評論『逝きし世の面影』  書籍関係

娘がヘルシンキのアイスホールから写真を送ってきました。

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4列目通路側とは、↓の白いマークの席。

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角度からして、テレビには写りそうもありません。

松岡修造サンもいます。

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演技が終わった後、娘に電話。
羽生選手のインタビューを聞かせました。


[書籍紹介]

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著者の渡辺京二氏は、京都府出身の日本近代史家。
法政大学社会学部卒業。
書評紙「日本読書新聞」編集者、河合塾福岡校講師を経て、
河合文化教育研究所主任研究員。
熊本大学大学院社会文化科学研究科客員教授。

「逝きし世」とは、
徳川末期、明治初期の日本にあった「文明」
(「文化」ではなく、「文明」と称する)のことで、
開国と西洋文化と工業化の波の中で、
いつの間にか失われてしまった日本人の在り方を
哀切をこめて綴る。
しかも、それを描くのに、
当時日本を訪れた外国人の手紙、論文、エッセイを膨大に集め、
分析し、引用する、という方法を取る。
対象文献は120を越える。
そして、こう書く。

文化は残るかもしれないが、文明は滅びる。

モースという動物学者は帰国後、
腕足類の研究に執着していた時、
共に来日したことのある日本美術蒐集家であるピゲロウの勧めで、
「日本その日その日」を書いたのだが、
そのピゲロウの説得の言葉がすごい。

腕足類などは溝へでも棄ててしまえ。
君と僕とが四十年前親しく知っていた日本という有機体は、
消滅しつつあるタイプで、
その多くはすでに完全に地球の表面から姿を消し、
そして我々の年齢の人間こそは、
文字通り、かかる有機体の生存を目撃した最後の人であることを、
忘れないでくれ。
この後十年間に、
我々がかつて知っていた日本人は
みんなベレムナイツ(化石としてのみ残る頭足類の一種)のように、
いなくなってしまうぞ。


目次は、

ある文明の幻影
陽気な人びと
簡素とゆたかさ
親和と礼節
雑多と充溢
労働と身体
自由と身分
裸体と性
女の位相
子どもの楽園
風景とコスモス
生類とコスモス
信仰と祭
心の垣根


外国人の目に写った、当時の日本はどう見えたか。

明治期の有名なジャパノロジスト、チェンバレンは、このように書く。

古い日本は妖精の住む小さくてかわいらしい不思議の国であった。

また、このように書く人もいる。

世界にはまだこのような夢のような場所が残っていたのか。

日本の地を初めて踏んだ欧米人が最初に抱いた印象は、
国民が満足しており、
幸福であるというものだった。
いつも上機嫌で、笑い、
世の中に悲哀など存在しないかのようだ、と。
遊び好きで、何でも楽しんでしまう気質がある、と。
そして、こう書く。

日本には、貧乏人は存在するが、貧困なるものは存在しない
          
その理由として、渡辺が挙げるのは、こうだ。

日本人の表情に浮かぶ幸福感は、
当時の日本が自然環境との交わり、
人びと相互の交わりという点で
自由と自立を保証する社会だったことに由来する。


そう思うのは、西欧においては既に産業革命が始まっており、
それによってもたらされた人間関係の破綻
まだ日本には押し寄せていなかったからだという。
民衆は豊富な自然によって耕作し、
豊かな実りの中で、親和的な生活をしていたからだと。

当時は徳川体制。
西洋人から見れば、専制政治のもとの生活であるはずだ。
しかし、当時の民衆と支配層とは隔絶しており、
市民たちはその階層とは別個に自由を享受していたのだ、と。
言われてみれば、そうかもしれない。

日本を天国のように見る感想は、
単に日本を初めて訪れた異国、という経験からではない。
来日外国人は、他の様々な国を訪ねており、
最後に行き着いた日本を「天国」と称しているのだ。

その念頭には、中国という対照があった。
中国の不潔、気質、自然全てが
日本と対照的だったのだ。

そして、置いておいた財布などが
全く手をつけられずに存在する、
今の日本にも通じる良さに感嘆したりする。
中国だったら、すぐに盗られるのに。

礼節を守り、親切で、深い情愛で守られた社会。
そして、職人の美意識で作られた様々な調度品の素晴らしさ。

日本の職人は本能的に美意識を強く持っているので、
金銭的に儲かろうが関係なく、
彼らの手から作り出されるものは
みな美しいのです。


と外国人婦人は述べる。

ただ、外国人が驚いたのは、
日本には混浴の習慣があり、
往来から見える場所での行水など、
裸体を恥ずかしく思わない点だった。
それを淫蕩と見るかどうかだが、
西洋のキリスト教概念からすれば不埒に見えるそれも、
アダムとイヴ以前の人間の姿、
肉体という自然に罪を見出していない、
と見ることも出来る。
しかし、西洋人の指弾によって、
混浴そのものも失われていく。

また、日本を「子供の楽園」と感じた外国人も多い。
町中で遊びまくる子供たちの姿は、
幸福そうだ。
そして、子供を叱らない親、
子供を大切にする親たちの描写。
しかし、子供は礼節を忘れないように育てられている。

日本ほど子供の喜ぶ物を売るおもちゃ屋や
縁日の多い国はない。


という記述した本もある。

外国人の一人は、屋敷の召使の子供二人を連れて
夜市を散歩した時のことを
このように書く。

十銭ずつ与えて
どんな風に使うか見ていると、
その子らは地面に坐って悲しげに三味線を弾いている貧しい女、
すなわち乞食の前に置かれた籠に、
モースが何も言わぬのに、
それぞれ一銭ずつ落とし入れたのである。


欧米人たちに日本を楽園と感じさせた要件の一つが、
恵まれた自然の美しさだった。
数々の著作が日本の自然の美しさを讃える。
四季があり、季節に応じた花が咲く。
その自然の景観に魅了される。
特に江戸に住んだ外国人は、
江戸が田園都市であると述懐する。
そして郊外に行った時の景観の美しさに呆然とするだけでなく、
その中で暮らす日本人の自然との親和ぶりを讃える。

日本人は何と自然を熱愛しているのだろう。
何と自然の美を利用することをよく知っているのだろう。
安楽で静かで幸福な生活、
大それた欲望を持たず、競争もせず、
穏やかな感覚と
慎しやかな物質的満足感に満ちた生活を
何と上手に組み立てることを知っているのだろう。


そして、農村の美しさについては、こう言う。

日本の農民にあっては、
美的感覚は生まれつきのものなのだ。


そして、自然を楽しむために、行楽に出かける日本人の姿に
感動する。

日本の市民の最大の楽しみは、
天気のよう祭日に妻子や親友といっしょに
自然の中でのびのびと過ごすことである。


自然だけでなく、花が大好きな日本人も称賛する。
また、生き物に対して大切に扱う姿も讃える。
キリスト教的な
被創物の頂点に人間を置く思想とは異なり、
牛馬は家族の一員であり、
池に泳ぐ魚や亀さえも愛情を注ぐ存在なのだ。

その滅び去った文明は、
犬猫や鳥類をペットとして飼育する文明だったのではない。
彼らはペットではなく、
人間と苦楽をともにする仲間であり
生をともにする同類だった。


外国人から見ると、
日本人は信仰を持たない民族のように見えたらしい。
特に武士階級はそうで、
寺や神社に詣でるのは、貧民と女性ばかり、
と書いてあるものもある。
しかし、自然の中に共存し、自然の中で育む
日本人の宗教意識は外国人には理解できないだろう。

しかし、明治に入り、
西洋化の波が押し寄せて来るにつれて、
こうした日本人の気質は失われる。
それは、ごく自然に、
全く意識しないで喪失する。
何かを得れば、何かを失う。
近代化の代償で失った人々の心・文化は大きい。

ただ、今の日本人の中には、
当時の面影が若干は残っていることを感じる。

この本はそうした日本人像を
来日外国人の目というフィルターを通じて描く、
たいへんな労作である。

お寺での月例会での講和、
雑誌への掲載、
熊本短期大学での講座、
「週刊エコノミスト」での連載などを経て一冊にまとめられたこの本、
B5より少し大きな体裁で500ページ近い。
読むのは大変だったが、
示唆に富む、内容の濃い著作だった。
1999年度和辻哲郎文化賞受賞
「日本近代素描」の「1」だというから、
続きがあるに違いないが、
続編が出たという話は聞かない。
著者は既に88歳
もはや無理だろうか。





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