アメリカ旅行記・後編Eアーリントンと硫黄島記念碑  旅行関係

アメリカ9日目の午後は、
地下鉄に乗って、

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アーリントン・セメタリーへ。

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ポトマック川をはさんで、
モールの反対側にあります。
自転車のステーションが少ないようなので、
地下鉄にしました。

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地上へのエスカレーターに乗ると、

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ここに出ます。

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屋根もなく、
雨の日、駅はどうなるのでしょう。

ここは、既にヴァージニア州

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少し歩くと、
アーリントン国立墓地の入り口に。

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ウェルカムセンター。

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ラッパ手が迎えます。

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歩いてもいいのですが、
とてつもなく広いので、
このトロリーに乗ります。
料金は15ドル。シニア11ドル。

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ガイドの解説付き。

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見渡す限り、墓石、墓石。

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昔、名古屋で平和公園という、
墓石だらけの公園を見たことがありますが、

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それよりはるかに規模が大きい。

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アーリントン墓地は、
アメリカ合衆国の国立墓地および、
戦没者慰霊施設。

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広さは3平方キロメートルで、
建墓数は約30万基

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1864年に、南北戦争の戦没者のための墓地として、
南軍のロバート・E・リー将軍の住居周辺の土地に築かれたもの。
その後、第一次世界大戦、第二次世界大戦、
朝鮮戦争、ベトナム戦争、
湾岸戦争、イラク・アフガニスタン戦争等の戦没者が祀られ、
現在でも戦没者やテロ犠牲者などの
アメリカ合衆国のために尽くした人物が葬られています。

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これだけ数が多いと、
「私の祖先の墓はどこにあるのでしょう」
と遺族が問い合わせるのではないかと思いますが、

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各墓石には識別番号が刻印されており、
インフォメーションセンターの端末で
氏名や認識番号を入力すると
墓石の位置を確認できるサービスがあります。

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政教分離の観点から無宗教施設と説明されることがあるものの、
正確にはあらゆる宗教・宗派、宗旨(無宗教も可)による埋葬を
許容しており、
特定の宗教形式を押し付けず、
「信仰の自由」を保障することで
多様な宗教性を受け入れています。

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毎年約6900もの人が葬られており、
申し込みが多いため、
現在は公務中に殉職した人、
テロなどの犠牲者、軍歴20年以上の人に限られています。
平日は約28回の葬儀が行われ、
埋葬費用は国の負担です。

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ただし、埋葬後に「埋葬に足る要件を満たしていない」ことが
発覚した場合、墓が撤去された上、
遺体が遺族に返還されることがあります。

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ここは、ジョン・F・ケネディ大統領の墓所

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この火は「永遠の炎」と呼ばれ、消えることがありません。

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そこから出ると、トロリーの乗り場を見失い、
結果として歩くことに。
あの11ドルは、どこへ行った。

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こういう標識を頼りに、

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辿り着いた、このスタジアムの裏に

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無名戦士の墓があります。

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身元が確認されないままに亡くなった兵士を
祀る共同墓所。

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その前では兵士が警護しています。

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特別に訓練された陸軍第3歩兵隊の衛兵。

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雨の日も風の日も24時間警護されています。

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衛兵はライフルを手に
墓前を21歩で往復。

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1歩を1秒で踏み締める歩みで、
21秒ごとに方向転換します。

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21という数字は、
国際的儀典礼式で「敬意」を表わしているといいます。

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交替式が始まると、
観衆も起立します。

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各国の元首や首相は、
外国を公式訪問する際には
その国の無名戦士の墓を訪問し献花するのが通例となっており、
アメリカ合衆国を訪問した要人は
この墓地に献花することが多いです。

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よく日本の千鳥ケ淵戦没者墓苑と同等視されますが、
千鳥ケ淵墓苑が政府派遣遺骨収集隊によって集骨された遺骨の内、
引き取り手のないものや、
氏名のわからない遺骨を納めた「納骨堂」であるのに対し、
この無名戦士の墓は
各戦役で名前のわからない戦没戦士の遺体を一体だけ選び、
その遺体を全無名戦士の遺体の代表として祀っています。

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トロリーを捕まえました。

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再び沢山の墓石を見ながら、帰還。

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標準の墓石に比べ、大きい墓も。

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どういう違いがあるのでしょう。

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こんな建物も。

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これはウェルカムセンターにあった、冬の写真。

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秋は秋のおもむきが。

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その後、硫黄島記念碑に向かいます。
国立墓地の中にあるかと思えば、そうではなく、
係に尋ねると、
「ほら、今、バスが入った道があるでしょう?
あそこから道なりに行けば、
15分位で着くわよ」
と親切に教えてくれて、
そのとおりに歩きました。

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国立墓地の脇を通る感じ。

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やがて、道の先に

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現れました。

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正式には、「合衆国海兵隊記念碑」と称し、

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アメリカ海兵隊の戦没者を追悼する記念碑。

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太平洋戦争の末期、
硫黄島(正式には「いおうとう」。アメリカ軍は「いおうじま」と)
の戦いでのアメリカ海兵隊の星条旗掲揚の写真を元に作成され、
碑の元となった写真があまりにも有名であるため、
「硫黄島記念碑」とも呼ばれますが、
この碑はあくまでも海兵隊の戦没者を記念するものであって、
硫黄島の占領といった個別のできごとを
記念するものではありません。

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硫黄島は、日本軍の栗林忠道陸軍大将率いる小笠原兵団によって
要塞化されていた台形の火山島で、
日本軍2万1千人に対して、
アメリカ軍は6万1千人が上陸。

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日本軍は硫黄島防衛のため、
半地下式の掩蔽壕とトーチカをつくり、
それらを結ぶ地下トンネルを掘削。
このためアメリカ軍が手榴弾や火炎放射器で
トーチカ内の日本兵を倒しても、
トンネルを通りまた新しい兵が入ってきて抵抗を続けるという
パターンが繰り返されました。

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「5日で陥ちる」という米軍の予想に反して、
戦闘は約1カ月間続き、
日本軍は守備兵力2万933名のうち2万129名が戦死。
アメリカ軍は戦死6千821名、
戦傷2万1千865名の損害を受けました。
硫黄島の戦いは、
太平洋戦争後期の島嶼防衛戦において、
アメリカ軍地上部隊の損害が日本軍の損害を上回った
稀有な戦闘であったと同時に、
アメリカが第二次世界大戦で
最も人的損害を被った戦闘の一つとなりました。

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硫黄島で戦った日本兵の目的は
「少しでも本土決戦を遅らせるため」であり、
硫黄島での日本兵の徹底抗戦のすさまじさを見たアメリカ軍は、
もし、本土決戦になった場合、
日本側の抵抗でアメリカ軍が甚大な被害をこうむるだろうと
震撼したということです。

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正面のパネルには、
この像の元となった写真が掲示されています。

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ちょっと彫刻と違うのは、
芸術家の創作。

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この写真「硫黄島の星条旗」は、
1945年2月23日にジョー・ローゼンタールによって
硫黄島で撮影された報道写真。
5人のアメリカ海兵隊員と1人のアメリカ海軍兵が
硫黄島の摺鉢山の頂上に星条旗を立てる姿を撮影したもので、
史上もっとも有名な報道写真の一つ。

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実は、この写真は、
正確には、2度目の掲揚の様子で、
その前に、一度星条旗の掲揚が行われていました。
その模様をロイス・ロウェリー軍曹が撮影しています。↓

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しかし、この旗は小さかったので
海岸付近からは見ることができなかったため、
もっと大きな星条旗を調達して掲揚したのが、
この写真のもの。

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ローゼンタールは他の従軍カメラマン2名と一緒に
頂上を目指して登っていましたが、
途中で最初の星条旗掲揚を撮影しておりてきた
ロイス・ロウェリーと出会います。
掲揚が済んだと聞いた3人は
いったん下りようかと思いますが、
ロウェリーから
頂上は写真をとるのにいい場所だと聞いたため
上がっていくことにします。
そこでローゼンタールらは、
2度目の星条旗を立てていた
海兵隊員たちに出会います。
旗のポールとして日本軍の水道管が使われ、
ローゼンタールたちが頂上につくと海兵隊員が
旗を水道管にゆわえたところでした。
ローゼンタールはすばやくカメラを取り出して
岩の上にカメラを固定しようとしますが、
カメラを構える前に星条旗が掲げられているのを見た
ローゼンタールは
とっさにカメラを旗に向け、
ファインダーをのぞかずにシャッターを切ったのが、
あの有名な写真だったのです。
まことに、「奇跡の1枚」でした。

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写真撮影後、ローゼンタールは
フィルムを現像するためグアムへ送ります。
グアムで現像された写真を見たAP通信のジョン・ボドキンは
「これは歴史的な一枚だぞ!」と思わず叫び、
即座にニューヨークのAP通信本社へ電送。
AP通信によってアメリカの多くの新聞にこの写真が載りますが、
撮影から印刷までわずか18時間半というのは
当時としては驚異的なスピードでした。

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6人の兵士のうち3人が戦闘で死亡、
3人の生き残りの海兵隊員たちは
全米を戦時国債徴収のキャンペーンでまわることになります。
彼らは英雄として各地で大歓迎を受けました。

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そのあたりの経緯は、
クリント・イーストウッド監督の
映画「父親たちの星条旗」(2006)に描かれています。

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ローゼンタールの「硫黄島の星条旗」は
1945年度のピューリッツァー賞 写真部門を受賞。

記念切手にもなりました。

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1951年、彫刻家のフェリックス・ド・ウェルドン
海兵隊記念碑として、
ローゼンタールの写真をもとにした彫像の制作に着手。
生還した3人の兵士たちはウェルドンのためにポーズをとり、
戦死した3人に関しては写真をもとに頭部を制作。

1954年11月10日に除幕。
像のみの高さは約10m。
旗竿を含む高さは約20m。

戦争への気持ちは置いておいても、
見事な彫刻です。

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46年前にワシントンを訪れた時、
この像を見たと思っていましたが、
これほど巨大なものと、今回驚いたほどですから、
おそらく前回は見ていないのだろうと思います。

様々、胸に去来するものを秘めて、
硫黄島記念碑を後にしました。

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帰りは、メトロ・センターから駅を一つ進んで、
中華街へ。

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どこへ行ってもあります。中華街。

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この店に入りました。

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結構繁盛しています。

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メニューも立派。

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醤油はキッコーマン。

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食べたのは、牛肉麺と小籠包。

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こんなに皮の厚い、まずい小籠包を食べたのは初めてです。
アメリカ人は、こんなひどい中華料理を食べさせられて、
気の毒です。

その後、この映画館に。

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ニューヨークで行った映画館と同じ系列なので、
椅子はビジネスクラス。

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観たのは、この映画。

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評判の前作の続編ですが、
看板に偽りあり、で
水面下47メートルではなく、
埋没した水中遺跡に
サメと一緒に紛れ込みます。
抜け出す機会はいくらでもあったのに、
抜け出さない、マヌケな展開。
予算は沢山ついたのに、
前作を越えられませんでした。





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