小説『この地上において私たちを満足させるもの』  書籍関係

[書籍紹介]

クリックすると元のサイズで表示します             
       
乙川優三郎による書き下ろし作品。

作品の構成から見ると、
文芸誌に不定期連載した連作短編集の趣だが、
正真正銘の書き下ろしで、
次のような経過による。

2018年5月、
小説新潮で「二十五年後の読書」(6月12日のブロクで紹介)の連載が終わり、
担当編集者が単行本化の作業に取りかかっている矢先、
何の前触れもなく乙川から小包が届いた。
中身は小説のプリントアウトで、
小説新潮に長篇を連載しながら、
並行して書き進めていたとのこと。
つまり、出版社からの依頼があったわけでもなく、
自分の内部からの衝動によって書かれたものだ。

しかも、
「二十五年後の読書」の終盤、
作家の谷郷敬(三枝昴星)から送られてきた最新作と
題名が一致している。
つまり、この作品は、
「二十五年後の読書」と姉妹篇のように対をなしている。

ただし、「二十五年後の読書」で示されるものは
画商が主人公だが、
本書は作家が主人公。
とうして一致させなかったのかは不明。

フィリピン人の若い家政婦と暮らす1947年生まれ、
71歳の老作家・高橋光洋の
人生が濃密に語られる。

東京の下町で大衆食堂を営んでいた高橋一家が
空襲を避けて千葉の村里に疎開。
戦後は農業と行商で生活する。
戦場から帰った父は病気で失意のうちに亡くなり、
母が誰のとも分からない子供を身ごもって家を出る。
若い時から心臓病を抱えた光洋は、
あまり長くは生きまいと覚悟する。

製鉄所に勤めた光洋は労働争議に関わり、
退職するが、争議の首謀者からもらった金で世界旅行に出かける。
ドイツからパリ、イタリア、スペイン、ポルトガル、
インド、タイ、フィリピン、パラオを経て帰国。
40歳を越えて小説家になり、文学賞を受賞。
編集者の一人と結婚し、やがて病気で失い、
最後は房総の漁師町に住み、
縁があったフィリピン人の家政婦を養女にして住むが、
短編集のサイン会で、ある人物に再会する・・・

どこまでが乙川の人生が反映された自叙伝なのかは判然としないが、
外国で住んだ人々との描写が生き生きとしている。
パリでは下町のベルヴィルに住み、
武藤泰子という日本人画家のアパートに寄宿する。
スペインでは、コスタ・デル・ソルの
自称ヘミングウェイの落とし子という
乞食を生業とするパコの家に同居し、
メイドをしている妹のマルタと
身障者でサンダルを売るダニエルと交流する。
フィリピンでは、売春婦のラブリイの家に住み、
独裁者マルコスの腐敗政権下、
貧しい庶民の苦しみを目撃する。
誘われてパラオのホテルに就職した光洋は、
パラオ行きの旅費だけを残した全財産を
一度きりのギャンブルに注ぎ込み、
肉体労働者の30年分の収入に相当する札束をラブリイに渡し、
娘のサラを大学に行かせてくれるように託す。

こうした旅の結果が
房総に住むようになってから
こだまが呼応するかのように生きて来る展開は素敵だ。
人生で無駄なものは何一つないのだと告げているようである。
特に、パリで出会った女流画家が残した絵
フランスの漁港に訪ねて見る場面は哀切だ。

小説家として一家をなしてからの
良い文章を書くための闘いや
編集者との交流も胸に染みる。

この地上において私たちを満足させるのは、
幸運と不幸、富裕と貧困、運命と僥倖を
しっかりと受け止め、
充足させることにあると
伝えてくれる作品である。

光洋の執筆同様、
よく練られた文章に裏打ちされた乙川の人生観が
見事に描かれている。
もしかしたら、乙川の遺言であろうか。

次のような印象深い記述もある。

武藤泰子の台詞。

「パリには画家だけでも多くの日本人がいますが、
貧しい生活をアルバイトで凌いで、
パリ通になって、なんのためにパリにいるのか
分からないような人も大勢います。
大抵は日本に帰ってもなにもない人たちですが、
パリにいれば自分を誤魔化せるのです。
私もその一人です」


海外生活が長いことを言われての、光洋の台詞。

「まあ、見るには見ましたがね、
血となり肉となったかどうか、
素晴らしい芸術や悲惨な現実を見たからといって、
すぐ利口になるわけじゃありませんから」


妻が死んだあとの親戚の争いについて。

人ひとりがこの世から消えて、
生きている人間が
その形見や蓄えを取り合うのは
見苦しいことであった。


妻の死について。

前触れもなくやってくる死は、
予測できる死よりずっと始末が悪いと気づいた。


フランスを再訪した光洋を案内した日本人ガイドの
夫の死に対する述懐。

「死んだ人間は年を取りませんが、
二十年も経てば生きている人間は著しく老けます、
もしあの世から見えたら、
こんな女だったかとがっかりするでしょう、
でも二十年をひとりで生きたご褒美ですから
仕方ありません、
どんな理由であれ死者の今を想像するのは
虚しいことのように思います、
死者にも死後の愉しみを夢みた一瞬があったかもしれません」
            

生きる努力をする人たちを見ての光洋について。

彼にはもうそういう努力をしなければならない理由も意志もなかった。
体力と運で生きられた豊かな季節は終わり、
誰もが行き着く果ての光景が見えているからであった。
人生を達観する器でもなし、
急ぐつもりもないが、
振り返るものがあるうちは退屈するものもなかった。


また一つ、乙川優三郎の傑作が生まれた。





AutoPage最新お知らせ