小説『占星術殺人事件』  書籍関係

[書籍紹介]

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先日紹介した島田荘司の「鳥居の密室」は
御手洗潔シリーズの最新作だが、
この「占星術殺人事件」は、シリーズ第1作のみならず、
島田荘司のデビュー作
1981年発表。
1980年の第26回江戸川乱歩賞に応募し、
最終候補にまで残るが落選(受賞作は、井沢元彦の「猿丸幻視行」)した
「占星術のマジック」を改稿・改題したもの。
(私が読んだのは、更に手を加えた「改訂完全版」)

「週刊文春」が推理作家や推理小説の愛好者ら
約500名のアンケートにより選出した
「東西ミステリーベスト100」の国内編で、
本作は1985年版で21位に、
2012年版では1位の横溝正史「獄門島」、
2位の中井英夫「虚無への供物」に次いで
3位に選出されている。
また、2014年1月、イギリスの有力紙『ガーディアン』で
本作が「世界の密室ミステリーベスト10」第2位に選ばれた。

昭和11年の事件発生以来、
沢山の推理愛好家によって様々な推理がなされたものの、
43年間の間、
謎を解く者がいなかった「梅沢家・占星術殺人」。
あるきっかけで、
占い師の御手洗潔と相棒の石岡和己が謎解きに挑戦する。

1936年2月26日。
二・二六事件が発生した雪の日、
第1の殺人が起こる。
画家の梅沢平吉が、自宅のアトリエで殺された。
中から鍵がかけられた密室状態で、
現場には奇怪な内容の手記が残されていた。
それは若い6人の処女から、
それぞれの星座に合わせて体の一部分を切り取り、
それらを合成して完璧な肉体を持つ女性「アゾート」を作成するというものだった。
その根底には占星術があった。

その1カ月後の3月23日、
平吉の長女の一枝がひとり住まいの自宅で撲殺された。
物取りの仕業と思われ、
その上、一枝は犯されていた。

更に3月31日、
一緒に旅行をしていた平吉の娘と姪の6人が行方不明となり、
それから1年ほどの間に遺体が発見される。
遺体は東北地方と関西の各地の鉱山で、
穴の深さがまちまちだった。
犠牲者のそれぞれの誕生日の占星術にまつわる
金属が口その他に加えられており、
それ以上に不気味だったのは、
6人の遺体の一部(首・胸・腹・腰・太腿、下肢)が
切り取られ、持ち去られていることだった。

それらの体の部分を繋げると、
平吉の手記にある「アゾート」が完成する。

しかし、手記を書いた平吉は既に亡くなっている。
もしや平吉の死体はよく似た別人で、
平吉は生きていて、
「アゾート」作りう完成したのではないか。
それとも、平吉の思想の信奉者が実行に及んだのか。
はたしてアゾートは作成されたのか?
また、アゾートはどこにあるのか?
そして犯人は誰なのか?

こうした謎が提示され、
ある人物の遺品の手記から
遺体が全国に分散された理由は判明するが、
事件は解決しない。
梅沢家の関係者の全てにアリバイがあり、
動機も不明で、事件解決の糸口すらつかめない。

御手洗と石岡の二人は解決の道筋をつけるために、
京都に出かけ、ある人物に会おうとするが・・・

で、謎解きだが、
これは全く類例のないトリック
世界中の推理小説で、こんなトリックを使ったものは初だろう。
だからこそ、『ガーディアン』で2位に選ばれたのだ。

実は、私はこのトリックを知っていた
「金田一少年の事件簿」の「異人館村殺人事件」で
このトリックが流用(実質「盗用」)されたことが報道され、
その過程で知ってしまったのだ。
知らずに読んだら、もっと驚いただろうと、残念でならない。

この件に関し、島田氏は次のように述べている。
「読者が色々と言っているのは耳に入っているが、
自分としては今のところ行動を起こすつもりはない。
ただし、『占星術殺人事件』に関しては、
類例のないトリックであると自負しており、
トリックの価値を護るために映像化などの二次使用はこれまでお断りしてきた。
ゆえにトリックを流用するテレビ企画があるなら絶対にやめて欲しい」


その後、『金田一少年の事件簿』の該当話は、
原作漫画の文庫本や公式ガイドブックには
トリック流用の旨が明記され、
テレビドラマ版に関しては収録したビデオが欠番になった。
ちなみに金田一少年の事件簿に対して
島田は後に
他のエピソードで自作のトリックの流用を許可している。
太っ腹だね。

島田氏自身が「類例のないトリックであると自負しており」と言うように、
全く斬新なトリック。
これは歴史に残るだろう。

登場人物の一人が語る、次の記述が印象に残る。

「日本人って奴は、人形というものを決して作らないようにしてきた人種です。
歴史を見るとね、明らかなんだ。
埴輪なんてものがあるが、
あれは完全に人間の代わりをしていたんだね。
これも実に象徴的だが、
人形とか彫刻とか、そういった概念じゃないんだよね。
日本人の歴史には、彫像どころか肖像画だってきわめて少ない。
ギりシャ、ローマあたりを見ると、
為政者や英雄の肖像画や彫刻、レリーフ、ずいぶんある。
有名な人物のものはたいてい遣っているといっていい。
しかし日本の為政者の顔を知りたいと思ってみるとね、
こりゃいったいどうしたんだと思うくらいないんだ。
肖像画がちらほらある程度でね、
彫刻となると、もう御仏の像以外にないんだ。
こりゃあ日本人に技術がなかったわけじゃない、
恐れたんだね、魂を抜き取られる気がしたんだな。
だから絵だって少ないんです。
絵くらいならと今のわれわれは思うけどね、
絵さえ少ないんだ」

なるほど、そうかもしれない。





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