小説『ノースライト』  書籍関係

[書籍紹介]

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題名の意味は、
建物の北側に開けられた採光スペースにより
入って来る光のこと。
普通、住居の窓は東または南に開けられるのが常だが、
北に開けられた窓により
入り込む北側の光は独特。

建築デザイナーの青瀬稔の作った「Y邸」は、
ノースライトを取り入れた建物で、
吉野陶太(とうた)という人物の依頼で信濃追分に建てたものだ。
吉野は「本当にあなたが建てたい家を建ててください」と言い、
青瀬は自分の人生を回顧しながらこの屋敷を建てた。

青瀬は、建築現場を渡り歩く「渡り」の息子で、
熟練の型枠職人であった父に連れられて、
全国のダム建設現場を渡り歩いた。
家族で住んだ飯場では、北向きに窓があり、
そのノースライトの記憶から、
青瀬は北向きの家を構想したのだ。
完成したY邸は、満足のいくもので、
建築雑誌にも掲載され、
それを見たクライアントから
「同じものを建ててくれ」との依頼が来るほどだった。

しかし、Y邸を見に行ったクライアントから
「中の光の具合を見たかったが、留守で、
なんとなく、どなたも住んでいないようだった」
との連絡を受けた青瀬は、
建築事務所の所長で、学友の岡嶋と共にY邸を訪れる。
家を注文した吉野とは連絡が取れなかった。
久しぶりに見るY邸は、
確かに人が住んでいるようには見えず、
鍵がこじ開けられた形跡があり、
中に入った青瀬と岡嶋は、
泥棒の足跡を発見する。
しかし、中には家具も入れられておらず、
泥棒は何も取らずに退去したらしい。
人が住んだ痕跡のない有様に、青瀬が茫然としていると、
主寝室の真ん中に古びた椅子がぽつんと置かれていた。
岡嶋は、この椅子はタウトの椅子ではないかという。

ブルーノ・タウトはドイツの建築家で、
ナチからの迫害を逃れてベルリンを脱出し、
日本に渡って来た人物。
桂離宮の建築美を再発見し、
日本の工芸品の普及とデザイン向上に尽力した。
家族はドイツに残し、
秘書のエリカと共に3年半日本で過ごし、
その後、招聘されてトルコに行き、そこで没した。

青瀬は、吉野が住んでいた田端の家を訪ねてみる。
既に吉野はおらず、
大家からは、夫妻は離婚して妻は子供と出ていき、
夫もしばらくして引っ越していったという。
調べでは、追分に住民票を移した事実はなく、
忽然と吉野一家(夫婦と3人の子ども)は蒸発してしまったのだ。
3千万円という費用を遅滞なく支払い、
地鎮祭と家の引き渡しの時には家族5人で喜んでいたのに、
引っ越しもせず、生活もせず、新居を放棄したのはなぜなのか。
また、手に包帯をした謎の男が夫妻を探していたという。
Y邸の近隣の店からは、
吉野が背の高い女性と現地に来ていたことも知る。
そもそも、
「本当にあなたが建てたい家を建ててください」
と言う、青瀬の心を捕らえたあの言葉は何なのか。
なぜ青瀬に家の設計を依頼したのか。
なぜ青瀬でなければならなかったのか。

タウトの椅子の真偽をさぐるために、
青瀬はタウトが暮らした達磨寺の洗心亭
熱海の旧日向別邸を訪れる。
旧日向別邸の地下は
タウトが日本で唯一建築を依頼された物件だ。
そこで類似の椅子は発見できなかったが、
上多賀の蕎麦屋にタウトのテーブルと椅子があることを知り、
行ってみると、まさにY邸にあったと同じ椅子であった。
しかし、セットの6脚は全部揃っている。
しかも、吉野がこの店を訪ね、
自分のルーツは仙台で、
タウトの椅子の設計図を持っている、と言ったという。

青瀬はつてを辿って、仙台のある人物に会う・・・

というわけで、
吉野の消息と、
タウトの椅子の探索が並行して進む中、
パリで客死した孤高の画家の記念館、
「藤宮春子メモワール」のコンペを巡る
岡嶋建築事務所の奮闘、
青瀬の妻・ゆかりとの離婚の経緯、
娘・日向子の成長と月一回の面談、
「渡り」の生活の中での父親とその死、
岡嶋の息子への想い、
不可解な興信所の青瀬への調査依頼、
などが重層的にからむ。
実に有機的に。

まさに、横山秀夫の世界。
しかも、得意の警察モノや記者モノではない、
建築家の話
横山秀夫の守備範囲の拡大を感じさせる。
ミステリーと思わせないでいて、
濃厚なミステリーだ。

バブル崩壊で仕事を失った建築業界の苦渋も描かれる。
青瀬自身、大手建築事務所を退職した後、
つまらない仕事で糊口をしのいでいたが、
同級生であった岡嶋に
「才能の安売りをするな」と拾われた過去を持つ。

建築家を主人公にした小説を読むのは初めて。
それぞれ複雑な内面を抱えていたことか分かる。

数知れない無名の建築家たちの内面世界は複雑だ。
多くが屈折したプライドに胸を焦がしている。
自分は他者とは異質だという強烈な自負心。
排他的かつ利己的でなければ意匠などできるものかという荒ぶる思い。
だがその一方で、他人の創り出した良いものを良い、
美しいものを美しいと認めることができなくなったら、
もはや建築士を名乗る資格すら失うと誰もが知っている。


こんな記述もある。

初めて仕事で建物の図面を引いた時の気持ちを思い出す。
自分の引く一本一本の線が、
この大都会のあちこちで地上に形を成していく。
胸が躍った。
建物を生み出す喜びは比類がなかった。
その建物がやがて消えてゆくことになるなど
考えもしなかった。
だが消えた。
十年も経たないうちに、
青瀬が設計した幾つもの商業建築が取り壊され、
あるいは改築され、
ありえない壁の色に塗り替えられていった。

やがて、謎が解ける。
また、「藤宮春子メモワール」のコンペの行方も分かる。
少々きれいに収まり過ぎたような気もするが、
読後感がすこぶるいいから良しとしよう。

雑誌「旅」に2004年から2006年まで不定期に連載。
その後、全面改稿するのに
13年かけた。
横山秀夫の新境地を開く、渾身の小説だ。





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