論文「謎とき『風と共に去りぬ』」  書籍関係

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「謎とき」などと題名についているので、
軽い本、しかも珍奇な新解釈が列挙された本、
かと思ったら、
翻訳家の鴻巣友季子(こうのす・ゆきこ)が
「風と共に去りぬ」を新訳した際に
改めて発見した事柄を中心に、
人物の相関関係を新たに提起し、
マーガレット・ミッチェルの書簡にも当たり、
その家系に隠された要素なども加えた、
ごく真面目論文とも言える内容であった。
ただ読んだだけでは気づかない事項を
原文を翻訳した者だからこそ見いだすことの出来た内容で、
興味を引く。
雑誌「yomyom」や「新潮」に連載されたものに書き下ろしを加えた。

「はじめに」で、著者は、

本書では、以下のような「謎」に挑んでいきたい。

たとえば、大きな謎では、

・本作はなぜ世界的ベストセラーとなり得たのか?
・この一大巨編を一気に読ませる
 原動力と駆動力はどこにあるのか?
・本作の“萌え感”はどこから生まれるのか?
・魅力的なキャラクターたちはどのように作られたのか?
・性悪なヒロインが嫌われないのはなぜなのか?
・作者が人種差別組織のクー・クラックス・クランを
 登場させたのはなぜなのか?
・作者が人種差別主義者だという誤解は、
 この小説のどこから来るのか?

もっと具体的な謎としては、

・なぜスカーレット・オハラはまずハミルトン青年と結婚するのか?
・なぜアシュリ・ウィルクスは
 メラニー・ハミルトンを妻に選んだのか?
・レット・バトラーが初対面のメラニーの瞳に見たものは
 何だったのか?
・レット・バトラーが唐突にスカーレットを“捨てて”
 入隊するのはなぜなのか?
・アシュリはなぜ自分の妻を“恋人”のスカーレットに託したのか?
・メラニーは夫とスカーレットの関係を知っていたのか?


と問題提起する。
そして、

本書では、このような謎を解く過程で、
『風と共に去りぬ』の旧来のイメージをことごとく覆すことになるかもしれない。
わたしにとって、Gone with the Wind を新訳することは、
自ら抱いていた数々の偏見や先入観を払拭し、
この古典名作にまったく新たな世界観をもつことに他ならなかった。
それは衝撃的な読書体験だった。
本書を読んでくださる方々にとっても、
従来の作品イメージが心地よく転換され、
新たな『風と共に去りぬ』像が誕生することを願っている。
 

と書いている。

冒頭、「風と共に去りぬ」のあらすじが掲載されているのも親切。

特に大きな主張は、
「風と共に去りぬ」は恋愛小説ではなく
人種と階層のるつぼを描く構想のもとに書かれ、
昔ながらの虚構の南部神話を笑い、
南部の実態を描こうとしたのであるということ。

映画のイメージでは、
南北戦争を背景にした恋愛ものの印象だが、
ミッチェルの意図したものは、そうではないという。
だからこそ、映画化のオファーが来た時、
「この小説を映画にするのは不可能です」
と断り、
映画化が決まった後も製作には一切関与せず、
映画の仕上がりには、
死ぬほどショックを受けたという。

などと、知らなかった情報が満載の本書、
初めて知ったことを思い出せる限り列挙すると──

・ミッチェルが書いた唯一の作品かと思ったら、
 それ以前に何本か短編を書いていた。
・大長編を勢いで書いたように思っていたが、
 10年以上推敲
に推敲を重ねて出来たものだった。
・刊行前の原稿と刊行された原稿との間に相違があるため、
 著者は、刊行原稿をGWTW、
 刊行前の原稿をgwtwとして区別している。
・トルストイの「戦争と平和」と比較されるが、
 ミッチェル自身はロシア文学は重厚で退屈で、好きではなかった。
・スカーレットという主人公の名前は、
 出版社に売れて数カ月たってから、
 最終締め切り直前に命名されたもので、
 それ以前の名前は、パンジーだった。
 つまり、gwtwであった10年間、主人公の名前Pansy だった。
 担当編集者が変更を求めたという。
 (パンジーだったら、あんなには売れなかっただろう)
・メラニーという名前はメラニン(黒色素)から来ており、
 スカーレットとメラニーは、赤と黒で対をなす。
・この小説の本当のヒロインはメラニーである。
・主役の4人の関係で、
 スカーレットとメラニー、スカーレットとレット、
 メラニーとレット、メラニーとアシュリ、レットとアシュリ
 の間には分身/半身関係がある。
 スカーレットとアシュリの間にだけは
 分身/半身関係は存在しない。
・冒頭、「スカーレット・オハラは美人ではない」と明記されている。
 映画のビビアン・リーの印象を覆す。

この他、原作とは関係ない、
日本の事情だが、次のような驚きもある。

邦題は、1938年、河出書房・阿部知二訳で「風に散りぬ」
 1939年、明窓社・藤原邦夫訳で「風と共に去れり」
 1938〜39年、第一書房・深沢正策訳で「風と共に去る」
 などがあるが、
 1938年、三笠書房・大久保康雄訳「風と共に去りぬ」
 題名として定着した。
・最後のセリフ「Tomorrow is another day 」は、
 大久保・竹内道之助訳では「明日はまた明日の陽が照るのだ」
 阿部訳・藤原訳は共に「明日はまた明日の日が明ける」
 映画の字幕については、本書は明確な翻訳を書いていないが、
 手元のDVDでは「明日に望みを託して」となっている。                           (翻訳者不詳)
 帝劇で上演された1966年の舞台では、
 「明日は明日の風が吹く・・・きっと南の風が吹く・・・きっと・・きっと」で、
 菊田一夫がそう訳したという説が紹介されている。
 石原裕次郎の映画「明日は明日の風が吹く」は1958年。
 それに影響された可能性があるという。

最後に著者自身のまとめで、次の項目が挙げられている。

・『風と共に去りぬ』のヒロインは
 スカーレット・オハラでだけではなく、
 ダブル(分身)ヒロインものである。
・『風と共に去りぬ』は本質において、たんなる恋愛小説ではない。
・『風と共に去りぬ』は白人富裕層の物語ではない。
・『風と共に去りぬ』のテクストは巧緻な文体戦略と
 現代的なキャラクター造形から成る。
・黒のヒロイン、メラニーは純心無垢なだけの聖女ではない。
・赤のヒロイン、スカーレットは差別主義の保守的愛郷者ではない。
 彼女が嫌い抗うのは、同調圧力、全体主義、
 狂信的ナショナリズム、戦争、排他主義、管理・監視社会。

そしてきわめて重要なことだが、

・『風と共に去りぬ』は過去をなつかしむ時代小説ではない。

ちなみに、私は中学2年の時、「風と共に去りぬ」を読んだ。
といっても上巻だけで、
そこで終ったのは、子供で面白く感じなかったのか、
それとも、図書館で下巻が借りられていたのか。
はっきり覚えていない。
もう一度読んでみようか、
とは思ったが、
長さに恐れをなして、やめた。





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