二つのメール  映画関係

数カ月前のこと。
日比谷公園に行き、

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この店に。

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これを食べるためです。

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ソフトクリーム製造機メーカーの
最高級ソフト「CREMIA」(クレミア)。
生クリーム25%配合・乳脂肪分12.5%と、
普通のソフトクリームとは比較にならないスペック。
その代わり、高くて税込み540円。

テレビ東京の番組「カンブリア宮殿」で紹介され、
小池栄子が、
「大変だった仕事の後、
自分へのご褒美のつもりで食べる」
と言っていたので、
売っている店を調べて購入。

味は確かに濃厚。
コーンも特別でおいしい。
しかし、ここまでしなくても・・・
と思ったのは私だけでしょうか。
1回でいいかな。


↓は、「いきなり!ステーキ」のホームページ。

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米国のナスダックに上場した記念のキャンペーン。
そこで、先週、新浦安店に行ってみました。

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行列が出来ているのでは、
と心配しましたが、
宣伝が↓のようにささやかだったせいか、
行列はなし。

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ここはフードコートの中なので、立ち食いではありません。

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税込み1501円のところが、税込み1080円
421円も割安で、満足でした。


これは、昨日のこと。
大井町に行き、

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この店に。

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すかいらーくの創業者の一人だった
横川 竟(よこかわ きわむ)さんが
すかいらーくの代表取締役を退任させられた後、
興した珈琲チェーン。
これも「カンブリア宮殿」で知った店。

落ち着いた内装。

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これが売りの特製クリームのリコッタパンケーキ

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確かにおいしいですが、
量が一人分としては多すぎる。
それに、ちょっと甘いかな。


さて、本日の本題。

産経新聞金曜日の映画欄が充実しています。

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インタビュー記事に作品評が4つ位。

星がついており、
★5つが「傑作」
★4つが「見応え十分」
★3つが「楽しめる」
★2つが「惜しい」
★1つが「がっかり」。


新聞1面を使って映画の記事、というのは嬉しいですが、
若い編集者なのか、
時々足を踏み外します。

無視すればいいのですが、
時々、我慢できずに、
メールを送るはめに。

↓は8月頃に送ったメール。
既に公開から日にちが過ぎているので、
一部ネタばれになるのは、ご容赦。

産経新聞
金曜日映画欄担当者 殿

最近の産経新聞金曜日の映画欄の充実が甚だしく、
愛読しています。

しかし、本日(8月10日)付けの記事中、
読み逃しできない点がありましたので、
メールします。

「オーシャンズ8」の記事中、
「クルーガーの食事に劇薬を混ぜ
トイレで吐かせる間に
ネックレスを楽々とせしめる姿は豪快で、
おかしみも漂う」
とありますが、
映画の肝心の場面をネタばれするとは何事でしょうか。

この映画は、監視カメラ、厳重な警備の中、
どうやって宝石を盗むか、
というのがキモ中のキモで、
それが観客を引っ張っていくものです。
その秘密を明かしてしまうとは。

今日、「オーシャンズ8」を観ましたが、
先にこの記事を読んでしまったので、
興をそぐことはなはだしいものがありました。

「先に観た者」が「これから観る人たち」のために
物語の肝心の部分をバラさない、というのは、
マナーであり、エチケットであり、
何よりも、思いやりです。
こんな大切なことをわきまえていない人が
映画欄を担当していることが驚きです。

毎週楽しみにしている映画欄の評価が檄下がりしました。
これからは用心しながら評を読む必要がある、
場合によっては、観る予定の作品については読まない、
などの工夫をしなければならないかと思うとやり切れません。

映画を愛する者として、
また、産経新聞の映画欄に期待する者として、
苦言を呈しました。

(住所・氏名)


これに対する返信が↓。

このたびはメールをお送りいただき、ありがとうございました。
文面につきましては、内容を確認させていただきました。

皆さまからのご意見、ご指摘、ご要望などにつきましては、
担当部署への連絡、報告書にまとめて
全管理職に提出など、
適宜対応させていただきます。

今後とも、紙面などへのご高見、
ご鞭撻をたまわりますよう、
よろしくお願い申 し上げます。

産経新聞東京本社読者サービスグループ


昨日送ったメールが↓。

産経新聞
金曜日映画欄担当者 殿

産経新聞金曜日の映画欄を愛読している者です。

10月12日の映画欄で、
「アンダー・ザ・シルバーレイク」に
★5つの評価がついていましたので、
さぞ素晴らしい映画だろうと思い、
観てきました。

結果は無残でした。
ストーリーが判然とせず、
描写も汚く、
???ばかりが残る映画でした。

この映画は、いわゆる「カルト・ムービー」で、
一部の観客に熱狂的に歓迎されても、
一般の映画観客は取り残されるたぐいの映画です。

このような映画に★5つを付けてはいけません。

★5つは「傑作」であり、「全ての人にお薦めする」という意味だと思いますが、
「アンダー・ザ・シルバーレイク」は、
観客を選ぶ映画です。
★5つの評価は当てはまりません。
この評価を見て、映画館に足を運んだ読者の大多数の
金銭だけでなく、時間をも奪うものです。

貴紙の★評価は複数の記者の合議でやっていますか?
それとも、一人の記者の評価をそのまま掲載しているのですか?
もし後者であるなら、大変危険です。
(藤)の表記がありますが、
読者は産経新聞の評価と受け取ります。
(藤)さんの個人的ツボにはまったのかもしれませんが、
新聞の映画欄は客観性も重んじるべきです。
客観的に見て、「アンダー・ザ・シルバーレイク」は、
「傑作」ではありません。

映画評論家の使命は二つあり、
一つは、その映画が観るに値するかどうかを判定すること。
もう一つは、隠れた名作を発掘し、評価することです。

評論家の映画評を読んで、映画館に足を運んだ時、
その映画に失望すれば、
次からその評論家の評は信用されなくなります。
それが評論という仕事の宿命です。
少なくとも、今回、★5つという、
あまり頻度の少ない最高評価を信頼して観に行った私は、
今後、産経新聞の映画欄の評点を信頼することは出来ません。

一方的な言い分で申し訳ありませんが、
沢山ある映画の中から、
映画評を頼りに映画を選定する立場の読者として、
言うことは出来るだろうと思い、
このメールを送ります。

(住所・氏名)

これに対する返信が↓。

このたびはメールをお送りいただき、ありがとうございました。
文面につきましては、内容を確認させていただきました。

皆さまからのご意見、ご指摘、ご要望などにつきましては、
担当部署への連絡、報告書にまとめて
全管理職に提出など、
適宜対応させていただきます。

今後とも、紙面などへのご高見、
ご鞭撻をたまわりますよう、
よろしくお願い申 し上げます。

産経新聞東京本社読者サービスグループ


何だか、笑ってしまいますね。


なお、★の数での評価については、
1960年代、朝日新聞の映画評が、
ウサギのマークで評価を表わしました。

普通に画面を観ているウサギ、
乗り出して観ているウサギ、
飛び上がっているウサギ、
そして、つまらなそうにしているウサギ、
寝てしまっているウサギ
の5つで、
評価が視覚的に分かる点で画期的なものでした。

その「飛び上がっているウサギ」が初めて出たのが、
黒澤明の「天国と地獄」であったことを覚えています。

私のブログの映画感想も、
5段階で評価していますが、
それは、通信簿に慣れていて、
分かりやすいと思ったからです。

前にも書きましたが、
私の映画の5段階評価の基準を書くと、

普通にまあまあ見られた映画は「3」。
面白かった映画は「4」。
その上感動までさせてくれたら「5」。
反対に退屈させたら、即「2」。
更に汚く、嫌悪感をもよおしたら「1」。

私の映画感想に基づいて
観る映画を選別している方もいるそうですから、
責任重大です。
私が推した映画を観て、
「なんだつまらないじゃないか」
と思われたら、
信用されなくなりますから、
こちらも必死です。

たまに、「映画評のハードルが下がっていませんか」
などと言われると、
ぎょっとします。

ブログという手段を取っている私でもそうなのですから、
新聞という公共手段でなす方は
それだけ責任は重いと言えます。

昔、ある映画の宣伝で、
女性映画評論家が
製作者の意をくんだとしか思えない批評をした時、
その評論家の評論は今後信じまい、
と思ったことがあります。

メールに書いたように、
映画評論家の使命は二つあり、
一つは、その映画が観るに値するかどうかを判定すること
もう一つは、隠れた名作を発掘し、評価すること

そうでない、データばかりの評論、
映画会社に気を使って
無理やりほめている映画評を見ると、
がっかりします。

タグ: 映画

美濃・飛騨旅行記A・白川郷  旅行関係

朝のホテル入り口。

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アスレチックの設備があります。

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巨大迷路もあります。

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脱出できるのでしょうか。

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学校の合宿に使われるようで、
記念植樹の木が並びます。

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朝食。バイキングでなくてよかった。

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今日は窓際の席がもらえました。

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日本の自然は、本当に美しい。

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次の訪問地は、白川郷。

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駐車場に並ぶバスの列。

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白川郷は、川の対岸にあり、

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この橋を渡らなければなりません。

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であい橋といいます。

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世界遺産・白川郷に入りました。

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ここがメイン通り。

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正式には、萩町合掌造り集落、といいます。

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自動販売機も、景観を乱さない色合いです。

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マンホールもご覧のとおり。

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まず、展望台へ、

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このバスで行きます。

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坂道を3分ほど登ります。

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萩町城跡展望台は、
室町時代の家臣の住居跡。

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テレビでよく観る景色が広がります。
合掌造り」とは、
屋根の形が掌を合わせた様子に似ていることから。

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明治時代、ドイツの著名な建築家ブルーノ・タウト
「これはスイスかスイスの幻想だ」
と絶賛された美しい山里です。

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114棟の合掌造り家屋が存在。

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下から見た展望台。

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すぐ下に戻って散策。

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巨大な茅葺き屋根が特徴。

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斜度50〜60度の急な造りになっているのは、
雪の重さから建物を守り、
雪下ろしの作業を軽減するため。

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藁を葺き直している家があります。

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公開されている家があり、
ここは、その一軒。

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和田家は、江戸時代に名主や番所役人を務めた名家。

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白川郷で最大規模の
築300年経つ建物は国の重要文化財に指定。

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1・2階が公開されています。

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大きな仏壇や

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ご先祖様の写真が、
いかにも田舎の家。

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欄間の細工や

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襖絵も見事。

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田植えの写真。

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冬にも来てみたい。

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階段で上階へ。

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丸太を三角に組んだ、独特な構造を持ちます。

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屋根の骨組みの合掌材は、
細く削った先端を受ける側に開けた穴に差し込んであるのみ。
釘を使いません

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固定しない「遊び」が
豪雪の重みや地震の揺れを逃がす構造です。

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水はけのいい茅を使っているので雨漏りの心配がなく、
断熱性や通気性もすぐれています。

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広間にある囲炉裏から立ち上る煙には、
防虫・防腐効果があり、
それが屋根裏にまで昇っていぶされることで、
茅葺き屋根が長持ちする仕組みです。

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幾層にもなっているのは、
主人、使用人が同じ屋根の下で
階層ごとに生活したため。

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養蚕などの仕事場と生活の場を兼ねています。

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もう一軒、長瀬家

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数多くの人を雇っていたため、
使用人の小部屋が残っています。

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金沢藩の漢方医であった初代〜3代が集めた美術工芸品を展示。

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2001年に行われた500人規模の葺き替えの記録映像を上映。

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屋根は30年ごとに葺き替えますが、
巨大な屋根なので、村人たちが協力して行います。

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散策は秋風が吹いて気持ちがいい。

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全ての家屋が南北の線上に建っています。

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これは、屋根全体に日が当たり、
融雪と屋根の乾燥を進めるため。

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風通しを確保するため、南北に窓があります。

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カカシ。

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日本のカカシが珍しいのか、
外国人観光客がはしゃいで写真を撮っています。

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みんな同じ向きなのが分かりますね。

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明善寺の鐘楼も合掌造り。

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一生分の合掌造りを見て、

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再び川を渡ります。

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こんな看板がありました。

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次は最後の訪問地、
飛騨高山に向かいます。

                                    

ゆ〜ゆ〜カーニバル2018  わが町・浦安

今日は、午前中、ここへ。

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↓このイベントです。

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市内に古くから鉄鋼団地というところがあり、
そこの組合の主催。
隔年の開催です。

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こういう行事というのは、
箔付けのために、
市とか商業団体の後援などをつけるものですが、
そういうのは一切なく、
全て自分たちだけで運営しようという心意気がなかなかいい。

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従って、市長を含む町のお歴々を招いての
テープカットなどという行事もなく、
阿波踊りでスタート。

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これは、毎回の趣向。

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農産物の直売が人気です。

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玉ねぎ、じゃがいもの詰め放題は行列。

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なにしろ、これだけ詰めて、300円。

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1時間もたたずに完売です。

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物販フリーマーケットも。

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毎回同じような写真になりますので、
少なめにします。

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あとは、食べ物の販売。

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博多ラーメン200円は安い。

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子供向けの遊戯施設もあります。

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その間に、阿波踊りが場内を練り歩き。

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楽しいんでしょうね。

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これは、今回初めての趣向。

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これも初めて。

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きっと、この子たちの中から
将来の警察官が出るのでしょう。

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ここはイベント会場

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これが観客席。

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ウクレレサークルの演奏。

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これも楽しそう。

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今年のゆ〜ゆ〜カーニバルでした。


評論『ラーメンの歴史学』  書籍関係

[書籍紹介]

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著者のバラク・クシュナーは、
アメリカのニュージャージー出身で、
プリンストン大学で博士号を取得、
現在は英国ケンブリッジ大学
アジア・中東研究科日本学科の准教授として
日本の近現代史を講じている方。

25歳の時初めて来日、
岩手県の漁村で英語指導助手として働いていた折、
ラーメンと遭遇する。
その後、日本語習得や博士号取得を経て、
2004年から本格的にラーメンの研究に着手、
8年間かけて資料を集め、
50人以上の関係者にインタビューして
2012年に出版されたのが本書。
原題は
「ズルズル! 日本が愛する汁麺『ラーメン』の社会・食物史」
という。

内容の特徴は、
次の「訳者あとがき」に書かれた文章がよく表現している。

外国人が書いたラーメンの本と聞けば、
興味本位のちょっと面白い本か
グルメガイドというイメージを抱きがちだが、
本書は著者の経歴が物語るとおり、
ラーメンの歴史についての本格的な研究書である。
ラーメンが登場するよりはるか昔の古代から
日本の食の歴史をひもとき、
麺料理のルーツから日中および朝鮮半島との交流史、
江戸時代の食文化、
明治・大正期から戦争中の食べ物、
戦後の食糧難、高度成長期の食生活の変化・・・と、
ラーメン誕生の背景となった
日本と東アジアの歴史が、
豊富な資料を駆使して語られる。


目次は、
                                    
序・麺王国の歴史と現在―象徴としてのラーメンへ
第1章 古代中国の食卓から―麺の誕生
第2章 宮廷食と庶民食
第3章 日本の国際化、外国の食べ物、鎖国
第4章 江戸時代の食文化とラーメン伝説
第5章 明治維新―ラーメンへと通じる食の革新
第6章 外交と接待術
第7章 帝国と日本の料理
第8章 第二次大戦中の料理―迷走する世界
第9章 食の歴史―戦後のインスタントラーメン〔ほか〕
第10章 ラーメンに関わる大衆文化
結び


いくつか示唆に富む記述を紹介しよう。

ラーメン評論家大崎裕史のインタビュー。

「ラーメンの起源の主要な部分は中国にありますが、
その後、日本人は、
それらの要素を自分たちに合わせて育てていき、
中国文化とはまるで異なるものを生み出しました」


平安時代から江戸時代までは、
食事は飢えを満たすためだけのものだったという。

日本の小説では、
中世の中国の小説のように、
食べ物が描写されることはなかった。
「源氏物語」やそれ以降の同種の小説には、
食事や宴会、調理、
あるいは食べ物の美しさや味についての描写もない。
食べることの楽しみがまったく欠如しているのだ。
考古学者で歴史作家でもある樋口清之によると、
平安朝文学は「食欲不在の文学」だった。
こうした状況は基本的に、
17世紀の江戸時代まで続いた。


麺が誕生するには、
13世紀、中国に渡った僧侶が、
蕎麦の実を粉に挽く技術を持ち帰らなければ始まらなかった、
という記述も、なるほど、と思わせる。
と同時に味噌を作る技術も持ち帰られ、
味噌桶の底にたまった汁がおいしい調味料であることが発見され、
これがたまり醤油の始まりだった、
というのも目からウロコが落ちた思いがする。

当初、餅のようだった
粉をこねて作ったものを
細く切って料理することを誰かが思いついた、
というのも面白い。

しかし、武士が台頭してきた中世、
上流階級は新しい料理法を取り入れたりしたが、
ほとんどの国民の食生活は、単調で味気ないものだったという。

江戸時代、中国人の食生活を驚いた記述も興味深い。

中国人居留地を訪れた日本人は、
中国人が食事中に会話を楽しみ、
どんな集まりも賑やかな宴会になることに驚いた。
日本では武士も貴族も階級を問わず、
食事は健康維持のためにするものであり、
社交的な会合という意味合いはまったくなかった。
食事中の会話やおしゃべりは顰蹙を買い、
そんなことは女性だけがするものと思われていたのだ。


それでも、江戸時代になると、
蕎麦を売る屋台が何千軒も出来、
蕎麦は鰻、天ぷら、寿司と並んで
江戸の四大名物食の一つに数えられたという。
ミシェランガイドが出版される100年以上前から
市中の料理屋案内が出版されていたというから驚く。

江戸には数多くの食べ物屋があり、
1765年に初めてレストランが登場したフランスよりも、
19世紀初頭までレストランが一軒もなかったイギリスよりも、
はるかに先をいっていた。

江戸では、1770年代に屋台が登場し、
しだいにその数と種類を増していった。
たとえば、
天ぷら、ウナギの蒲焼、スルメ、焼き団子、寿司などである。
19世紀初めの江戸には、
屋台から、路上に簡単な卓を二つ三つ並べただけの店、
実際に店を構えているごく少数の店まで、
6千軒にものぼる飲食店があったといわれる。


そして、こう書く。

鎌倉時代と江戸時代の最大の変化の一つは、
食べることの重点が、
単なる腹を満たす手段から
食べ物のおいしさを味わう喜びへと変わったことだ。
麺類(この時点ではおもに蕎麦とうどん)は、
そうしたごちそうを食べるゆとりのあるすべての身分の人にとって、
今日のようにおいしくは炊けなかった米に代わる、
おいしい食べ物となった。


江戸時代は、藩中心で、

当時の人々には、
自分が日本人あるいは国家の一員だという意識はなかった。


世界に数々の国家があることさえ知らなかったのだから、
当然と言えるだろう。

明治初期、日本各地で新しいタイプの汁麺が登場した中、
長崎の四海楼のちゃんぽんが登場し、
ラーメンの先駆けになった、というのも初めて知った。

水戸光圀がラーメンの発明者で、
中国から招いた朱舜水がてほどきをした、
という俗説はどうやら嘘らしく、
ラーメンの発祥地がどこかも、
ラーメンという名前の由来もはっきりしていない、
というのが本当らしい。
1922年、札幌にあった竹家食堂で雇った中国人、王文彩が
かん水を加えた麺に、
いろいろな肉と野菜で取ったスープに入れて供したのが最初と言われる。
名前も「柳麺」から「拉麺」と変わり、
最後にカタカナで「ラーメン」とした、というのが真相らしい。

しかし、こう書く。

ラーメンの誕生に関するこれらの説は、
どれももっともらしく筋が通っており、
ある意味ではすべてが本当なのかもしれない。
あるいは、全部合わせると
真のルーツが明らかになるのかもしれない。
いずれにしても、
全国各地にほぼ同時期に同じ料理が出現したことと
その名前の由来を、一つの説で説明するのは、
無理な話だ。


戦時中、食糧難で途絶えたラーメンも、
戦後になって息を吹き返す。
その契機になったのが、
進駐軍の提供した余剰小麦粉だった、
というのも瞠目する説。

そして、インスタントラーメンが登場する。

1958年というから、
私は当時小学校5年生だ。
初めて家で袋から丼に入れ、
湯をかけて皿で蓋をし、
3分(最初は2分だったという)待って、
蓋を取って食べた時の興奮。
それは、味よりも、
家でラーメンが食べられる、という
ことが興奮の根っこにあったのだ。

そして、高校時代、ラーメンは受験勉強の友となった。
深夜、勉強を中断して、
台所で作るラーメン。
しかも、節約なのか量を減らすためか、
麺を半分に折っての調理。
勉強のためにラーメンを食べるのか、
ラーメンを食べるために勉強をしているのか
判然はしなかったほどである。

そして、カップ麺という大発明がそれに続く。

ラーメンも変化し、醤油味のラーメンから
塩味のタンメン、北海道から始まって味噌ラーメン、
九州から始まったトンコツラーメンと種類も豊富になり、
更に様々な創作ラーメンが巷にあふれ、
ラーメン文化は世界に広がっている。
アメリカでもイギリスでもパリでもラーメンを食べた。
そして、世界中から「本場」のラーメンを食べるために
日本にやって来る。

2010年1年間に世界で消費されたインスタントラーメンは
950億食にのぼる。
国別では中国が420億食以上、
インドネシアが140億食で、
日本は50億食で第3位でしかない。

この350ページにわたるラーメンの専門書。
それが外国人の手によって書かれたということも感慨深い。
沢山教えられることがあった。

グルメ大国日本も、かつては味など頓着ない時代があり、
やがて食糧が豊富になり、
文化的に成熟して、
今日の日本がある。
その中心に「国民食」として,
ラーメンが燦然と輝いている。


映画『チューリップ・フィーバー』  映画関係

[映画紹介]

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17世紀オランダ。
孤児として修道院で育ったソフィアは、
裕福な輸入商人コルネリスのもとに嫁ぐ。
いわば、「金」で買われた結婚で、
後継ぎを作るためにせっせと子作りに励むが、
なかなか子宝に恵まれず、
「返品」されそうな悩みを抱えている。

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コルネリスの方は、
前妻が出産の危険の際、
「妻の命より子供の命を」
と神に祈って両方を失ったことがトラウマになっている。

当時は市民が肖像画を作ることが流行っており、
コルネリスは若手画家、ヤンを雇う。

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老人のコルネリスに比べて若いヤン。
ソフィアとの間に恋が芽生えるのに時間はかからなかった。

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一方、女中のマリアは魚売りのウィレムと関係するが、
チューリップ投機に手を出したウィレムは姿を消す。
その時、マリアのおなかには、ウィレムの子供が宿っていた。
それを知ったソフィアは、ある計画を思いつくが・・・

当時オランダはチューリップ・バブルの真っ只中で、
一攫千金を懸けて人々はチューリップ売買にのめりこんでいた。

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17世紀のオランダを舞台に、
資産家の妻と画家の秘められた恋を描き、
その背景に当時オランダを巻き込んだチューリップ・バブルと
バロック絵画の隆盛を置く、
という、なかなかの趣向。
もっとも、これは原作(デボラ・モガー「チューリップ熱」脚色も担当)の功績だが。

チューリップ・バブル・・・
17世紀のオランダにおいて、
当時オスマン帝国からもたらされたばかりであった
チューリップ球根の価格が異常に高騰し、
突然に下降した期間を指す。
ピーク時には、球根1個で邸宅相当の値がついた。
1636年から1637年の冬にピークを迎え、
1637年2月、チューリップ球根の価格が急落し、
沢山の破産者を出した。
チューリップ・バブルは、
記録に残された最初の投機バブルとされる。

この趣向を達成するために、
アリシア・ヴィキャンデル(ソフィア)、
クリストフ・ヴァルツ(コルネリス)、
ジュディ・デンチ(修道院長)という

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オスカー俳優を3人並べるという贅沢。
それに若手人気俳優のデイン・デハーン(ヤン)を配する。

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で、出来映えだが、
当時のアムステルダムの造形はなかなかのもの。
衣裳、装置、エキストラ、みんな頑張った。
ドラマ部分はちょっと微妙
特にアリシア・ディキャンデルが
不幸な身の上で金持ちの老人に金で買われ、
初めて出会った若い画家に惹かれる、
という微妙な心理を演じきれなかったのが敗因か。
クリストフ・ヴァルツは、騙される好人物だが、
この人のキャラではないのか、納得性に欠ける。
マリア役のホリデイ・グレジンジャーのみ精彩。

原作のモガーは、フェルメールの絵画から着想を得た、
と言っており、
宣伝でも
「フェルメールの世界から生まれた物語」
と謳っているが、
フェルメールの活動は、
映画で描いている時期の20年ほど後からで、ちょっとずれる。

「ブーリン家の姉妹」「マンデラ自由への長い道」などの
ジャスティン・チャドウィックが監督。
「恋におちたシェイクスピア」のトム・ストッパードが共同脚色。

興味深い題材で退屈はしなかったが、
せっかくの好素材を
あまりうまく料理したとは言えない。

5段階評価の「3.5」

予告編は↓をクリック。

https://youtu.be/I2UCdmpD-iI

新宿バルト9他で上映中。

タグ: 映画




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