評論『古関裕而の昭和史』  書籍関係

[書籍紹介]

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NHK朝の連続テレビ小説「エール」のモデルとなった古関裕而(こせき・ゆうじ)さん。
(本名:古關勇治。ドラマの中の名前は「古山裕一」)

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その名前を知ってはいても、
どんな曲を作ったかは、意外と知られていない。
しかし、作曲した曲の一覧を見ると、
えっ、あの曲も、この曲も、
と驚かされる。
生涯に作曲した曲は5000曲を下らず、
歌の面から昭和をいろどった作曲家だ。

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本書は、古関裕而の足跡を辿りながら、
それがそのまま昭和史になるという本だ。
ちなみに、古関は平成元年に
昭和の終焉に合わせるかのように亡くなっている。

書いたのは、近現代史研究者の辻田真佐憲(つじた・まさのり)。
戦前のレコード印税計算書、レコード製造枚数など
関係先に眠っていた貴重な内部資料を発掘して
当時の業界事情を明らかにしている。

目次は↓。

第1章 好きになったら一直線(1909〜1930年)
第2章 ヒットを求めて四苦八苦(1930〜1936年)
第3章 急転直下、軍歌の覇王に(1937〜1941年)
第4章 戦時下最大のヒットメーカー(1941〜1945年)
第5章 花開く大衆音楽のよろず屋(1945〜1973年)
第6章 経済大国の大門を叩く(1952〜1989年)

朝ドラ「エール」は、ややコミカルな調子だが、
その生涯は真面目そのもの。

実家の商家の父が買ってくれた蓄音機で音楽に触れて以来、
独学で作曲を勉強。
東京に出てコロンビア・レコードの専属作曲家となり、
しばらくは苦労したものの、
やがて、ヒットを連発。
戦争中には沢山の軍歌を作り、
戦後は大衆的な曲が人々の心を捕らえ、
社歌や校歌など、おびただしい団体歌を作曲。
ついには、1964年の東京オリッピックの行進曲を作曲。
外国にも名を知られるようになった。

私も古関裕而の名前を始めて知ったのは、
「東京オリンピック・マーチ」で、
選手団の入場行進の最初に演奏されたと共に、
日本選手団の入場の時も演奏され、
胸躍らせたものだ。

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本書での目ぼしい挿話を書くと・・・

・古関が世に出るきっかけは、
ロンドンのチェスター楽譜出版社募集の作曲コンクールに応募し、入選したこと。
しかし、実際は期限に遅れていたので、
正式な受賞ではなく、
審査したところ優秀な作品だったので賞金と特典を送られた。
手紙にあった「second choice 」を「二等賞」と取り違えたものだが、
賞金とイギリス招聘は事実で、
留学が果たされなかったのは、
世界恐慌と有力パトロンの死去による。

・上記コンクールの記事を契機に、
名古屋の内田金子(うちだ・きんこ)との文通が始まり、
その文通が恋愛に発展、
古関が名古屋に押しかける形で結婚。
古関20歳、金子18歳の時だった。

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・山田耕筰の推挙でコロムビア・レコードに採用され、
東京に出たのは1930年9月。

・当時は蓄音機の普及で、レコード産業が勃興。
ビクター、コロムビア、ポリドール、キング、テイチクなどの
レコード会社が競争していた。

・コード流行歌のレコードは1枚1円50銭
うち印税は1曲1.5銭。
古関は月給200円で、ただし、印税の前払い。
(当時のサラリーマンの月給は100円。)
前払いなので、月3枚分の作曲で、
月に8888枚製造がノルマ。
当初、ノルマが果たせなくて、重圧となった。

・その後、「利根の舟唄」がヒットし、ようやく面目をほどこす。

・「勝って来るぞと、勇ましく〜」の「露営の歌」
「ああ、あの顔で、あの声で〜」の「暁に祈る」
「若き血潮の予科練の〜」の「若鷲の歌」など、
沢山の軍歌を作り「軍歌の覇者」と呼ばれた。
勇ましいだけではなく、
独特の哀調を帯びた旋律が日本人の心を打った。
「若鷲の歌」は、航空隊に向かう常磐線の中で曲想を得、
予科練の生徒の多数決で決まったという。

・戦後、活躍の場をラジオに移し、
菊田一男と組んで、「鐘の鳴る丘」の「とんがり帽子」のヒットで波に乗る。

「君の名は」は、
次のラジオドラマの題名を決めろと強引に迫る占領軍の企画者に対して
腹を立てたNHKの担当者が
「お前の名前は〜」と英語で言ったところ、
「What is your name? いい題名だ。OK」と決まったという。

・戦後、おびただしい数の団体歌を作曲した。
その中には、阪神タイガースの球団歌「六甲おろし」
読売ジャイアンツの球団歌「闘魂こめて」がある。

・オリッピックマーチについては、予兆があった。
第1回オリンピックで演奏された「オリンピック讃歌」は、
楽譜が散逸し、その後、演奏されていなかった。
1958年のIOC(国際オリンピック委員会)総会前に楽譜がみつかり、
開催国のJOC(日本オリンピック委員会)が蘇演を企画、
総会開催式の際、演奏された。
IOCのメンバーは感激し、公式の讃歌となり、
今もオリッピック開会式で演奏されている。
譜面はピアノ用だったので、
これをオーケストラに編曲したのが古関だった。

・そして、1964年10月10日、
東京オリンピック開会式の入場行進の冒頭で、
「オリンピック・マーチ」が演奏された。

・古賀政男や服部良一が受けた国民栄誉賞を古関は受けていない。
打診はあったが、長男が
「元気に活動しているときならともかく、
亡くなったあとに授与することに意味があるのか」
と没後受賞に疑問を持ったためと言われる。

・作曲の作業には楽器を一切使わずに
頭の中だけで行ったといわれる。
従って、作曲中の自宅は一切楽器の音はしなかった。

・1980年7月23日、妻・金子が乳ガンで死去。
・1985年8月18日、古関は脳梗塞で死去。80歳だった。

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最後に、古関作曲の多数の曲の中から、
主だったものを載せる。
えっ、あの曲もそうだったのか、と驚くこと必至。
青色の文字の歌は、題名をクリックすると、聴くことができます。

1931年「紺碧の空〜早稲田大学応援歌〜」(作詞:住治男)
1935年「船頭可愛や」(作詞:高橋掬太郎)
1936年「大阪タイガースの歌(六甲颪)」(作詞:佐藤惣之助)
1937年「露營の歌」(作詞:薮内喜一郎)
1940年「暁に祈る」(作詞:野村俊夫)
1943年「若鷲の歌(予科練の歌)」(作詞:西條八十)

1947年「白鳥の歌」(作詞:若山牧水)
1947年「とんがり帽子」(作詞:菊田一夫)
1948年「栄冠は君に輝く」(作詞:加賀大介)
1949年「長崎の鐘」(作詞:サトウハチロー)
1949年「イヨマンテの夜」(作詞:菊田一夫)
1949年 NHKスポーツ中継テーマ曲「スポーツショー行進曲
1952年「黒百合の歌」(作詞:菊田一夫)
1953年「君の名は」(作詞:菊田一夫)
1953年「ひめゆりの塔」(作詞:西條八十)
1954年「高原列車は行く」(作詞:丘灯至夫)
1961年「モスラの歌」(作詞:本多猪四郎、田中友幸、関沢新一)
1963年「あの橋の畔で」(作詞:菊田一夫)
1963年「巨人軍の歌(闘魂こめて)」(作詞:椿三平)
1964年「オリンピック・マーチ
1966年「スカーレット・オハラ」(作詞:菊田一夫)

映画音楽も作曲している。
                            
1939年「戦ふ兵隊」(亀井文夫監督)
1948〜1949年「鐘の鳴る丘」3部作(佐々木啓祐監督)
1950年「長崎の鐘」(大庭秀雄監督)
1953年「ひめゆりの塔」(今井正監督)
1953〜1954年「君の名は」3部作(大庭秀雄監督)
1957年「永すぎた春」(田中重雄監督)
1961年「社長道中記」(松林宗恵監督)
1961年「モスラ」(本多猪四郎監督・円谷英二特技監督)

元々クラシック指向であったが、
実家が経済的に破綻してからは一族を養わなくてはならず、
次第にクラシックの作曲から離れざるをえなくなった。
コロムビア入社も主に生活費のためであったと考えられる。
古関本人は作曲の勉強のための洋行を希望していたが、それは叶わなかった。

しかし、クラシックの作品もある。

交響曲(第1番から第3番の3 曲)
ヴァイオリン・チェロのための協奏曲
五台のピアノのための協奏曲
一茶の句による小品童曲
和歌を主題とせる交響楽短詩
舞踊組曲「竹取物語」
舞踊詩「線香花火」
交響詩「大地の反逆」
管弦楽組曲「戦場の印象」
室内管弦楽曲「亡き愛児に捧ぐる歌」



映画『神の日曜日』  映画関係

[映画紹介]

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2018年に配信された、
Nwtflix オリジナル作品

米国のペンテコステ派の牧師であるカールトン・ピアソン
実在の人物である。
オーラル・ロバーツ大学で勉学し、
チャーチ・オブ・ゴッド教団の認定牧師として、
1990年代には、
オクラホマ州タルサで6千人規模の大教会へと成長させた、
アメリカで人気の「福音説教者」の一人である。
TVにもレギュラー出演をし、
ホワイトハウスにも招待されている。

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教会は、牧師の説教を聞くために、
毎週日曜日、教会に集まる。
そして、牧師の説教に感動し、声をあげ、
ゴスペルに体を揺すって歌う。

ピアソンには悩みがあった。
服役中の叔父に、刑期延長阻止の口利きを頼まれて拒絶し、
その結果叔父が自殺してしまったことである。
ピアソンの教派では、
キリストを受け入れない人は
地獄に堕ちる、という強固な信仰があり、
叔父をキリストを信じないで死なせてしまったこと、
すなわち地獄に送ってしまったことに
ピアソンは自責の念を持つ。

更にピアソンに大きな苦悩が押し寄せる。
テレビでアフリカの子どもたち
戦争や飢餓のために犠牲になっていく
ドキュメンタリー番組を観たのだ。
アフリカの子どもたちは、
キリスト教の教えを知ることもなく死んでいく。
「彼らのように福音を聴く機会がなかった者たちは、
死後どこへ行くのだろうか」
「イエス・キリストを受け入れずに死んだ者は、
聖書が語るように地獄へ行かなければならないのだろうか」

思い悩んだカールトンは、
ある時「神の声」を聴く。
それは「神はすべての人が天国へ行くことを願っておられる」というものであった。
(ただし、神の声を聞く直接的描写はない。
説教の中で「神の声を聞いた」と言うのみである)

「アフリカの人々は?
選択したのか?
救われ得たのか?
神は言った。
彼らはすでに救われている。
そうして、私と共にある。
私と共に天国に、と」

信徒たちは混乱する。
信仰の友からは、
「お前を頼りにしている6000人の信者に対して、
2000年の歴史を否定するのか」
と非難される。
信者は、
「牧師は、地獄が存在しないと主張した。
彼は異端に陥った」
と。

その結果、彼の教会から脱会者が相次ぎ、
礼拝参加者は最盛期の4分の1に落ち込み、
大学で教鞭を執る道も閉ざされてしまい、
最後には牧師を辞任させられてしまう。
(上部団体のチャーチ・オブ・ゴッド・イン・クライストの評議会で
異端審問にかけられ、解任された)

ピアソンには、キウェテル・イジョフォー

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師匠にマーティン・シーン
叔父にダニー・グローヴァー
と一流どころを揃える。
監督はジョシュア・マーストン

原題は「Come Sunday 」だが、
最初は「Heretic 」(異端)という題名だった。
アメリカのキリスト教会における
異端思想の扱い、という
珍しい題材を描く点で興味深かった。
その主役に「それでも夜は明ける」(2013)のキウェテル・イジョフォーを
起用するなど、配役のセンスもぴったり。

いろいろ考えささせられる映画だったが、
私の見解を述べると、
世界には大きな宗教だけでも、
キリスト教、イスラム教、仏教、ヒンズー教、ユダヤ教など
多数ある。
その多様性の中で、
キリスト教の信者だけが救われる、というのは、
傲慢だと私は思っている。
イスラムにはイスラムの救いがあり、
仏教には仏教の救いがある。
要するに、それは個人の選択の結果であり、
その選択は多様である。
つまり、キリスト教を「オンリー・ワン」とするのは、
その人の信仰であって、
世界の中、歴史の中では、
キリスト教といえども「ワン・オブ・ゼム」でしかないのだ。
クリスチャンである私がこんなことを言えば、
牧師から叱られそうだが、
キリスト教を選んだのは私の選択であり、
(神学的には、私が選んだのではなく、神が私を選んだ)
私にとっては「ベスト・ワン」というだけだ。

だから、インカ帝国やマヤ文明や、東南アジアに対する
「神の名のもとに」侵略したのは、
キリスト教の黒歴史だと思っている。

「神」という「超越的な存在」があるとすれば、
キリスト教徒とイスラム教徒と仏教徒を区別するような
狭量の神ではあるまい

更に言えば、
イエスキリストの時代、
イエスは他の宗教や文化の存在を知らなかっただろう。
のみならず、物質の成り立ち、原子構造も
DNAの存在も知らなかっただろう。
知らなかったことが、
イエスの教えの価値を下げるものではないが、
物質の構造や生命の構造まで明らかになった今、
宗教がその内容を刷新するか、
本質的な部分だけに集約するかは、
時代の趨勢だろう。

だから、ピアソン牧師の主張も、大きな意味では納得出来るが、
しかし、キリストを通じないでも救われるとするなら、
それはもはやキリスト教とは言えないだろう。
それは信者の「選択」に対する挑戦なのだから。
ならば、彼はキリスト教を捨てて、
別な教団を作るしかないだろう。

ピアソン氏は、その後、他の町で教会を建て、
結構人気があるという。
「キリスト教」の名前は捨てていないようだが。


タグ: 映画

最強ジャパンフードベスト30  耳より情報

新型コロナの話題に代えて、
今回は日本の食べ物について。

3月21日放送の
「外国人1338人が選んだ最強ジャパンフードベスト30決定SP!」より
外国人が選ぶ“美味しすぎる”日本食をお送りします。

第30位 鮭ハラス焼き

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第29位 居酒屋のポテトサラダ

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第28位 コンビニの卵サンド

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第27位 レモンサワー

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第26位 カレーパン

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第25位 揚げ出し豆腐

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第24位 あんみつ

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第23位 てんやの天丼

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第22位 秋葉原のチーズケーキ

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第21位 広島のカキフライ

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第20位 長野のおやき

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第19位 築地の焼きタラバ

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第18位 浅草の味噌汁

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第17位 すき焼き

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第16位 金沢のご当地カレー

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第15位 コンビニのおにぎり

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第14位 成田のうな重

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第13位 秋葉原の焼肉

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第12位 大阪のたこ焼き

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第11位 浅草の鶏のから揚げ

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第10位 京都のだし巻き卵

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第9位 青山のとんかつ

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第8位 新宿のうどん

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第7位 京都の焼き餃子

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第6位 長野のもり蕎麦

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第5位 大阪のお好み焼き

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第4位 納豆

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まじか。
ついに、外国人に納豆のうまさが分かる時が来たか。

第3位 築地のにぎり寿司

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第2位 六本木の焼き鳥

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第1位 札幌の味噌ラーメン

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小説『肖像彫刻家』  書籍関係

[書籍紹介]

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表題通り、肖像彫刻家を主人公にした
篠田節子の連作短編集。

高山正道は、私立美術大学を卒業後、
うだつが上がらず妻と息子に逃げられる。
失意の中、先輩に誘われイタリアで修業。
ローマン彫刻の確かな技術を身につけたが、
やはり芸術家として身を立てるには至らず、
8年を経て帰国。
学んだ技術を活かして、
53歳で肖像彫刻家として独立するが、
注文は入らず、
たまに相談が入っても、
等身大立像で1千万円以上かかるときくと、
たいていは連絡が途絶える。

そうした中、ぽつぽつと入る注文に応じた経緯を綴ったのが、
この連作短編集だ。
「小説新潮」に2017年から2018年にかけて、
3カ月ごとに連載したのを一冊にまとめたもの。

冒頭、帰国した正道が、
「モノになるまで帰ってくるな」という父の言いつけを守って
連絡もしていなかった間に、
父母共に鬼籍に。
超気の強い姉に連れられて墓参した正道が、
墓に向かい土下座させられる場面から始まる。

正道が学んだのは、
ローマンロストワックス法といい、
とてつもなく複雑な工程で彫刻を作成する。
まず、芯木を立てて、粘土で像を作り、
それを石膏で包み、
中の粘土をかき出した後、
内部を洗浄し、剥離剤を塗って、その上に樹脂を塗り付ける。
出来た樹脂の像は更に石膏で型取りされ、
その雌型に蝋を流し込み、蝋原型を作る。
柔らかく加工しやすい蝋素材の像に
繊細な表情を加える。
これが他の銅像制作と違うところで、
彫刻家としての腕の見せ所だ。
分割した蝋型をセラミックスで包み、
ガスで焼くと、蝋が流れ出る。
冷めたセラミックスに銅合金を流し込む。
分割された像を溶接し、接合部分をヤスリでならし、
全身像に仕上げる。

完成まで9カ月
粘土像だけでも3カ月はかかる。
素材として与えられた写真から
三次元の像を造形するのが彫刻家の技量で、
正道の先輩芸術家は、
ローマ法王の立像を、写真1枚から作ったという。

しばしば正道が3Dプリンターの魔力に
逃げようとするところも面白い。
                                        
話は↓の7話からなる。

第一話 レオニダスとニケ
第二話 雪姫座像
第三話 高砂
第四話 雪姫立像
第五話 最高峰
第六話 アスリート
第七話 寿老人

                                           展示用にと作った樹脂製のギリシャ彫刻が大家に買い取られ、
ある日、畑の案山子代わりに使われた話。
地元の古刹から依頼を受け、
無理な期限を付けられて、
開祖・雪姫の秘像を写真から作成するが、
実は・・・
しかも、もう一体作って客殿に置かれた雪姫像が
夜中に歩き回ると噂され、
テレビやネットで面白おかしく取り扱われる話。
姉から依頼されて作った父母の胸像が、
夜中に口論している、という話。

どうも、正道の像は、
芸術品ではないものの、
「魂がこめられた」ようになるらしい。
その原因として、
作家の魂や念が、
像の中でふんぞり返っていたりしないからだ。

というのは正しいだろう。
そして、
ひょっとしてこれは紛れもない才能、
それは天才、なのではないか。

と書く。

学者で「知の最高峰」と呼ばれる人物の娘からの依頼で、
記念館に展示する像を作ったところ、
突然、像が演説を始める話。
ある男の妻の胸像を作成したが、
男の東南アジアでの女遊びに対応して、
像の妻の表情が変わってしまった、という話。
これには、更におまけがつく。

建築家からの依頼で、
その建築家の昔の恋人の
新体操をする裸像を作ったところ、
評判を呼ぶが、
実は・・・
                                        
と篠田得意のオカルト色をふりまきながら、
辛辣にコミカルに展開する。
正道の大家夫婦や
姉や鋳造家の富沢という
魅力的や脇役も彩る。

いつも作成中の彫像から話しかけられるような思いをする正道が
全然話しかけられない、と思っていたところ、
実は、その彫像の本人が生きていた、
という話など、皮肉が利いている。
母の像を前に、
姉が介護の時の恨みつらみを言うところもすさまじい。
正道の作った像に
あまりに魂があったがゆえに、
普段愚痴や恨み言を言わない姉の琴線に触れてしまったのだ。

最後、別れた妻との再会や
渡米した息子の成功や、
樹脂制作の子供像が売れるなど、
話は見事に円環を閉じていく。

前にも書いたが、
やっぱり、私は篠田節子と肌が合う


映画『最初に父が殺された』  映画関係

このブログでは、
カンボジアのクメール・ルージュ(カンプチア共産党)の圧政について、
しばしば書いているが、
今日は、そのクメール・ルージュ時代のカンボジアを描く
Netflix オリジナル作品を紹介する。

その前に、
クメール・ルージュについて復習。

カンボジアは1970年から内戦に入り、
1975年、クメール・ルージュが首都を制圧、
民主カンプチア政府(ポル・ポト政権) が樹立した。
これがまたとんでもない政権で、
かつての仏教国、アジアの小国カンボジアは、
大混乱の時代に入る。

ポル・ポトの進めたのは急進的共産主義で、
「都市は農村を搾取するものだ」として、
都市を無人化、農村への強制移住を強い、
労農・政治教育以外の学校教育を廃止、
子供たちは小さい時から共産主義先兵として洗脳されていく。
宗教活動の禁止、
人民公社の設置と集団生活化など、
従来の伝統的価値観や社会体系を無視した政策を断行。
通貨さえ廃止してしまう。
いわば原始時代への回帰で、
狂気の政権だ。
反対者を次々と虐殺、
3年8ヶ月の間に300万人の命を奪ったという。
特に知識層を目の敵にし、
インテリというだけで処刑の対象になった。

そのクメール・ルージュ時代のカンボジアを
生き抜いたルオン・ウンの回想録
「最初に父が殺された 飢餓と虐殺の恐怖を越えて」
アンジェリーナ・ジョリーが2017年に映画化した。

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つまり、実話。
脚本はジョリーとウンが執筆。

ルオンは、
カンボジアの首都プノンペンで、
両親と兄姉たちと共に幸せに暮らしていた。
1975年4月、
ポル・ポト率いるクメール・ルージュが首都を制圧すると、

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豊かな暮らしは一変し、
飢えと恐怖に怯える日々に投げ出される。

まず、「アメリカの爆撃がある」という偽情報でプノンペンを追い出され、
田舎に行った一家は、
労働(食料の増産)に駆り出される。
私物は全て没収され、
色のついた服を着るのは許されず、
衣服は真っ黒に染められ、
朝から晩まで労働の毎日。
空腹に耐えかねて豆を口にした女の子は厳しい制裁を受ける。
全ては「オンカー」という、
クメール・ルージュ中枢にいる幹部の意思で動く。

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父はロン・ノル政権で将校だったため、
分かれば殺されるので、港湾労働者のふりをし、
身分証明書を燃やす。

姉が疲労と病気で死に、
父は、前職が発覚したのか、呼び出され、殺される。

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目撃したわけではないが、
ルオンの中で想像がそれを目にする。
父が呼び出され、死を覚悟して、
家族と別れをする場面は悲しい。

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やがて、処刑された人物の家族にも粛清が行われるようになり、
虐殺を予感した母は、
3人の子供に逃げるように言い、
ルオンと姉は逃げる途中で出会った労働キャンプで働かされる。
選抜されたルオンは、軍事訓練を受け、

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一人の兵隊として訓練される。
初めて銃を持たされ、地雷を土に埋めた。

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やがてベトナム軍の侵攻が始まり、
逃げたルオンは別れた姉と兄に会う。
孤児だけの仲間も出来、
ベトナム軍が管理する難民キャンプでしばらく平穏な日々が過ごすが、
今度はクメール・ルージュの攻撃を受け、逃げまどい・・・

という展開が
5歳の(後に7歳の)少女の視線から描かれる。
だからこそ、一層悲惨さが際立つ。
少女にとって、世界情勢も、国家の在り方も分かりはしない。
歴史さえ知らない。
ただ、クメール・ルージュの言うなりに動くだけだ。
その理不尽さ、人間性の否定。

攻撃から逃げたルオンが
森の中のある地点まで来ると、
そこが自分が作業させられた地雷原であることに気づく場面は切ない。
逃げる子供たちが、
次々と地雷を踏んで、命を落とす。

また、捕らえられたクメール・ルージュがリンチを受ける場面では、
ルオンは、その兵士の姿に父の姿を重ねる。
たまらなく哀切なシーンだ。

アンジェリーナ・ジョリーは監督に転身してから、
「最愛の大地」(2011)、「不屈の男アンブロークン」(2014)、
「白い帽子の女」(2015)と、
イマイチの印象だったが、
4作目のNetflix 作品で大きく飛翔し、
素晴らしい演出力を発揮する。

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余分な説明を排し、
少女の目線だけで描かれる現実がなによりもリアルだ。
ルオン役の少女は、
いかにもカンボジアの少女、という風貌で、
よく期待に応えた。

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いたいけな少女に襲いかかる圧政は、
観るのが辛いが、
全人類がこの悲劇を観なければならない、と思わされた。

原作の「著者の覚え書き」には、このようにある。
「1975年から1979年にかけて、
クメール・ルージュは当時のカンボジア国民の
約四分の一にあたる推定200万人を
処刑、飢餓、病気、強制労働によって組織的に殺害した。
本書は私自身と私の家族の生存をかけた歴史をつづったものだ。
体験は私個人のものであるが、
何百万のカンボジア人のものと重なるだろう。
あなたがこの時代のカンボジアに生まれていたとしたら、
これはあなたの歴史になったかもしれない。」

予告編は↓をクリック。

https://youtu.be/C7G0p2JVzGk

関連した映画は、↓をクリック。

「キリング・フィールド」(1984)

「消えた画 クメール・ルージュの真実」 (2013)






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