

1993年、
日本初のハイビジョン放送の試験放送向けのテレビドラマとして
フジテレビが制作。
監督は市川崑
主演は中井貴一、浅野ゆうこ。

制作後、35oフィルムに変換されて、
ベネチア国際映画祭とロッテルダム国際映画祭で上映されたが、
劇場公開はされず、
2008年に劇場公開されるまでの間、
幻の映画として扱われていた。

2008年、私は映画館で見ている。
その感想を
その日のブログから、再録する。

☆☆☆☆☆☆☆☆

「その木戸を通って」

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2月に92歳で亡くなった市川崑監督唯一の未公開作品
なぜ未公開かというと、
これが元々テレビ用の作品だったから。
1993年のわが国初の長編ハイビジョンドラマとして制作され、
一度だけBSで放送、
これを35ミリフィルムに変換して
外国の映画祭では上映されたものの、
日本では未公開。
今年の東京国際映画祭で特別上映され、
現在、丸の内TOEIで上映中

大変珍しい経過の作品だが、
「埋もれた宝」 が掘り起こされたようなもの。
15年前の作品でも、
時代劇なので、古さは感じない。
それどころか、
しっかりした構図、美しい画面から 気品があふれ
ああ、昔の日本映画はこうであった
と、懐かしさと、安心感に浸ることができる。

原作は山本周五郎の短編小説。
お城で経理の退屈な仕事を担当する平松正四郎 (中井喜一) の家に
ある日、記憶喪失の娘、ふさ (浅野ゆう子)が迷い込んで来る。
縁談が進んでいた正四郎はふさを追い出そうとするが、
やがて、彼女の純粋な魂に触れ、正四郎の人生は変わっていく。
後見役の中老を説得し、反対する父を説き伏せ、
やがて夫婦となった二人に子供が生まれるが、
時々蘇りそうなるふさの記憶、
「笹の道を通り、木戸を通って・・・」
に正四郎は不安を感ずる。

淡々とした描写だが、
竹林や遠くの山、武家屋敷の陰影、雨の描写など、
映像の美しさが情緒をかりたてる。
まさに、映画はこうあるべし
というお手本だ。

ドラマを引っぱるのはふさの過去で、
結末は相当苦い。
ただ、平四郎の心境を声ではなく、
文字で語らせるのは、うまい。
役者のセリフとしてではなく、
目から入って来るものが、
観客の一人一人の心の中に落ちて来る。

浅野ゆう子はきれいで、中井貴一は凛々しい。
井川比佐志はたまらなくいい。
岸田今日子、石坂浩二も脇を固める。
フランキー堺は、こんなにいい役者だったか。
改めて驚嘆。

そして、当たり前だが、
市川崑は素晴らしい
「映像作家」。
まさにその言葉がふさわしい。
5段階評価の「4. 5」

☆☆☆☆☆☆☆☆



「内助」

佳菜子の夫の花岡俊一は、
高校時代、トップの成績でありながら、
テニス部でインターハイに行くなど文武両面で活躍、
一流大学法学部に合格し、司法試験を目指した。
佳菜子は俊一の後を追って東京に出、
沢山のライバルたちと競って俊一と結婚した。

国家公務員上級試験に合格した俊一は
それを蹴って、司法試験に邁進し、
佳菜子は仕事で家計を支え、応援した。
俊一の夢が佳菜子の夢であり、
俊一の成功が佳菜子の目標だった。
俊一が合格するまで勤めはやめない、
だから、営業補助のような仕事でも我慢すると、
転勤のない安定した職場を選んだ。
合格するまでは、子供も作らない、それが佳菜子の生活だった。

それから数年。
30歳を前にして、
まだ俊一は司法試験に落ち続けている。
それだけではなく、
最近は勉強に熱心ではない。
中華料理の本など読み、
残業後帰宅した佳菜子のために台所に立って、
自分の作った料理を佳菜子に勧める。
しかも、それがめっぽううまい。
「基礎的な理論さえしっかりしていれば、
後は自分の舌が頼りだろ。
敏感な舌さえあれば、料理はできるはずだ」
というのが俊一の言い分。
そんなことより司法試験の勉強を、
と責める佳菜子に、
俊一は、
「別に、弁護士になりたいわけでも、
検事になりたいわけでもなかったんだ。
一番の難関だったから目指したって、
それだけのことだったような気がするな」
と言う。
「それじゃ私の10年はなんなの」
と佳菜子は叫ぶ。

俊一は友人がやっている法律事務所に勤め始める。
そこでも失敗続き。
初めて給料をもらった日、
俊一は佳菜子を食事会に誘う。
グルメの集まった食事会は、
会費が一人9万円だという。
二人で18万円。
次の朝、佳菜子と俊一に別れを告げ、
その日から俊一は帰ってこなかった。

それからまもなく、佳菜子は職場の同僚と浮気をし、
それも破綻する。
仕事にうちこんだせいで、昇格、転勤の辞令が下りた。
明日が回答の期限という時、
佳菜子は中華街を訪れ、
ある店から流れて来る匂いに引きつけられて、入店する。
出された料理を一口食べて、佳菜子はある予感に包まれる。
コックが変わってから、店の料理がよくなった、
と常連客は言う。
それどころか、台北で店を出すのだという。

閉店後、厨房の外で待つ佳菜子の前に現れたのは、俊一だった。
あの後、いろいろな料理を食べ続け、
この店で無銭飲食をして、
そのかたに、中で仕事をやらされ、
料理を作ったところ、大評判になり、
台北の店のオーナーが来て、食べて、見込まれて、
台北で料理を作るのだという。
店の年上のおカミは経営手腕があるから、「業務提携」だ、と。
そして、料理を食べる佳菜子を見るのが幸福だった、と言う。
その時、佳菜子は気づく。
俊一は本当に俊才だったのだ。
ただ、「才」の方向が、ちょっと違っただけで。
そして、気づく。

十年前、愛のない結婚をしたのは、自分自身ではなかったのか。
一度でも彼を、花岡俊一という男を愛したことがあるのだろうか。
もしかすると自分が愛したのは、
彼の優秀さであり、
可能性であり、
それによって満足させられる
自分自身だったのではないだろうか。


夫婦というものの不思議を感じさせる一篇。

    




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