小説『定価のない本』  書籍関係

[書籍紹介]

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終戦から一年。
焼け跡から復興した古書の町・神田神保町が舞台。
三輪書房の店主・三輪芳松が死んだ。
倉庫の中で、倒れて来た本に押しつぶされて圧死したのだ。
芳松と若い時からの盟友である琴岡庄治は、
その死に不審感を抱く。
芳松は殺されたのではないか。

琴岡庄治は12歳で古書店・立声堂の小僧として就職し、
めきめき頭角を顕し、
独立後は、店舗を持たない、
目録販売の古典籍専門の琴岡玄武堂として、
神保町で一目置かれていた。
古典籍とは、明治維新以前の和装本のこと。

芳松の死に疑問を抱く庄治は、
芳松の妻・タカの後を追い、
自分と同様に芳松の死を殺人と思っている
タカの真相究明の強い意思に驚く。
そのタカが、自殺を遂げる。
芳松が死んだ倉庫で首をくくったのだ。
あんなに真相究明の強い意思を持っていかタカの死因にも、
庄治は疑問を抱く。
タカも殺されたのではないか。

という殺人事件の謎解明のミステリーの趣だが、
どうもそうでもないらしい。
というのは、その後、庄治はGHQと深く関わり、
日本の古典籍を集め、GHQに買い取らせる。
それは、占領軍の日本弱体化の意図によるものだった。

そのGHQのファイファー少佐をして語らせる
戦後処理の思惑が面白い。

ファイファー少佐は、
日本人がなぜ戦争を最後まで踏みこたえたかの根源に
日本の「歴史」があると看破する。
中でも、天皇を中心とした国史だ。
千四百年間、天皇という国家首長が存在したことが驚きだという。
ドイツのハノーファー家も、オーストリアのハプスブルク家でさえ、
これほど長大な歴史は持たなかった。
アメリカには王朝そのものが存在しない。
そもそも古代や中世が存在しない。
ジョージ・ワシントンの大統領就任以来、
たかだか150年しか統一国家としての歴史を持たない。

翻って、日本人は自国の歴史に自信がありすぎた。
歴史が豊富で、どんな行為も歴史の中に根拠を見出せる。
イタリアやドイツより長いこと戦うことができたのも、
歴史の故だった。
イタリアやドイツは統一国家としては
たかだか7、80年の時間しか持っていないのに対し、
日本は千四百年。

だから、占領軍は、日本人から歴史を奪う
歴史とそれを源泉とする
肥大化した自尊心のある限り、
日本人は永遠に反省しない。
目をさまさない。
だから歴史を奪う。
それこそが真の武装解除なのだ、と。

だから、GHQは、全力で日本の原典を集め、
本国に送致する。
もはや日本の歴史の研究家といえども、
アメリカに行かなければ、原典を拝めない。
こして日本から歴史を奪い、
まったく新しい歴史を与えてやる。

これがファイファー少佐の語る、
「ダスト・クリーナー作戦」(除塵装置作戦)だという。

その証拠にGHQが許可した学校教科では、
「歴史」を「社会科」に押し込んでしまう。
国語、算数、理科、社会。
社会科は歴史や地理、政治、経済などの寄せ集め。
戦前は国史が独立しており、
国語、算術、理科と並ぶ主要教科の一つだった。
日本人には、日本の歴史を勉強させないのだ。

この作戦に対して、
神保町の古書店が立ち上がる。

という話に発展し、
最後の芳松の死の謎解きは、
少々お粗末。

占領軍の真意を描いたのは、実に面白い。
だが、現在の日本の教育現場を見ると、
GHQの意図は完成したのではないかと思える。
なにしろ、日本という国の起源については教えない、
というのが、日本の教育なのだ。

しかし、このたびの天皇即位にまつわる
日本人の受け止め方を見ると、
まだまだ日本人の中に
歴史が根付いているようにも見える。

などということを、
古書の町・神保町を舞台に展開する、
「家康、江戸を建てる」の門井慶喜らしい、
なかなかの読物であった。


日本のメディアリンチ事件  様々な話題

昨日は映画「リチャード・ジュエル」を紹介し、
アメリカにおけるメディアリンチ事件を報じたが、
日本でのメディアリンチ事件としては、
次の二つの事件が記憶に残っている。

松本サリン事件(1994年6月27日)

後にオウム真理教の犯行と判明するが、
捜査当初、長野県警察は
第一通報者であった河野義行さんに容疑を向け、
家宅捜索を行ない、薬品類など数点を押収し、
重要参考人としてその後連日にわたる取り調べが行われた。

それは、河野氏が自宅に農薬を多数保有していたためで、
長野県警察は河野宅から押収した農薬からは
サリン合成が不可能であることから、
一部の薬品を家族が隠匿したとして執拗に捜査を続け、
捜査方針の転換が遅れることとなった。
事件発生直後「不審なトラック」の目撃情報を黙殺し、
また、事件発生直後、
捜査員の一人の「裁判所官舎を狙ったものでは? 」との推測も、
聞き入れられなかった。
河野氏を容疑者扱いするマスコミによる報道が過熱の一途を辿る
マスコミは、一部の専門家が
「農薬からサリンを合成することなど不可能」
と指摘していたにもかかわらず、
オウム真理教が真犯人であると判明するまでの半年以上もの間、
警察発表を無批判に報じ、
河野氏が真犯人であるかのように印象付ける報道を続けた。
当時の報道の見出しは、こんな風だった。
「第一通報者宅を捜査 薬品数点を押収捜査本部」
「松本市の農薬中毒事件通報の会社員を聴取 薬品押収、20点余」
「会社員宅から薬品押収事情聴取へ」
「松本の有毒ガス、調合ミスで発生 長野県警が見方固める」
「松本の毒ガス死 薬品調合中に発生 会社員自宅で調合誤り」
「松本の有毒ガス事件 会社員宅で物証捜索続ける」
「何のための薬品混合? 自宅で処理化学反応 複数の薬品発生か」
「会社員宅から薬品押収 農薬調合に失敗か」
「雨の深夜、不審な調剤 深まるナゾ」
「素人の調合に危うさ 酸混入でガス」
「松本ガス事故 住宅街の庭で薬物実験!? 」
「第一通報者宅を捜索「薬品調合、間違えた」と救急隊に話す」
「納屋に薬品二十数点、以前から収集か 会社員を聴取へ」
「松本ガス中毒死「危険な隣人」の正体」

事件の真相が明らかになるまで、
河野宅には全国から一般人による
多くの誹謗中傷の手紙が送りつけられた。

「週刊新潮」は、
「毒ガス事件発生源の怪奇家系図」と題した記事で、
河野家の家系図を掲載した。
河野氏は「これが一番おかしい、先祖は関係ない」と語っている。
地下鉄サリン事件後も河野氏は週刊新潮のみ
刑事告訴を検討していたが、
謝罪文掲載の約束により取り下げた。
しかし、河野氏との約束は現在も果たされていない。
マスゴミは謝らない。

捜査当時の国家公安委員長であった野中広務は、
長野県警から推定有罪的で執拗な取り調べがあったことなど、
度を越していた河野氏に対する行為について直接謝罪。
マスメディア各社も報道被害を認めて各種媒体に謝罪文を掲載、
一部の関係者も直接出向いて陳謝した。
一方、長野県警は遺憾の意を表明したのみで
「謝罪というものではない」と公式な謝罪を行わなかった。
長野県警本部長が当時の捜査の誤りと
それに起因する河野氏の被害について謝罪したのは、
河野氏が長野県公安委員会委員に就任して以後のことであった。

1997年、
河野氏はアトランタで
リチャード・ジュエル氏と対談している。
                                           

もう一つの事件が
三億円事件(1968年12月10日)である。

捜査線上にのった幾多の捜査対象者の中にKさんがいた。
事件当時は25歳。
住まいや過去の運転手の仕事から
各現場の地理に精通していること、
血液型が脅迫状の切手と同じB型、
タイプライターを使う能力を持っていること、
友人に送った手紙が犯行声明文と文章心理が似ていること、
モンタージュ写真の男と酷似していることなどから
1万2千301人目の容疑者候補として浮上。
しかし、脅迫状の筆跡が異なっており、
金回りに変化がないことから、
警察は慎重に捜査をすることとしていた。

発生から1年後の
1969年12月12日、
「三億円事件に重要参考人 府中市の元運転手」と題した
毎日新聞朝刊社会面トップのスクープ記事によって、
Kさんの存在が日本中の知るところとなった。

朝刊が配達される前の12日朝6時過ぎ、
捜査員らはKさんの自宅を訪れ、任意同行を求めた。
名目こそ任意同行であったが、
Kさんは直後の8時から深夜1時頃まで、
食事の間も休みなく、事件についての取調べを受け続けた。

12日の夕刊は、毎日新聞のみならず各紙が、
匿名ではあったがKさんの容疑を大々的に報じた。
また、テレビとラジオも同じくこれを報道した。

各紙夕刊による集中報道は、
捜査方針に大きな影響を与えた。
Kさんを帰宅させれば証拠隠滅の恐れがあり、
過熱する報道陣に危害を受ける可能性もあった。
この状況下で、捜査陣はKさんの別件逮捕に踏み切った。

12日の23時半頃、
Kさんは2件の脅迫を容疑として逮捕された。

Kさんが逮捕された段階での13日朝刊で、
各紙はKさんの顔写真を載せたうえで実名報道へ切り替え、
さらに住所や職歴などについても詳しく報じた。

中でも毎日新聞は、1面トップ大見出しでKさんの逮捕を報じ、
「アリバイ成立たず核心には『覚えていない』」
「当日の日記、空欄」
などの見出しも掲げた。
社会面でも連載コラムを除いたすべての紙面でKさんのプライバシーを報じ、
「図々しい男」「ホラ吹き」「やりかねない男ですよ」「ずぼら」
などといった知人の声を掲載した。
そして、「灰色の男[K]の青春」との大見出しとともに、
Kさんの顔写真に白バイのヘルメットを合成し、
犯人のモンタージュと並べるという異常な紙面構成をとった。
逮捕の恐喝容疑については警察発表を十数行載せるのみであり、
別件逮捕の問題点を指摘する報道はほぼ皆無であった。

夕刊になっても各紙は、
「供述はいぜん二転、三転」
「次々くずれるアリバイ〔K〕」
「なぜウソをつく〔K〕、平然と忘れた、振り回された捜査陣」
などの見出しのもと、
Kさんを犯人視する報道を続けた。

ただ朝日新聞のみが、朝刊で
「犯行、時間的に無理か本部内にも白説」
「『犯人?バカバカしい』怒る父親」
といった見出しを掲げ、
別件逮捕問題にも言及するなど、抑制的な報道を維持した。

ところが、事件当日に就職面接を受けていた会社の
面接担当者からの連絡で
アリバイが証明され、完全なシロとして釈放された。
(Kさんは採用試験については、主張していたが、
Kさんの勘違いで別の会社名を言ったため、
捜査員の調べで、主張するような会社は存在せず、
かえって疑惑を深めていた。)

しかし、警察に容疑者として逮捕されたうえに、
新聞各社が犯人扱いで学歴、職歴、性格、
家庭環境まで事細かく暴露。
このため本人は職を失い、一家は離散。
警察から関係を事情聴取されたことによって
親しい友人も失い、兄弟の縁談も破談となった。
身内からは自殺未遂者も出し、
Kさんは唯一の味方であった
肉親からも白眼視されるようになった。
その後も真犯人の見つからない中で、
「三億円事件の容疑者として逮捕された」との世間の偏見と、
事件に関するコメントを執拗に求める
マスコミ関係者に悩まされ職を転々とした。

誤認逮捕から3か月後の1970年3月には、
銀座の宝石店「天賞堂」の社長を名乗る人物から
「人柄を見込まれて」養子縁組をされた。
しかしこの人物は会社の経営権を実子に奪われており、
Kさんの養子縁組もマスコミの注目を集める政争の具に過ぎなかった。
2年後、Kさんは投げ出される形で養子縁組を解消され、
その経過もまた逐一マスコミに報道された。

1971年1月にKさんは、
励ましの手紙を貰ったことで知り合った女性と結婚した。
しかし、子供を幼稚園にも通わせられず、
ポストには南京錠を幾つも付け、
昼間からカーテンを閉め切って過ごす日々であったという。
Kさんの妻はKさんが定職を得るまでの7年間
夫と3人の子供を養い、
新聞の配達員をしなければならない時期さえあった。
Kさんの妻は心労から3回の手術・入退院を繰り返し、
また夫妻の長男は小学校低学年の時、
有刺鉄線に頭を突っ込んで自殺を図っている。

1984年、
「アサヒ芸能」10月11日号の記事が
Kさん一家を取り上げ、
Kさんの顔写真や家の全景写真とともに
干した洗濯物の種類までを書き立てた。
「犯罪者たちの経歴」と題されたこの記事に、
Kさんは衝撃のあまり入院を余儀なくされた。
1986年4月、
夫妻はマスコミから子供たちを守るために離婚した。

河野さんと違うのは、
オウム真理教のサリン事件が明るみになったことにより、
疑いが完全に晴れたのに対し、
三億円事件はついに未解決のまま時効を迎え、
その結果、Kさんに対しては、
「三億円事件重要参考人」のレッテルが剥がれることがなかったのだ。

1987年2月、
Kさんと元妻は連名で、
朝日・読売・毎日・サンケイ・東京の5紙、
NHK・フジテレビ・日本テレビ・TBS・テレビ朝日・テレビ東京の6局、
そして共同通信に対し申入書を発送した。
その中で夫妻は、各社が保管するKの逮捕報道映像を
夫妻に無断で売買・貸与しないよう要望した。
そしてこれに対し、各社とも要望の実施を確約した。

続く同年9月にKさんの妻は、
事件記事の縮刷版からKさんのプライバシーについての報道を削除するよう、
前記5紙に対し要望を行った。
これに対してはまず朝日が、
国立国会図書館を始めとした全国の図書館約200館、
そして都道府県と主要都市の教育委員会へ
妻の意向を伝える文書を発送した。
読売と毎日も国会図書館へ依頼文を送り、
その結果、各紙縮刷版の1969年12月号には、
閲覧者に対して関係者の人権に配慮するよう求める
注意書きが添付されることとなった。
しかし、縮刷版からの削除はされなかった。

報道による二次被害と闘い続けたKさんの妻は、
この資料差止め要請が決着をみた直後の
1989年10月、クモ膜下出血により46歳で死去した。
その後、Kさんに奇妙な言動が増えるようになり、
精神科に入院した後は生活保護を受けて暮らすようになった。
2000年11月に、
Kさんは「旅に出ます」と書き残して自宅を離れ、
連絡がつかなくなった。

2008年9月、Kさんは沖縄県那覇市の民宿で、
包丁で自らの腹を刺した末に
5階から投身自殺した。
旅先から子供に時折届いた手紙には、
事件に巻き込まれた恨みが隙間なく綴られていたという。
その後、Kさんの遺骨は
妻の実家の、妻と同じ墓に葬られた。

一つの報道が一人の人間の人生を狂わせてしまったが、
毎日新聞の記者は、その後も記者を続けたという。
何度も言うが、マスゴミは決して謝らない。
そして、理屈をつけて正当化する。

この二つの事件は、
日本におけるメディアリンチ事件として、
記憶に留めなければならない。

         

映画『リチャード・ジュエル』  映画関係

[映画紹介]

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アトランタオリンピックの時に起こった
爆破テロを題材にした実録ドラマ。

1996年7月27日、
五輪会場近くの公園の音楽イベントで、
警備員のリチャード・ジュエルはベンチの下に爆発物を発見。
聴衆を避難させる途中で爆発し、
2人の死者と100人以上の負傷者を出す大惨事となった。
しかし、リチャードのおかげで
多くの人たちが爆発前に避難でき、
マスメディアは爆発物の第一発見者である
リチャードを英雄として持ち上げ、
母は息子を誇りに思った。

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しかし、FBIは違った。
爆弾犯のプロファイリングに合致することから、
リチャードに疑いの目を向け、
不法な尋問を行った。
[プロファイリング・・・
 過去の犯罪のデータベースを基に、
 犯人の動機や行動パターンを推理・分析し、
 犯人像を割り出す方法。]

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その上、捜査官が
特ダネを焦る記者に情報をもらしたため、
地元紙が
「FBIはリチャードが爆弾を仕掛けた可能性を疑っている」
と報じた。
一転して英雄は爆弾犯としてマスメディアの標的となり、
全米から疑いの目を向けられるようになる。

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FBIはリチャードの自宅に家宅捜索に入り、
あらいざらい(冷蔵庫のタッパも母親の下着も)持ち出してしまう。
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ジュエルはかつての職場で知り合った
弁護士ワトソン・ブライアントに連絡を取り、
ワトソンと共にこの理不尽な状況と対峙していくが・・・

という経過を実にていねいに描く。
FBIがリチャードに目を付けたのは、
かつて法執行者だった彼が
規則に厳格なあまり、悶着を起こしていたこと、
銃器収集家だったこと、
両親の離婚歴などがあるが、
何よりも注目点は容貌にあった。

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リチャードは太っており、
その結果、コンプレックスと孤独の固まりで、
世間の注目を浴びたくて爆弾事件を起こしたという
固定観念と先入観があったのだ。
それはマスメディアも同様だった。

弁護士もリチャードが犯人である可能性を捨てきれず、
何度も本人に確認、
爆弾設置現場から犯人がかけた公衆電話までの
徒歩時間からリチャードがやっていないと判断しながらも、
最後は、嘘発見器まで持ち出す。
その結果、診断者から「1パーセントの可能性もない」
と言われて、ほっとする有様。

特ダネをものにした女性記者は、
弁護士がしたと同じ方法で
爆弾設置現場から公衆電話までの経過時間から
リチャードはシロだと判定するが、
それで訂正記事を書くわけでもない。
リチャードの母の記者会見を聞いて涙を流しているにもかかわらず、
自分の非は認めない

捜査官も同じで、
「容疑対象から外す」という文書を届けながらも、
リチャードはクロだと断言する。

メディアと政府は誤りを認めない
それは、権威が崩れてしまうためだ。

FBIが一度目をつけたら、
犯人に仕立ててしまう恐ろしさ。
訓練と称してリチャードに署名させようとする卑怯さ。
メディアも恰好の餌食とばかりに
一人の男に襲いかかる。
その政府とメディアという二つの権力
立ち向かった一人の市井の人の記録だ。

監督はクリント・イーストウッド
40本目の作品。
今年90歳を迎えるクリントの創作意欲に敬服する。
ここのところ1年に1本、新作を発表している。
リチャードを演ずるのは、
脇役専門のポール・ウォルター・ハウザーが初主演。
かつて法執行官だったという誇りに捕らわれている一人の孤独な男を好演。
しかも、本人↓に似ている。

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どうして俺に弁護を頼んだ、というワトソンの問いかけに、
かつての職場でワトソンだけが
リチャードを馬鹿にせず、人間として扱ったくれた、
という言葉に彼の孤独が滲む。
なぜ怒らない、というワトソンの詰問に
「怒っているにきまっている」と怒りを爆発させる哀しみ。
アカデミー賞にノミネートされなかったのが不思議だ。

弁護士はサム・ロックウェル

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母親はキャシー・ベイツ

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記者会見の場面は素晴らしい演技を見せる。
アカデミー賞助演女優賞にノミネート

事件から7年後、
真犯人が逮捕され、
ジュエルの容疑は完全に晴れたが、
その4年後の2007年、糖尿病の合併症で死去。
44歳だった。

5段階評価の「4.5」

予告編は↓をクリック。

https://youtu.be/9J8OqAeAwic

拡大公開中。

日本でのメディアリンチ事件としては、
松本サリン事件三億円事件の報道がある。
その件は、明日。

タグ: 映画

ロサンゼルス旅行記Eユニヴァーサル・スタジオ(ロウアーロット)  旅行関係

ユニヴァーサル・スタジオ・ハリウッドは2層になっており、

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かなり長いエスカレーターで下に降ります。
今回は車椅子だったので、
エレベーターとシャトルバスを利用。

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ロウアーロットには、
3つのアトラクションがあります。

まず、その一つ、日本題で「ハムナプトラ」の乗り物。

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暗闇を疾走するジェットコースターなので、
荷物をロッカーに預けます。

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指紋認証を採用。

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動画を見たい方は、↓をクリック。

ハムナプトラ

ロウアーロットでは、車椅子の扱いが異なり、
↓のように時間指定。

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列が55分待ちの場合は、
40分後の時間が指定されます。
どこかで時間をすごして、
その時間に行けば、入れてくれます。
つまり、並ばなくて済む
かといって無条件に優先するのではなく、
他の人の待ち時間相当は待ってもらう。
これは理にかなった方式だと思いました。

次はトランスフォーマーの乗り物。

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乗り物に乗って移動し、
巨大スクリーンに映る映像を次々と観る。
水がかかったり、
火が出ると、熱気がかかる。
「スパイダーマン」と同じ趣向です。

動画を見たい方は、↓をクリック。

トランスフォーマー

すぐ前には、トランスフォーマーが登場。

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動画を見たい方は、↓をクリック。

ミート・トランスフォーマー

3つ目はジュラシック・ワールド

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以前あった「ジュラシック・パーク」の進化形。

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乗り物に乗って、水路を行きます。

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やがて建物に入り、

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恐竜たちの攻撃を受けた後、落下。

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動画を見たい方は、↓をクリック。

ジュラシック・ワールド

近くには恐竜たちも。

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二人入っているのでしょうか。

再びアッパーロットに戻って、

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ウォーキング・デッドに。

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徒歩のお化け屋敷で、
ところどころでゾンビが襲撃してきます。
行き過ぎた行為がないか、
客が反撃したりしないか、
係が見張っています。

最後は、もう一度ハリー・ポッターに。

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ステージではお嬢さんたちがダンス。

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男性のパフォーマンスも。

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車椅子を返しに行くと、

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電動椅子以外は完売でした。

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というわけで、

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再びウーバーでホテルに戻った後は、爆睡。

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明日のカウントダウンに備えます。


実録『ぼけますから、よろしくお願いします。』  書籍関係

[書籍紹介]

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人を食ったような題名だが、
これは、筆者のフリードキュメンタリー作家・
信友直子さんの母親が
実際に言った言葉。
2017年の1月1日、
午前0時に年が変わった瞬間、
「あけましておめでとう」という新年の挨拶の後に、
「今年はぼけますから、よろしくお願いします」
と言ったのだという。

実は、その挨拶以前に、
母親には、認知症の症状が出ていた。
そのぼけの進行状況を
信友さんはビデオカメラに収録し、
情報番組の特集で放送した。
更に、再編集して映画にし、
2018年には映画館で公開している。

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この本は、母親の認知症の進行状態と、
父親の母親への老老介護の様子、
更に、介護サービスの現状を見つめ、
テレビ、映画で公開した娘の
内面の葛藤をつづる記録なのだ。

父親は現在98歳、母親は90歳。
母親がアルツハイマー型認知症と診断されたのは、
2014年のことだった。
信友さんが母親について異常を感じたのは、
それより1年半ほど前のこと。
娘は映像制作の仕事で東京暮らし。
電話のやり取りと帰郷時の様子で
母親の症状を心配した信友さんが診断を勧め、
2度目の診断で認知症と分かった。

冒頭、信友さんは、このように書く。

認知症になった人は、
ぼけてしまったから
病気の自覚もないのでは?
と思われる方もいるかもしれませんが、
実は本人が一番苦しんでいます。
母をずっと側で見てきた私が言うのだから間違いありません。
自分がおかしくなってきたことは、
本人が一番わかっているのです。
昔、できていたことが
なぜできないのか。
自分はこれからどうなってしまうのか。
家族に迷惑をかけてしまうのではないか・・・
認知症の人の心の中は、
不安や絶望でいっぱいです。


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不安にとらわれた母は変わってしまう。
物事を否定的に捉え、
自分を拒絶する。
そういう母親を支えたのは、
8歳年上の父で、
このお父さんの描写がなかなか男らしい。

戦争のために自分のしたいことができなかった父は、
その無念さを一人娘に向け、
やりたいことをさせたという。

「わしはやりたいことが結局やれんかった。
それが無念で仕方がない。
娘にはそういう思いは絶対させとうない。
あんたは自分の好きなことをやりなさい」


と、娘が上京することも、
映像作家になることも支持した。

認知症が進む母親の姿を
ドキュメンタリーとして放送することに対しても、
両親は反対していない。
映画として公開することも容認する。
それは一点、
「直子に任せておけば、悪いようにはしない」
という母の信頼によるものだった。

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老老介護の現状は、
「夫婦引きこもり」同然だったが、
介護サービスを受けるようになって一変する。

このあたりは、私も認識を新たにした。
デイサービスと称して、
老人が集まって、ゲームなどするのはまっぴらだ、
と思っていたのが、
それには、ちゃんと理由があった。
実家の近くにある「包括支援センター」の
女性職員のひと言がそれだ。

「今のお母さんには、外に出て気分転換することか必要です」

老老介護で家にひきこもり、
外からの刺激がなくて、
内にこもる生活では、
本人の気持ちもふさぐ一方で、
認知症も進むというのだ。
                                        
「デイサービスは、
半日の間にいろんなメニューが組まれているんですよ。
お風呂に入りましょう、
次は折り紙をしましょう、
こんなゲームをしましょう、
とたくさんスタッフからの指示が出ます。
それをこなしていると、
私はおかしいんじゃないか、
なんてよけいなことを考える暇がなくなります」
そしてなによりいいのは、
みんなで体操をしたり、歌を歌ったりと、
様々なレクリェーションがあるので、
新しい交友関係ができたり
身体や脳にいろんな刺激を受けたりして
認知症が進みにくくなることです、と言われました。
「人と交流して、
適度な刺激のある生活をすること。
認知症を進ませないためには、
これがぜひとも必要です」


ヘルパーさんの来訪で人と交流する。
これも効果があるのだという。

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一度はひきこもり状態になった父と母が、
95歳と87歳という超高齢であっても、
片方は認知症であっても、
再び社会とつながって笑顔を取り戻すことができた──
この事実は、父にとっても私にとっても、
確かな自信と大きな喜びとなりました。


信友さん自身も、そのことで、

「親子三人で引きこもっていたころは、
私も相当鬱っぽくなっていたんだな」


と気づく。
そして、テレビに出た時、
共演した認知専門医のアドバイスのひと言。

「介護はプロとシェアしなさい」

どういう意味かというと、

他人にでできることは
介護のプロの方がうまいんだからプロに任せて、
家族は家族にしかできない、
本人に愛情をたっぷり注いであげることを
自分の本分と割り切りなさい、
ということです。


たとえば入浴介助は、
研修を受けているプロの方が、
コツをつかんでいるから家族よりはるかにうまい。
本人もうまい人にお風呂に入れてもらうと、
安心できるから気持ちいい。
家族がやると、おっかなびっくりだから、うまくいかない。

本人にとっても家族にとっても、
疲れるだけでいいことはひとつもありません。
こういうのはプロに任せた方がいい。
でも逆に「その人を愛してあげること」においては、
どんなカリスマヘルパーさんでも、
家族には絶対かないません。
本人も、ヘルパーさんにどんなによくしてもらっても、
それよりも家族にやさしく接してもらうことの方が断然嬉しい。


なるほどなあ、と思わせることが多い。

現在、母は、脳梗塞で入院中で、
父は毎日病院に行って母の手を握りながら、

「おっ母、早う帰ってこいよ。
おいしいコーヒー淹れちゃるけん、
また一緒に飲もうや」


と声をかけているという。

老いという、どうしようもない現実をつづりながら、
夫婦の愛情と親子の愛情を感ずる本だった。





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