天皇と王と皇帝と継承と  様々な話題

「即位礼正殿の儀」が行われ、
日本の国の有りように心を馳せる日々だが、
最近、
「天皇はなぜ『(キング)』ではなく『皇帝(エンペラー)』なのか」
という記事が「現代ビジネス」に掲載(宇山卓栄氏による)されたので、
その内容を要約してみよう。

○現在、世界には27の君主国があり、
 王(King)はいるものの、
 「皇帝(Emperor) 」と呼ばれる人物は天皇陛下ただ一人である。
○「皇帝」の称号を最初に使ったのは、秦の始皇帝だった。
○皇帝は各地の「王」の上にあり、
 中国の王は皇帝によって領土を与えられた
 地方の諸侯に過ぎなかった。
○中国皇帝は日本の天皇に対し、
 一地方の臣下という意味で、「倭王」の称号を授けていた。
○7世紀、中国に対する臣従を意味する「王」の称号を避け、
 「天皇」という新しい君主号を作り出した。
○608年、聖徳太子が中国の隋の皇帝・煬帝に送った国書で
 「東天皇敬白西皇帝(東の天皇が敬いて西の皇帝に白す) 」
 と記し、史書の中で、
 「天皇」の称号使用が確認される最初の例とされている。
○7世紀後半の第40代天武天皇の時代には、
 「天皇」の称号が一般的に使われるようになり、
 孫の文武天皇の時代の702年に公布された大宝律令で、
 「天皇」の称号の使用が法的に定められた。

○以上のような経緯の上で、
 世界の人々は、いつ天皇を「キング」ではなく、
 「エンペラー」と呼んだか。
○江戸時代に来日した「出島の三学者」の一人で、
 シーボルトよりも約140年前に来日した
 ドイツ人医師のエンゲルベルト・ケンペルは、
 2年間、日本に滞在して、帰国後、「日本誌」を著し、
 この中で、天皇を「皇帝」(エンペラー)と書いている。
○「日本誌」が普及したことで、
 天皇が「皇帝」と呼ばれることがヨーロッパで定着した。
○天皇が大日本帝国 (the Japanese Empire)の
 君主であったことから、
 「エンペラー」と呼ばれたという説があるが、
 それは誤解で、明治22年の大日本帝国憲法発布時よりも、
 ずっと前に、天皇は欧米人によって、
 「エンペラー」と呼ばれていた。

○世界に唯一残るエンペラーとしての天皇は
 世界史の中で見てはじめて、その奇跡を理解することができる。
○ヨーロッパでは、フランス革命などで、人々が君主を殺した。
 中国でも、コロコロと王朝が変わった。
 ところが日本の歴史は有史以来、
 天皇家の王朝一本で、変わることなく、
 今日まで続いている。
 これは世界史における奇跡だ。

(なお、韓国メディアは「天皇」という言葉を使わず、
 徹底して「日王」(イルワン)という
 韓国製の呼称を使い続けている。
 つまり、中国が臣下を「王」と呼んだことを踏襲し、
 「王」より一つ上の存在とは認めたくないのだ。
 ただし、韓国政府は、国際的な慣例に従い、
 公式に天皇陛下を「天皇(チョンファン)」と表現している)

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続いて、JBpressに掲載された
「天皇の『継承』制度、世界の中でいかに特殊なのか」
という記事。(佐藤けんいち氏によよるもの)

○天皇のことを英語で "Emperor"と言うことに
 日本人が違和感を感ずるのは、
 近代以前もさることながら、
 近代以降であっても、
 天皇が実際の権力をもっていないからで、
 皇帝を意味するエンペラーとはニュアンスが違うのではないか、
 と思う人も少なくない。
○神を祀り、祈る存在としての性格、
 言い換えれば祭司としての性格があり、
 天皇本来の役割としては、こちらのほうが重要である。
○天皇は、すでに古代において、
 摂関政治のもと世俗の権力から遠ざけられ、
 権威のみの存在となっていた。
○徳川幕府成立以降の近世においても、
 天皇の権限は形式的に征夷大将軍を任命する存在にとどまり、
 世俗の権力を持つことはなかった。
○天皇の権威を復活させようとしたのは、
 江戸時代後期の光格天皇からである。
○明治憲法においては「立憲君主制」で
 「神聖にして不可侵」とされたが、
 実際の権力からは遠ざけられており、
 この点については近代以前とは変わりはなかった。
 あくまでも権威としてのみ存在し続けてきた。

○何度も断絶の危機を迎えたものの、
 きわめて長期にわたって生き延びてきたのが
 天皇という制度であり、天皇家である。
 今上天皇(= 徳仁親王)で公式には第126代とされ、
 世界最古といっていい。
○長く続いてきた制度には、天皇以外の代表例として、
 カトリック教会のローマ教皇(266代目)、
 チベット仏教のダライ・ラマ(14代目)をあげることができる。
○ローマ教皇は、カトリック教会の精神的指導者であると同時に、
 主権国家のバチカン市国の元首でもある。
 カトリック教会は、世界最古の巨大官僚組織であり、
 ローマ教皇はそのトップに立つ。
 ローマ教皇は、権威と権力を併せ持つ存在である。
 この点は、日本の天皇とは違う。
○ダライ・ラマ法王は、
 チベット仏教のゲルク派(=黄帽派)の最高位の称号で、
 実質的にチベット仏教の最高の精神的指導者である。
 観音菩薩の化身とされているので、
 神を祀る祭司ではない。
 この点は、天皇ともローマ教皇とも異なる。

○カリスマは一代限りである。
 カリスマそのものを継承することはきわめて困難である。
 その継承のために、継承の仕組みを作り上げることによって、
 制度として確立してきた。
 しかし、「継承」という点においては、
 天皇とローマ教皇、ダライ・ラマには顕著な違いがある。

○天皇は「世襲」である。
 それも男系相続である。
 天皇が直接後継者の指名を行うわけではないが、
 皇太子を立てるという形で後継者が定められてきた。
 この点は、世界中の王制に共通するものであるが、
 制度安定のための仕組みが内包されているわけである。
男系という原則が崩れたことはない。
 養子縁組によって「家制度」の維持を図ることが
 当たり前のように行われてきた日本社会だが、
 こと皇室に関しては例外は存在しない。

○ローマ教皇は、「選挙」によって選出される。
 カトリック教会においては司祭は男子に限定され、
 しかも生涯独身を貫く。
 このため、世襲による承継はあり得ない。
 しかも、後継者の指名は許されない。
○ダライ・ラマは「転生」、
 すなわち死後に別の人間として生まれ変わって
 継承されることになっている。
 従って、ダライ・ラマには「世襲」も「選挙」も、
 ましてや「生前退位」もありえない。
 ダライ・ラマも僧侶であるので、
 継承者となるのは男子のみである。
 しかも、戒律を守り、生涯独身を貫くことになる。

○天皇の権威や影響力が日本列島を越えて広がることはない。
○この点は、同じ島国の英国の国王(女王)が、
 日本の天皇に似ているかもしれない。
○ただし、天皇が神を祀る祭司であると同時に
 神の子孫でもある点は、英国国王(女王)とは異なる。
 天皇家の祖先神は天照大神(あまてらすおおみかみ)とされているが、
 現在の英国王室の祖先は神ではない。
 これは根本的な違いである。

○以上、天皇とローマ教皇、ダライ・ラマ、
 そして英国国王(女王)と比較を試みてみたが、
 それぞれ共通する点もあれば、
 まったく異なる点もあることが分かる。

○とはいえ、長くつづいてきた制度というものはすべて、
 外部環境の変化に対応してみずからを変革してきたからこそ、
 生き延びてきたのである。
 天皇のあり方も時代の変化とともに
 変革すべきことは変革すべきであるが、
 また一方では絶対に変えてはいけないものもある。
○「即位礼正殿の儀」が行われる時、
 日本国民として奉祝するのはもちろんのこと、
 天皇のあり方について、いろいろな角度から、
 あれこれ考える機会にしていただきたい。





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