小説『沈黙法廷』  書籍関係

[書籍紹介]

クリックすると元のサイズで表示します

佐々木譲による警察小説+法廷小説
「北海道新聞」「中日新聞」「東京新聞」「西日本新聞」の朝刊に
2015年4月26日から2016年6月22日まで、
「河北新報」の夕刊に2015年5月11日から2016年9月28日まで
連載されたものを加筆・修正されて
2016年に新潮社から刊行された。

北区岩淵で、馬場という独居老人が殺された。
マッサージチェアに坐っているところを
背後からベルト様のもので首を絞められたのだ。
数日前に不動産取引の手付金として届けられた
300万円が消えていた。

やがて捜査線上に一人の女性が浮かび上がる。
個人で家事代行業を営む山本美紀という30歳の独身者。
馬場宅の掃除を4回引き受け、
殺害日の前日、電話で依頼を受け、5回目の訪問をしていた。
しかし、留守だったので、近所で時間をつぶした後、
連絡がなかったので、家に帰ったという。

捜査にあたった伊室と西村は、
本庁から捜査本部にやってきた鳥飼の
やや強引な方針に引っ張られ、
山本美紀を犯人と断定する。
しかし、埼玉県警も美紀に目をつけていて、
伊室たちの面前で任意同行で連れていってしまう。

埼玉の事件は、一年前、
やはり美紀が家事代行をしていた先の老人が
風呂場で溺死したというもの。
当時は事件性なしと判断されたが、
家族からの要請で再び捜査しているというものだ。

一旦逮捕した大宮署だが、結局送検出来ず、
美紀は放免された。
その直後、今度は赤羽署が美紀を逮捕した。
その報道の中、もう一件、美紀がらみで死亡事件が出て来た。
一年半前、高齢男性が入水自殺をし、
その男性の家にも美紀が家事代行で出入りしていたというのだ。
しかも、その男性は遺言に美紀へも遺産を残すと書いていた。

更に、別な高齢男性が「中川綾子」と名乗っていた美紀と知り合い、
多額のお金を渡していた事実も出て来た。

マスコミは「首都圏連続不審死事件」と命名して、
美紀を高齢者に取り入り、金銭を奪い、
場合によっては死にし至らしめる毒婦、という扱いをして、
報道は加熱した。

しかし、美紀は犯行を否認し、
国選弁護士としてついた矢田部にも
心を開こうとしなかった。
そして、公判で被告人質問になった時、
順調に質問に答えていた美紀が、
休憩後の入廷時、
二人の傍聴人と目を合わせた途端、
「答えたくありません」を連発して、
黙秘してしまった。

これが「沈黙法廷」という題名の意味。

それに、美紀と3年半ほど前に
ネットカフェで知り合って深い仲になり、
実家に行く予定をすっぽかされ、
姿を消されてしまった高見沢弘志という青年の話がからむ。
弘志は勤め先の寮のテレビで事件を知り、
逮捕されて連行される美紀の映像を見て衝撃を受ける。
当時美紀は「中川綾子」と名乗っていた、その人だったからだ。
弘志は裁判を傍聴することを決意し、
失業覚悟で仕事を休んで上京し、
抽選で当たった時、傍聴していた。

物語は「第一章 捜査」「第二章 逮捕」「第三章 公判」に分かれ、
捜査段階、警察での取り調べ、裁判の経過をていねいに辿る。
そのていねいさは半端ではなく、
この詳細さが作家の魂というものだろうと納得する。

視点は捜査本部の刑事、
国選弁護人矢田部、
犯人でないと信ずる弘志、
三人の視点が主。
裁判の場面は本職の弁護士の助言と教示によるもので、
詳細を究める。
既に描写したことを辿ることになるので、
やや退屈なところもあるが、
しかし、全体を見たら、
裁判の姿はよく分かる。

物的証拠なし、状況証拠だけでの逮捕、告訴は、
通常ではあり得なく、
埼玉県警との手柄争いで、そうなったというのは分かるが、
この程度の状況証拠では、検察は動かないだろう。
このあたりがこの小説の唯一の弱点か。

ただ、本庁刑事による見込み捜査が冤罪を生む、
というのはよく分かる。

無罪判決が出た後の赤羽署の刑事の述懐。

「埼玉県警に気を取られ、
要らぬ競争心まで燃やして、
捜査の対象を早々と山本美紀に絞り込んでしまった。
先入観なしに捜査を続けていれば、
違うものも見えてきたはずなんだ」


美紀も弘志も底辺の人間で、
失業にあえいでいる。
その苦しい状況はよく描かれている。
大宮署の尋問で年収を訊かれ、
美紀が
「貧乏であることは、犯罪ですか?」
と反駁するのには、胸を打たれる。

興味深かったのは、ネットカフェで倒れている人が出ても、
カフェのフロントが救急車を呼ぼうとしないあたり。
弘志が救急車を呼ぼうとすると制止し、
館内放送が「救急車がここにやってきます」
と告げるのは、
警察が来るかもしれない、という警報だった。
事実、住人の何人かは慌てて退出している。

また、類似の事件があったにせよ、
これだけの材料で「連続不審死事件」として
センセーショナルに報道する
マスメディアの在り方は、
警察の見込み捜査より罪が深い。

さすが佐々木譲、という感じで、
一つの事件を巡っての
人間模様が素晴らしい物語に仕上がっている。


WOWOWで連続ドラマWとしてドラマ化された。

山本美紀に永作博美、

クリックすると元のサイズで表示します

高見沢弘志に市原隼人、

クリックすると元のサイズで表示します

伊室に杉本哲太、
矢田部に田中哲司を配し、

クリックすると元のサイズで表示します

特に永作博美はノーメイクで熱演。
なかなか見応えのある連続ドラマとなっていた。

ただ、原作とは様々な改変があった。

捜査に当たる伊室と西村は原作では男性2人のコンビだが、
ドラマでは西村は女性になっている。
弁護士の矢田部の造形が違い、
原作ではうるさ方と恐れられる敏腕弁護士だが、
ドラマでは、弁護実績もなく、
給料が払えなくて事務所の職員にも逃げられる
情けない弁護士に設定されている。
そのわりにはしっかりした弁護で、ちょっと整合性に欠ける。
矢田部が弁護に付くのは、
原作では自分で望んで国選弁護士になるが、
ドラマでは弘志からの要請を受け、
弘志の金銭的負担(の約束)で引き受ける。
原作では矢田部と弘志は最後にようやく会い、
それまでの接触はない。
本庁刑事の鳥飼がドラマではいやみな人物像が増幅している。
原作にある被害者の馬場がデリヘル嬢を買っていた、
という設定はドラマではなくなっている。
美紀を「毒婦」と決めつけて過剰な報道をする
テレビ局のプロデューサーは原作には登場しない。
弘志がテレビに出て、
それが巧みに編集されて利用される挿話は
ドラマ独自の展開。
美紀は何の資格もない人間だが、
ドラマでは、看護師として
病院勤務の経験があることになっている。
弘志は病院にまで聞き込みに出かけ、
報道に乗った悪口とは反対に
美紀が真摯な態度で患者に接する
優秀な看護師だったと知る。
その美紀の性格ゆえに、
孤独な高齢者の琴線に触れた、ということになっている。
公判での展開もかなり違っており、
ドラマでは馬場と美紀の心の交流まで踏み込んでいる。
反対に、原作にある、内縁の妻になってほしい、
と申し込んで美紀に金銭的援助をする男性は、
ドラマには登場しない。
美紀がネットカフェで倒れた男性の心臓マッサージしながら、
弘志に「救急車を呼んで下さい。あなたに言っています」という
セリフはドラマの創作。
しかし、なにより大きな改変は、
真犯人そのものの変更で、
それは、デリヘル嬢のくだりをカットしたことに連動している。

クリックすると元のサイズで表示します

脚本は尾崎将也、三浦駿斗。
監督は村上牧人、東田陽介。


映画『ふたりの女王 メアリーとエリザベス』  映画関係

先週のことですが、
娘は、さいたまスーパーアリーナに日参。
フィギュアスケート世界選手権
羽生選手を応援するためです。
男子ショート、男子フリー、そしてエキシビション。
3日間。

表彰式の背後に娘の姿が。

クリックすると元のサイズで表示します

このどれかが娘です。

クリックすると元のサイズで表示します


[映画紹介]

クリックすると元のサイズで表示します

最近、「ヴィクトリア女王 最後の秘密」、
「女王陛下のお気に入り」と
イギリスの女王の話が続いていたが、
この「ふたりの女王メアリーとエリザベス」もその一つ。。
前2作が日本の江戸時代の話に対して、
本作は時代を遡って、
日本の戦国から安土桃山時代の頃の話。
ただ、「ふたりの女王」は、日本で付けた題名で、
原題に「Mary Queen of Scots 」とあるように、
メアリーの方が比重が重い内容になっている。
過去にもヴァネッサ・レッドグレイブ(メアリー)と
グレンダ・ジャクソン(エリザベス)共演の
「クイン・メリー 愛と悲しみの生涯」(72)や、
ケイト・ブランシェッがエリザベス1世を演ずる「エリザベス」(99)があり、
映画の題材として興味が尽きないようだ。

メアリー・スチュアートはスコットランド女王(在位 1542-1567)で、

クリックすると元のサイズで表示します

1542年に生まれ、
誕生の6日後、
父親であるスコットランド国王ジェームズ5世が死去し、
0歳でスコットランド女王に。
イングランドから命を狙われていたため、5歳でフランスに渡り、
15歳でフランス王太子と結婚し、
スコットランド女王にしてフランス王妃に。
しかし、18歳で未亡人となり、
スコットランドに帰国、親政を行う。

エリザベスT世はイングランド女王(在位 1558-1603)で、

クリックすると元のサイズで表示します

1533年、イングランド国王ヘンリー8世と
アン・ブーリンの間に生まれる。
アン・ブーリンは、あの「1000日のアン」(69)に描かれた人。
3歳で母が刑死したため、エリザベスは庶子と見なされ、
一旦は王位継承権を失うが、
異母姉のメアリー1世が死去し、
1558年、エリザベス1世として即位。

メアリーとエリザベスは同じ血筋であるが、
庶子であったエリザベスに対して、
メアリーはイングランドの正統な王位継承権を主張したため、
二人の間に確執が生じた。

また、二人はメアリーがカトリック、
エリザベスがプロテスタントとの
宗教的背景があり、これも対立の要素だった。
ローマ教皇を含む多くのカトリックは、
メアリーがイングランド女王であると考えていた。

エリザベスは29歳で天然痘にかかり、
肌に痕が残り、
髪は半ば禿げあがり、
外見的なコンプレックスがあった。
一方、メアリーは長身で、
フランス仕込みのセンスの良い衣服装飾を好み、
「美貌の女王」とも言われた。

「恋多き女」とも言われ、3度の結婚をしたメアリーに対して、
エリザベスは国際紛争や国内派閥の形成を避けるため、
生涯結婚を拒否し、「国と結婚した」と言ったという。

物語は、1561年、
夫であるフランス王フランソワ2世が崩御したため、
18歳のメアリー・スチュアートが
故国スコットランドに帰国するところから始まる。

クリックすると元のサイズで表示します

しかし、宮廷は王位を巡って権謀術数、陰謀が渦巻く場所で、
メアリーには幾多の反乱が襲いかかる。
メアリーは同じスチュアートの血を引く
ダーンリー卿ヘンリー・スチュアートと結婚するが、
愛人である秘書のデイヴィッド・リッチオが
目の前で殺されたばかりでなく、
夫も暗殺されてしまう。
メアリーは息子ジェームズを出産するが、
リッチオの子だと噂する者が流れ、
旧約聖書のダビデ(デイヴィッド)の子を意味する
「ソロモン」と呼ぶ者がいたという。

一方、エリザベスは、
早く世継ぎを産むようプレッシャーをかけられており、
メアリー帰国の知らせに、枢密院内は緊迫した空気が走る。
また、ジェームズ出産の知らせはイングランド宮廷をざわつかせた。
メアリーはエリザベスに
ジェームズの代母になってくれるよう依頼する。

やがて3度目の結婚をしたメアリーは
売女と呼ばれ、陰謀にあって廃位され、
エリザベスに庇護を求める。

この二人が初めて対面するシーンはなかなかの迫力で、
男社会で孤軍奮闘し、
女性として世を治めるとはどういうことなのかに苦しみ、
誰よりも理解し合えたはずのふたりの女王。
しかし、生まれた時から
王位継承権のライバルだったとふたりの女王。
対立し合いながらも、
心の奥底で繋がっている二人の対決は、
この映画屈指の名場面だ。
メアリーを演ずるシアーシャ・ローナン

クリックすると元のサイズで表示します

エリザベスを演ずるマーゴット・ロビーの演技合戦は見もの。

クリックすると元のサイズで表示します

垂れ下がった布越しに見合う二人の姿が緊張を呼ぶ。
シアーシャは、貴族の気高さと、
誇りと高慢さがないまぜになり、
何をやらせてもうまい。
マーゴットは容姿のコンプレックスが如実に出て秀逸。
舞台演出家で本作で長編監督デビューしたジョーシー・ルークの演出が冴える。
そして、英国の役者の面々が貴族を演じ、
英国俳優の層の厚さと底力を見せる。

クリックすると元のサイズで表示します

エリザベスの庇護下に入った後、
すぐに斬首の場面になるので、
直ちに処刑されたかのように見えるが、
あの間に18年が経過している。
メアリーはたびたびイングランド王位継承権者であることを主張し、
エリザベス廃位の陰謀に関係したとして、
死刑が言い渡された。
エリザベスは死刑執行書への署名を渋ったが、
結局枢密院の議員の前で署名。
1587年2月8日、メアリーは44歳で処刑された。

クリックすると元のサイズで表示します

これによってエリザベスの王位は盤石なものとなり、
ウィリアム・シェイクスピアなどの
イギリス文学の巨匠たちが円熟期に入っている。
この時期、英国演劇は最高潮に達した。
約45年の統治を経て、1603年、69歳で死去。
エリザベスはジェームズを次期王位継承者とし、
既にスコットランド王に即位していたジェームズは、
イングランド王位を継ぎ、
以後スコットランドとイングランドは同君連合を形づくり、
18世紀のグレートブリテン王国誕生の端緒となった。
終生未婚で、子孫を残さなかったエリザベスT世に対し、
メアリーの血は連綿として続き、
以後のイングランド・スコットランド王、
グレートブリテン王、連合王国の王は、
すべてメアリーの直系子孫
歴史の皮肉といえよう。

クリックすると元のサイズで表示します

従姉妹に近い関係である
スコットランド女王メアリー・スチュアートと
イングランド女王エリザベスT世の
対立と共感の波瀾の人生を描いた伝記ドラマ。
コインの裏表のような存在が描かれ、
見応えのある作品だった。
それにしても王権を巡っての争いは熾烈を究めている。

5段階評価の「4」

予告編は↓をクリック。

https://youtu.be/edC14v560L8

TOHOシネマズシャンテ他で上映中。

タグ: 映画

日本のイノベーションC  様々な話題

日本のイノベーション、
今回は生活篇。


回転寿司

クリックすると元のサイズで表示します

日本の寿司は、8世紀以降、
長らく発酵食として発達してきたが、
江戸時代後期に握り寿司の手法が考案されたことで、
新たな食文化として発達をみた。

しかし、回転寿司が普及する以前は、
その調理は寿司職人の技量に依存するところが大きいことや、
価格も材料である生鮮魚介類の質
及び市場価格の変動に左右されることから、
どちらかといえば高級感のある料理と見られていた。
そのため、寿司店で寿司を食べることは
「ハレ」の行事と同等に意識され、
冠婚葬祭や入学・卒業など、
特別な機会に利用される場合も少なくなかった。

回転寿司の出現は、
こうした寿司文化に工場生産的な手法を持ち込むとともに、
個人経営が中心であった寿司店に
チェーン店経営方式を導入するなどして、
寿司をより大衆向きの食品として普及させるきっかけとなり、
日本人の食生活の中で大きな役割を果たしている。

かつての一般的な寿司店と比較して、
回転寿司の特色は主に、
以下の四つの点にまとめることができる。
@価格帯を事前に明示し、
 期待した予算内での消費を可能にしたことで、
 家族や若年層など、多様な所得層、年齢層が
 寿司を受益できるようになった。
Aベルトコンベアや皿数の管理システムなどを導入して、
 極めて安価に寿司を提供できるシステムを構築した。
B寿司を自動的に顧客の手元に届けるシステムを導入して、
 提供側の作業待ち時間及び
 受益側(消費者側)の待ち時間を最小化し、
 従来の寿司店にはない経済的な効率性を生み出した。
C従来の寿司店の多くが個人商店であるのに対し、
 回転寿司店の多くは企業チェーンが運営している。

回転寿司のビジネスモデルは、単に日本国内にとどまらず、
今や世界中に普及している。

                                           ○カラオケ

クリックすると元のサイズで表示します

カラオケは、事前に録音された伴奏を再生し、
その演奏に合わせて合唱・合奏するレクリエーションである。
このようなカラオケ産業は、
1960年代から多数の人々の発明や創意工夫によって
成長してきた。

カラオケに関連する市場は多岐にわたる。
全国カラオケ事業者協会は市場セグメントを
@スナックや居酒屋等のナイト市場
Aカラオケボックスや喫茶店等のデイ市場
Bその他宴会場や健康ランド、ホテル、観光バス等
に区分している。

カラオケ産業が社会に与えた影響も多岐にわたるが、
音楽文化への貢献としては大きく次の2点が挙げられる。

第一に、国民の歌唱レベルの底上げにつながったことである。
日本では元々義務教育において音楽が必修科目であり、
その中でも声楽教育が占める割合が大きいという状況があった。
また、戦後すぐの段階から、
ラジオでのど自慢大会番組が人気を博すなど
娯楽としての歌唱文化が成長する下地もあった。
このような素地にカラオケが加わることで、
老若男女問わず国民が日常的に歌を歌う機会が増え、
歌唱・声楽は国民的文化となったといわれている。

第二に、ポピュラー音楽の市場にも大きな影響を与えた。
1990年代にはカラオケで歌われる楽曲と
音楽の販売ランキングの相関が高まった
多くのミリオンセラーが誕生し、
それらの曲がカラオケで歌われることとなった。

日本で始まった“KARAOKE”は世界共通語となり、
世界各地に進出している。

                                        
コンビニ

クリックすると元のサイズで表示します

コンビニエンスストアは、
フランチャイズ方式の加盟店である小規模な店舗において
年中無休かつ長時間の営業を行って、
主に食品、日用雑貨などの多数の品種を扱う小売店である。

日本におけるコンビニの本格的なチェーン店の展開は、
米国で先行していたものを導入した1970年代前半に始まる。
第1号店は、1974年に東京都江東区にオープンした
店舗面積20坪強のセブン−イレブン豊洲店である。

1970年代はスーパーマーケットの成長期であり、
大量販売による店舗の大型化が進み、
また、ディスカウント販売が主流であった。
このことは、一方で既存の商店街等中小小売業との厳しい対立を生み、
大きな政治問題へと展開していく時期でもあった。

このような中でセブン−イレブンは、
既存小売店との共存共栄を目指す立場から
第1号店からフランチャイズチェーン店方式の導入を行った。
そして、小規模店舗であっても定価販売、
一方で長時間の開店時間や年中無休という
当時の小売業界の大小いずれとも異なる営業方式を採用し、
新たなビジネスモデルを実現したのである。

豊洲店のスタートとともに、セブン−イレブンは
独自のきめこまかな商品管理、
流通システムの改革(小分け配送システム) 、
情報処理等における先端技術の活用(POSシステム)等
画期的な手法を相次いで開発していった。
これにより消費者の評価を高め、
売上げは急増し、加盟店も増加していった。

セブン−イレブンの開業後、
相次いでローソン、ファミリーマートなど
多くの企業がこの分野に参入し、
現在では一大産業へと発展してきている。

日本のコンビニ産業は、
日本人の暮らしの変化に対応し、
近年においてはプライベートブランドの開発など
商品開発力を向上させるとともに単に小売業の範疇を超え、
コピー機設置、24時間稼働の銀行ATMの設置、
公共料金収納代行事務、宅配送サービスの取次など
次々と新サービスをも提供してきている。

さらに、日本で発展したコンビニ産業は、
今やアジアから世界へと市場を展開しつつあり、
セブン−イレブンの店舗数は
海外のそれが国内を上回るまでになっている。
                                           

宅配便

クリックすると元のサイズで表示します

日本人のほとんどが一度は利用したことがあるであろう宅配便。
この宅配便ビジネスに先鞭をつけたのは、
ヤマト運輸株式会社である。
1976年、ヤマト運輸は
「電話1本で集荷・1個でも家庭へ集荷・
翌日配達・運賃は安くて明瞭・荷造りが簡単」
というコンセプトの新しい宅配サービスを開始し、
これを「宅急便」と名付けた。

当時、
一般家庭向けの個人宅配を行っているのは郵便局のみであり、
民間の業者で行っているものは全くなかった。
それは、大口で安定的な需要を見込める商業貨物に比べ、
需要の予測もつかず、
また行き先もばらばらである個人宅配のビジネスは
採算が取れないという考えが支配的だったからである。
しかし、当時同社社長であった小倉昌男は、
ニューヨークを訪れた際に、交差点の4つ角に
ユナイテッド・パーセル・サービス社の小型トラックが
4台止まっていることに注目し、
個人宅配ビジネスの可能性を見出していた。
それまでの百貨店配送業務や貨物輸送用集配業務が伸び悩み、
転機を迎えていたことも
個人宅配ビジネスへの決断を促すものであった。

しかし個人宅配ビジネスを行ううえでは様々な障害があった。
当時トラックによる貨物輸送を行うには、
路線免許制により地域ごとの免許取得が必要であり、
地元物流業者等の抵抗があると
新規の免許取得に膨大な時間が必要となった。
このため1980年代まで、
宅急便を利用できるのは大都市圏を中心とした
ユーザーに限られていた。

さらに規制をクリアできても、
採算が取れるレベルにまで規模を拡大するには、
広く浸透している郵便小包から
利用者を奪わなければならなかった。
そのためには、全国規模の集配ネットワークの構築と、
「翌日配達」などを中心としたサービスの差別化が必要とされた。

こうした課題を一つ一つ解決した結果、
ヤマト運輸の宅急便は一般利用者に広く普及し、
民間による個人宅配ビジネスが可能であることを証明した。
宅急便の成功は他の運送会社の個人宅配への参入を促し、
民間による個人宅配便市場が確立したのである。
1976年1月20日に開始した宅急便が
その日に送り出した荷物はわずか11個であったが、
2013年の宅配便市場は36億3700万個にまで拡大し、
世界的なネットワークも広げつつある。


小説『天命』  書籍関係

[書籍紹介]

クリックすると元のサイズで表示します

安芸の小国人であった毛利家を
中国地方10国を治める日本一の大大名に育て上げた
毛利元就(もうり・もとなり)↓の半生を描く。

クリックすると元のサイズで表示します

父と兄を酒毒で亡くし、
兄の子の幸松丸を押し立てて21歳の時出た初陣で勝利をおさめ、
幸松丸の死によって毛利家の当主となった元就は、
言う事を聞かぬ重臣・井上一党を誅殺し、
実の弟の三郎を殺し、
名実共に毛利家のトップとして君臨する。

当時の戦国大名は、後の幕藩体制の大名の主従関係とは違い、
居並ぶ重臣たちとほぼ同等で、
彼らを説得してからでなければ何も動けなかった。
元就が毛利家の当主として
重臣たちから起請文で認められるまでには、
幸松丸の死によって当主の座についてから9年もかかっている。

毛利家といえど、
家中の者を勝手には成敗できず、
訴えをうけて裁判をひらき、
重臣衆と合議して処遇を決めていた。
なにしろ毛利家といっても、
一族や他の国人で構成する
同盟の中で指導的立場が認められているだけ、
というのが実態だったからだ。


だから、元就は、戦の決定について、次のように嘆く。

明日は重臣衆は評定しなければならない。
それも気が重いことだった。
少々大袈裟に言えば、
敵と戦う前に
味方と一戦しなければならないのである。


クリックすると元のサイズで表示します

毛利家は当時弱小領主で、
西の大内、東の尼子の大勢力に脅かされながら、
次第に毛利家の版図を広げていく。
その過程で優れた知謀を身につけていく。

しかし、その元就も、元々出家を望み、
隠居したがるなど、本質的には平和な生活を望みながら、
一国の当主であるという立場で、
いたしかたなく謀略の中に身を置く姿として描かれており、
興味深い。

自分が毛利の家督をついだのが二十七歳のとき。
それから今日まで十七年、
いや初陣から数えれば二十年以上ものあいだ、
毛利の家はずっと尼子と大内の二家の争いに巻き込まれ、
翻弄され続けてきた。
(中略)
その自分がいまや立場を変え、
尼子の城を攻めるようになっている。
最初は大内方だったのに、
一度は尼子方につき、
また大内方に現形(げんぎょう)したのだ。
生き延びるためには仕方がないとはいえ、
なんともあさましい。
いや、あさましいばかりではない。
二十代から四十代までの
人生の日盛りといえる時期を、
両家の勢力争いの中でもまれて、
右往左往するばかりで過ごしてしまった。
(中略)
そうして気がつけば四十半ばだ。
はや人生の黄昏が迫っている。
自分はいったい何をやってきたのだろうか、
と情けなくなる。


そして、こうも言う。

この数十年、あくせくはたらき、
合戦で家臣たちの命を落としても、
なにもいいことがなかった。
何のために命を的にして駆け回っておるのやら、わからぬ。


やがて元就は、自分の合戦の手腕が、
こまで出会ったどんな敵将や味方の将よりも上だ、
という自信が芽生えて来る。
そして、合戦に勝ち続ければ、大領主になり、
そうなれば、誰の指示に従う必要もなく、
好きなように生きることが出来るようになる、と思うのだ。

ある時、戦場で窮地に立たされ、切腹も覚悟した時、
かつて自分が成敗した男の息子によって救われる。
それを天のはからいとして、「天命」を感ずるのである。

元就がたびたび隠居を口にし、
そのたび、息子たちから反対されるのも面白い。

後継ぎの隆元は、こう思う。

知力といい気力、体力といい、
父にはとてもかなわない。
こんな人の跡を継がねばならぬとは、
なんという因果かと隆元は考え込んでしまう。

ああ、いくら父の代に大きくなっても、
自分の代になったら支えきれず、
毛利家はすぐに落ちぶれてゆくだろう・・・


その後、陶隆房(すえ・たかひさ)と対立しての厳島での戦い、
尼子の富田城の兵糧攻めのための5年にもわたる遠征。
大内氏、尼子氏を滅ぼして
中国地方全土をおさめ、
日本一の大名となりながらも、
天下を望むことはしない元就は、
結局、隠居の願いも叶えてもらえず、
その後も大内氏や尼子氏の残党との戦いは続く。
75歳で天寿を全う。

クリックすると元のサイズで表示します

毛利元就という、戦国時代の傑出した人物の一代記。
合戦シーンは、見ていたのか、と思うほどの詳細さ。
作者・岩井三四二の戦国ものは熱い。
元就は比類ない文章家で、残された手紙は多く、
そこから作者の想像力が刺激されたようだ。

その知謀と戦略と権謀術数のルーツとして、
最後に、幼少期の元就のある経験が出て来るのが興味深い。
妻であるおひさと義母である大方が魅力的に描かれている。
本書には出てこないが、
妻・妙玖が亡くなった後、
息子の隆元に宛てた手紙に
「この頃は、なぜか妙玖のことばかりがしきりに思い出されてならぬ」
「妙玖がこの世にいてくれたらと、いまは語りかける相手もなく、
ただ心ひそかに亡き妻のことばかりを思うのだ」
と書かれている。
愛妻家だったようだ。

死ぬ間際の元就が
3人の息子(隆元・元春・隆景)を枕元に呼び寄せて
三本の矢を使って、息子たちの結束の重要性を説いた逸話は出てこない。
そもそも臨終の場での遺言という話は、
元就より先に息子の隆元の方が死んでいるから、
そもそも成り立たない話だが、
元就が隆元の生きている間に、
息子三人の結束を指示する話は本編でも出て来る。
なお、三本の矢の逸話については世界中に類似した話があり、
中国の「西秦録」や、
チンギス・カンが母から与えられた教訓や、
イソップ寓話やアフリカ東部のソマリアにも類似の話がある。


元就の死後、孫の毛利輝元は
将軍・足利義昭を庇護し、
織田信長と激しく争ったが、
のちに豊臣秀吉に従属して、
安芸ほか8か国を安堵された。

しかし、輝元が関ヶ原の戦いで西軍の総大将となったことで、
敗戦後に毛利氏は周防国・長門国の2か国に減封される。

江戸時代には、萩に居城を新たに築城し、
長州藩(萩藩)になり、
外様大名ながら国主(国持ち)大名として
官位や江戸城の席次などで幕府から厚遇を得た。

江戸時代末期には、
藩主毛利敬親の改革が功奏し
長州藩から数々の志士が現れ、
明治維新を成就させる原動力となった。
明治維新後は公爵、貴族院議員などを輩出している。


映画『運び屋』  映画関係

[映画紹介]

クリックすると元のサイズで表示します

クリント・イーストウッドは1930年生まれの88歳
「恐怖のメロディ」(1971)で初監督以来、
48年間に39本を監督。
その間にアカデミー賞の監督賞受賞2回
老いても盛んで、
この10年間でも
「チェンジリング」(2008)
「グラン・トリノ」(2008)
「インビクタス/負けざる者たち」(2009)
「ヒアアフター」(2010)
「J ・エドガー」(2011)
「ジャージー・ボーイズ」(2014)
「アメリカン・スナイパー」(2014)
「ハドソン川の奇跡」(2016)
「15時17分、パリ行き」(2017)
と、ほぼ毎年のペースで監督作を発表している。
その創作意欲と企画力、スタジオに出資させる能力は抜群だ。

そのイーストウッドの新作が「運び屋」だ。
映画出演は2012年の「人生の特等席」以来。
自身の監督作品での出演は2008年の「グラン・トリノ」以来となる。

退役軍人のアール・ストーンは花農場を経営し、
家族を二の次にして仕事一筋に生きてきた。
業界の行事に出席していて、娘の結婚式を忘れるほど。
その結果、90歳になった今、妻・娘とは別居、
娘は12年間も口をきいてくれない。
事業に行き詰まって税金を滞納し、
ついに農場を差し押さえられてしまう。
娘の家に行っても、
娘はそっぽを向く。

途方にくれたアールに一つの仕事が舞い込む。
車で荷物を運ぶだけの作業だ。
無事故で反則キップも切られたことがないのが見込まれたらしい。
ガレージで荷物を受け取り、
指定された場所に車を止め、その場を離れる。
後で行くと、荷物は消え、法外な謝礼が置かれていた。
少々やばい仕事だと思っていたある日、
その荷物の中身が麻薬だったことに気づく。
アールが選ばれたのは、
運転の正確さだけでなく、
高齢故に警察に疑われにくいという面があったのだ。
一方、麻薬捜査官は運び屋の情報をつかみ、
その後を追跡するが・・・

クリックすると元のサイズで表示します

ニューヨークタイムズ・マガジンに掲載された実話をベースに、
事業に失敗し、家族にも見放された老人の悲哀を描く。
10年ぶりの主演をイーストウッドが引き受けたのは、
その年輪の孤独を表現できるのは、
自分しかいない、と思ったからだろう。
それほどイーストウッドの演技は真に迫っている。
それに加え、イーストウッドの演出が
見事なカット割のリズム、適切なフレームで、
観る者の心地よさを刺激する。
まさにベテランの演出力だ。

物語は意外な展開を見せ、見事に終結する。
仕事ばかりの人生で家庭を失い、金もなく、
居場所をなくした人物像は、
ある種のアメリカ人の典型だろう。
その悔恨と贖罪を辿り、
罪は罪として認め、
最後にアールが到達した安心の境地。
観客をほっとさせ、共感させる手腕は、
本当に熟達した者のわざだ。
「何でも買えたが、時間だけは買えなかった」
というセリフが胸を打つ。

クリックすると元のサイズで表示します

巨匠の映画に出たいと、
ブラッドリー・クーパー、ローレンス・フィッシュバーン、
アンディ・ガルシア
らが共演。

5段階評価の「4」

予告編は↓をクリック。

https://youtu.be/d5OMyUozHX0

拡大上映中。

タグ: 映画




AutoPage最新お知らせ