小説『地を潤すもの』  書籍関係

[書籍紹介]

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1980年発刊の本を
2018年6月に再刊したもの。
曽野綾子さんの本は全部読んだと思っていたが、
これは未読だった。

語り手水島譲は、65歳の閑職(顧問)の人。
あることがきっかけで、
弟が死んだシンガポールを訪ねてみようと思い立つ。

譲は、ただシンガポールを訪ねるのではなく、
30年前、軍隊で弟が辿った死までの道のりを
追体験してみようと、
タイ・バンコクからマレー半島を列車と車で南下し、
シンガポールに入ろうというのだ。

弟の水島団は、シンガポール攻撃作戦に参加し、
日本の敗戦後、
現地住民虐殺の戦犯として処刑された。

シンガポールには、
団の婚約者だった菜々枝の息子の真野新平が
偶然赴任していた。
菜々枝は団が帰らなかったため、
他の男性と結婚し、新平をもうけたのだ。
                     
現地で一江という
戦前からシンガポールにいる人と知り合った譲は、
敏腕と人脈のある一江の世話で、
団が罪を問われた住民虐殺の詳細と事件現場を訪ねる。
そして、団が刑死したチャンギ刑務所や
弟ゆかりの地を訪ねていくうち、
事件の意外な真相が明らかになる・・・。

東南アジアに造詣の深い曽野さんらしく、
タイやマレーシア、シンガポールでの
自然や住民の描写が秀逸。
その風土が事件に関わっていることを感じさせる。

それと共に、団の母親に送った手紙を素材に
団の足跡と感じていたことが織り込まれ、
物語に深みを与える。

団が罪に問われた背景には、
シンガポールを日本が占領した後の
架橋への圧政があったことを明らかになる。
団への死刑は、いわば「報復の報復」だった。
しかも、団が罪に問われた原因は、
欧米人が人を呼ぶ時、名前を主に呼び、
日本人は苗字で呼ぶ、
ということが原因だったことも明らかになる。

譲は帰国後、
当時シンガポールにいたある人物に会いに行くのだが、
前に曽野さんが書いた、
アウシュビッツで身代わりになって死んだ
コルベ神父によって助けられたユダヤ人のその後、
という小説を思い出した。

自殺未遂をして入院している菜々枝の存在は、
団がもし、生きたまま日本に戻っていたら、
どんな人生を送ったかを想像させる。
おそらく菜々枝との結婚生活は、
菜々枝の奇矯な性格故に乱されたと思われるからだ。

しかし生き延びたからといって、
団が幸福になるという保証もまた、
どこにもなかったのだ。


人間の幸不幸は分からないものだ、ということだろう。

日本に帰国してからの行動について、
甥の向野はこのように言う。

「おじさんのこころのままにしたほうがいいですよ。
これは誰のものでもない、
おじさんの終戦処理なんだから」


その言葉に譲は気づく。

国家が戦争の後片付けをするという考えは公式論であった。
戦争に限らず人間は、
一人ずつ自分の心理に結末をつけてゆかねばならないのだ。
いかなる社会も、個人の完全な代弁者になることはあり得ない。
私たちは、究極においては、
一人で歩く他はない。


戦争を題材に、
人間の生きることと死ぬことの意味を問う、
やはり曽野さんらしい作品だった。





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