小説とエッセイ『図書室』  書籍関係

[書籍紹介]

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社会学者の岸政彦による小説+エッセイ。
岸氏は芥川賞候補になったこともある。

表題作「図書室」は、
ある中年女性の子供時代の思い出を描く。
二人暮らしをしていた水商売の母を15歳の時亡くし、
親戚に預けられ、
大阪で自立して、短大に通い、
法律事務所に勤め、
一度だけ男と付き合うが、結婚はせず、同棲し、別れ、
今は一人暮らし。
そんな彼女が日々思い出すのは、
放課後に過ごす公民館の図書館での出来事。

いつも寝ている窓口のおばちゃんと、
テーブルで新聞を読みながら寝ている老人たちの
向こうの椅子でいつも会う男の子。
同い年で、別の小学校に通う男の子との不思議な交わり。
太陽がいつか爆発するというその子の話に魅せられ、
感染症で人類が途絶えた後、
その子と二人だけ残った世界を夢想するうち、
二人でその世界に迷い込んでしまう。
スーパーで缶詰を沢山買い込み、
みんな死んじゃったんだなあ、と涙をこぼし、
淀川の河川敷にある防災用具倉庫にもぐり込み、
地球上他に誰もいない世界を体感する。
想像は更に進み、
二人で女の子をもうけ、つばめと名付ける。
やがて発見され、小屋から退出する時、
振り返ると、そこにはつばめがいて、
笑いながら手を振っている。

その後、男の子は引っ越して、別れも告げずにいなくなる。

大人になった主人公は様々な経験をした後、
一人暮らしに戻り、
ある時、あの河川敷を訪れる。
もうないと思っていた倉庫はまだ建っていた。
主人公は、私たちの娘は、まだ中にいるだろうか、と思う。

といった話を淡々と、
子供二人の会話でつなぐ。
子供の想像の中での滅亡した地球。
不思議な味わいの小説。
三島賞候補になった。
「新潮」2018年12月号に掲載。

単行本化のために書き下ろされた「給水塔」は、
著者自身の大阪の町での体験を綴る。

独学でウッドベースを始め、
トリオを組んで演奏していた大学時代。
大学院の入試に落ちて、行き場をなくし、
遺跡発掘現場と建築現場の日雇いを続け、
東京から来た男と知り合い、別れ、
結婚し、空き巣に遇い、大学に職を得る、
というような話を「好きな大阪」を軸に語られる。

これもちょっと不思議な味わい

ビルやマンションを建てようとした時、
地面から遺跡が出ると、
工事をストップして、発掘作業をしなければならない、
その間の経費は施主持ち、
などという興味深い話もある。
そういえば、ローマで地下鉄を掘ると、
しょっちゅう、遺跡にぶち当たり、
工事が中断された、という話を聞いたことがある。
この本での遺跡は、
大阪夏の陣と冬の陣の際に
焼け野原になった時の炭の層、
などというのも面白かった。
そういう場所なんだね、大阪って。

経済的に安定して、
20年ぶりにベースを再開しようとした時の
世の中の様変わりも興味深い。
どう様変わりしていたかというと、
著者の時代は、
週に3回も演奏すれば月10万円になった。
しかし、その固定ギャラから出来高制になり、
せいぜい、1回演奏して千円の時代を経て、
更に、逆に金を取られる時代になったというのだ。

ジャズに限らず、
いまという時代は、
自己表現をしたい人はたくさんいるけど、
ひとのそれを聞きたい、見たいというひとはほとんどいない。
結局どうなっているかというと、
関西のジャズの店で生き残っているところは、
その多くがジャムセッションで金を稼ぐようになっている。
つまり、客ではなく、
演奏する側から金を取っているのである。
普段のライブの日はガラガラで、
セッションのときになると人前で演奏したがる
私のようなおっさんで満席になる、
というのが、いまの関西の普通の光景だ。


そして、こう続ける。

しかし考えてみると、
たとえば演歌という世界もすでに何十年も前から、
歌手が客から金を取るのではなく、
カラオケ教室を開いて発表会をすることで
そこで歌いたいひとから金を取るようになっている。
もっと考えると、
そもそも民謡や日舞の伝統芸能の世界は、
はじめから客ではてく弟子から金を集めるようになっている。
文化というものはもともと「やりたい奴から金を取る」のが
当たり前だったのかもしれない。
戦後のアメリカ的な大衆文化のコピーとしての
「客から金を取るシステム」の方が、
歴史的に見れば例外的な状況だったのかもしれないのだ。


なるほど。

著者は関西大学出身で、
そこでの雰囲気を次のように書いている。

あの、誰でもない、何も持ってない、何もできない、
ただ時間がけがある感覚が、
決してそこに帰りたくはないが、懐かしい。
(中略)
賑やかな関大前という街には、なにかこう、
疎開地のような、バザールのような、
治外法権のような、
人を躁病のようにする雰囲気があった。
なにか、人とちがうことをしてもよい、
好きなことだけをしてもよい、
嫌なことはしなくてもよい、
そうやって人をそそのかす空気があった。
この「土地の精霊」のおかげで、
せっかく関大に入ったのに、
徹底的にダメな人間になってしまうやつもたくさんいた。
私も当然そのうちのひとりだろう。
私は関大という、
どうしようもなく世俗的な大学と、
その周りの世俗的な街を気に入っていた。


昔、大学の構内にあった学生寮に入った友人が、
「ここの寮食(寮の食堂)には、
人を怠け者にする薬が入っているのではないか」
と言っていたのを思い出す。
それまで勤勉に勉強してきたのに、
寮に入った途端に、
寝坊で授業は休むし、時間にルーズになり、
部屋で麻雀三昧の生活を嘆いていた。
多分、環境がそうさせるので、
周囲が留年者だらけの中では、
そうなる恐れがあると思った。

著者が犬を飼った経験も、大変胸に刺さった。

私はこどものときに犬を飼っていて、
その犬ととても仲が良かった。
私たちは心から愛しあっていたと思う。
私は彼女から、生きているものの体温とか、
匂いとか、感情とか、世話することの面倒くささとか、
そういうものがどれくらい大切なものかを教えてもらった。
それは自分の人生に何も利益をもたらさない、
何の役にも立たないものだが、
私は彼女の存在を通じて、
この世界にはなにか温かいもの、うれしいもの、
楽しいもの、好きなものが
どこかに存在するのだということを教わった。


その他、著者が人と交わる時、
ちょっとしたゆきずりの人にも
人生があり、内面があり、歴史がある、
と感じるところもなかなか良かった。





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