エッセイ『九十歳。何がめでたい』  書籍関係

[書籍紹介]

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「女性セブン」に2015年4月から
2016年6月まで掲載されたエッセイ。

敬老の日が近くなると、新聞広告↓が出て、
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既に128万部出ているというから、すごい。

「反骨の人」佐藤愛子の本領発揮で、
世の中のおかしなこと斬る。

たとえば、新聞の人生相談
あれだけの質問内容で、
よく回答できるものだ、
という疑問だけでなく、
質問者についても疑問を投げかける。

たとえば、飼い犬と散歩中、
道端で糞をしたのを片づけている時、
通りかかった男性に
「こんなところで糞をさせるな」と
怒鳴られた。
それ以来、
「頭からいやな思いが離れず、気持ちがざわついて、
なかなか消えない。
どう気持ちを整理したらよいか?」
という相談を読んで、
相談者の年齢を「40代」と確かめて、うなってしまう。
たったこれだけのことで
わざわざ葉書を書いて新聞社に送るとは・・・。
と。

こんなことは昔は小学校の女の子が悩むことだった。
こどもから訴えられた母親は、
『そんなおっさん、気にしなさんな』
の一言ですませた。
それでもメソメソしていると、
『この忙しいのに、何をぐだぐだいうてる!』と叱られた。
それで終る程度のことだった。
だが相談を受けた識者の先生は、
内心はともかく親切に力づけようとして
知恵を絞って回答されている。
仕事とはいえたいへんですなあ、と私は同情した。


そして、次に、三十代の女性の悩み。

趣味で習っているが、グループの展覧会が開かれることになって、
友人たちを誘ったが、誰も当日来てくれなかった。
それ以来、落ち込んで空しくてならない、とのこと。

私なら、
「来るというのに一人も来なかった。ソレが何なんです?」
で終るだろう。


だが、回答者は丁寧に答えている。

というわけで、
人生相談など、そんなものだが、
何とヤワな精神の持ち主が増えたものだ。

ビーフカツに異物が混入した疑いがあるので、
製造元が廃棄処分にしたものを、
廃棄業者が横流しして売った事件。

異物が混入したらしいビーフカツの
その異物とはどんな物かと訊ねると、
はっきりしないがプラスチックのカケラみたいなものじゃないか、
という話だった。
正体もよくわからない。
混入したかどうかもわからない。
「らしい」という話だ。
「らしい」だけで廃棄するのか!
4万枚も!
(中略)
もしもプラスチックのカケラが混入していれば、
口に入れると舌に触るだろうから、
その時は吐き出せばいい。
それだけのことなのに、
もったいない


小学校で6年生の男子が蹴ったサッカーボールが
校外を走っていたオートバイに乗った老人に当たりそうになり、
老人はよけて転倒し、足を骨折して入院。
1年4カ月後に肺炎で死亡した。
老人の遺族が少年の両親に5千万円の賠償を求めて訴訟。
1審2審共に両親の監督責任を認め、
1審千5百万、2審千百八十万円の賠償を命じた。

それについて、こう書く。

何ともおかしな話である。
少年は校庭でサッカーをしていた。
道端や公園でしていたわけではない。
(中略)
それがなぜ親の「監督不行届き」になるのだろう?
(中略)
老人は転倒して骨折したが、
それが原因で死亡したわけではない。
亡くなったのはそれから1年半も経ってからで、
しかも肺炎で亡くなっている。
足の骨を折ったのがもとで肺炎を引き起こすという話は
世界中、聞いたことがない。
我が国には昔から
「運が悪かった」という言葉があり、
不慮の災厄に遭った時など、
この言葉を使って諦めて耐えるという
「知恵」を誰もが持っていた。
人の世は決して平坦な道ではないということを
みんなが知っていた。
知っているからこそ
親は子に耐えることや諦めることを教えた。
耐え難きを耐え許し難きを許すこと、
それは最高の美徳だった。
自分がこうむったマイナスを、
相手を追い詰めて補填(つまり金銭で)させようとすることは
卑しいことだった。
かつての日本人は「不幸」に対して謙虚だった。
悪意のない事故も悪意のある事故も
ゴチャマゼにしてモトを取ろうとするガリガリ亡者はいなかった。
今はそのガリガリ亡者の味方を司法がしている。


この判決は最高裁で覆り、

「危険がない遊びなどで偶然起きた事故なら責任は免れる」

という初判断がなされたという。

東日本大震災の時、
幼稚園の園長が送迎バスで帰宅させたのが裏目に出て
バスが津波に呑み込まれた事件で、
幼稚園児の親たちが園長の責任を問うて、
約2億円以上の賠償を求めて訴訟し、
1審で園長に1億7千万円余りの賠償命令が出た。

地震と共に津波が押し寄せて来たという
絶体絶命の危機に下した判断が裏目に出たことの、
どこに園長の落ち度があったというのだろう。
司法は人間性を失った。
情を捨て、観念のバケモノになった。


テレビ朝日の「橋下×羽鳥の新番組始めます!」という番組で、
「日本の未来を真剣に考えてトークを交わす」というので、
政治の世界から身を引いた橋下元知事が
何を語るかと、佐藤さんは期待して見た。

番組は橋下氏と羽鳥氏の共通の母校である
早稲田大学近辺の街を散歩する二人を延々と写し、
「日本の未来を真剣に考えるトーク」というのはまだか、
と苛立ち気味になった頃、ようやく7人の論客が登場。
その一人ずつが、
「今の日本のおかしいと思うこと」を
開陳して残りの人たちが議論するという仕組み。
まず橋下氏が発言。
「若い女性がピアスを耳に、
それも一つではなく二つも三つも開ける。
そればかりか、鼻やヘソにまで開けるとはなにごとか」

これに対して佐藤さんは、こう書く。

私は我が耳と目を疑った。

論客たちがボタンを押すと、
頭の上に「おかしい」「おかしくない」のパネルが上がる。

呆気にとられている佐藤さんの前で論客の問題提起は続く。
「バスタオルというものは
お風呂に入って綺麗になった体を拭くのだから、
洗濯を毎日する必要はないのではないか」

佐藤さんは怒る。

これのどこが「日本の未来を真剣に考えるトーク」だというのか!
町内会の寄り合いの茶飲み話じゃないんだよ!
(中略)
当節は人が顔を合わせると
「この頃のテレビはつまらないねえ」といい合うのが挨拶代わりになっているが、
それはどうやら制作にたずさわる人たちの
「視聴者は他愛のないことを喜ぶ」
という思い込みのためだろうと私は考える。


実際、最近のテレビ番組の劣化はひどすぎる。
ゴールデンタイムに2時間も3時間もかけて
同じような内容のばかげた番組を垂れ流す。
それは、若いプロデューサーやディレクターたちが
視聴者を馬鹿にしているとしか思えない。

なら、見なけりゃいいじゃないか、
というのは正論だから、見ない。
最近の視聴率調査で、
第1位が20パーセント前半、
というのは、昔ほどテレビが見られていない証左だと思われる。
昔は視聴率40パーセント、50パーセントという番組はザラだった。

私が今毎週見ているものといえば、
「未来世紀ジパング」「ガイアの夜明け」「カンブリア宮殿」
「YOUは何しにニッポンへ」「家ついてってイイですか」
などテレビ東京の番組ばかりだ。
この局は少ない予算で知恵を使って
面白い番組を作ろうという気概がある。

と、話はそれたが、
こわいものなしの90歳、
佐藤愛子のエッセイ集、
期待したほどではなかったが、
まあ、面白かった。





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