映画『ボーダーライン ソルジャーズ・デイ』  映画関係

[映画紹介]

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メキシコ国境地帯での
麻薬戦争を描いた「ボーダーライン」(2015)の続編。
監督はドゥニ・ヴィルヌーヴから
ステファノ・ソッリマに交代したものの、
作品の雰囲気と世界観に変化のないのは、
前作のベニチオ・デル・トロ
ジョシュ・ブローリンが継続して出演していることと、
脚本のテイラー・シェリダンが同じだからだ。
ティラー・シェリダンは「ボーダーライン」、
「最後の追跡(2016)、初監督の「ウィンド・リバー」を経て、
アメリカ映画を代表するクリエイターだといえよう。

冒頭、
メキシコから夜中に国境を越える密入国者の摘発が描かれる。
前方監視型赤外線感熱カメラによって表現される
荒野を走る密入国者を捕らえる映像が前作を引き継ぐ。
密入国者の一人が自ら持つ爆弾で自爆を遂げる。
続いて、大型スーパーに侵入した密入国者が自爆テロを起こし、
15人の市民の命が奪われる。
転じてソマリア。
テロリストをアメリカに送り込む組織に対する
過酷な拷問が行われる。

ここから本題。
自爆テロの犯人たちは、
メキシコ経由でアメリカに入国したことが突き止められ、
国境地帯で麻薬を扱うカルテルが
新たな財源として、密入国ビジネスに手を染めていることが分かる。
アメリカ政府は、新たな犯行を防ぐために、
国境地帯の麻薬カルテル同士の抗争を起こそうとする。
まず、カルテルの顧問税理士を銃殺し、
麻薬王のボスの娘を通学途中で拉致する。
そして、アメリカ内で娘を発見したと装って、
娘をメキシコに届ける作戦が開始されるが・・・

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その娘搬送を担当したのが、
家族を殺したカルテルに恨みを抱く暗殺者のアレハンドロ。
脇で監視し、支援するのが、
CIAの特別捜査官のグレイヴァー。
しかし、娘の搬送を阻む様々な事態が起こり・・・

と、密入国者の話はどこかに飛んでしまって、
ひたすら娘とアレハンドロのバディ・ムービーと化するのが、
意図したことか、そうでなかったのか。

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ただ、この道中に起こる様々な事態が
すさまじい臨場感で描かれる。
まるで目の前で起こっているような緊迫感
激しい銃撃戦、追走するヘリコプター、
軍用車、マシンガン、防弾チョッキ、監視カメラ、迷彩服など、
実際の軍の装備を使っての大々的なアクションシーンが続く。
さぞ大変な撮影だっただろう。

しかし、アクションだけでなく、
今度は人間的要素が多く投入されている。
それがアレハンドルと麻薬王の娘の関係。
娘を守る使命のアレハンドルが辿った運命は・・・

これに犯罪組織への入門をしようとする
暗殺者の卵のメキシコ人青年ミゲルの話がからみ、
一本の糸に撚り合わされる。
原題の「Sicario 」(スペイン語で暗殺者、殺し屋の意)
のとおりだ。
「ボーダーライン」は、日本で付けた邦題。

前作で登場したFBI捜査官のエミリー・ブラントは登場せず、
ベニチオ・デル・トロとジョシュ・ブローリンの
二人の男臭い俳優による男の映画になっている。

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二人はこの世界観の住人で、
見えない絆で結ばれており、
トロを襲ったある事態に
ブローリンが放心状態になる描写など、
乾いていながら胸を打つ。

エンドクレジットで前作の音楽を担当した
ヨハン・ヨハンソンに対する追悼が示される。

移民問題を抱えるアメリカが
密入国者を装ったテロリストの侵入を防衛するための戦い。
トランプが国境に壁を建設しようとするのもいたしかたないかと思うほど
国境の問題は苛烈だ。
今、ホンジュラスからの集団移民が問題になっているが、
国を捨てて来る人々の問題は、
本国ホンジュラスを建て直すのが本質的課題だと言えよう。
シリア難民も同じ。
やがて海で囲まれた我が国に
北朝鮮からの難民が海を越えてやって来るのも想定せざるをえない。
その中にテロリストが混じっていたら、と思うと、
本作で描かれた世界が他人事とは思えない

それにしても、麻薬の密輸が頭打ちになったら、
今度は人間の密輸に走るとは。
悪事の種はいくらでも存在するものだ。
そして、アメリカ政府が「毒をもって毒を制す」作戦に出るとは。
世界の争いは過酷だ。

5段階評価の「4」。                  

予告編は↓をクリック。

https://youtu.be/z03Aj6CyzUA

角川シネマ有楽町他の上映中。

前作のこのブログでの紹介は、↓をクリック。

映画「ボーダーライン」

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機内でしてほしくないこと  旅行関係

飛行機は狭い空間に他人と同居しなければならない。
隣にどんな人が座るかは、
神のみぞ知る。
1時間や2時間なら我慢は出来るが、
10数時間のフライトでは、我慢が苦行になる。
席を変ろうにも満席状態。

というわけで、機内でのマナーは大変重要。
サービスを提供する側のキャビンアテンダントの方は、
わがままな客への対応に頭を悩ませることになる。

Business Insiderが
キャビンアテンダント60人以上に
「機内でやめて欲しい行為」を聞いてみた。
その25選は、次のようなものだ。

1.挨拶をしない。
2.自分の持ち物に責任を持たない。
  重たいキャリーケースを機内に持ち込んでおいて、
  重すぎるからという理由で
  代わりに頭上の荷物入れに納めてほしいと言わないで。
3.荷物入れを占領する。
4.安全のための説明を聞かない。

5.「何があるの?」と聞いてくる。
  アルコールを含めれば100種類のドリンクがあるのに、
  それを全部挙げろと?
  しかも200人もの乗客が(ドリンク)サービスを待っている時に?
  メニュー表はあらかじめご案内している。
6.コーヒーの好みを伝えてくれない。
  コーヒーを注文する時は、
  ミルクや砂糖の有無も伝えてほしい。
  それぞれに何度も何度も尋ねてまわるのは大変だから。
7.アルコールを持ち込む。
高度の高いところを長時間フライトすると
アルコールがおよぼす脳への影響も増すので、
乗務員は過剰飲酒をさせないために、
どれだけのアルコールを乗客に提供したか
把握しておかなければならない。
8.希望の食事が得られなかっただけで、
  この世の終わりのような態度をとる。
  ここは飛行機内。
  五つ星レストランやホテルではない。
  第一希望の食事が食べられなかったことぐらいで
腹を立てないでほしい。
9.タイミングの悪い要望。
  飲み物のカートにゴミを置こうとしたり、
  食事を配っている最中にゴミを回収するよう言わないで。
10.ヘッドフォンをつけっぱなし。
  こちらが飲み物の希望をうかがっている時は、
  ヘッドフォンを外してほしい。

11.不必要な呼び出しボタン。
  客室乗務員も着席するとアナウンスした時や
  離陸直後に呼び出しボタンを押すのは止めてほしい。
12.指を鳴らす。
  「すみません」と声をかけてもらえれば十分なのに。
13.注意を引くために客室乗務員を触る。
14.ペンを借りようとする。
  ペンを1本も持たずに世界を旅行するなんて考えられない。

15.壁や他のお客さまのシートに足を掛ける。
16.裸足で歩き回る。
  裸足やソックスのままでお手洗いへ行くのは止めてもらいたい。
  裸足で公衆トイレに行けますか?
  汚れた床をソックスで拭いてまわるのはご遠慮願いたい。
17.機内キッチンでヨガ。
  あたかもヨガスタジオかのように、
  乗務員スペースであるキッチンでストレッチをしようとしたり、
  そこでずっと突っ立っていられるのはとても迷惑。
18.シートベルト着用サイン点灯時に立ち上がり、
  化粧室を利用する。

19.明らかにどうしようもないことなのに客室乗務員に腹を立てる。
  便が欠航になり、
  大事な用事に間に合わない時の気持ちはよく分かる。
  わたしだってコンサートに行く予定だった。
  それなのに、こんな狭い機内に閉じ込められて、
  乗客に怒鳴られるなんて。
20.客室乗務員が機長からの情報をすべて知っていると決めつける。
乗務員は機長たちの動向のおそらく5%くらいしか把握していない。
どれほどの悪天候なのか、
なぜ別ルートを通っているのか、
どうして早く着陸できないのか。
そんなこと、わたしたちにはわからない。

21.爪を切る。
足の爪を切っている人を見かけたことがある。
意外と頻繁に見かける。
22.ポルノを観る。
だからと言ってこちらは何も言えない。
周りに小さな子供たちがいたわけでもないので、
注意もできずじまいだった。
23.タダで物をもらおうとする。
「飛行機が10分遅れた。無料のドリンクサービスはないのか?」
24.上級クラス客のふりをする。
  上のクラスの客室にこっそり忍び込もうとしないでほしい。
25.着陸態勢に入っているのに化粧室から出てこない。

まあ、我慢の範囲という気がするが、
毎度毎度のことになると、
腹も立つのだろう。

ちなみに、私は模範的乗客で、
上記に該当するのは、
4.の安全のための説明を聞かない
くらいですね。

逆に客の立場での
キャビンアテンダントに対する不満。

1.もっと笑顔で接客を。
  べつにお金がかかるわけでもないのだから、
  笑顔で応対したらいいと思うのだが、
  大体外国人CAは笑顔が少ない。
  怒ってるのか、と思うことさえある。
  日本人CAは概ね合格。
  ただ、美人が減った。
2.客の要望を無視しないで。
  最近ではよくなったが、
  昔は「客の要望は一回は無視すること」
  という規則でもあるのかと思った時期があった。
3.CA同士の雑談は控えめに。
  特に、就寝時、
  キッチンスペースで声高の雑談が聞こえると、苛つく。

最後は客同士の不満。

1.肘掛けから肘を出して、こちらの領分に侵入する。
2.貧乏揺すりをする。
3.食事の時、椅子を元の位置に戻さない。
4.赤ん坊を泣かせる。
5.就寝時間なのに、窓を開けて外の光を入れている。

4.は仕方ない気もするが、
周囲に気を使う素振りも見せず、
堂々と泣かせているママが時々いる。
5.はCAに注意してもらったところ、
「閉所恐怖症なので」
ということだった。
閉所恐怖症の人は、飛行機に乗らない方がいいのではないか。

一度、3人掛けの席に真ん中が開いていて、
ラッキーと思っていたら、
CAが
「後で揺れるのが怖い方がいるので、
少しでも前のこの席に移ってもいいですか」
と言われ、承諾したら、
ドイツ人の太った女性で、
「ありがとう」の一言もなかった。

着陸後、CAに
「ああいう場合、断ることも出来るのですか」
と訊いたら、
「お客様のご意思が優先ですので、
断って下さっても結構です」
とのこと。
断ればよかった。
揺れるのが怖いのなら、
飛行機に乗らなければいいし、
いたしかたない事情があったのなら、
揺れることは覚悟して乗ってほしい。

昔は、隣の席の人に話しかけ、
結構会話もしたが、
今は一言も話さないで終わることが多い。
時代かな。


短編集『ある日失わずにすむもの』  書籍関係

今日は昼前から、
奥渋に出掛けました。

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渋谷の東急文化村の前を代々木八幡方面に向かい、
松濤町から大山町に変る辺りから先が
「奥渋谷」略して「奥渋」と呼ばれるようです。

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で、向かったのは、この店。

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魚屋さんですが、
食堂も併設。
これが人気店に。

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入ったところに、こんな札がかかっていて、
これを持って注文します。

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今日は、テレビで紹介されていた、さば味噌煮を。

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「カミ」はさばの上の方、「シモ」は尻尾の方。

札の後には番号がついていて、

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その日によって変る当たり番号。

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「6」で当たり。
この中から一品おまけになります。

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これが、さば味噌煮定食。

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さばを2日間煮込んでいるため、
骨まで食べられます。
スプーンがついているのは、
汁をご飯にかけて食べるため。
これが美味で、ご飯をお代わりします。
でも、ご飯を残すと罰金を取られます。
↓がその告知。

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趣旨は、お百姓さんが作った米を無駄にしないため。

世の中には隠れた美味な店が沢山あります。


[書籍紹介]

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世界中の各地に住む普通の人々を描く12の短編。

たとえばボストンに住むマークスは、
弟と共にブロンクスを出て、
ジャズのミュージシャンになる。
ようやく音楽家としての生活が堅実になった時、
徴兵に取られる。

スペインの片田舎に住むホセは、
吝嗇で蓄財だけが楽しみな生活をしていたが、
兵役について出生する時、
立ち寄った教会で、
自分のために祈りを捧げてくれる村人たちに出会う。

といった調子で、
舞台はバンクーバー、フィリピン、
太平洋の島、西海岸、 東海岸、
房総の漁師町、ポルトガル、パリ
と変化する。

共通するのは、遠くで第三次世界大戦が起こっており、
登場人物たちが、
徴兵されるためにその土地を去ること。
そして、その人たちの幸福を求める生活が
戦争によって中断される姿だ。

表紙に小さく「twelve antiwar stories」とあるように、
乙川優三郎流の反戦小説
戦争がいかに市井の人々の暮らしを破壊するかを描く。

「戦争がなぜ悪いかというと、
それが普通の人々の幸福を追及する自由を奪うことだ」
と言った人がいたが、
まさに、この小説の登場人物たちは、
ささやかな生活で幸福を求め、
愛する人を獲得し、
地域に根を下ろし、
堅実な生活を作り上げる。
それが戦争に駆り出されることで中断しなければならない。
自分には関係のない、
遠い場所で行われている戦争のために。
そして、愛する人と別れ、
生きて帰ることができるかどうか分からないまま、
住み慣れた土地を去る。
誰が何のために始めた戦争か分からないのに。

察するに、戦争はアメリカと中国との間で始まり、
それが世界を巻き込んでいったもののようだ。

最終章「こんな生活」は、
その中国の農村の夫婦の話で、
最も哀切な物語だ。

内陸部の貧しい村に生まれた彼は
子供のころから過酷な農作業を見て育った。
ほとんど自給自足の生活で、現金収入は少なく、
痩せた土地と闘う両親は実際の年齢より十歳は老けていた。
いつ建てたのか分からないような粗末な家で
粗末な食事に耐えながら、
重労働の日々を重ねる。
子供の目にも二等の生活に見えて、
自分の代にはなんとかして変えたいと思わずにいられなかった。
それは父も祖父も同じであったが、
農作物の増収をはかる方法も技術も分からず、
それを生み出す教養もなかった。


こんな描写もある。

この国で人間らしく暮らすことを許されているのは
都会に生まれた人々で、
恐ろしく豊かであった。
企業に勤めて高給を取り、
好機と見れば転職し、
起業し、
金が金を作る人たちである。
安い仕事を嫌う自由もあれば、
安い労働力を使う自由もある。
しかし彼らの優雅な生活を底から支えているのは
貧しい地方からくる出稼ぎ労働者たちであった。
低賃金だが、貧困からの脱出を可能にする唯一の方法であった。


父も農村を出て、都会に出て、失意の帰郷をする。
村に留まった主人公に幸運が訪れたのは、
外国の商社が村の発展に手を貸したことだった。

彼にとって幸運だったのは
外国の商社が広い農地と用水の便に目をつけたことで、
ある年を境に状況が一変した。
努力と技術を持つ彼らは
同胞より親切で、礼儀正しく、
辛抱強い農業改革の指導者であった。
しかも農民の自立と増収を忘れていなかった。
(中略)
驚いたのは効率的な作付け、
農薬の適量、見栄えと品質の大事なこと、
安全性と信用、出荷方法といった技術情報を
異国の商社員が惜しげもなく教えてくれたことである。
(中略)
著しい成果の大部分は外国人の指導に依るところが大きかった。
寛容な彼らは自らの利益のうちに村の発展を組み入れていたし、
長い将来を見通すことに馴れていた。
消費者を無視して目先の儲けに飛びつくことが
本当の進歩をもたらさないことも知っていた。
ジェンドン(主人公)はそういうことも彼らから学んだが、
どんなときでも自分を正当化する民族の気質が彼の中にもあって、
規格外の野菜の混入や農薬の量の僅かな間違いを指摘されて、
つい反論することがあった。
しかし自己弁護のための感情的な屁理屈にも
彼らは顔色を変えずに向き合い、内心では呆れながらも、
目に見えない安全性やそのための努力が
大きな信用を生むことを諭しつづけた。
(中略)
慢心に気づいた彼は自身の過ちや油断を認めることからはじめた。
どういう教育を受ければ
彼らのように優しくなれるのだろうかと
見上げる気持ちであった。


主人公は生活の豊かさを手に入れるが、
戦争が始まる。

突然彼らの国と戦うことになったときも、
なにを馬鹿な、と彼は心底から失望した。
外国資本の流入によって経済成長を遂げながら、
軍備の増強を重ねた挙げ句、
利己的な思惑に任せて国力を振るい、
帝国化したのは自分たちの国であった。
それまで世界はどうにか平和で、
戦火を広げる必要などどこにもなかったのである。
国と国との敵対関係は人と人との深交を踏みつけて、
一般人には無意味な争いであったから、
ジェンドンは支配階級の過信と欲深さに辟易した。


事態は悪化し、主人公の環境は
元の劣悪なものに戻ってしまう。
そして、徴兵の知らせが届く。

病気の妻のために、農作物を整理し、
近所の人に妻を託して、
家を出る時の描写は哀切きわまりない。
家の前にうずくまる妻の姿を振り返り振り返りしつつ、
戦地におもむく主人公の姿に
涙を禁じえなかった。

声高でイデオロギーに満ちた反戦の叫びよりも、
ずしりと胸にこたえる反戦の叫び
それがこの一冊の本である。


映画『ボヘミアン・ラプソディ』  映画関係

[映画紹介]

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イギリスの4人組ロックバンド、クイーン (Queen)の
始まりからほぼ終焉までを綴る伝記映画。

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中でもボーカルのフレディ・マーキュリーの半生に焦点を当てる。

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実は、私はクイーンとは接点がない。
1973年のデビューの時、私は26歳で、
「ボヘミアン・ラプソディ」発表時の1975年には28歳。
まさに適齢期で、
年齢的に拒絶したわけではなく、
その頃、私の人生の中で
修道院のような世間と隔絶した生活をしていた時期で、
その関係で接触がなかったものと思われる。
知っている曲といえば、
「ウィ・ウィル・ロック・ユー」と「伝説のチャンピオン」の2曲だけ。
他にミュージカルの「ウィ・ウィル・ロック・ユー」を観ている。

で、この映画も縁のないものと観ないつもりだったが、
あまりの評判の良さに観ることになった。

クイーンについては知識はほぼ皆無。
4人組だということさえ知らなかった。

で、始めの30分間くらいは着いていけなかった。
音楽が好みのものでなく、
文化的に受け入れられなかったのだ。
しかし、3分の1くらい過ぎた頃から
心を掴まれた
フレディの歌う楽曲が「魂の叫び」と感じられて来たからだ。
まさしく音楽の持つ力が、
私の中の何かを呼び覚ました。

曲が生まれる瞬間に立ち会い、
様々なテクニックで音楽が厚みを帯びる過程を見、
観客の前で歌われる時の相乗効果。
まさにライブの音楽が持つダイナミズムの心地よさ。

音楽事務所との軋轢、
特に、長すぎる「ボヘミアン・ラプソディ」を巡る争い。
それもラジオ番組で直接かけることによって克服する。
恋人メアリー・オースティンとの愛が友情に変わっていく過程、
ジム・ハットンとの出会いと交じわり。
(映画では描いていないが、
 彼はフレディからうつされたと思われる自身のHIV感染を、
 本人に知られぬよう最後まで口外しなかった。
 ハットンは2010年に死去。)
音楽以外のスキャンダルばかり質問するマスコミへの苛立ち、
人気の爆発の中でのフレディの孤独

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そして、ソロ活動を巡るメンバーとの破局と、
挫折の後のメンバー(ファミリー)との和解
HIV感染の告白。
ライブ・エイドへの出演。

必ずしも史実そのままではないようだが、
突出した才能の持ち主とメンバーとの相剋という、
普遍的なテーマがうまく描かれている。

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その頂点としてのライブ・エイドでのライブのシーンの素晴らしさ。
胸がつまった。
スタジアムの俯瞰撮影からカメラが下降し、
観客の上を飛翔してステージに至る表現の華麗さ。
「ウィ・アー・ザ・チャンピオン」の歌声を口にする観客の手の動き。
「ママ、人を殺しちまったよ」と歌い上げるフレディの絶唱。
エルトン・ジョンが悔やしがったという
観客の心を掴んだ21分間の圧倒的なパフォーマンス。
音楽というものが
ドラマを盛り上げ、精神を昇華させる。
観終えて虚脱状態になるような
素晴らしい音楽映画が誕生した。

フレディを演ずるラミ・マレックが本人出演と思うほど
そっくりな入魂の演技。

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監督はブライアン・シンガー
映画には元メンバーが音楽プロデューサーとして参加し、
フレディ自身の歌声の音源を使用して28曲が歌われる。

5段階評価の「4.5」

予告編は↓をクリック。

https://youtu.be/ujDil739dEc

拡大上映中。


なお、「ボヘミアン・ラプソディ」は1975年10月31に発表した
フレディ・マーキュリー作の楽曲。

ボヘミアンは、元々ボヘミア地方(現チェコ)に住む人々のことだが、
ボヘミアニズムに転じて、自由奔放な生活を追究することを指す。
伝統的な暮らしや習慣にこだわらない
自由奔放な生活をしている芸術家気質の若者をボヘミアンないしはボエームと呼ぶ。
(プッチーニのオペラ「ラ・ボエーム」は
 そうした生活を送る詩人や画家や音楽家を描いた作品)

ラプソディとは、「狂詩曲」(きょうしきょく)と呼ばれ、
自由奔放な形式で民族的または叙事的な内容を表現した楽曲のこと。
異なる曲調をメドレーのようにつなげたり、
既成のメロディを引用したりすることが多い。
リストが作曲した「ハンガリー狂詩曲」が有名。

「ボヘミアン・ラプソディ」を聴きたい方は、↓をクリック。

https://youtu.be/kDy5tg_z0ag

対訳で歌詞の意味が分かるのがお薦め。

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朝日新聞のはき違え  政治関係

門田隆将は、
今どき珍しい、
骨のある論客だと思うが、
今日の産経新聞のコラム「新聞に喝!」でも、
めざましい正論を書いている。

まず、国会の問題。

日本には、いつから
恥ずべき“揚げ足とり文化”が定着してしまったのだろうか。

として、今の国会の現状を嘆いている。

国の根本政策や外交、
あるいは法案について熱い議論を戦わせる
国権の最高機関たる国会では、
相手の言い間違いや、知識の欠如をあげつらうような、
絶対に子供には見せたくないレベルのやりとりが続いている。

今回の桜田大臣のことを念頭にあげているのだろうが、
この傾向は、今に始まったことではない。
少し軽量級の大臣が出ると、
それを標的に、
政策そっちのけで、
「クイズ」のような質問を浴びせるのは、
野党の常套手段である。

桜田大臣への質問について、
報道番組で立川志らくが、
「あれって、私に向かって、
『寿限無って知ってますか』
と訊くようなもんですよね」
と言っていたが、
誠に失礼千万ということだろう。
「五輪のコンセプトは何ですか」
という質問で、何を展開したかったのだろうか。
まさに「クイズ」で
相手の知識の欠如を露呈しようとする卑怯な手段。
今回の場合、
それに明確に回答できなかった桜田大臣も大臣だが。

国会の報道を見ていたわが娘が
「これっていじめだよね」
と判定していたが、
小学校だって、学級会で
一人の人に悪口が集中すれば、
賢い生徒が
「そういう批判はやめよう」
と言うだろう。
つまり、今の国会は小学校以下ということだ。

国会は政策を論じるところである。
法案の不備をただし、
代案を出す。
そういう場が
特定の大臣に集中砲火を浴びせ、辞任に追い込もうとする。
これでは子供たちの見本にならないではないか。
大臣の資質を問うなら、
同じ刀で議員の資質を問いたくなる。

門田氏のもう一つの議論は、
「覚醒剤中毒患者への差別」の問題。

テレビ朝日系の人気刑事ドラマ『相棒』で、
覚醒剤中毒の女性が
刑事を後ろからハンマーで殴り殺すシーンがあり、
それに対して、
「侮辱的で差別をあおっている」との非難が
巻き起こっているというのだ。

私は世の中で同情の余地のない犯罪として、
覚醒剤を含む、広い意味の麻薬の販売を上げる。
それは、人の人生を破壊させるという、
許すことの出来ない犯罪だからだ。

それを予防するには、
覚醒剤患者の実態を広く周知させる必要がある。
覚醒剤患者による犯罪もその一つだ。
覚醒剤によって二次的な犯罪が起こり、
被害が拡大するを描くことは、
覚醒剤の恐ろしさを世の中に浸透せしめる。

それが「差別」とは?
次のような論理によるのだという。

朝日は専門家の意見として、
彼らは〈精神的な病を抱えた障害者〉であり、
〈依存症の人に対する差別意識だけを強めることになる〉
と主張した。

そして門田氏は、次のように書く。

覚醒剤とは、そもそも取引も、あるいは使用も、
いずれも犯罪である。
人間の体を蝕み、
暴力団などの反社会的勢力の資金源ともなっているのは
周知のとおりだ。
その覚醒剤の恐怖の実態をドラマで描いただけで、
「差別だ」と抗議し、その批判を囃し立てるのである。

何でも「差別」と言えば、
相手がひるむとでも思っているのだろうか。
差別のはき違えだ。
第一、依存症の人は、「障害者」なぞではない。
犯罪者なのだ。

それを、弱者などと言って擁護して、
朝日新聞という新聞社は、
覚醒剤を世の中に浸透させたいのだろうか。
そして、日本の社会を駄目にしたいのではないか。

慰安婦問題の報道といい、
朝日新聞の反日的姿勢は目に余る。
彼らは、日本の社会の破壊をもくろんでいるとしか思えない。
その一つが、覚醒剤依存症の人を擁護し、
覚醒剤への恐怖を弱めるための論理。

まさに朝日新聞の狂気は、
覚醒剤依存症の表われではないか、
と危惧する次第である。





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