娘を失った父の涙〜家、ついて行ってイイですか?  テレビ番組

5月15日にテレビ東京で放送された
「家、ついて行ってイイですか?」
の内容がジワジワと反響を呼んでいる。

この日、2本目の取材場所は大宮駅
取材日は4月18日。

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40代の男性に声をかけ、
家までついて行く承諾を得た。

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男性の名前は川上徳男さん。
47歳の板前で、

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ある事情で店を閉め、
今は知り合いのホテルの調理場を手伝ったりしているという。

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英語を話したり、おやじギャグを飛ばしたりの
気のいいお父さんという感じだった。

家は一戸建ての4LDK。

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12年前に離婚し、
娘二人は奥さんが連れて行ったので、
家族4人で住んでいた家に、今はひとり住まい。

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家のあちこちに和食の店をやっていた時代の
ケースやレジなどの商売道具が置いてあり、
閉店したのは3年くらい前。

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その理由については言葉を濁し、
「閉めざるを得なかった。
ものすごいみんなで賑わってたけど」
と。

娘たちの部屋のあった2階にはあまり上がらず、
リビングで寝る毎日。

娘2人のことを話す時は顔がほころぶ。

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時々娘たちと会い、
買いたいものを買ってやるのが

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「それだけが私の楽しみだった」という。

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お店に来た時には、
川上さんが作ったものは全て完食してくれたので、
張り切って食事を作った。

長女は負けず嫌い、学校でもトップクラスの成績で、
進学校に進んだ。

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次女は謙虚な、おくゆかしいところのある女の子だという。

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ここまでは、離婚歴のある中年男性の人生話にすぎないが、
スタッフが玄関につり下げてある背広について質問した時、
様相が一変する。

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今日、娘の裁判があって、そこに着て行ったのだという。
裁判?
そのわけは、奥の間に通されて分かる。

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そこには、小さな仏壇が。
3年前、長女が交通事故で亡くなっていたのだ。
その民事裁判が今日、あった。

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「3年前、長女が高校1年生のときに、
浦和でご老体に後ろから轢かれて亡くなったんだ」

運転していた人は、当時80歳だった。

「一生懸命頑張って進学校に入ってくれて。
したらその瞬間だからね、命奪われて」

「午後2時30分頃かな。
横断歩道渡り終えた娘が浦和駅に向かって歩いてたんですよ。
老人が運転する車、娘に気付かなくて、
助手席に奥さんが乗ってて『危ない!』って言ったらしいんですよ。
それで慌てたのか知らないけど、
アクセルとブレーキ踏み間違えたと言ってるんですが、
そのまま壁に向かってうちの娘を押し当てて、
5分も6分も10分も降りて来ない。その本人は。
周りの人間がダーンと窓叩いて、それでも降りてこない。
『何やってんだ!お前、早く降りろ!バックしろ!』。
それでもアクセル踏み潰してた。
娘が『ギャーー!』って言ってる声が
他のマンションの3〜4階まで響いてたってんだから」

長女は救急車で病院に運ばれたが、心肺停止。
開胸して心臓マッサージも行われたものの、
心臓の一番太い血管損傷で、失血で亡くなった。  

「たまたま(学校が)休みで、
コンサートに行く途中でした。
12月23日。あと2日で誕生日ですよ。
25日誕生日だから」
そのため
「12月が来るのが憂鬱でしょうがないです」

刑事裁判の判決は、実刑禁固1年6か月
民事裁判の判決は、この秋口くらいに出るという。

「ただ、その加害者、きょう裁判所行ったら、
2月7日に死にましたっていうんだ。
ふざけんなって話だよね。
オレ、どこに誰に、何を言えば良いの?
それで判決出た、出ない?
冗談じゃないよね。
お金払う、払わない。
そういう問題じゃないよ。
納得なんていくわけないのに、
納得いかされちゃうんだから、
判決として」

「(娘が亡くなってから)何も手がつかないですよ。
(事故当日)店もお客さんいたんですけど
それを放り投げて、そのまま(病院に)向かって、
そのまま(店を)閉めて、
収入も入らぬまま家賃だけ支払って。
(店維持するのは)不可能じゃないですか、事実上。
ですから、店を畳んじゃいました」

「僕は、娘が亡くなった時に、
いても立ってもいられなくて、
数日後には、秩父お遍路参りから
四国のお遍路参りまで全部やった。
真冬の山頂行ったら、
まだ雪があるところもあって、
これで命落とすんじゃないかなっていうくらい、
辛かったですよ。
でも、もっと辛いことしてなかったら、
この辛さが乗り越えられなかった。
(お遍路に)半月以上かかりましたね。
無心で、この子が成仏できますように、
っていうことだけを祈ってた。
寒さも痛さもさほど感じなかったなあ。
親として出来るのは、そんな事だけだもん」

裁判が終わるたびに
事故現場とお墓に行くという。
事故現場に行って、
拾った車のパイプと柵板の破片は仏壇の中に入れてある。

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「ここに、娘が痛い思いをしたんだなって思うと、
ギューッと握りしめて、
少しでも痛さを和らげてあげたくって」

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「悔しくて、無念で、仕方がない。
なんにもしてあげられなかった」


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「抱きしめたいよ……。抱きしめたいよ……。
抱きしめたいですよ……」

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長女の写真を並べる川上さん。

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「こんなちっちゃくて、こんなに……
この子がいなくなっちゃったと思ったら、
死にてぇよ、オレだって。

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かわいいだろ?
こういう写真見ちゃうと
悲しみが先に来ちゃって、前に行けねぇよ」


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娘の名簿が残っているのか、
成人式の晴れ着のパンフレットが送られて来るという。

「こういう、娘が着るはずのお便りがいっぱい来ますよ」

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「この子の友達は、みんな成人して、
子ども産んでってなりますけどね。
その幸せを全部
16歳っていう若さで奪われたんだから、
辛い・・・」


今は、支えとなっているのは、次女。
陸上競技やって、頑張っている。
長女の歳を越えて、この8月で17歳。

「食事に行ったり、買い物に行ったりしてますよ。
あの年でも、僕が手を繋いだって、
決してていいやがらない。
嬉しいですよ。
普通だったら、
みんな手を繋いでくれないでしょ?

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お姉さん亡くして、
その子が一生懸命やっている姿を見ると
もっとこっちがしっかりしなきゃ、と思ってますよ。

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情けないけどな。
逆に救われちゃっている部分があるから」

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最後に、スタッフは「お店を再開する気持ちは?」と質問。

「ありますよ。この裁判が決着して、
私なりにもう一度やれる力があると思えば、
決断してやろうかなと思ってますよ。
そうすれば下の子にもご飯食べさせてあげられるし。
僕が作ったものは美味しいって言ってくれてたから。
もう1回、プロフェッショナルになりますよ。
それは……娘に約束したいかな」

あまりにも重い内容に、
番組のキャストも絶句。  

放送後、ネットでは
「涙が止まらない……」
「途中から泣いちゃってちゃんと見てられなかった」
「お父さんの『抱きしめたい』が本当に辛い」
「高齢ドライバーの講習に使って欲しいくらいの、
すごく、すごく意味のある回だったと思う」
「どうか一人でも多くの人がこれを見て、考えて欲しいな」
など、さまざまな声が上がっている。
「高齢ドライバーの人に見てもらって考えてもらいたい」
「免許更新時に今日の家ついて行ってイイですか流せばいいと思う」
「車を運転する人は全員見るべき」
「心揺さぶられる回だった」

大宮駅からタクシーで家に向かう途中の様子では、
明るい、ひょうきんなお父さんに見えたが、
その背後に、こんなに大きな、深い悲しみを抱えていたとは・・・
私は、川上さんに、惚れた。

高齢者の交通事故が取り沙汰されているが、
被害者家族の悲しみがどんなに深いかを知らされた。

人生について、命について、家族について
深く考えさせられた番組だった。


小説『崩壊の森』  書籍関係

[書籍紹介]

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「傍流の記者」で直木賞候補となった本城雅人による、
新聞社のソ連特派員の話。

1987年、東洋新聞の記者・土井垣侑(どいがき・たすく)がモスクワに降り立つ。
当時はゴルバチョフの時代で、
彼の提示したペレストロイカ(再建)が
本当に実績を挙げるか疑問視されていた。
旧ソ連だから、取材活動には制限が多く、
政府発表の中にどれだけ本音を織り込めるかがキモで、
本社からは当局を刺激しないよう「特ダネ禁止」を言い渡されていた。
そんな中、土井垣は、居酒屋に出没し、
市民とウォッカを飲みながら、本音を聞き出し、
生きた情報を日本に発信しようとするが、
ソ連政府の監視を様々な点から感ずる毎日だった。

今から思えば、ソ連崩壊は、
20世紀の10大ニュースの一つだった。
アメリカとの二大国で世界を二分し、
覇権を争った超大国が
ああいう形で崩壊するとは、
誰も予想がつかなかっただろう。

本書は、その激動の時代に
ソ連特派員として赴任した一記者の奮闘を描く。
なにしろ共産党の一党独裁の国である。
国民に対する監視が広く編み目のように張りめぐらされ、
自由な発言が出来ない、
今の日本からは考えられない制度の国である。
それというのも、社会主義という経済体制が
人間の本性に反していたからなので、
その体制の齟齬を
強権で抑圧しようとしたことに起因する。
このままでは国が滅びると危機感を募らせたゴルバチョフによって
改革、つまり民主化と自由化が導入されたわけだが、
1920年以来、70年余にわたって平常化した体制が
そう簡単に意識改革できるわけではない。

紆余曲折があり、
ゴルバチョフ側近によるクーデターが失敗し、
エリツィンの台頭で
ソ連の崩壊に至るわけなのだが、
その過程を日本人記者の視点が描くこの小説は、
ソ連崩壊の裏側を知る意味でも貴重な本だ。

情報源となったユーリは、このように言う。

「ソ連にはソ連国民にしか分からない事情があり生き方がある。
そうでなければ世界のどの国よりも先に、
この国にマルクス=レーニン主義が根づくことはなかった」
彼の説明はここでも正鵠を射ていた。
気候的に農作物が育ちにくい国だからこそ
国民生活は行き詰まり、
そこに入り込んできたのが社会主義である。


物語の背景として、
ベルリンの壁の崩壊、
ルーマニアなどを代表する社会主義政権の凋落、
バルト三国の独立など、
当時の世界情勢が激動の時代だったことが分かる。
それにしても、大規模な戦争や内戦もなしに、
よくもソ連はロシアに軟着陸したものだと思う。

共産党の拡大党中央委員会総会の決議内容を掴んだ土井垣が
「ソ連、共産党独裁の放棄へ」
スクープをものにするあたりはスリリング。
大誤報の心配に震えながら、
他紙、通信社の後追いを待つ24時間は、
記者生命を賭けた時間だっただろう。

これは実話で、
土井垣は、世界に先駆けてソ連崩壊をスクープした
実在の記者・産経新聞の斎藤勉氏がモデル。
斎藤氏はソ連とロシアに通算9年近く在住し、
一連の報道でボーン上田記念国際記者賞を、
「ソ連、共産党独裁を放棄へ」のスクープで
日本新聞協会賞を受賞している。

このスクープが確定した時、
土井垣の厳しい前任者の新堀に、電話で

「こういう記事を書くために私や馬場さんは長い間、
そこで辛抱してきたんだ。
これこそモスクワの特派員がいつか書かなくてはならない記事だ。
誰かに燃やされる前に、
世界に向かって報道しなくてはいけない記事だったんだ。
ありがとう」


と言われる場面は胸を打つ。

新堀に褒めてもらえるとは思ってもいなかった。
短い会話だったが、言葉からは
今とは比較にならないほど厳しい言論統制下で
記事を送り続けた先輩特派員たちの苦労が伝わってきた。
二人の顔を思い浮かべる。
今回の記事は先輩たちとともに書いたものだ。
いや彼らが書かせてくれた。
そう思ったら急に視界が曇った。


1991年12月25日
ゴルバチョフ大統領の辞任会見をもって
ソビエト社会主義共和国連邦は亡くなり、
クレムリンの横のソ連閣僚会議ビルの
ドームの上に立つ赤旗が下ろされ、
ロシアの三色旗に変わる瞬間を
土井垣は目撃する。

ユーリと同じく、土井垣の情報源だったボリスは、こう言う。

「ソ連共産党はマルクス=レーニン主義で結びついた
同志の集団だと言われてきたけど、
僕らにとっての社会主義思想は、
所詮はこの集団の中にいれば安全であり、
なおかつ自分たちに都合のいい
巨大な傘に過ぎなかったんだ」


最後に土井垣が後輩に特派員の内示の出た際、言う言葉が印象的だ。

「世界には自分の足で歩き、目で見て、
肌で感じなければ分からないことが沢山ある。
町に出て、沢山の人間から話を聞くんだ。
俺はそうやって真の友に出会えた。
きみはきみのやり方でいい。
ただ、報道するということは
歴史の最初の記録者になるということを、
決して忘れないでほしい」


「傍流の記者」同様、
臨場感あふれる描写が特派員の生活を活写する。
歴史の証言的意味もある
時代を振り返りながら、読みごたえのある一篇であった。

ソ連崩壊後に成立した国名は下記のとおり。

アルメニア
アゼルバイジャン
ベラルーシ
エストニア
ジョージア
カザフスタン
キルギス
ラトビア
リトアニア
モルドバ
ロシア
タジキスタン
トルクメニスタン
ウクライナ
ウズベキスタン                                    

そのうち、エストニア、ラトビア、リトアニア、ロシア、ウズベキスタンの
5カ国は行っているが、
ふと「ああ、ここは昔ソ連圏だったんだ」
と思うと感慨深いものがあった。

また、チェコやハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、
ポーランドや旧ユーゴスラビアの国々を旅すると、
「昔は鉄のカーテンの向こうで、
入ることが困難な国だったんだ」
と思ったりもする。

旧ソ連を中心とする社会主義国家群は、
20世紀の一時代を象徴するものになった。
後は、一党独裁を続ける中国がどうなるか。
未だに言論統制をしている国だが、
何年か後には、
このような小説が書かれるのだろうか。

「傍流の記者」の本ブログでの紹介は、↓をクリック。

http://star.ap.teacup.com/applet/shokuniku/20180918/archive

                                        

映画『ザ・フォーリナー 復讐者』  映画関係

[映画紹介]

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ロンドンでレストランを経営する中国人のクァン(ジャッキー・チェン)は、
愛する高校生の娘の成長を見守っていたが、

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娘は無差別テロに遇い、
クァンの目の前で命を落としてしまう。
クァンは犯人を探し出し、復讐を果たそうと決意する。

クァンには中国からタイとシンガポール経由で脱出した過去があり、
その途中、妻と娘二人を失っていた。
だからこそ、一人娘への愛情は深い。
今は隠退して穏やかな日々を送っているが、
実は元特殊部隊に所属していた。
その封印した過去のスキルを生かし、
復讐のための戦術を展開する。
標的は、テロリストとつながっていると見られる、
北アイルランドの副首相ヘネシー。
クァンはヘネシーと強引に面談し、
犯人の名前を聞き出そうとするが、
ヘネシーはとぼけて真相を明かそうとしない。
そこで、クァンはヘネシーを追い詰めるために・・・

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いつものジャッキー・チェンの映画と違い、
ジャッキーはさえない初老の市井人として現れる。
しかも、娘を殺されて復讐の念にかられる男。
だが、一市民の彼にどんなことが出来るのかと心配していると、
次第に特殊部隊時代に培った技術が現れて来る、
という趣向。
ジャッキー・チェンの年齢を考慮した、うまい設定だ。
今度はアクションはないのか、
と心配していると、
ちゃんとアクションも見せてくれる。
それも、年齢に合わせたレベルで。
体力の落ちた中、必死に闘う姿が胸を打つ。
ただし、ジャッキー・チェンのコミカルな面は完全封印
終始、娘の復讐を目論む沈鬱な男を造形する。

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ヘネシーには、元ジェームズ・ボンドのピアース・ブロスナンを配し、

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監督は、「007 カジノ・ロワイヤル」(2006)のマーティン・キャンベル
英国の風土の中で
中国人のジャッキー・チェンが活躍する。
始めから最後まで、
緊張感もほどほどで、
面白く観れた。

5段階評価の「4」

予告編は↓をクリック。

https://youtu.be/6u-X0togL3c

新宿ピカデリー他で上映中。

タグ: 映画

なつかしい町を散策  身辺雑記

今日は、朝から、親戚筋と待ち合わせて、渋谷へ。

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まず、ここへ。

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ここからは、コーヒーを飲みながら、
スクランブル交差点を見ることが出来ます。

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で、このコーナーへ。

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アベンジャーズBリーグのコラボ。

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ちょっと関係者が関わりましたので。

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ポスターや

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Tシャツなど。

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その後は、この道を通って、
代々木八幡方面へ。

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このあたりは、最近、「奥渋」と呼ばれているようです。

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ここで奥渋は終わり、

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番地が富ケ谷に変ります。

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ここが富ケ谷の交差点。

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代々木公園のこの場所で

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渋谷から来た井の頭通りは、90度曲がります。

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代々木公園が、昔、ワシントンハイツという
米軍の施設であったことは
もう忘れられています。

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この路地の奥にあった家に
昭和33年から37年まで、
4年半ほど住みました。

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今はもう、別のビルが建っています。

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路地の奥のここは、
昔は川で、宇田川といい、
渋谷川に合流していました。。

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今は塞がれ、暗渠となっています。
こういう表示に、昔の名前が残ります。

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随所にあるくねくねした道は、

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全て、昔の川の名残。

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ここにある石碑は、

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「春の小川」の歌碑

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宇田川の先は河骨川(こうぼねがわ)といい、
文部省唱歌「春の小川」(高野辰之作詞、岡野貞一作曲)
のモデルとなったと言われています。

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春の小川は、さらさら行くよ。
岸のすみれや、れんげの花に、
すがたやさしく、色うつくしく
咲けよ咲けよと、ささやきながら。

というのは、1947年改訂版の歌詞で、
1921年のオリジナル版は、
文語で、↓のようでした。

春の小川はさらさら流る。
岸のすみれやれんげの花に、
匂いめでたく、色うつくしく
咲けよ咲けよと、ささやく如く。

この道を進むと、

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小田急線代々木八幡駅に至ります。

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1927年(昭和2年)4月1日に開業。

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その上を環状六号線(山手通り)が走ります。

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そこを少し歩くと、

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代々木八幡宮があります。

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「代々木八幡駅」のいわれは、この神社にあります。

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応神天皇を主座に祀り、天祖社・天照大神、白山社・白山大神を配祀します。

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建暦2年(1212年)、
源頼家の近習・近藤三郎是茂の家来であった
荒井外記智明によって創建されました。

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海抜32mの台地の上に建つ神社は

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周囲の喧騒とは隔絶した
深閑とした雰囲気に守られています。

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今上天皇が直接植樹されたわけではありません。

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令和を祝う幟。

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これは、遺跡。

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昭和25年、境内の発掘調査が行われた際、
縄文時代の住居跡などが発見されたもので、
竪穴式住居を復元。
4500年前の住居跡です。

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代々木八幡宮、55年ぶりのお参りでした。

ここは私が小学校5年生から2年間通った富谷小学校

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この井の頭通りが
中学への通学路。
昔は水道道路と呼んでいました。

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ここに貸本屋があり、
毎日通いました。

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途中にあったこれは、

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古賀政男の博物館

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通学途中、この大豪邸を見て、ため息をついたものでした。
この道を折れたところにあるのが、

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上原中学校

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私の母校です。

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小学校6年の時、新聞配達をしたことがあり、
このあたりが担当地区でした。
夕刊のみの担当で、120部。
お給金は1200円。
当時の小学生にとっては、大金でした。

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ここからは回教のモスクが見えます。

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代々木八幡、代々木上原と回って、終了。

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60年前にタイムスリップする散歩でした。


以前、似たような探訪をした記事は、↓をクリック。

http://star.ap.teacup.com/applet/shokuniku/20140614/archive



小説『団塊の秋』  書籍関係

[書籍紹介]

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「団塊の世代」という言葉の生みの親・堺屋太一が描く、
団塊世代の老後と日本経済の未来予想についての小説。
刊行が2013年で、
小説の描く世界は2015年から始まり、
2017年・2020年・2022年・2025年・2028年と辿るので、
一部は既に「未来」ではなくなっている。

登場人物は2015年の時点で既に68〜70歳、
最後の2028年には81〜83歳ということになる。
堺屋氏が亡くなったのは83歳だから、
自分の将来を見越している。

登場するのは、男性6名、女性1名。
1971年の3月、
「カナダ・アメリカ15日間の旅」に
学生割引で参加した12人のうち、
その後、不定期に集まる「加米(カメ)の会」に
最後まで出席した7名の、その後を描く趣向。
「加米」とは、加奈陀(カナダ)と米国(アメリカ)から取って命名。

登場人物は、それぞれ
東大→都銀→不動産会社
東大→厚生省
早稲田政経→新聞社→雑誌社
慶応義塾経済→商社→家業の建設会社
関西学院→総合電機メーカー→運送会社
京大→法曹界→国会議員
女子大→高校教師
の道を歩む。

女性1名を除き、
男性6名は全員エリートである。

6名の生涯は、日本経済が絶好調の時代を通り、
ハブルがはじけ、経済が傾き、
更にリーマン・ショックで追い打ちをかけられ、翻弄される。
しかし、退職金は6千万ももらい、
年金は月50万、
悩みは、孫に会えないとか、
娘がアメリカで音信不通などという、
贅沢な悩み。
生活に困窮したのは、
建設会社を倒産させ、一文なしになった人物だけ。
その人でさえ、再起して、一軒家を構えるまでになる。

「団塊の世代の秋」を描くにしても、
庶民ではなく、
いわゆる「勝ち組」のことなのだ。
バブルの日本を享受し、
海外暮らしを堪能し、
経済的にも恩恵を被った人々だ。
だから、彼らが人生を振り返り、
思うにまかせなかった岐路を悔やんでも、
「何を言ってるんだか」という気持ちになる。
総量規制もハブルの崩壊もリーマン・ショックも、
もっと深刻な影響を受けた人々がいただろうに。

こんなエリート層の話ではなく、
高度成長を末端で支えた、
本気で時代と対面した人々の話を書いてほしかった。

したがって、読書レビューの評価はすこぶる悪い。

あれだけの方にして、この内容。残念な気持ちで一杯。

つまらない。
前半はエリート意識丸出しの会話中心で、
後半は残念な晩年が描かれているが、
結局何が言いたいのであろうか?

上手くいった時は自分の技量と頑張りの賜物、
上手くいかなかった時はご時世と政治のせいにするのね。


中には
堺屋太一、老いたり
というのもあった。

民主党政権やその後の安陪政権のことなど、
少しも触れず、
未来予測小説としては、
適切でない気がする。

作者インタビューで、

「どうすれば定年後を充実させられますか」という問いを、
多くの団塊の世代から受けます。
私の助言はひと言、「好きなことをしなさい」。
自分の好きなことを正しく見いだし、
それに打ち込めば、
好きなことにつながる人脈の真ん中に立つことになります。
好きなことはさらに楽しくなり、
持ち時間を実に豊かにしてくれます。
この小説は、その「好きなこと」を見いだす
手助けにもなるのではないか、と思っています。


と言っているが、不思議。
ほとんどの人が、
その「好きなこと」う見つけられなくて
苦労しているというのに。

次のような言葉は、ちょっと響いた。

人の生涯には
何度か重大な岐路がある。
その時、どの路(みち)を選ぶか、
三割は本人の決断、
三割は周囲の状況、
残りの四割は偶然の運で決まる。

「ほんまに怖いのは
自分だけが貧しくなることや」

「今日会った三友(銀行)OBたちが
武士のなれの果てとすれば、
岡本君は町人。
武士は上下(かみしも)姿で威厳を整え、
専門用語を使って部外者を恐れさせてはいるが、
組織を離れればただの年金生活者、
後の世代の世話になるしかない」

「2003年10月の加米の会、
あの時は日本の未来の問題がいろいろ出た。
けど、どれも未だに解決されていないなあ」


2022年の予測記事で、
ユーズド・マーケットが大繁盛
という記事はぎょっとさせられた。
20世紀の成長期に
豊かな暮らしをした人たちが死亡して、
その遺品が出回っているのだという。
「日本のユーズドには高級品が多い。
日本のユーズドはブランドだ」という。

最後のセリフは、これ。

「年を取るのは、
想定した以上に
難しいもんだなあ・・・」


何だ、これ。





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