我が家の防災対策  身辺雑記

「史上最大級の台風が来る」

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というので、
その備えをしました。

団地の管理組合からの
「ベランダに物を置かないように」
という指示に従い、
まず、ベランダにあったゴミ箱を玄関に。

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そして、ベランダの植木を全部娘の部屋に。

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娘はこの間、海外逃亡中
金曜日の夜にソウルに飛んで、
土日でミュージカルを2本観た後、
台風の過ぎた日曜夜に戻るという、
見事に台風を避けた行動。

こうして、ベランダには物がなくなりました。

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そして、窓には養生テープを。

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小心者のカミさんが、
ワイドショーの「窓ガラスが割れる恐れ」という
脅しに乗せられて、
市内の店に養生テープの存在を問い合わせても、
どこにもなく、
結局、同じマンションの友人から分けてもらいました

それで、内側に貼る予定のダンボールは用無しに。

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廊下側は、これ又マンションの友人から分けてもらった
ヨシズを張ります。

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そして、台風の来るのを待ちます。

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日本列島を覆う雨雲。

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携帯電話には、行政からの緊急メールが入ります。

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浦安市だけでなく、

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隣の市川市や江戸川区からも入ります。

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やがて、台風襲来。

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まさに、直撃

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この台風、進行方向西の方が雨風共に強かったらしく、

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東側だった浦安は、15号↓の時より弱い感じ。

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日にちが変る頃には、

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雨も上がってしまいました。

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しかし、多くの川で氾濫が起こったといいます。
私の故郷の狩野川まで氾濫。
昭和33年、
私が上京した直後に狩野川台風が襲来。
もしかしたら、あの時、私は死んでいたかもしれません。
運命は分かりませんね。

いつも台風の後には、
きれいな夕焼けが出ます。

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さて、↓のようなチラシが入っていました。

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市の主催。
なぜ市がこういう行事をやるかというと、
↓の駅の看板を見ても分かるように、

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浦安市は、ラグビーワールドカップの
公認チームキャンプ地なのです。

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それで、このようなイベントを開催。

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先着280名で、
試合開始の1時間前(6時45分)から整理券を配布、というので、
その1時間前の5時45分に
配布場所である新浦安駅前に出掛けました。
1時間待つ覚悟で、
本と、暗くなった時、音楽を聴くためにiPodも持ち、
折り畳みの椅子と共に、万全の態勢です。

しかし、配布場所と思われる場所に来ても、
誰もいません。

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普通、1時間前くらいには準備をしているだろう、
と不思議に思いつつ、キョロキョロしていると、

こんなところに、何か貼ってあります。

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えっ、中止
だって、試合はするって、朝発表があったのに。

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家に戻ってホームページを調べると、

「10月13日は、
台風19号の接近に伴い、
試合実施または中止の判断にかかわらず、
ラグビーワールドカップ2019 パブリックビューイングのイベントは
中止とさせていただきます。
あらかじめご了承ください」
と書いてあります。
「試合実施または中止の判断にかかわらず
って何だよ。
つまり、行政は先に
「12・13は休み」と決めてしまったのです。
その証拠に、晴れたにもかかわらず、
本来やっている図書館も休みでした。

普通なら、試合が開催されることが決まれば、
実行するものでしょう。
13日は深夜から晴れ渡っていた。
なのに、天気にかかわらず、中止。
開催するための最大限の努力をしない。
民間ならそうするでしょうに。

言い訳さえ立てば、
あっさり職務を放棄する。
「市民ファースト」じゃない。
お役人の悪いところが出てしまったようです。


小説『火の粉』  書籍関係

[書籍紹介]

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雫井脩介の第4作。
2003年2月10日発売。

裁判官の梶間勲は、
裁判官としての行く末に疑問を感じ、
大学からの教員の誘いに応じるつもりでいた。

その最後の裁判は、
一家惨殺事件で、
夫婦二人を金属バットで撲殺し、
息子をネクタイで絞殺したというもの。
犯人の竹内真伍は一旦は罪を認めたものの、
公判で供述をひるがえし、
自白は検察によって強要されたものだと主張。
事件は覆面をして侵入して来た男によって実行されたもので、
竹内自身も金属バットで背中を殴打され、気を失っている。
犯人の竹内は有罪なら死刑の可能性がある。

しかし、梶間は無罪判決を言い渡す。
竹内の背中の打撲痕が、
自分自身で打ちつけてつけるには重篤であり、
竹内を犯人とするには、合理的な疑いがあるからだった。
また、夫婦と竹内は仲の良い友人であり、
貸借関係もなく、
動機もなかった。

検察は控訴するが、一審の判決を支持、
上告は断念し、
竹内の無罪は確定した。

梶間は退官して大学教授となり、2年の歳月が流れた。
オープンキャンパスの梶間の講義の聴衆の中に
竹内の顔を見出した梶間は、
ゼミに竹内を招待する。
冤罪についての実例を話してもらうためだ。
竹内の話は、検察による自白の誘導と強要を実感的に語り、
学生の評判はよかった。

それからしばらくして、
梶間の隣家の空き家に竹内が引っ越してきた。
偶然だと竹内は言い、手作りのバウムクーヘンや
大量の各地の名産品を持って挨拶にきた。
梶間家は夫婦と梶間の母親、
息子夫婦の俊郎と雪見と孫娘の6人暮らし。
武内は姑の介護に身も心も疲れ果てている
梶間の妻・尋恵に代わって
梶間家で介護を手伝ったりしながら、
次第に梶間家の日常に入り込んでくる。

やがて、姑は食べたものを喉につまらせて死ぬ。
また、雪見の周辺でも、
不可解なことが起こり始める。

ある日、雪見は記者を名乗る男から、
武内は危険だという警告を受ける。
やがてその正体が記者ではなく、
武内が無罪判決を下された事件の
被害者遺族・池本亨であることが分かる。
池本は事件の犯人は竹内だと言い張る。
事件前の状況が今の武内と梶間家の状況と
似ているものを感じた雪見は
危機感をつのらせる。

梶間が下した判決は本当に正しかったのか?
武内は本当に殺していないのか?
梶間家と親しくする真意は何なのか。

梶間は竹内の古い友人に会い、
竹内の性格を聞く。
それは、梶間に疑いを抱かせるものだった。
しかし、それは同時に、
梶間の下した判決を否定するものとなる。
梶間は、殺人者を世に放ってしまったのか?
梶間の苦悩は深まっていく・・・

実に面白い
ページをめくる手ももどかしく、
夜中の3時過ぎまで一気読み。
普通の一家に隣人が次第に侵入してくる不気味さ。
そして、竹内の性格が明らかになるあたりから
加速度的に面白くなり、
最後は怒濤の展開。

背後に裁判官と判決を巡る問題があり、
梶間が真相に近づけば近づくほど、
梶間の裁判官としての存在そのものにかかわり、
火の粉が自分の家族にかかってくる。
その緊迫感がたまらない。

こんな面白い原作をテレビが放っておくわけもなく、
2005年2月にテレビ朝日の土曜ワイド劇場で放送。
出演は原沙知絵、嶋尾康史、愛川欽也、朝丘雪路、村田雄浩ら。
2016年には東海テレビで連続ドラマ化
出演はユースケ・サンタマリア、優香、朝加真由美ら。
観てみたかった。


映画『蜂蜜と遠雷』  映画関係

[映画紹介]

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私は映画を採点する時、
どうしても評価が甘くなるジャンルが二つある。
一つはタイムスリップもの。
時間と空間を交錯させるという、
まさしく映画的な題材で、興奮度が上がってしまう。
そして、もう一つは音楽モノ
特にクラシックが題材だと、それだけで点が甘くなる。

ところが、ここへ来て、
「パリに見出されたピアニスト」と
「レディ・マエストロ」という2本の駄作に遭遇。
どちらも主人公に共感出来ず、
どうしてこういう設定にしたのかと首をかしげた。
「パリに〜」は練習をしないピアニストで、
コンテストから遁走し、
ようやく演奏する気になって、会場まで走って駆けつけ、
(息が切れて演奏どころではあるまい)
既にピアノに座った代役を押し退けて演奏する。
しかも、ぶっつけ本番という描写。
コンチェルトでオケ合わせをしないことなどあり得ない。

「レディ・マエストロ」は、
指揮者志望のコンサート会場の案内係(主人公)が
演奏を聴きたいあまり通路に立ち尽くし、
同僚にうながされて退出するものの、
ついには、通路の最前列に折りたたみ椅子を持ち込んで、
楽譜を広げる始末。
また、無料演奏会が終った後、
指揮者のところに行って、
演奏の間違いを指摘する、というイヤミなことをする。
このように、立場をわきまえず、強引で自己中心な人物に
好感を持てというのが無理だ。
まして、技術と人格が左右する
指揮者がつとまるはずがない。

この二つの映画は、
たとえ音楽が素材でも、
とても良い点数はつけることができなかった。

で、「蜜蜂と遠雷」だが、
国際ピアノコンクールを舞台に、
ピアニストたちの葛藤と成長を描く、
恩田陸の直木賞・本屋大賞ダブル受賞の作品。

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文字の間から音楽が立ち上る小説で、
「映画化は至難のわざ」と言われたものだ。
映画化の話を聞いた時、
「本気かよ」と心配した。
なにしろ、原作者をして
「映画化の話があった時は、
なんという無謀な人たちだろうと
ほとんど内心あきれていた」

と言わしめたほど。

しかし、仕上がりは、満足できるものとなった。
いや、傑作の部類に入る。

舞台は、そのコンクールの優勝者が
後に有名なコンクールで優勝するというジンクスで
最近注目度が高まる芳ヶ江国際ピアノコンクール。
1次予選、2次予選、本選への過程を(原作では予選は3次まである)
ていねいに描く。
100人以上の応募者の中から、次の4人に焦点を当てる。
天才少女と呼ばれ、母親を亡くした重圧から
コンサートの舞台から逃げ出した過去を持つ栄伝亜夜、

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その幼馴染みで、ジュリアード音楽院で優秀な成績をおさめている
マサル・カルロス・レヴィ・アナトール、

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年齢制限ぎりぎりの社会人で「生活者の音楽」を標榜する高島明石、

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ヨーロッパを父親と蜜蜂の飼育で放浪しながら、
その才能を見出した有名ピアニストの推薦で出場した
天産肌の風間塵。

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その4人の人物の背景と交流を手際よく描かれる。
原作から省いたところはあるが、
2時間の制限ではよく省略したと言える。

どの人物からも音楽への愛情があふれ、胸が熱くなる。
音楽という「宇宙の果てに消えてしまう」芸術に
生涯を賭ける人々の姿は胸を打つ。
特に、モーツァルトの「レクイエム」の場面では
涙がこぼれそうになった。

また、亜夜と塵が夜の工房で、月を見上げながら、
ドビュッシーの「月の光」が「ペーパームーン」になり、
ベートーベンの「月光」に変わっていくシーンは楽しい。
4人の間の葛藤や妨害などという方向には行かず、
お互いの賞賛と尊敬が描かれるのは気持ちいい。

天才たちのなせるわざで、
出場者の一人が
亜夜に向けて
「あなたが姿を消していた7年の間、
私は死ぬほど練習をした。
その結果がこれ。(落選)
フェアじゃない」
と言うが、天才と凡人の違いだから仕方ない。
また、審査委員長が言う、
「コンサート・ピアニストになれる人はまれ。
後はピアノ教師になるか、
趣味にするか、
音楽から離れる」
という言葉も厳しい。
まあ、これはどんな分野にでも言えることだが。

「文字から音が聴こえてくる」と形容された原作だが、
そこは映画の強み、
音楽が力を加えてイメージは具体的になる。
俳優はエアーでしか演じられないが、
編集で上手につなげた。

原作のテイストを壊さず
音楽を味方につけて、
見事に映画化した傑作が生まれた。

ただ、審査員に私語させたり、
食べ物を食べさせたりの描写は?がつく。
また、ラスト近くの亜夜の回想シーンは長すぎる。
亜夜とマサルの、亜夜の母親を介しての子供時代の交流、
塵の父親と一緒の欧州での蜜蜂を追っての放浪生活の描写は、
短くてもいいから必要だったのではないか。
そうでないと題名の意味が分からない。

出演者は総じて好演だが、
亜夜を演じた松岡茉優は、
笑顔になるまで、松岡茉優とは気づかなかったほど、
鬱屈を抱えた傷つきやすい女性像を演じきる。
マサル役の森崎ウィンは、
「レディプレーヤー1」では未知数だったが、
味のあるしっかりした演技で感心した。
    
監督は「愚行録」の石川慶

5段階評価の4.5

予告編は↓をクリック。

https://youtu.be/yVtuPYjfz3I

拡大上映中。

原作本の本ブログでの紹介は、↓をクリック。

原作本「蜜蜂と遠雷」

タグ: 映画

アメリカ旅行記・後編A航空宇宙博物館  旅行関係

ホテル・ハーリントンの1階には、
レストランが併設されており、

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宿泊客でなくても、
朝食バイキングを食べることができます。

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中の様子。

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こんな感じの何の変哲もない朝ごはん。

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さて、今日は博物館巡り。

ホテルのすぐ近くには、ナショナル・モールという一角があり、

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ワシントンDCの中心部に位置する国立公園。
ポトマック川沿いのリンカーン記念堂と
アメリカ合衆国議会議事堂の間に広がる
一直線の緑地を呼ぶのが通例。
(公式には、もう少し広い)
北は憲法(Constisution)と南は独立(Independence)の
二つの大通りに挟まれ、
中心からやや西にずれる場所にワシントン記念塔があり、
その西側には、様々な記念館
東側には沢山のスミソニアン博物館群があります。

ナショナル・モールの構想は当初、
フランス人のエンジニアであったピエール・シャルル・ランファンが、
1791年にワシントンDCの都市創設を計画する際に考え出されたもの。
しかし彼の構想は、
20世紀初頭まで実現されませんでした。

現在、モールは観光において最も人気のある観光地の一つとなっており、
大規模な集会や行進を含む多くの抗議やデモが
頻繁に行われる場所でもあり、
1963年のワシントン大行進や、

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1995年のミリオン・マン・マーチ等が有名。

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毎年7月4日の独立記念日には、
議事堂主催の記念式典が催され、花火が打ち上げられます。

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議会議事堂から西方面をのぞむ。

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議事堂からワシントン記念塔まで約1.76q、
議事堂からリンカーン記念堂までは約3.04qあります。

ワシントン記念塔を西に

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議会議事堂を東に見ながら、

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まず、ここへ。

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その建物の形状から、「キャッスル」と呼ばれる、
情報センター

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中にはスミソニアン博物館に関する
展示がなされています。

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スミソニアン博物館は、
アメリカを代表する科学、産業、技術、芸術、自然史の博物館群・
教育研究機関複合体の呼び名で、
スミソニアン学術協会が運営しています。

1848年、イギリス人の科学者ジェームズ・スミソン(1765〜1829)が
「知識の向上と普及に」と委託した遺産を基金として作られました。
スミソニアンの語源です。

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スミソニアン協会が運営する博物館は19あり、
うち14がこのモール周辺に、
3つがワシントンDC広域都市圏に、
2つがニューヨークにあります。
私がニューヨークで訪問した
アメリカ・インディアン博物館もその一つです。

収集物は全部で1億4200万点に及びます。

運営資金はアメリカ合衆国連邦政府の財源及び寄付、寄贈、
ミュージアムショップ、出版物からの利益で賄われているため、
わずかな例外を除き、入場料は無料(!)です。

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この世界一の規模を誇る博物館群が、
一人の人間の遺志から作られたと思うと、
感慨深いものがあります。
スミソン自身は、一度もアメリカを訪れたことはありませんでしたが、
死後、本人の希望で遺骸がアメリカに送られ、
現在、棺はキャッスル内で公開されています。

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↓のパネルの博物館をタッチすると、

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行き方が赤い線で示されます。

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とても全部は回れませんので、
まず、目玉の国立航空宇宙博物館へ。

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開場前にもう行列が。

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日本語の挨拶も。

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本当に無料。

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航空機や宇宙船関係を展示する博物館の中では
世界でも最大級で、
惑星科学・地球地理学・地球物理学などと同じくして、
航空学・宇宙飛行の歴史、科学、技術を研究する
極めて重要な中央施設。

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23のギャラリーに、
航空機、宇宙船、ミサイル、ロケットその他の
航空関連機器が展示されています。

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入ったところのホール。

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アポロ月面着陸船

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アメリカで最初に有人軌道に成功した宇宙船。
左が初の宇宙遊泳をしたジェミニ4号。
右がフレンドシップ7。

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残念ながら、月の石は展示されていませんでした。
工事中のため、見られない展示も沢山ありました。

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世界初の人工衛星、ソ連のスプートニク

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1957年当時、発行された東ドイツの切手。

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似ても似つかない衛星が描かれています。

宇宙ロケット。

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大きいです。

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ライトスタッフ。

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アポロ11号で、
アームストロングが月面に立った時の宇宙服。

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宇宙への夢。

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宇宙船の中。

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収納棚。

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宇宙食。

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こんなものも。

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この中は

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別な宇宙船内部。

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空を飛びたい。

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飛行機の歴史。

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ライトフライヤー号
1903年にライト兄弟が
最初に運転した動力飛行機の実物。

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スピリット・オブ・セントルイス号

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あのリンドバーグが大西洋を横断に成功した
最初の一人乗り用有人飛行機の実物。

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各博物館ではアイマックスが沢山上映。

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そのうちの一つを鑑賞。

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宇宙旅行の歴史。

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プラネタリウムもあります。

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しかし、星を映す機械は格納されたままで、

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現在は、
ドーム型スクリーンを使った映像ショーが最近のプラネタリウムのようです。

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巨大な博物館で、
およそ2時間、宇宙の旅でした。

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次に訪れたのは、
隣の国立アメリカ・インディアン博物館

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先住民の芸術品と歴史的オブジェの
コレクションを展示。

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大きな吹き抜けがあります。

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アメリカ大陸には、先住民が暮らしていましたが、
16世紀からの白人の米大陸進出により、
ある部族は全滅し、
ある部族は少数となり、西に追いやられました。

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20世紀後半になって、
やっと先住民の文化の尊さに気づき、
その遺産を伝えようと、
多くの人が研究・保存に尽力しました。
その集大成といえるのが、
このアメリカ・インディアン博物館です。

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先住民を扱った博物館としては
全米最大規模で、
コレクションも多岐にわたり、
祭儀品、工芸品、陶器、織物、彫刻彫像、絵画など、
収蔵品は84万点に及びます。

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建築にあたっては、
建築費用の不足を捻出するため、
前代未聞の募金呼びかけを行い、
新聞各紙に全面広告を載せました。
こうして建築費用は集まりましたが、
インディアンを題材にした映画「ダンス・ウィズ・ウルブズ」を大ヒットさせた
ケビン・コスナーは、
この映画の収益の大部分を基金に寄付したということです。

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名称ですが、
「インディアン」という呼称は間違いで、
「ネイティブ・アメリカン」と呼ぶのが正当、
思っていましたが、ちょっと違うようです。

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博物館の名称については、
「アメリカインディアン」と「ネイティブアメリカン」の
どちらが好ましいか当該者に対して国勢調査が行われ、

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その結果、インディアンの60%近くが
「アメリカインディアン」の呼称に満足しており、
「ネイティブアメリカン」呼称を好む割合は37%に過ぎなかった。

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このような経緯で、「アメリカインディアン」以外の
「ネイティブアメリカン」を含まない、
「アメリカインディアン」のみの民俗資料の展示施設として、
名称は「国立アメリカ・インディアン博物館」と命名されました。

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外のモールに戻ります。

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ここにもスタンドが。

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議事堂が近くに見えます。

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このあとは、もう一つの目玉、
ナショナルギャラリーに向かいます。


小説『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』  書籍関係

[書籍紹介]
 
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「妹背山婦女庭訓」「本朝廿四孝」などを生んだ
人形浄瑠璃作者、
近松半二の生涯を描く。

儒学者・穂積以貫(いかん)の次男として生まれた成章(なりあき)は、
読み書きを覚えるのが人より早く、
末楽しみな子供だったが、
浄瑠璃好きの父に手をひかれて、
道頓堀の竹本座に通い、
浄瑠璃の魅力に取り付かれる。
失望した母からは打擲されるが、
そんなものでは半二の行動を縛ることはできなかった。

父からもらった近松門左衛門の硯
それに因んで近松半二(半人前の意)と名乗るが、
まだ一つの作品さえ仕上げていない。
弟弟子の並木正三に歌舞伎(狂言)作者として先を越され、
人形遣いの吉田文三郎から書くことを勧められるが
何度も書き直しをさせられる。

その後、竹本座の座付き作者になるが、
文三郎の離反騒動に巻き込まれたりする。
傷心の文三郎の死が半二の生き方に暗い影を落とす。
歌舞伎の台頭で人形浄瑠璃の人気に陰りが来る中、
自分には浄瑠璃しかないと奮闘する半二の姿が切ない。
当時の芝居小屋が客の入り次第で盛衰する現実が興味深い。

やがて半二は芝居の世界、道頓堀の世界が
一つの「渦」として感じられるようになる。
その渦の中で、様々な才能が生まれ、失われていく。
そして、時々感ずる「真っ黒な深淵」におののく。
時々は自分自身が浄瑠璃になってしまったかの感覚も得る。
世界がこの渦でできており、
次のような感想を述べる。

なんといったらいいか、
この世界はもとからこの世のどこかにあって、
半二はそれをただ書き写しただけなのではないか
という気がしてならなくなる。


半二が後にまで残る大傑作「妹背山婦女庭訓」(いもせやまおんなていきん)を
完成させるあたりは興味津々。

実は私は「妹背山婦女庭訓」という作品、
名前を知ってはいても、
観たことはなかった。
本書で、初めて蘇我入鹿や天智天皇が登場する
王朝時代ものであることを知った。
そして、後半、酒屋の娘三輪を主人公とする
世話物に変貌することも知った。
妹背山とは、吉野川の両岸に立つ妹山と背山のこと、
婦女庭訓とは、親が子に教えるべきことを集めた庭訓、
中でも女子に教えるべきことを集めた躾け方のこと、
などということも、初めて知った。
まことに不勉強、恥ずかしい。
まあ、よほどの歌舞伎通でなければ、
大方がそうだろうが。

終盤、半二の作った物語の登場人物である三輪
語りかけが切ない。

今では文楽と呼ぶが、
当時は人形浄瑠璃または操(あやつり)浄瑠璃と呼ばれていた。
その後、歌舞伎に押されて衰退していくが、
その渦中にいた人物のことで、興味は尽きない。

ライバルであった正三の死後、
ほうけたようになった半二の述懐。

正三の頭の中には、
おそらく、板にのせたい演目が
まだまだたくさん詰まっていたのだろう。
やってみたい思いつきが、まだまだたくさんあったにちがいない。
正三の頭は、死ぬまで大忙しだったのだ。
衰え知らずの、極めて非凡な頭だった。
だが、それも、正三とともに消えてなくなってしまった。
どこへいったんやろなあ、と半二は思う。
正三はどこへいってしもたんやろ。
ぽっかりと空いた穴を、
どしていいのか、
半二にはわからなかった。


そして、半二にも、死の影が押し寄せて来る。
その時の述懐。

ままならぬの人の世だ。
艱難辛苦に翻弄され、泥にまみれていくのが人の世だ。
醜い争いや、失望や、意図せぬ行き違い、
諍い、不幸な流れ。
辛い縁(えにし)に泣き濡れて、
逃れられぬ定めに振り回されていくばかりが人の世だ。
それなのに、なぜうつくしい。
哀しみも嘆きも、苦しみも涙も、なぜうつくしい。
そうよな。
それが浄瑠璃よな。
半二はつるつるとした、
皺もなければ毛穴もない、
なんのひっかかりもない、
舞台のうえの、白い人形の肌を凝視していた。
そうや。
操浄瑠璃はそもそも、うつくしいんや。
汚いもん、洗い流して、うつくしいもん、みしてくれとるんや。
この世は汚いまんまやけどな。
そんでも、汚いもんの向こうに
うつくしいもんがある、
ということを
わしらにみしてくれとるんや。
わしらにはな、こういううつくしいもんが、きっといる。
そら、そやろ。
そやなかったら、やりきれんやろ。
わしら、死んでいくんやで。
わしら、遅かれ早かれ、死んでいくんやで。
この世におられるんはほんのちょっとやで。
醜いだけやったら、やりきれんやないか。


テレビも映画もない時代。
芝居は庶民にとって唯一夢中になれる虚構の世界だった。

文体が関西弁で、
独特なリズムがある。

中で、一人の登場人物が
「浄瑠璃腹がくちくなってしもた」と言った言葉に対する反応。

専助がいうように、
浄瑠璃がくちくなっているような気は、
実は半二も少なからずしていた。
昔のように心躍らされる演目に出会うことが少なくなったし、
なにを見てもそう驚かされることがない。
浄瑠璃に飽いた、芝居に倦んだ、
というのがわからなくもない。
若い時分、気に入ればおんなし演目、
おんなし狂言を毎日で飽くことなくみつづけていた半二なのに、
そんなこともとんとなくなった。
(中略)
ただ習慣のようにみているだけ、
といえなくもなかった。
そうして、多少なりとも、
はっとしたり、楽しめたりすれば儲けもの、
くらいの穏やかな気持ちでいる。


この部分を読んで、はっとした。
というのは、最近、
オペラを観ても、ミュージカルを観ても、
ときめかない
映画もあまり面白いものに出会わない。
小説も心踊らない。
旅行も、昔のように感動することは少なくなった。
感動がインフレ化しているのか。
それとも、本当にオペラやミュージカルや映画や小説の
質が低下しているのか。
それとも、根本的に年齢の問題か。
ちょっと深刻である。

先の直木賞受賞作

選考委員の意見は↓。

高村薫
作家と素材の幸運な出会いが生んだ傑作だと思う。
浄瑠璃という素材が作者の言語感覚を刺激し、
表現を引き出して、
大阪弁の一人語りと
浄瑠璃の台詞と道頓堀の賑わいの声などが
渾然一体となった言語空間に結実しているのは、
まさに創作の奇跡というものでもある。

桐野夏生
浄瑠璃作者・近松半二の、浄瑠璃を中心に回る日々。
軽妙な大阪弁で緩和されてはいるものの、
その創作の様は息苦しいほどである。
最後の「浄瑠璃腹がくちくなる」という台詞は、
虚構にまみれることに倦んだ者の台詞として素晴らしかった。
我々も、小説腹がくちくなる時がくるのだろうか。

宮城谷昌光
手練を想わせる語り口で、独特の世界を描いている。
が、みかたをかえれば、
この小説は独白がつづいているようなもので、
巧い落語家の話をきいているようであった。
近松半二は舞台と客席に対位法をもちこんだといわれており、
それらしきしかけがこの小説にあったか、
と問うているところである。

林真理子
連作という形はこの作品に合っているのか疑問だ。
短篇が完結することによって、小さなうねりがいったんおさまり、
巨大なうねりとなってこないのである。
また関西弁は芸道ものととても相性がいい。
相性がよすぎてやや饒舌となっているのが気になったが、
この体を揺らすような文体は大島さんのお手柄であろう。


浅田次郎
推せなかった理由は、ほとほと感心して読みながらも、
あまりに大衆文学としての普遍性を欠くと考えたからである。
いったいどれほどの読者の理解を得られるかと思えば、
ためらいが先に立った。

伊集院静
文章も読み易く、
関西弁の持つ独特の軽妙さ、頑固さ、卑らしさが
よく伝わってきた。
この作品で何より感心したのは、
前半部のお末が語る言葉である。
「あのな、阿呆ぼん、教えたろか。
いったんおなごがその気になったら、
誰でも色男になってしまうんやで」
これがその辺りの新人には書けない。

北方謙三
私はこの作品に、表現者たちの熱気の渦は強く感じた。
ただそれは芸人たちの熱気のようであり、
近松半二もその中に入っているのだった。
文楽に詳しい読者の心を動かしても、
私のように無知のまま読んだ人間を動かすだけの普遍性は
持ち得ていなかったと思う。

宮部みゆき
私は人形浄瑠璃はもとより歌舞伎にも疎い不勉強者なので、
最初のうちは敷居が高く、
おそるおそるという感じだったのですが、
大島さんの筆による近松半二の明るい人柄に惹きつけられ、
すぐに読むのが楽しくなりました。
たとえば半二の師匠である吉田文三郎の晩節など
悲しくやりきれないところもあるのですが、
それが作品全体を暗くしていません。
一行一行、隅々まで、
大島さんの慈愛の光に照らされているからです。

東野圭吾
物語を紡ぐ者として同意できる部分が多々あり、楽しめた。
瞠目したのは大阪弁の達者さで、
読んでいて全く違和感がなかった。
扱っている題材が一般の人には馴染みのない世界だという理由と、
自分が大阪出身だから読みやすかったのではないかという疑念から、

(引用者注:「渦」「平場の月」「トリニティ」の3つのなかで)三番手とした。




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