1964年東京オリンピックの写真展  耳より情報

今日、昼過ぎ、有楽町へ出掛けると、
通り道の国際フォーラムで、

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写真展をしていました。

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1964年東京オリンピックの

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写真展

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てっきり撮影禁止と思ったら、
そうではなかったので、
いくつか写真を紹介。

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1964年と今の比較。

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平均寿命は男68歳女73歳が、今は男81歳女87歳。
GDPは当時29.5兆円が今は550兆円。
日経平均は当時1216円が今は2万円。
平均賃金は3万4200円が30万1千円。
中華そばは59円が573円。
ハガキは5円が今は63円。

変わらないものもあり、
バナナは1s228円が今は259円。
テレビは5万5500円(モノクロ16インチ)が
5万2695円(液晶32インチ)。

新幹線は東京オリンピックに合わせてスタート。

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国立競技場

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新国立競技場。

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日本武道館も、この時建設されました。

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ギリシャで聖火は太陽の光を集めて点火。

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開会式当日は、雨の予報が晴天に。

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この空に描かれた五輪マークは、
記憶に鮮烈に残りました。
私は高校の同級生の家の物干し台から見ました。
カミさんは名古屋に勤めていたので、見ていません。

入場式の日本選手団。

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古関裕而の「東京オリンピックマーチ」が聞こえるようです。

「東京オリンピックマーチ」を聞きたい方は、↓をクリック。

https://youtu.be/g0uRDANnEbU

100メートルのヒーローは、ヘイズ

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三宅選手は金メダル第1号。

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マラソンでゴールの後、
アベベは柔軟体操。
余裕でした。

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円谷は2着でスタンド入りし、
その後、ヒートリーに抜かれて銅メダルに。
でも、メインスタジアムに
日の丸が翻りました。

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体操男子は団体金メダル。

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遠藤は金メダル3つ。

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女子体操のチャフラフスカ

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この後、選手の若年化が進みます。

柔道無差別級では、
オランダのヘーシンクに負けました。
この体の差を見よ。

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バレーボール決勝では、
町が閑散としました。

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棒高跳び決勝は深夜まで続きました。

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外国選手が銀座でパチンコ。
帰国して、
「日本では町中でカジノをやっている」と言ったかどうか。

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閉会式は、選手が団子状になって入場。

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長島茂雄の奥さんは、元五輪のコンパニオン。

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1964年10月、
報知新聞社の「ON五輪をゆく」という企画で
コンパニオン数人と対談をした際に、
その中の一人西村亜希子に一目ぼれ。
翌年結婚。

この写真展は明日まで

写真集はAmazonで買えます。
1100円。

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日本のイノベーションD  様々な話題

久しぶりに日本のイノベーション、をお届けします。

電子式卓上計算機

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計算器具は、かつてそろばんや計算尺が代表的なものであった。
しかし、それらに熟達するにはかなりの修練を必要とした。

今日の電卓は、これを誰でもできる簡便な機器としたが、
それは小型化軽量化多機能化高機能化という
技術開発の歴史を経て誕生してきたものである。

電子式計算機が急速に開発されたのは1960年代になってからである。
1964年3月、早川電機工業(現シャープ)が、
まずCS-10Aという
演算素子にトランジスタを使った計算機の開発を発表し、
6月に販売した。
これが世界初のトランジスタを使用して作られ販売された電卓とされる。

一方、ほぼ同時期にキヤノンカメラ、ソニー、大井電気(いずれも当時)の3社も
相次いでトランジスタ使用の電卓製品を発表し、
東京晴海のビジネスショーなどに出展した。

翌年以降になると、更にカシオや東芝、日本計算機販売など
大手企業から中小企業まで多くの企業による参入が始まり、
激しい競争が繰り広げられるところとなった。

この時期は集積回路(IC)の開花期であり、
これがもっとも大量に活用されたのがこの電卓分野においてであった。

小型軽量化と低価格化を目指した各社の激しい競争は、
トランジスタからIC(Integrated Circuit:集積回路)、
さらにLSI(Large Scale Integration :大規模集積回路)の採用によって
次々と新たな製品を生み出していった。
IC利用の先陣を切ったのはシャープで
1966年には28個のIC使用の計算機を発売し、
さらに1969年には、
世界で最初のLSI使用電卓の開発にも成功している。

LSI使用電卓は各社の競争を一層激化させ、
その中で1972年にカシオが発売した「カシオミニ」は、
驚異的な低価格とサイズの小ささから、
多くの企業の撤退を促すほどの衝撃を与えるとともに、
それまでオフィス需要が中心だった電卓を
個人家庭にも普及させる画期的な商品となった。

多くの企業が撤退する中でシャープは、
1973年液晶を使用した電卓を開発し、
また新たな歴史を切り開いた。
その後の電卓業界はシャープとカシオの
二強の時代を迎えることとなった。

電卓の生産量は、
1965年の4000台から
1985年にはピークの8600万台を記録した。

電卓はその旺盛な需要から半導体や液晶といった
電子・電気産業の発展にも大きな影響を与えた。


クォーツ腕時計

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クオーツ腕時計とは、
水晶に電圧を加えた際に発生する振動を利用した
水晶(クオーツ)振動子を
基幹部品とした腕時計である。

1969年にセイコーが世界で初めて発売したクオーツ腕時計は、
時計産業に発生した非連続なイノベーションであった。

従来の機械式腕時計よりも部品点数が少なく、
生産工程の自動化により適していた。
機械式腕時計が100個以上の部品からなるのに対して、
クオーツ腕時計の部品点数は50個から80個程度であり、
後に開発されたデジタル表示式のクオーツ腕時計では
それが40個程度にまで減少した。
部品加工の工程数も少なくなり、作りやすいものとなった。

このイノベーションにより腕時計産業は、
熟練職人による手工業から大量生産システムへと移行し、
時計の価格は多くの人が手に入れることができるほど安価になり、
高級品であった時計は、
誰もが持つことのできる日常品へと変貌したのである。

クオーツ腕時計は消費者の利便性も向上させた。
なによりもまず、
機械式腕時計よりも正確に時を刻むことができた。
1960年代の機械式腕時計は1日の計測誤差が
上位機種でも10秒から30秒ほどあった。
これに対して、
クオーツ腕時計の誤差は0.2秒から0.5秒程度であった。
また、機械式腕時計は衝撃によって壊れやすかったり、
定期的なメンテナンスが必要であったりという欠点があったが、
クオーツ腕時計はより扱いやすいものであった。
画期的新技術であるクオーツ腕時計の誕生は、
こうして、時計産業を一変させるイノベーションとなった。

日本国内の腕時計の生産量の推移を確認すると、
クオーツの量産が始まった1972年頃には
年間生産量が2400万個であったのに対して、
1981年には約1億個、1986年には約2億個と急拡大を遂げた。

国内のみならず、世界の時計産業の様相も大きく変化した。
日本でも米国でもエレクトロニクス・メーカーが
デジタル表示式クオーツ腕時計の製造に参入した。
香港や中国では、日本などからムーブメントを輸入し、
安価な労働力を活用した時計組立て産業が興った。

このようにクオーツ化した腕時計のマーケットが拡大することによって、
要素技術も進歩した。
CMOS-IC や液晶ディスプレイ等の要素技術にとって、
クオーツ腕時計は初期の主要な用途先であり、
腕時計の生産拡大に伴って
それら要素技術の蓄積が進められてきた。
これらの要素技術は電卓等にも応用され、
その後の日本エレクトロニクス産業の基盤技術の一つとなった。

                                           ○ラップトップ・ノートパソコン

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パーソナルコンピューター(以下「PC」)は、
その発達とともに「場所を選ばずに使いたい」という
人々のニーズに合わせて小型軽量化が追及されてきた。

1980年代半ば頃、
デスクトップに遜色ない
キーボード等入力装置とディスプレイを備え、
さらにバッテリーとディスプレイを
内側に二つ折りにする形態を持つことで
可搬性を有したラップトップコンピュータが出現した。
1985年、東芝が開発したPC「T1100 」は
モノクロ液晶ディスプレイを搭載し、
当時米国の標準であったIBMパソコンとの互換性を有し
重量は4.1kg のラップトップPCを実現した。
さらに、1989年に東芝が発売した「Dynabook J3100SS」は、
薄型バックライト液晶ディスプレイを搭載し、
A4サイズで厚さ44mm、重さは2.7kg と画期的な小型軽量で、
しかも20万円を切る価格となった。

同年、セイコーエプソンや日本電気(以下「NEC」)も
ほぼ同スペックの製品を発表し、
ラップトップを超えるノートパソコンと呼ばれる新たなジャンルが、
日本企業によって確立されることとなった。

さらに日本企業は、高度な機構設計力
実装技術力及び部品製造力を駆使して、
ノートPCのサイズにデスクトップPC並みの機能を
組み込むための開発をリードしていった。

日本のものづくりの技術が集約されたノートPCは、
1990年代前半、
急速にコモディティ化・低価格化するデスクトップPCに対して、
日本PCメーカーの収益源であり続けた。
2000年にはノートPCの売上げはデスクトップPCを上回り、
PCの主流はノートPCとなった。

近年は、ノートPCもその市場はスマートフォンや
タブレットによって代替されるようになってきた。
しかし、ノートPCの技術無くしてはこれらの登場は無かった。


デジタルカメラ

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電子スチルカメラは、レンズを通して入った光を
イメージセンサー(撮像素子)により
アナログ電気信号に変換して記録・出力するカメラである。
このうち撮像素子からの電気信号を
アナログ・デジタル変換器でデジタル化し、
画像処理エンジンにより画像データとして記録するのが
デジタルカメラである。

1990年代に登場したデジタルカメラは、
その後急速にフイルムカメラに代替し、
デジタル家電の中の重要なもののひとつとなった。

電子スチルカメラの開発は1970年代に始まり、
80年代には我が国企業により
アナログ電子スチルカメラとして実用化されたが、
高価で同時期に市場に投入されたビデオムービーカメラとの競合もあって
市場形成には至らなかった。
こうした状況から、参入企業の中には
その開発体制を縮小するものもあったが、
画像記録の「化学から電気」の流れを信じる企業の技術者たちは、
デジタル化による新たな展開を目指していた。

そのなかで、デジタルカメラの市場形成の引き金となったのが、
1995年にカシオ計算機が発売した
民生用デジタルカメラ「QV -10」である。
QV -10は、それまでの電子スチルカメラの最大の課題であった
低価格化を実現するとともに、
液晶モニターを標準装備し、
撮影した画像をその場で確認することを可能とし、
また、同じ年に発売された
マイクロソフト・ウインドウズ95搭載のパソコンとの
接続を可能としたことから、
爆発的ヒット商品となった。

これをきっかけにデジタルカメラ市場が立ち上がると、
光学機器メーカー、フィルムメーカー、
家電メーカーなどが次々にこの市場に参入し、
激しい市場競争を展開し、
デジタルカメラの性能及び機能が飛躍的に改善・強化されていった。

更にパソコンのマルチメディア化や
インターネットサービスの低料金化・高速化が急速に進んだことも
デジタルカメラ市場の成長を加速した。

1999年に509万台であったデジタルカメラの出荷台数は、
10年後の2008年には1億1976万台にまで増加した。
この過程で、2002年にはフイルムカメラの出荷台数を上回り、
カメラ市場の主役が交代した。
我が国のデジタルカメラは世界市場でも圧倒的強さを示しており、
現在でも90%近くのシェアを維持しており、
更にデジタル一眼レフカメラについては100%近くが
日本ブランドとされる。

デジタルカメラは、第二次世界大戦後に
世界のフイルムカメラ市場をけん引した
日本の光学機器業界、フィルム業界、
半導体業界及び家電業界の技術力、
ブランド力と新たなビジネスモデルにより構築された
イノベーションである。


『「韓国大破滅」入門』  書籍関係

[書籍紹介]

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経済評論家・渡邉哲也による反韓本。
感情的な反韓本ではなく、
幅広いテータに基づく冷静な分析で、
信頼度は高い。

目次は、次のとおり。
ただし、◎のついた項目は、
多数につき、抜粋。

プロローグ 自滅の道を歩みはじめた韓国

◎日韓対立から米韓対立へ
◎アメリカを否定しはじめた韓国
◎司令塔を失うサムスンは韓国没落の象徴

第1章 なぜ韓国はいま大暴走を繰り返すのか

◎韓国のGSOMIA破棄が意味すること
◎コレグジットへ向かう韓国
◎韓国の半導体産業に迫る危機
◎韓国がさらなる格下げになる可能性
◎韓国のWTO提訴はまったく意味ナシ
◎韓国および日本のメディアの異常な対応
◎善意の忠告を拒否しつづけた韓国の末路
◎韓国経済を支えた日本への裏切り

第2章 自ら地獄へ向かう韓国経済の行方

◎日本製品不買運動による壮大なブーメラン
◎破綻したアシアナ、非常にヤバい大韓航空
◎仁川国際空港のハブ機能が崩壊する可能性
◎韓国の対抗措置は日本に影響なし
◎ウォン暴落で国家破綻の危機
◎文在寅政権の失政で若者失業率は10%近く
◎韓国からイランへ禁制品が流れた疑惑
◎UAEを激怒させた韓国

第3章 アメリカは韓国を切り捨てると決めた

◎中国潰しに専念するアメリカ
◎中国にすり寄る韓国への怒り
◎見せしめのために潰される韓国
◎いずれ韓国は中国への輸出を禁じられる
◎韓国をサプライチェーンから外したアメリカ
◎ECRAやFIRRMA同様の規制が韓国を襲う
◎戦時作戦統制権の返還で在韓米軍は韓国から撤退

第4章 韓国への反撃で歴史戦に勝つ日本

◎「新・河野談話」の衝撃
◎旧・河野談話が招いた大弊害
◎トランプ訪韓を反日に利用した文在寅
◎多くの日本人が知らない徴用工問題の本質
◎約束を守れない韓国
◎日韓基本条約は日本に不利な条件だった

第5章 文在寅が韓国を消滅させる日

◎日本の「戦略的放置」で自壊した韓国
◎レーダー照射事件と韓国「瀬取り」疑惑
◎文在寅大統領が経済制裁対象者になる日
◎「南北『平和経済』で日本を凌駕」は妄想
◎米朝両国から邪魔者扱い
◎北朝鮮は統一を望んでいない
◎「反共の壁」にすらならなくなった韓国
◎日本は韓国動乱に備えよ

目次と項目を見ると、
大体内容は想像が付くと思うが、
体系的に分析されているので、分かりやすい。
その結果分かるのは、
今の文在寅政権の迷走ぶりの過酷さ
ほとんど支離滅裂で、
文在寅は頭が悪いのではないか、
を通り越して、
気が狂っているのではないか、とさえ思えて来る。

それでも支持率が40パーセント以上あるのだから、
韓国人の頭も狂っているとしか思えない。

韓国の暴走の行き着く所は、
第3章の、アメリカによる放擲だが、
そうなった時、一体韓国人はどうするのだろうか。
中国にすり寄って属国になる道を易々と選ぶのだろうか。
今までの韓国の繁栄は、
アメリカと同盟を結んで西側に留まっていたからであって、
中国側に入り込めば、
今の香港と同じ運命を辿るということが分からないのだろうか。

そういう「狂った国」なのだから、
今の安倍政権の「戦略的無視」は正しい。
狂人と付き合う人はいないからだ。
徴用工裁判の対応策として、
あの国会議長が妙な議案を提出しているが、
あんなものに乗っかれば、
日本側が貪られ、
あげくの果てに約束が破られるのだから、
相手にしてはいけない。

慰安婦合意の破棄は、
高い授業料だったが、
日本は確実に学んだのだ。

背景にある米中対立について、渡邉氏は、次のように書く。

米中対立の本質は貿易や経済の問題ではなく、
人権、自由、民主主義などをめぐる
文明の衝突である。
共産党一党独裁国家が
国際ルールを無視して技術を盗み、
経済力を背景に世界覇権に挑戦してきているわけだ。


そういう意味で、米中対立の表面だけを見ていてはいけないことが分かる。

アメリカや日本などの資本主義陣営が
中国の国家資本主義に対抗するための
タイムリミットは迫りつつあった。
だからこそ、アメリカは2018年から2019年にかけて、
一気に強硬策に打って出ているわけだ。
そこに、この問題の本質があり、
つまりはカネの話ではないのである。


こう思うと、
トランプが頼もしく見えて来る。

この本が出版されたのは、今年の9月30日なので、
GSOMIAの破棄が前提となっている。
つまり、GSOMIAの破棄で
韓国が中国側に付くことを表明するという立場で、次のように書く。

アメリカとしては、
中国側についた国の末路がどうなるかということを
世界中に見せつける必要があるのだ。
言い換えれば、今後は日米が連動して
“韓国潰し”に動くということになるだろう。


すれすれの所で韓国は踏みとどまったが、
文政権の流れは、そういう方向に向かっていくので、
そうなった時が楽しみである。

日韓の問題においても、驚くべきことが書いてある。
あの1965年の日韓基本条約だが、
その内容が2005年まで
韓国では非公開だったというのだ。
あの時、日本は韓国の年間予算の2倍以上の金額を支援した。
また、その中には徴用工の個人賠償金も含まれていた。
しかし、非公開では、韓国人は知らないのだから、
慰安婦や徴用工の賠償を蒸し返して来るはずである。

国家間の条約は、
相互の国会での批准で成立する。
それを非公開というのはにわかには信じがたいことなので、
調べてみると、
Wikipedia には、
「2005年1月17日、韓国において、
韓国側の基本条約、及び、付随協約の議事録の一部が公開された」
という記述が見られる。
「韓国側の議事録が公開されると、
日本と韓国間の個人賠償請求について
当該諸条約の本文に「完全かつ最終的に解決した」と
『1945年8月15日以前に生じた
いかなる請求権も主張もすることができないものとする。』
の文言が明記されている事が
韓国国内に広く知られるようになった」
とも書かれている。
つまり、日韓基本条約の内容を積極的に国民に周知させようという努力を
韓国政府は(意図的に)していなかったのだ。
これでは、日本の経済援助で「漢江の奇跡」と言われる
経済発展がなされた、という認識はないといえる。
韓国政府は日本の援助をもらった、
ということを国民には知らしめなかったのだ。
なんとアンフェアな政府なのだろう。

徴用工裁判で差し押さえられた日本企業の株券や商標権が
現金化されれば、
日本は韓国に正式に制裁を課すことが出来る。
その方策として、渡邉氏は、次のようなことを提案する。

韓国の国策銀行といえる韓国産業銀行、中小企業銀行、
韓国輸出入銀行の経営は火の車となっており、
輸出にともなう信用状の発行などは
日本の銀行の運用枠で成立している状態だ。
仮にこの信用状を撤廃すれば、
韓国は外貨調達や輸出を大きく制限されることになり、
貿易依存度が高い韓国経済は
急激に悪化する可能性がある。
日本の金融庁が韓国関連の債券や保証に対する評価の
リスク係数を引き上げるだけで、
韓国の債券やウォンの暴落を招くことになるのだ。


このように、韓国経済は日本に依存しているのに、
そのことへの感謝の気持ちさえない。
そして、不買運動に狂奔する。
このことも韓国国民は知らされていなのだろう。

北朝鮮の体制だが、
今のままではなく、
やがては絶対王政から立憲君主制への移行が考えられる、
その際は、天皇を国民統合の象徴とした
戦後の日本がモデルケースになる、
という記述は、ほう、と思わせるものだった。

驚いたのは、金正恩は南北統一を望んでいない、という点だ。

南北間の交流が盛んになりヒトやモノの移動が自由化されれば、
北朝鮮に民主化の動きが生まれる可能性が高いからだ。
言うまでもなく、
それは現体制の崩壊につながる。


また、こうも書く。

金正恩にとって必要なものは、
金政権の安定と繁栄であり、
南北の統一ではない。
歴代の韓国大統領の末路は死または長期の拘留でしかない。
北朝鮮はこれを熟知しており、
韓国のカネは欲しいが、
統一は望んでいないと思われる。


私は長いこと、
すり寄って来る文在寅を
なぜ金正恩が冷たくあしらうのかと不思議だったが、
なるほど、文の言うとおり南北統一などしたら、
それは北の体制崩壊につながるのだから、
余計なことをするな、ということかもしれない。

在韓米軍の撤回が現実的になりそうだが、
その場合、韓国軍は機能しないだろうと言う。
それは、これまで米軍に頼りきりで、
実際に自分たちで軍を統率した経験がないからだと。

つまり、韓国は完全に陸の孤島になるということだ。
だから北朝鮮の一部にならざるをえないのだが、
北朝鮮のほうから拒否されそうである。
なぜなら、金正恩体制にとって、
ろうそくデモで政権を打倒した経験のある韓国人など
危険で仕方ないからだ。


かといって、中国が乗り出して北と南をまとめることもなかろうという。
中国にとっても、半島はやっかいな存在だからだ。

というわけで、どこにも行けず、
迷路に入ったような韓国。
狂った大統領を40パーセント以上が支持する、
狂った国民。

この国が正気に戻るまで、
日本は関わりを断った方がいい、
というのが、読んだ後の感想だった。

なお、韓国の外貨準備高は4014億8千ドル(訳3兆円)。
うち92%が有価証券。
米国債は1100億ドル前後で、
残り2600億ドル分がどの様な債券で保有されているかが非公表。
これがジャンク債などで運用しているとなると、
換金性が低いことになる。
(日本の外貨準備高は1兆3227ドルで、
うち米国債が約1兆1220億ドルと、換金性が高い。)
ウォン安の下支えで保有外貨を使っていると、
また1997年のような破綻が来るかもしれない。


「スター・ウォーズ」と私  映画関係

今日、「スター・ウォーズ」のエピソード9、
「完結編」が公開された。

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午前中の第1回上映に行こうかと思っていたら、
深夜0時から上映開始と聞き、
深夜上映はちょっと無理、と敬遠、
どうせ初回を観れないなら、と午後1時の回にした。
そしたら、「前夜祭」で19日の午後6時30分からの上映があるという。
何だかわけが分からなくなった。

「スター・ウォーズ」の第1作(エピソード4)がアメリカで公開されたのは、
1977年5月25日。

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なんだかとんでもない映画がアメリカで大ヒットしている、
という噂が聞こえて来た。
丁度アメリカ旅行中の人が観て来て、
「すごい、すごい」というので、
期待が高まった。
しかし、日本で公開されたのは、
翌年の1978年7月1日。(6月24日に先行上映)
日本の観客は、
この世界的映画を1年間も待ちぼうけを食らったのだ。

「未知との遭遇」のアメリカ公開が1977年の11月16日で、
「スター・ウォーズ」の後なのに、
日本では先に公開。(1978年2月25日)
(私はテアトル東京で観た)
その4カ月後に「スター・ウォーズ」が公開されたわけだが、
当時は、「未知との遭遇」の方が評価が高かった。
その年の「キネマ旬報」ベスト・テンでは、
「未知との遭遇」が5位に対して、
「スター・ウォーズ」は9位だった。

「スター・ウォーズ」の公開が遅れている間に、
そのおこぼれのように、
東宝が「惑星大戦争」を製作して公開。
実は、「惑星大戦争」というタイトルは、
「スター・ウォーズ」の邦題になる予定だったもの。
しかし、ジョージ・ルーカスが
「全世界で『スター・ウォーズ』にタイトルを統一させる」
との意向から却下され、
東宝作品に流用されたものだ。
よかったね、世界中で「スター・ウォーズ」と言っている時に、
日本だけ「惑星大戦争」ではシャレにならない。

その第1作は、日劇で観た。
当時は指定席制でも入れ替え制でもなかったから、
前回が終る間際に中に入り、良い席確保に備えた。
丁度、ラストの戦勝祝賀のシーンで、
掃除婦のおばさんが、
マーク・ハミルの大写しを観て、
「この子が写ると終わりだよ」
と話していたのを覚えている。

当時は、まだ、6部作の4番目の作品などとは言われていなかった。
「A New Hope(新たなる希望)」という副題もついてはいなかった。
公式に付けられたのは、1980年の
「スター・ウォーズ エピソード5 帝国の逆襲」公開前の
リバイバル上映からで、
オープニングの題名に加えられるようになったのはVHS版から。
こうして、3部作が始まった。

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「帝国の逆襲」「エピソード6 ジェダイの帰還」(1983)は、
テアトル東京のシネラマ用スクリーンで観た。

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その後、発売されたVHDで観て、
後にCGが追加されたリバイバルでまた観る。
ボックスのDVDが発売されると、また購入する。

3部作が完結した、
と思われた16年後、
4〜6の“前日談”として、
1〜3が始まった。
ジョージ・ルーカスの中では、
最初から1〜3があったらしい。

この1〜3は、全部アメリカで観た。
というのは、当時、アメリカ公開の後、
日本公開まで1カ月半ほどのタイムラグがあり、
早く観たくてたまらず、訪米という手段を取ったのだ。
特に「エピソード1 ファントム・メナス」(1999)は再開の喜びにあふれ、
ハリウッドのチャイニーズ・シアターの満員の客席で観た。
滞在中、3回も観てしまった。

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2と3はニューヨークで観た。
「エピソード2 クローンの攻撃」(2002)は、シリーズ初の恋愛モノで、
劇中に流れる「愛のテーマ」が素晴らしかった。

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1〜3は、
アナキン・スカイウォーカーがどうしてダース・ベイダーになったか、
という一本の柱があり、
「エピソード3 シスの復讐」(2005)の最後で
双子が生まれ、その一人(ルーク)が辺境の星に預けられると、
「つながった、つながった」と歓喜したものだった。

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ただ、1〜3はCGの進歩によって、
CG満載のイメージがあり、
4〜6の手作り感とは、ちょっと違う画面作りになっていた。

6部作は完結、と思っていたら、
ディズニーが権利を買って、
続きを製作するという。

それで公開されたのが「エピソード7 フォースの覚醒」(2015)。

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日米同時公開だから、もうアメリカまで行く必要はなくなったが、
それでも人より早く観たいという衝動は抑え切れず、
また、「聖地」日劇で観たいという願望もあって、
12月18日の6時30分の初回上映の
チケットオープンの際は、アクセスしても繋がらず、
ようやく、キャンセルで、娘の分とで2席を確保。
前方のやや左寄りだったが、
それでも世界で最初に観るという喜びはあふれた。
日米同時公開では、時差の関係で、
アメリカより日本の方が早く観られるのだ。

その時の様子は↓をクリック。

シリーズ再開の夜

「フォースの覚醒」の紹介ブログは、↓をクリック。

「フォースの覚醒」

その2年後、、「エピソード8 最後のジェダイ」(2017)公開。

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「最後のジェダイ」

そして、本日、
42年越しの完結編「エピソード9 スカイウォーカーの夜明け」を鑑賞。
もう日劇はないので、
「マイ・シアター」の舞浜のシネマ・イクスピアリで。

新3部作は、
ルークやレイアやハン・ソロの次の世代の話であることは明白だったので、
レイやカイロ・レンの出自が「9」で明かされる。
少しでもほのめかすと、
これから観る人の邪魔になるので、
書かないが、
「予想に反した」とだけ書いておこう。
もし、映画紹介をするとすれば、
ある程度浸透してから、後日。

こんなに長期にわたり、
愛され、続いたシリーズも珍しいので、
映画史に残る出来事といえよう。

タグ: 映画

小説『世界を救う100歳老人』  書籍関係

[書籍紹介]

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スウェーデンのメディアで活躍後、
作家になったヨナス・ヨナソン
10年前に刊行し、15カ国で1500万部のベストセラーとなった
「窓から逃げた100歳老人」の続編。

前作は2度の世界大戦があった20世紀を、
トルーマンやチャーチル、スターリン、金日成ら、
数多い世界的指導者と出会って、
時代の生き証人となったアラン・エマヌエル・カールソンの足跡を
ハチャメチャに描いたが、
今回も実名で登場する政治家たちを
オチョクリ倒す。

前作の最後で大金を入手した
100歳のスウェーデン人のアランは、
親友で66歳のユーリウス・ヨンソンと
インドネシアのバリ島のホテルで贅沢三昧の生活を送っていた。

101歳の誕生日にユーリウスが用意した熱気球が
思いがけずインド洋に不時着。
二人は北朝鮮の船に救助されるが、
それはコンゴから流出した濃縮ウランを密輸入する船だった。
核開発の課題を解決する手段を知っている、との
核兵器専門家をよそおうアランの嘘話に金正恩が乗ったために、
二人はそのまま北朝鮮に行く羽目に。

金正恩をけむに巻いた後、
スウェーデンの外務大臣及び国連安全保障理事会特使である
マルゴット・ヴァルストロームに救出されて、アメリカへ。
しかも、濃縮ウランまで盗みだしていた。
ウランの預け先にと会ったトランプ米大統領に失望し、
濃縮ウランはメルケル独首相に委ね、
外交官扱いでスウェーデンに帰国。
その時には一文なしになっていた。

それを救ったのが、サビーヌ・ヨンソンなる59歳の老婦人で、
ユーリウスと同姓のよしみでねんごろになった二人は、
棺桶製造会社を起こして成功。
しかし、プーチン露大統領の支援のナチグループの一人に
ある手違いから命を狙われるはめになる。
その手を逃れて、タンザニアに潜入した3人は・・・

というわけで、前作よりも
ずっと小振りだが、
世界の火種の筆頭、北朝鮮の核問題という、
世界の安全に関わる点で、
重要な役割を担うことになる。

今回のアランは、
インドネシアで与えられたタブレットに夢中となり、
世界のニュースを眺めることに生き甲斐を見出している。

トランプ金正恩プーチンメルケルも実名で登場。
もちろん笑いの爆弾でからかいまくる。
この人だけは創作かな、と思った
スウェーデンの女性政治家、マルゴット・ヴァルストローム外相まで
実在の人物だと知って驚いた。
よく許可したものだ。
(許可は取っていないと思われる)

ユーリウス・ヨンソンの原産国偽装アスパラガスが
最後まで引いて笑わせる。
バリ島の仲間に送ったソッセージでソウルのドイツ人外交官が
勝手な解釈をするのもおかしい。
また、マルメの町で、
ある人物とある人物が遭遇するシーンも笑わせる。
ところどころ吹き出すような部分があり、
イギリスのEU離脱もちゃんと扱っているが、
もっと広く拡大し、前作なみに
世界を股にかけての話になってくれるかと思ったら、
意外に小さく終ってしまったのが残念。

前作の書評は、↓をクリック。

「窓から逃げた100歳老人」

前作を映画化した「100歳の華麗なる冒険」については、↓をクリック。

「100歳の華麗なる冒険」






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