インタビュー集『ドラマへの遺言』  書籍関係

[書籍紹介]

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倉本聰↓が、
日本のテレビの歴史を作った大脚本家であることは間違いない。

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その倉本聰に、倉本氏の「弟子」を自認する碓井広義
(元プロデューサーで、現在は上智大学教授)が
インタビューする形で、様々な想いを引き出した対談集。
インタビューは述べ30時間に及んだという。
碓井氏の発言の部分は細い明朝体で、
倉本氏の発言の部分は太い明朝体で印字される。

中学2年で小説を書いたという早熟な少年時代のことから、
ラジオドラマや映画の台本を必死で書いていたニッポン放送時代、
名前を隠してのシナリオ執筆、
独立、NHK大河ドラマでの降板劇、
東京を離れ、単身渡った北海道での生活が
「北の国から」誕生につながり、大ヒット。
富良塾の創設、解散、
そして、「やすらぎの郷」を経ての
最終作「やすらぎの刻〜道」へと、
倉本聰自身の口が語る倉本聰の集大成の趣。
企画の発想、人物像の造形、物語の構築、
大物俳優や女優たちとの知られざる交遊も。

もうこわいものなしの人だから、
今のテレビへの批判、
使った役者への評価も遠慮なく飛び出す。

たとえば、「2丁目3番地」に触れた時のこと。

「たぶんそれは、江戸なんですよね。
江戸の笑いなんです。
でも、その後はドラマにも
どんどん関西の笑いが入ってきたでしょう。
ふざけて笑わせるっていう風潮が。
前にも言ったけど
僕がいまもって金科玉条にしているのは、
チャップリンの<人生はアップで見ると悲劇だけど、
ロングで見ると喜劇だ>
っていう言葉で、
それが一番高級なドラマではないかっていう気がするんですよね」


江戸の笑いと関西の笑いの本質をついて興味深い。
「ふざけて笑わせるという風潮」は、
今のテレビの性格を暴露している。
そういわれてみれば、
今のテレビは関西の笑いに占拠されている気がする。

スターについての語り。

「あの頃の大スターってのは
美人だっただけじゃなく、
神秘性があって、オーラがあったから。
当時、マスコミも
そのオーラをはがすという行為をしなかったからね。
みんなでオーラを消そうっていうのが今の世の中でしょ。
本当に良くないと思うんですよ」


中井貴一への評価。

「うまい役者じゃないと思います。
ただ、貴一の芸には品がある。
兵吉(石坂浩二の本名)もそうなんですけどね。
僕、品というのは役者にとって
とても大事だと思っていて、
つまり、上品・下品の下品も品のうちなんです。
でも、品がないっていうのはいやですね」
                     

女優への評価。

「しのぶはうまいですからねえ。
僕の<うまい女優ベスト3>です。
倍賞(千恵子)さんと(いしだ)あゆみちゃん。
そしてしのぶ。
まあ、八千草(薫)さんという別格がいますけどね」


「優しい時間」の最後で
父親の寺尾聰が息子の二宮和也と再会した時、
「よう!」というセリフを書いたのに、
オンエアを見た時、寺尾は「やあ!」と言った。
これについて、こう述べる。

「僕、放送を見て驚きましたよ。
この場面で“よう!”って言うのと、
“やあ!”って言うのとでは、
ニュアンスが全然違うと思いません?
役者が勝手に変えちゃいけないセリフなんですよ。
それを容認した監督も分かっていない」
「本当の意味を読み取ってないんでしょうね。
だからあれ以降、僕は寺尾を使いません」


察するに、倉本さんが富良野塾を作ったのは、
自分の作品を直接俳優を動かして完成させたかったのだと思う。

ビートたけしへの評価も辛辣。

「僕はあの人を全然認めない。
役者としても人間としてもですね。
だって土曜のニュースショー(「新・情報7DAYS」のこと)なんて、
なにがフリージャーナリストで、
なにが「刮目NEWS」だって話だもんね。
あんなニュース番組でふざけたこと言われたって
面白くもおかしくもない。
大体、滑舌が悪すぎて何言ってるんだか判ンない。
TBSがありがたがっての使い方が嫌ですね。
なんであの人があんなに買われるようになったのか。
それはもちろん監督として外国で
ヘンに認められるようになっちゃったからなんだけど。
そんなにすごい人なのかと思う。
まあ、個人の趣味だから大きな声では言えない話なんですけどね。
僕はハッキリ言って嫌いです」


実は、私は人生のある時期、
シナリオ作家になろうとした時があった。
その時、倉本聰は神様だった。
山田太一向田邦子の上にいた。
当時、倉本さんは40代。
一番脂の乗り切った時で、
「6羽のかもめ」(1974年〜1975 年、フジテレビ系)
「あなただけ今晩は」(1975年、フジテレビ系)
「前略おふくろ様」(1975年〜1976 年、日本テレビ系)
「浮浪雲」(1978年、テレビ朝日系)
「たとえば、愛」(1979年、TBS 系)
「祭が終ったとき」(1979年、テレビ朝日系)
などを貪るように観た。
「幻の町」も忘れられない。
そして、
「北の国から」(1981年〜2002 年、フジテレビ系)。
それに続く「北の国から・特別篇」の数々。
シナリオ集も読んだ。
読むだけで場面が浮かぶ。
独特な間。
独特な描写。
ああ、これが倉本シナリオの魂かと思い、
盗む努力をした。

やがてシナリオをあきらめ、観る側に回り、
倉本さん自身も富良野塾に熱心になって、
ドラマ作品が少なくなり、
「優しい時間」(2005年、フジテレビ系)
「拝啓、父上様」(2007年、フジテレビ系)
「風のガーデン」(2008年、フジテレビ系)
や「北の国から・特別篇」を観ても、
「ああ、同じ手を使ってる」と批判的になってしまっていた。
「やすらぎの郷」(2017年、テレビ朝日系)も、
年寄りの終活のあがきに見えて感心しなかった。

しかし、最新作「やすらぎの刻 道」(2019年〜2020年、テレビ朝日系)を観て、瞠目した。
この作品は前作に続くテレビ関係者の老人ホームが舞台で、
そこに入居しているシナリオ作家が
誰に頼まれたわけでもないシナリオを執筆する。
山梨県の田舎の村に済む根来一家の6人の兄妹が主人公で、
その一家を襲う時代の波を描いている。
これがなかなかいい。
老人ホームの話と交互で、
老人ホームの方は相変わらず愚にもつかないことをしているが、
山梨の部分でほっとする。
今は、戦争で、
家族が死んだりした後、
終戦に至ったところ。
これからの展開が楽しみだ。

それにしても、月〜金の帯で一年も続くドラマを83歳で書いたとは。
今は一作一作が、一冊一冊が
人間・倉本聰からの遺言でもある。

倉本さんから見て、
今のテレビドラマのやせ細った様は悔しいに違いない。
なぜそうなったか。
その一つの要因にシナリオライターに対する冷遇があると思う。
懸命に書いたものを勝手に直され、
しかもギャラは安い。
そうなれば、才能は金を払ってくれる方に走っていく。
小説、コミック。
そちらの方がよほど稼げる。
テレビから才能は逃げ、
小説とコミックが隆盛した。
その結果、テレビドラマも映画も
コミックと小説のドラマ化、
映画化のオンパレードだ。

次の倉本さんの言葉も重い。

「夢を持って社会に出て、
いきなりそれを実現しようとしても
青臭いって世間から潰されちゃうし、無理だと。
だから、あなたが発言権を得るまで、
発言する能力を持つまで、
その夢を金庫にしまって鍵をかけておきなさいって。
ところが40〜50歳になって、
ようやく力がついてきた頃には、
普通のサラリーマンは金庫の鍵をなくしちゃう。
というか、夢をしまった金庫があったことすら忘れてしまう。
だから若い人は忘れちゃいけないと。
しっかり鍵を持っていて、
いい時期に開いて取り出すべきなんだ」


「6羽のかもめ」というのは、
分裂した劇団員がテレビ界に飛び込む話。
中でも「乾燥機」という、
中条静夫扮するテレビ局の部長が
ゴルフコンペの優勝賞品である電気乾燥機をほしいあまり
ズルをしてしまう話など特に好きだが、
その最終回「さらばテレビジョン」で、
山崎努扮する作家に、次のように言わせる。

「(カメラの方を指さす)
あんた! テレビの仕事をしていたくせに、
本気でテレビを愛さなかったあんた!
(別を指さす)あんた!
──テレビを金儲けとしてしか考えなかったあんた!
(指さす)あんた! よくすることを考えもせず、
偉そうに批判ばかりしていたあんた!
あんた! それからあんた! あんた!
あんたたちにこれだけは云っとくぞ!
何年たってもあんたたちはテレビを決してなつかしんではいけない。
あの頃はよかった、
今にして思えばあの頃テレビは面白かったなどと、
後になってそういうことだけは云うな。
お前らにそれを云う資格はない。
なつかしむ資格のあるものは、
あの頃懸命にあの状況の中で、
テレビを愛し、闘ったことのある奴。
それから視聴者──愉しんでいた人たち」


倉本聰、現在、84歳。





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