小説『いも殿さま』  書籍関係

[書籍紹介]

クリックすると元のサイズで表示します

徳川吉宗の時代。
幕府勘定方に勤める旗本、井戸平左衛門は60歳。
そろそろ引退と考え、隠居生活を楽しみにしていた。
というのは、平左衛門は甘いものが大好きで、
隠居後は、諸国を巡って、
各地方の甘味を味わい尽くそうと考えていたのだ。

しかし、隠居届けを出そうとしたその日、
奉行の大岡忠相から異動を命じられてしまった。
石見銀山に代官として赴任してほしいというのだ。
聞けば、前代官に不正があり、飢饉もひどいから、
代官所を根本から建て直したいという。
辞退したかった平左衛門だが、
将軍が食するという〈嘉祥菓子〉を褒美にちらつかされて、
承諾してしまう。

お供は用人の尾見藤十郎
腕は立つが、少々頼りない男だ。

江戸から42日間の旅をして
石見に着いた途端、
平左衛門は、現実を目にして青ざめてしまう。
石見では、田畑は荒れ、民は飢え死にするか
処罰覚悟で一揆を起こすかという瀬戸際だったのだ。
代官所の手代からは、
「どうせ腰掛けで、何もせずに、
やがて江戸に逃げ帰るのだろう」
と言われる。
それまでの代官が皆、そうだったというのだ。

平左衛門はおいしい菓子も封印し、
民の救済に乗り出す。
しかし、様々な困難が待ち受けていた・・・

井戸平左衛門は実在した人物で、
享保16年(1731年)に第19代大森代官に着任した
井戸正明(いどまさあきら)がモデル。
「平左衛門」は通称。
享保の大飢饉による領内の窮状を目の当たりにし、
領民たちを早急に救うため
自らの財産や裕福な農民から募った寄付で米を買い、
幕府の許可を得ぬまま代官所の米蔵を開いて与えたり、
年貢を免除・減免した。
また薩摩国の僧である泰永から
サツマイモが救荒作物として適しているという話を聞き、
薩摩から種芋を移入した。
サツマイモは石見地方を中心に
救荒作物として栽培されるようになり、
多くの領民を救った。
この功績により正明は領民たちから
「芋代官」あるいは「芋殿様」と称えられ、
功績を称える多くの頌徳碑(芋塚)が建てられている。

その平左衛門の人物像は、
大変な好人物として描かれている。
まず、出世欲がない。
出世するには、上役や奉行などに付け届けや挨拶が要るが、
全く無頓着で、こう言う。

「一日中、そろばんだけを弾いていればよい。
それこそがわしの勤めよ。
なのに上に行けば行くほど、よけいな気苦労が出てくる。
下手に出世すると、
そろばんにも触れられなくなるかもしれない。
そんな勤めはたくさんだ」

そんな調子だから、
石見に赴任したとたん、宴席で商人から土産をもらい、
帰宅して開けて、賄賂の金が入っているのを見つけると、
返すように藤十郎に言う。
「厚意は働きで示してくれればよい。
金を渡せばなんとかなると思われてはかなわぬ」

まことに潔い。
そして、石見の領民の想像を絶する悲惨な状態を見て、
江戸のぬるま湯に浸っていて、
百姓の現実を知らなかった自分を責め、
領民のために私財を投げ打つのである。
あれほど好物だった菓子も領民の子供たちにあげてしまう。
最後は刀さえ売ってしまう。
「それは武士の魂です」と止める藤十郎に、こう言う。
「今、民は餓死しようとしているのだ。
魂などと言うてはおられぬ。
そもそもわしは、
そろばんは使うが、
剣など一度も使うたことはない」
そして、
「石見の民を一人として飢え死にさせてはならぬ」
と言い放つ。

実際、飢饉の時も石見からは餓死者は出さなかった。
石見に行けば食べ物がある、
という噂を聞いて他領から人々が押し寄せた時、
このままでは共倒れしてしまう、という藤十郎に対して、
平左衛門は「黙れい!」と一喝し、こう言う。
「国境のこちらと向こうはあれど、人に変わりはない。
情けないことを言うな。
関所など設けてはならぬ」

それまでの代官が搾取を繰り返しただけなのに対して、
平左衛門は賂(まいない)も取らず、
年貢を減免し、
民のための政治をした。
民は目を疑った。

だから石見に住む民は一つになり、
助け合いの輪が広がった。

平左衛門が代官をしていたのは、
わずか2年。
しかし、人々の心に平左衛門の姿は深く刻み込まれた。
そうでなければ、400もの芋塚が作られて
平左衛門の功績が顕彰されることはない。

なにしろ、青木昆陽が小石川薬園で
さつまいもの栽培に成功するより
平左衛門の方が3年も早いのだ。

享保18年(1733年)、備中笠岡の陣屋で死去した。
死因については、
救荒対策の激務から過労により病死したとする説と、
救荒対策のために幕府の許可を待たず
独断で年貢米の放出などを断行したことに対する責任から
切腹したとする説の二つがあるという。
本書は後者を取っており、
罪人を運ぶ唐丸駕籠に乗せられた平左衛門を
慕う領民が涙ながらに送る場面が
読者の涙腺を刺激する。

平左衛門が切腹したとの報告を受けた大岡忠相は、こう言う。
「やつはたった一人で十万人の命を救いおった。
惜しい者を死なせてしまった」

作者は映画「超高速! 参勤交代」の脚本で注目を浴びた土橋章宏
だから、藤十郎の扱いや
薩摩藩に潜入して種芋を得ようとする旅など
ややコミカルに過ぎるし、
文学作品として読むと物足りない。
まるでシナリオのようだ。
しかし、あまり知られていない市井の偉人に脚光を浴びさせ、
お役人のあるべき姿を表した作品として、
評価できる。





AutoPage最新お知らせ