『父の遺産』  書籍関係

[書籍紹介]

クリックすると元のサイズで表示します

まず著者のフィリップ・ロスについて。

クリックすると元のサイズで表示します

1933年生まれ。
現代のアメリカ文学を代表する小説家のひとり。
1959年、ユダヤ系移民の家庭を描いた短編集
「さようならコロンバス」で作家デビュー。
翌年、この作品で全米図書賞を受賞し、
一躍新進作家として脚光を浴びる。
1969年には、ニューヨークに住むユダヤ人の若者と
その母親との屈折した関係を描いた長編「ポートノイの不満」が
年間ベストセラーの1位に輝いた。
1970年代以降も、その旺盛な執筆力は衰えを知らず、
全米図書賞(1960年、1995年)、
全米批評家協会賞(1987年、1991年)を
それぞれ2度、
ペン/フォークナー賞(1994年、2001年、2007年)を
3度獲得するなど、
現代アメリカ文学を代表する巨匠。

そのフィリップ・ロスが
自分の父親ハーマン・ロス
最晩年の介護と看取りを描いたのが本作品。
曽野綾子の「夫の後始末」に続いての介護の話だが、
あちらは妻→夫の介護だったのに対して、
こちらは息子→父親の介護。

ハーマンはユダヤ系移民二世として生まれ、
中学しか出ていないにもかかわらず、
雇われた保険会社で頭角を現し、
支店長として会社に貢献した。
経営状態が悪い営業所を任され、
優良営業所に仕立て上げた。
結婚して二人の息子を得た。

「わしは移民街に生まれて、
高校も行かずに、
自分で自分を叩き上げたんだよ。
一度もへこたれなかったし、
法律も破らなかったし、
『もう降参だ』なんて弱音を吐いたこともない。
浮気もせんかったし、国にも忠誠を尽くしたし、
ユダヤ人としての誇りも持って、
自分にはとても手の届かなかった
いろんなチャンスを出来のいい二人の息子に与えてやったんだ」


息子は二人とも父とは違って大学に進んだ。

退職後は悠々自適の生活だったが、
8年前に妻をなくし、
86歳の時、突然顔面の半分が麻痺し、
垂れ下がってしまった。
最初、一過性のベル麻痺だと誤診されたが、
麻痺は引かず、
後で脳腫瘍が原因であると判明。
手術で改善すると言われたが、
なにしろ86歳の高齢である。
他の方法はないかと模索し、
手術ではない方法を選ぶが、
次第に症状は進み・・・

この過程でのハーマンとフィリップの葛藤を描く。
父親の性格は強引で干渉癖があり、
フィリップにとっては持て余す存在だったが、
次第に息子の言うとおりになっていく様子に息子は胸を痛める。

最初フィリップは遺産相続を放棄し、
長男に全て残してくれるように言っているが、
ある時期違和感を覚えるようになる。

ところがいま、父の死が遠い遠いとは言いがたいところまで来て、
お前に言われた通り財産はサンディに行くようにしたぞと告げられ、
自分が遺産相続人として事実上抹殺されたことを知ってみると、
思ってもみなかった反応が湧き上がってきた。
自分が否定され、見捨てられたような気持ちになったのだ。
たとえそれが、あくまで私自身の要請に従って行われたことだとわかっていても、
父に捨てられたような気持ちは
少しも和らがなかった。

自分でも愕然としてしまったのだが、
父と並んで立ち、その遺書を眺めてみて、私は思い知った。
頑固者で意志堅固なるわが父親が
あらゆる悪条件を乗り越えて
生涯蓄積してきた経済的剰余、
その分け前を私は欲しているのだ。
それが父の金だから、
私が父の息子だから、
分け前を受ける権利が私にあるから、欲しいのだ。
そしてそれが、父本人の働き者なる体の皮そのものではないにせよ、
これまで父が克服し、生き抜いてきたものすべての象徴だから欲しいのだ。
それは父が私に与えうるもの、
私に与えようとしたものなのであり、
慣習と伝統からしても私に与えられるべきなのだった。
こっちが余計なことを言いさえしなければ、
当然そうなったはずなのだ。
なのになぜあんなことを言ったのか?


そんな葛藤の中、父が家の奥でウンコをもらしてしまう。
その掃除をしながら、フィリップは突然、
これが自分に与えられた遺産だと感じてしまう。

あれこそが父の遺産なのだ。
あれを掃除することが、何かほかのものの象徴だからではない。
むしろ何の象徴でもないからだ。
あれを掃除することこそ、
生きられた現実そのものであり、
それ以上でも以下でもなかった。


そして、次のように宣言する。

私にとっての父の遺産。
金でもなく、聖句箱でもなく、
髭そりマグでもなく、
ウンコ。


父・ハーマンのキャラクターが強烈で、
物語を支える。
ハーマンのおせっかいで強引な押しつけがましい性格は、
ビル・ウェバーという、
人のいい人物の社交性のなさを叱り飛ばす場面によく現れている。

「彼女を映画に誘うんだ、
ディナーに誘うんだ。
毎晩部屋にこもってちゃいかん」
「誘いたくなんかないよ、ハーマン。
誰も誘いたくないんだよ、わしは」
「あんたみたいなのを人間嫌いって言うんだぞ」
「べつに構わんさ。
あんたがそう言いたいんだったら、
いいよわしは、人間嫌いで」
「まるっきり隠者の暮らしじゃないか」
「いいよ、それで」
「よかないさ。
もっと人とつき合わなくちゃいかんのだ。
相手が欲しくてうずうずしてるご婦人が
ここにはゴマンといるんだ」
(中略)
「女なんか要らんよ、わしは。
いまさらわしが女に何をしてやれるっていうのかね。
わしはもう86なんだよ、ハーマン」
「あのなあ、そういうことを言ってるんじゃないんだ。
わしが言っているのはだな、
誰かと一緒に楽しく食事をするとか、
人間らしく他人とつき合うとか、
そういうことなんだよ」
「あんたはそういうのが上手だよ。
でもわしはそうじゃないんだ。
わしは自分の部屋にいたいんだよ」
「なあ、ビル、あんたって奴はほんとに理解に苦しむね。
こっちはただあんたのためを思って言ってるのに。
何だってそんなに抵抗するのかね」


この86歳同士の会話、私は好きである。

全米批評家協会賞受賞作
アメリカの私小説は久しぶりに読んだ。

父が死んだのは、1989年。
この本が出版されたのは、1991年。
翻訳されたのは、1993年。

原著の表紙の写真↓。

クリックすると元のサイズで表示します

36歳の父・ハーマンと
9歳の兄・サンディ、
4歳のフィリップ。

フィリップは2018年5月22日、
うっ血性心不全で死去
85歳というから、
父親の死亡の歳に近い。
その年齢に至った時、
どんなことを思ったのだろうか。


映画『トーナメント』  映画関係

[映画紹介]

クリックすると元のサイズで表示します
                                  
大晦日の夜。
妻の職場パーティーに参加していたジェフとリンジーは、
その帰り道、山中の道で見知らぬ男を轢いてしまう
救急車を呼ぼうにも携帯電話は圏外で、
飲酒運転がばれるからと
酒が抜けるまでの時間稼ぎに
とりあえず自宅まで運ぶ途中で、男は死んでしまう。

クリックすると元のサイズで表示します

ガレージに車を入れて気づいたのは、
ナンパープレートが衝撃で落ちてしまったこと。
別の車で現場に戻ったジェフは、
既に警察の車が来ていたので、
ナンバープレートを回収できないまま、家に引き返す。

その間に、リンジーの妹の居候のハンナが帰宅してきて、
ガレージで息を吹き返した男に襲われ、
男の持っていた拳銃で撃ち殺してしまう

死体を調べたジェフは、
男の所持品から
ジェフの家の住所が書かれたメモを見つける。
男はジェフの家に向かっていたのだ。
しかし、何をしにやって来たのか。

隠蔽することにしたジェフたちは、
死体を青いビニールにくるみ、
床を拭いた時、ナンパープレートを持って警官がやってくる。
その時は、鹿をはねてしまったと言い逃れることができたが、
警察はまだ疑っているかもしれない。

ハンナが言うには、彼氏が不正な株取引で儲けた金を
逃亡途中隠した場所があるという。
ジェフとハンナがその場所に向かっている最中、
スミスという刑事が訪れて来て、
リンジーを脅し、「死体はどこだ」と言う・・・

クリックすると元のサイズで表示します

主な登場人物はジェフ、リンジー、ハンナとスミスの4人だけ
4人の騙し合い、殺し合いが展開する。
舞台はジェフの一軒家の中。
少しだけ他の場所に移るものの、
ドラマの大部分は邸宅の中でだけ起こる。
なかなかの仕掛けである。

次々と新事実が判明し、
誰を信じていいのか分からない。
妹は姉をだまし、ジェフも妹を試し、
姉はジェフを疑い、
そして、スミスは・・・

形勢は何度も逆転し、
事件はあっけない形で終息するが、
その後、予想だにしない結末が・・・
これは、予測できなかった。

クリックすると元のサイズで表示します

登場人物は全員利己的ないやなヤツらで、
感情移入できない登場人物の
トーナメントのような殺し合いを描いて、
(原題は「MIDNIGHTERS」)
決して上等な映画ではないが、
「どうなるのか、どうなるのか」
で最後まで引っ張るのは、まさに映画的
そういう意味で、
拾い物の一篇だった。

監督はドラマシリーズ「ウォーキング・デッド」などのジュリアス・ラムゼイ
スミスを演ずるウォード・ホートン
不気味で頭の切れる意思堅固な男を好演。
声がいい。

5段階評価の「4」

予告編は↓をクリック。

https://youtu.be/2qbxrv2Dhyk

ヒューマントラストシネマ渋谷で夜9時5分の1回だけ上映。
料金は一般1300円と格安。


インドのトイレ革命  様々な話題

本日は、尾籠(びろう)な話で失礼します。
というのは、先日、↓の記事を見つけたからです。

クリックすると元のサイズで表示します

人口13億を抱えるインドで、
半分近くの人が今だに屋外で用を足しているとされ、
衛生上の問題から
トイレの設置が政府によって進められているものの、
宗教的理由、社会的理由で改善が遅々として進まない、
という話。

今、我々日本人はどこに行っても水洗トイレがあり、
普通にトイレットペーパーを使っていますが、
紙で後始末するというのは、
世界でも半分に満ちません。

そもそも紙が発明される前は、
いろいろなものでお尻を拭いていたわけで、
慶應義塾大学名誉教授の西岡秀雄さんが著した
「トイレットペーパーの文化誌」には、
紙に代わるものとして、
指と水、指と砂、小石、土版
葉っぱ、茎、とうもろこしの毛・芯
ロープ、木片・竹ベラ、樹皮、海綿
布切れ、海藻、雪
などが挙げられています。

その分布は次のとおり。

・指と水:インド、インドネシアほか
・指と砂:サウジアラビアほか
・小石:エジプト
・土版:パキスタン
・葉っぱ:旧ソ連、日本ほか
・茎:日本、韓国ほか
・とうもろこしの毛・芯:アメリカ
・ロープ:中国、アフリカ
・木片・竹ベラ:中国
・樹皮:ネパールほか
・海綿:地中海諸島
・布切:れブータンほか
・海藻:日本
・雪:スウェーデン

ピラミッド観光の男性ガイドたちは、
ポケットに小石を数個入れているといいます。
砂漠で大便をした後、お尻を拭くためです。
砂漠に落ちている小石は熱いので、
拾ってもすぐに使えませんから、
あらかじめポケットで冷やしておくのです。
使い終えたら小石は捨てますが、
灼熱の砂漠なので自然に消毒できる、というわけ。

この本が出版された時(1987年)の
世界人口は約55億人。
西岡さんは「世界人口の3分の1しか紙は使っていない」
と書いています。
それから30年経ち、
今のトイレットペーバーの生産量(約34003400万トン)で類推すると、
世界人口の2分の1
つまり35億人くらいは紙を使っているといいます。

日本で紙が使われるようになったのは、江戸時代。
私の子供の頃、ちょっと色の濃い、
質の悪いチリ紙がトイレに置かれていました。
名称は「落とし紙」。
家によっては、新聞紙を適度な大きさに切って使っていました。
その頃は当然ボットン便所。
定期的に肥桶で回収され、
野菜の養分となり、
それが寄生虫に感染する原因となっていました。

昭和30年代に入って、
水洗トイレが普及。
ボットン便所は田舎だけのものとなり、
やがて姿を消し、
同時に「バキュームカー」というものもなくなりました。

その前提には下水の整備があったわけで、
私たちが何気なくトイレに流しているものが、
張りめぐらされた下水管を通じて集められ、
浄水場で浄化されてから海に流される、
東京という1300万人もの大都会の
洗濯水、料理水、風呂の水、トイレの水が
どうやって処理されているのか、
気が遠くなるものがあります。

ところで、インドですが、
屋外、屋内問わず、
水で処理するのが一般的で、
トイレには、水をためたバケツがあり、
お尻を洗うようになっています。

クリックすると元のサイズで表示します

公衆トイレに行く時は、
小さなカップに水を入れたものを持って入ります。
水と共にお尻をきれいにするのは左手と定められており、
従って、左手は不浄なものとして、
インドの人は食事をする時、右手しか使いません。
しかし、料理人は左手は使うはずで、
そのあたりはどうなっているのか。
また、日本に来たインド人が
寿司職人が左手にシャリを持って寿司を握るのを見て、
どう思うのか、
一度訊いてみたいものです。

世界で日常的に野外での排泄を強いられる人口は
約9億5千万人と推計されていますが、
うち、インドが半数を占め、
5億6425万人が屋外で用を足しているとされています。

クリックすると元のサイズで表示します

これが様々な問題を発生させています。

まず、衛生問題
インドで幼児(5歳未満)の死因の17%は下痢とその合併症で、
原因の8割が排泄物に含まれる雑菌の経口感染です。
井戸や水源付近で排泄が繰り返され、
水が汚染されるからです。

次に安全問題
北部ウッタルプラデシュ(UP)州では14年5月、
用を足すために家の外に出た10代の少女2人が
複数の男に性的暴行を受け、殺害される事件が発生しました。
各地では、このように
野外で女性が性的暴行被害に遭うケースが頻発しています。
排泄中に野犬や蛇に襲われることもあります。

2014年からモディ首相の強い意向で、
トイレ設置計画「スワッチ・バーラト(クリーン・インディア)」プロジェクト
が立ち上がりました。
19年までに屋外排泄ゼロを目指し、
約1億2千万世帯へのトイレ新設を目指すというもの。

以前、ペルーを旅行した時、
農家の庭にブルーの小屋が建っているのを見ましたが、

クリックすると元のサイズで表示します

衛生状態の改善のためにフジモリ大統領が設置したトイレだと聞きました。

クリックすると元のサイズで表示します

クリーン・インディア計画の実際はどうか。
首都ニューデリーから車で3時間、
政府主導でトイレが行き渡ったというガダワリ村
ガンジス川沿いの人口500人ほどの小さな村ですが、
「この村には95%の家庭にトイレが敷設された。
政府のキャンペーンの大きな成果の1つだ」
と担当者は言いいます。
確かに各家庭の庭先にコンクリート製のトイレが設けられています。
過去にトイレを持つ家庭は皆無でしたが、
2015年から政府の援助で設置されたものです。

しかし、実情は、
「建てられた99%が使われていない。
政府は本当にただトイレを作っただけだから」
と話す住民。
わずか3年前の設備にも関わらず、
多くはドアが壊れ、使用されている形跡がありません。

クリックすると元のサイズで表示します

トイレこそ完成しましたが、
上下水道は整備されず、
埋設されたタンクのくみ取り作業もなく、
雨期には排泄物があふれかえり、悪臭が漂います。
その結果、物置として使われることがほとんどで、
村人は依然として道端や草むら、
線路をトイレ代わりにしています。
その一人の女性は、                               
夜にひっそりとガンジス川河川敷に行って用を足すといいます。
「外は恥ずかしいし、怖い。
それでも家のトイレでよりは清潔だ」

「家のトイレでよりは清潔だ」とは、すごい言葉です。
トイレを作っただけで、下水を整備しなければ、
当然、そういう結果になります。
しかし、日本でもボットン便所の
排泄物収集システムはあったわけですから、
下水なしにもやれるのでは?
という疑問に対しては、次の答えがあります。

インドの家庭にトイレが根付かない理由・その1。
インド最大の宗教、ヒンズー教との関係
ヒンズー教では「浄」と「不浄」という概念が重視されるため、
トイレは不浄で遠ざけるべきものという意識は伝統的に根強く、
農村部では家を建てる際に
ヒンズー教の僧侶がトイレを建てないことを勧めることもあるといいます。
家から「不浄」を切り離すためです。

インドの家庭にトイレが根付かない理由・その2。
インド社会に隠然と残る
ヒンズー教の身分制度「カースト」の影響
高位カーストが不浄な職に携わることはありえないため、
排泄物処理など不浄な作業は、
基本的には下位カーストの仕事という認識が根強いのです。
くみ取り式トイレの掃除や処分は
「低カーストの人たちの仕事」という抵抗感から敬遠され、
その結果、トイレを設置しても誰も管理しないため、
使われなくなるというのです。

モディ氏は演説で、「トイレが第一、寺院はその次」と言い、
あえて宗教よりも、公衆衛生の優先順位は高いと言及したとおり、
モディ氏が進めるトイレ改革は、
インド人の考え方を変えていく作業にほかなりません。
また、別の有識者は、
「インドを清潔にしようという活動は意義としては賛同できるが、
カーストの問題を放置していては、抜本的な解決にならない」
と断言しています。
インドでは、下水が詰まった際、
排水管内部に入って手作業で清掃する人たちが3万人ほどいますが、
全員が低カーストの人たちです。
「不浄なことは『すべて下位カーストに任せる』という思考が
国民に染み込んでいる。
トイレ改革を通じて、インド人の意識が変わることを願う」

とこの有識者は話しています。

このように、インドのトイレ改革の最大の障害は、
宗教とカースト制。
長年の習慣を打破するのは、そう簡単ではありません。

ところで、お隣のバングラデシュ
インドより前にトイレ改革に着手し、
成功しました。
2003年に43%だった屋外排泄率を、
15年には1%まで減らしました。
それには、毎年、国の開発予算の4分の1をトイレ設置に使用。
すごい意気込みです。
特に屋外で用を足すデメリットの周知活動に力を入れました。
地元NPO関係者は
「トイレだけ作っても意味がなく、教育こそ重要だ」と話しています。
また、バングラデシュはヒンズー教ではなく、
イスラムの国
少なくとも宗教的障壁はないようです。

まもなく、中国を越えて、
世界一の人口を抱えるようになるインド。
なにしろ数が多いですから、
この国の国民が冷蔵庫を買い揃え、
食品を貯蔵するようになると、
世界の食料が枯渇する、
という説もあるくらい。
この国の人々が紙を使うようになったら、
どういうことになるでしょうか。

来日した外国人が驚くほど
清潔なトイレが整備されている日本。
駅でもデパートでも、
臨時に使えるトイレはどこにもあります。
その上ウォッシュレットが普及し、
手を使わずにお尻を処理できる。
インドの人々にとっては
夢のような国、ニッポンです。


小説『株価暴落』  書籍関係

[書籍紹介]

クリックすると元のサイズで表示します

大手スーパーの一風堂爆弾が仕掛けられ、
死傷者を出した。
一風堂はグループ売上2兆円、
傘下に数百社を擁する流通業界の巨象だ。

その爆弾事件に
白水銀行
の審査部調査役の板東は衝撃を受ける。
実は一風堂は昨年債務超過に陥り再建中で、
メインバンクである白水銀行は
2500億円の債権放棄をし、
更に追加支援として1千億円の融資を実行、
融資額はなお6千億円に及んでいるからだ。

「案山子」と名乗る脅迫者は、一風堂会長と社長の辞任を求め、
聞かれない場合は、一風堂殲滅の計画を実行するという。
予告通り、2件目の爆発が実行され、死者が5名出た。
その結果、一風堂の店舗から客足が遠のき、
株価はストップ安を重ね、暴落した。
業績悪化した一風堂から、
白水銀行に500億円の追加支援の要請があり、
板東は拒否し、企画部次長の二戸と対立する。

これに並行し、警察の野猿刑事と田崎刑事の捜査の中、
過去に、
一風堂の新業態の進出を巡って自殺した事件が浮かび上がり、
自殺した店主の息子・犬鳴黄が
重要容疑者として注目されるようになる。

犬鳴黄の捜査を巡る動きはあくまで副筋で、
メインは追加融資を巡る板東と二戸の対立。
追加融資を押す二戸の主張は、
これだけの大企業を破綻させた時の
メインバンクの損害が甚大だというもの。
板東の主張は「融資の要諦は回収にあり」で、
追加融資をしても一風堂が自力で立ち直る可能性が低い限り、
融資は差し控えるべき、というもの。

この論理のどちらが勝つか。
それとも犯人が逮捕されて、
一風堂再生の道が開けるのか。

という二重のサスペンスで展開するが、
池井戸潤らしく読者の関心を離さない展開で飽きさせない。
ただ、捜査本部と容疑者の同行を巡る部分は、
やはり初期作品のせいか、もう一つ魅力に欠ける。

ただ、巨大融資先の破綻を控えた大銀行の葛藤は興味津々。
問題は銀行の融資で生き延びた一風堂に
再生の見込みがないことだ。
創業者会長が隠然として支配している現状は打開の余地がない。
緊急融資で生き長らえさせても、
銀行の損失が表に出ないだけで、
本質的な解決にはならない。

しかし、株価は暴落の一方で、
白水銀行の保有一風堂株は3千万株。
株価下落でこうむった損失額は既に約137億円の巨額に上り、
株価が1円下がれば、3千万円の損失が追加される。

次の記述は面白い。

白水銀行では、取引先が業績悪化によって
審査部へと所管が変わることを「入院」と呼び、
その審査部の取引先企業を「入院患者」と呼ぶ


だから、一風堂に対する追加融資は、
                                        
だましだまし、金を注ぎ込み、
まるで生命維持装置で細々と
命をつなぐ重症患者


と表現される。

その生命維持装置を取り外したら、どうなるか。

この決断ひとつが与える影響は計り知れない。
ときに数万人の雇用が失われ、
職を求めて彷徨うことになってしまう。
下請け企業の多くは新しい取引先を探さなければならなくなり、
それがうまくいかなければ、
連鎖倒産の憂き目に遭う。
けれども、そもそも、会社とはそういうものではないのか。
ここは社会主義国家ではない。
資本主義の国なのだ。
市場の原理を曲げてまで企業を支えれば、
最終的に、腐るのは銀行であり市場だ。


一方で、数百万円、数十万円が調達できずに
不渡りを出し、倒産していく中小企業があることも事実だ。
大きいというだけで、無原則に融資すれば、
最終的に「腐るのは銀行であり市場だ」
という主張。

白水銀行では、
追加支援を見送るかどうかを決定する役員会が開かれる。
現実と正論。
どちらが勝つか。

池井戸潤らしい、
銀行を舞台に展開する人間ドラマ。
面白い。

2004年刊行。
2014年にWOWOWでテレビドラマ化された。


映画『ピース・ニッポン』  映画関係

[映画紹介]

日本は自然に恵まれている。
それは、日本の存在する
奇跡に近いような位置が
その原因を作っている。
北過ぎず、南過ぎず、
北緯20°から46°の間という絶妙な位置が
四季の巡りをもたらす。
そして、大陸の東、南北に細長い土地が
多彩な風土を作り上げる。
春には春のよさがあり、
夏には夏の輝きが
秋には秋の趣が
冬には冬の厳しさが現れ、
その自然の変化の中で
日本人の感性が磨かれた。

そんなことを感じさせる映画が「ピース・ニッポン」だ。

クリックすると元のサイズで表示します

「日本の美しい景色を後世に遺したい」
東日本大震災を経験した日本を愛する映像作家たちの
そんな想いから、この映画は生まれたという。
「日本人がまだ知らない“本当の日本の美しさ”」をテーマに、
約8年間の製作期間を費やし、
全国47都道府県、200カ所以上で撮影した映像を、
「TAJOMARU」などの中野裕之がまとめたもの。
百年先にも、千年先にも伝えていきたい景色の数々で、
あまりに美しく、あまりに繊細な風景に
日本人なら心をつかまれるだろう。

クリックすると元のサイズで表示します

日本人の自然観に迫る「日本人の精神」
季節の変化を描く「日本の四季」
日本列島の絶景を辿る「一期一会の旅」
という3つの柱でで構成され、
全国のおなじみの、また稀少な風景を映し出す。
これがまた素晴らしい。

熊本地震のため今は見ることができない天空の道
インカ道のようなものがあったことを初めて知った。

クリックすると元のサイズで表示します

盆地からあふれる霧が町を覆う肱川あらし
本当に幸運の持ち主だけが観ることの出来る光景だ。

クリックすると元のサイズで表示します

虹色に輝く華厳の滝をはじめとする様々な滝。
北海道の雄大な釧路湿原
紅に染まる秋の瑠璃光院

クリックすると元のサイズで表示します

春には桜が全国に広がり、

クリックすると元のサイズで表示します

夏には新緑が生き物の香りを伝え、
秋には紅葉が山々を飾り、
冬には雪の白さが町を覆う。

そして、富士山が日本人の心のふるさととして、
日本列島の中央に存在する。

クリックすると元のサイズで表示します

地震や台風という自然災害に常におびやかされながら、
守ってきた自然の美しさ。
夜空と海中さえ美しい。

クリックすると元のサイズで表示します

こうした美しい自然が
日本人の感性を磨き、
精神を作り、
文化を生んだのだなあ、と改めて知ることになる。
日本に生まれたことの幸福
再び感じさせてくれる映画である。

クリックすると元のサイズで表示します

小泉今日子と東出昌大がナビゲーターを担当。
今どきのドキュメンタリーとは思えぬほど
ナレーションが多い。
ひっきりなしに語りかけられる感じ。
過剰を抑え、
もう少し控え目にはならなかったのだろうか。

予告編は↓をクリック。

https://youtu.be/yS2VS4lEOls

ドローン空撮の予告編は↓をクリック。

https://youtu.be/kyrUKqHo7-Y

新宿バルト他で上映中。

タグ: 映画




AutoPage最新お知らせ