小説『二十五年後の読書』  書籍関係

[書籍紹介]

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主人公は中川響子という57歳の女性。
旅行業界紙に勤めた後、
エッセイストに転身。
最近勧められて書評を書き始めたが、
褒めるだけでない、
作家への愛が感じられる批評姿勢が好評で、
仕事が増加している。

響子を巡る3人の男性が登場。
一人は作家の谷郷敬(やごう・たかし)、
筆名は三枝昴星(さえぐさ・こうせい)で、
元カメラマン。
パラオの取材で響子と出会い、
以来30年関係が続いている。
谷郷は作家としては成功し、
高名な文学賞の選考委員をつとめるほどだが、
最近、加齢と共に、創作に行き詰まりを感じている。

一人は栗原幹生(くりはら・みきお)で、大学時代の恋人だが、
気まずい別れを経験している。
親戚の葬儀で再会し、
従姉妹と結婚して親戚関係になっていたことを初めて知る。
外地で取材にあけくれた後、
今は新聞社の学芸部に所属している。
その後、栗原から再三の誘いを受けるが、
響子のわだかまりが解けることはない。

もう一人はバーテンダーの久瀬命(くぜ・たから)で、
響子と共に創作カクテルを作り、
世界的なカクテルコンペティションに応募している。
響子も30代でバーテンダーの資格を取得しており、
新たなカクテルを作り、世界に普及させることが夢だ。
カクテルコンペティションという
普段お目にかかれない行事が珍しかった。
様々なカクテルに対する蘊蓄も語られる。

その他、旅行業界時代からの友人の麻美
編集者の真央らが響子の人生に関わり、影響を与え、
岐路に立ち会う。

谷郷とは、別れの時を迎える。
というのは、別れた妻で画家の女性がベニスにおり、
食事にもこと欠く窮状を聞いて訪問した後、
病気で死期が近づく妻の介護の生活に入るために
ベニスに発つからだ。

谷郷との関わり、
栗原のアプローチ、
久瀬とのハワイ旅行などが描かれるが、
骨格をなすのは、
書評家となった響子と谷郷との間で交わされる
文学論、書評論
特に、美しい日本語を書くために文字、言葉、文章と格闘する谷郷の姿は
乙川優三郎の現在の姿か。
文学は美しい言語で描かれる芸術だという作者の思いが伝わって来る。
と共に、わかりやすいだけの言葉と、
妥協の産物として量産される小説、
それに甘んじる読者への
批判がすさまじい。
その矛先は、誉めるだけに終始する
甘い書評にも向かう。

ときおり目にする辛口の書評や評論の中には
分析として優れたものもあるが、
根本にあるべき文学への愛情を欠いていたり、
文学青年ばりの初(うぶ)な指摘もあって、
評論家を名乗る前に人間を磨いてほしいと思うことすらある。
しかも文章がひどく拙(つたな)い。
時評ともいえる書評のそれは
急ぎ足の出前持ちのような粗さを感じさせるし、
評論のそれは学術的な異臭を放って
ひたすら読みづらい。
 
                           
やがて響子は神経症になり、
その治療のために訪れたフィリピンのスールー海の小島で生活する。
そこで響子は自分の人生を見つめなおし、
訪ねて来た真央によって渡された谷郷の新作書き下ろしを読み、
谷郷の再起を確信する。

すぐ近くに彼がいるような気がするのは
小説の余韻であろう。
そういう力も文学にはあるらしく、
主人公に仮託して真実を伝えてきた男との間に
緩やかな永遠を見る思いであった。
青春の未熟も、情欲のきわみも、
いつか熟すとみえて、
彼女には今がそういうときなのかもしれなかった。


その小説の題名が「この地上において私達を満足させるもの」というもので、
それが乙川自身の次回作の題名。
ただ、この本の中に出て来るのは、画商が主人公だが、
本物の「この地上において私達を満足させるもの」は小説家が主人公で、
必ずしも一致しているわけではない。

リゾート地で会った老ドイツ人の文学論。

「人間に良心があるうちは文学は廃れない」

従兄弟の葬儀の場での響子の述懐。

そういう叔母に母の面影を見ながら、
響子は自分もそのうち母に並ぶ歳になって
渇いてゆくのだろうと思った。
まわりに人の死が増えて、
馴らされてゆくのも妥当な道順かもしれない。
彼女は叔母に別れを告げて、一足先に退散した。
午後も早い時間で外は冬の陽が明るかったが、
よそ者が半日を借りた街は冷えていた。
そのときになって耕一の無念を受けとめながら、
涙も出ないことに薄情な女を感じた。
親戚といってもこんなものかと思い、
そういう自分を老けたと思った。


響子の谷郷への思い。
                                       
男女の垣根を越えて分かり合えたのは谷郷ひとりであったが、
恋敵が芸術という落とし穴が待っていた。
勝ち目はないと気づきながら、
後戻りする気にもなれない。
浮世離れした男の創作活動に
彼女の喜びも重なるからであった。


文芸論、書評論、カクテル論の三つで構成された、
贅沢な小説
「美しい日本語の文章」を課題にしているだけに、
よく磨かれた卓越した表現が続くが、
所々無理に作った様な表現が見受けられ、
それが小説全体を冗長な印象にしている。
こういうめざましい表現は、
たまに出て来るから光るのであって、
のべつ出て来ては、
読者は疲れる。

だから文章は難しい。






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