映画『セラヴィ!』  映画関係

[映画紹介]

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原題の「C'EST LA VIE! 」は、「それが人生」の意だが、
フランス語原題は「LE SENS DE LA FETE」。
「ごちそうの意味」「パーティーの意味」「人生の意味」など、
様々な意味が重なっている。

ウエディングプランナーのマックスは、
30年にわたって数え切れないほどの結婚式を手がけてきたが、
そろそろ会社を売り払って引退しようと考えていた。

今日はパリ郊外の17世紀の古城を借りての結婚式をプロデュース。
しかし手配上のミスなどが重なって、
集まったスタッフはポンコツばかり。
ウエイターたちはプロ意識がなく、
17世紀の衣裳もカツラも「暑いから着たくない」と言い出す。

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ウエディング・シンガーは代役で、
自分のワンマンショーと勘違いしており、
スタッフともトラブル。
(このスタッフとの関係が思わぬ方向に進む)

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バンドは昼食に食べた腐った肉のせいで腹痛を起こし寝込んでしまい、
専属カメラマンはだらしない格好で、料理をつまみ食いし、
その上、GPSの出会いサイトで相手探しにふける。
スタッフの一人はシェーバーの充電のために
冷蔵庫のプラグを抜いたままにして食材を腐らせる。
新婦を口説くスタッフまで出現する。
新郎も自己チュー男で、

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自分への賛辞を強要、
スピーチに長い時間をかけて参加者をしらけさせる。
マックス自身も妻と別れ話が進行中の上、スタッフと不倫している。
パーティーの最中に現れた不審な男に、
労働監督局の査察官が来たと思ってパニックに陥る。
そして、パーティーの最大の仕掛けで、
大きな手違いが起こり、悲惨な結果に・・・

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という具合に、次から次に起こるトラブルとハプニングに
マックスがどう対処するか。
それをフレンチコメディらしく、
小ネタ満載で展開してみせる。
窮地の連続だが、カメラマンは言う。
「人生の窮地は、長い人生から見れば一瞬の出来事」
人生は楽しんだ方が勝ち。
そして、登場人物の一人が言う。
「人の幸せに寄り添えるなんて、
なんて魅力的な仕事でしょう」


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監督は「最強のふたり」(2011)のコンビ、
エリック・トレダノオリヴィエ・ナカシュ

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マックスにジャン=ピエール・バクリが扮し、ベテランの味。

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その他の出演者たちが、
みんな不思議な魅力で、その上、おバカで笑わせる。

2015年にパリ同時多発テロが起きて、
人々の気持ちが沈んでいた時、
心から笑い、楽しむことが必要とされていたことから、
純粋に騒いで楽しめる雰囲気の作品をつくりたい、
という意図で作られたこの作品、
2017年10月にフランスで公開され、
初週観客動員数1位を記録、
公開1ヵ月で興行収入25億円を突破し、
記録的大ヒットとなった。

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それにしても、
フランス語がこんなにやかましい言語だと感じたのは初めて。
そして、ヨーロッパ人の自己主張はすごい。

5段階評価の「4」

予告編は↓をクリック。

https://youtu.be/kPeiYKYubCw

渋谷のシネクイント(新装開館。前と場所が違う)他で上映中。


タグ: 映画

東京5つの川クルーズ  旅行関係

昨日のことです。

朝から、ここへ。

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日本橋です。

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「日本国道路元標」がある場所。

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道路標識の「東京まで○○q」とは、
日本橋までの距離をいいます。

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ここの麒麟は、羽根があります。

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普通の麒麟には羽根はありませんが、
羽根をつけたのは、
スタート地点として、
全国に羽ばたくように、
ということだそうです。
東野圭吾原作の映画「麒麟の翼」(2011)に出て来ましたね。

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慶長8年3月3日(1603年4月14日)、
徳川家康の全国道路網整備計画に際し、
初代の橋(木造の太鼓橋)が架けられ、
現在のものは、明治44年(1911年)4月3日に架けられた
19代目

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上を高速道路が覆っているので、
橋からの眺めは、ご覧のとおり。
1963年(昭和38年)に高速道路が出来ました。

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脇にある「滝の広場」。

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ここが、クルーズの集合場所。

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このクルーズに参加。

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これが、そのクルーズ船。

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座席。

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座布団は、そのまま救命具になります。

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帽子を持参しなかった人のために、
麦わら帽子も用意してあります。

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トイレも完備。

午前10時出発。
参加者は17名
カミさんはこういうイベントには興味がないので、
私一人で参加。

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日本橋川→亀島川→隅田川→小名木川→神田川→日本橋川
というコースで、約50の橋をくぐります。

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↓は、その一番目の江戸橋

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魚河岸は日本橋と江戸橋の間の北岸にありました。

川から見る高速道路の景観。

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素敵なフォルムです。

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鎧橋は平安時代からこの場所にあったと言われています。

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川を掃除する船。
この船のおかげで、川がきれいに保たれています。

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南下して隅田川に出る前に、右折して、
この水門から

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亀島川へ。

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日本橋川からの分流。

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約1qの短い流路に5つの橋が架かります。

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江戸期には川沿いに向井将監(忠勝ほか)の御船手奉行所があって、
江戸に入る船舶はここであらためを受けたため、
将監河岸とも呼ばれました。

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他に日比谷河岸、亀島河岸、湊河岸がありました。

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↓は葛飾北斎描くところの河岸の風景。

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亀島川水門。
先程通った日本橋水門との2つの防潮水門で
完全に閉め切ることができます。
高潮の発生時に川が逆流して
洪水を引き起こすのを防ぐため。

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隅田川に出ました。

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目の前に億ションの景観が。
リバーシティ21センチュリーパークタワー。

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素敵な眺めです。

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これは中央大橋
佃島と霊岸島をつないでいます。

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永代橋

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5代将軍徳川綱吉の50歳を祝して作られました。
隅田川に4番目にかけられた橋。
ただし初代ではなく、
初代の橋はこれより100mほど上流にかかっていました。

隅田川の橋には重要文化財があり、
永代橋、勝鬨橋、清洲橋の3つ。

永代橋の向こうに東京スカイツリーが見えます。

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初代永代橋があったところ。

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清洲橋。関東大震災の復興のために昭和5年に作られた橋。

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ここで東に折れて、小名木川に。

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新小名木川水門

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「川」と呼んでいますが、
実は、旧中川から隅田川を結ぶ運河です。
一直線で、長さ4.6q。

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1590年頃、江戸城を居城に定めた徳川家康は、
兵糧としての塩の確保のため行徳塩田に目を付けました。
しかし江戸湊(当時は日比谷入江付近)までの東京湾北部は
砂州や浅瀬が広がり船がしばしば座礁するため、
大きく沖合を迂回するしかありませんでした。
そこで小名木四郎兵衛に命じて、
行徳までの運河を開削させ、
これによって経路が大幅に短縮されました。
小名木川の名称は開削者の名からとられています。

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やがて、塩以外にも、
成田参詣客なども運ぶようになって運搬量が増大し、
小名木川は江戸物流の重要河川となりました。

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わが町・浦安も、
旧江戸川から新川〜小名木川を経て、
日本橋の魚河岸に海産物を運んで、栄えました。

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春には、桜が咲くようです。

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幼稚園の子供たちが手を振ってくれました。

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素敵な雲。

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扇橋閘門(こうもん)。

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ガイドさんから「パナマ運河方式」と説明がありましたが、
閘門より東側は地盤沈下が激しく
ゼロメートル地帯の顕著な地域のため水位を1m下げています。

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只今工事中のため、
ここで引き返します。
来年春には、閘門を通って、東側にも行けるそうです。

シーラカンスのオブジェ。

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元の水門を通って、

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再び隅田川に。

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松尾芭蕉の像が立っています。
芭蕉庵史跡展望庭園
芭蕉がここから奥の細道の旅に出た、と言われています。
像は、時間によって向きが変るそうです。

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新大橋

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千住大橋、両国橋に続く隅田川3番目の橋で、
大橋と呼ばれた両国橋に続く橋として、
新大橋と名付けられました。
徳川綱吉の母桂昌院が綱吉に勧めて架けさせたといわれています。
それまでは人々は渡し船で渡っていました。

首都高速をくぐります。

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両国橋

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その両たもとには、六尺玉花火のオブジェが。
昔はこの場所で花火大会が開催されたからです。
今は、もっと上流で行われています。

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総武線が走っています。

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ここで東京スカイツリーは見納め。

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進路を西に変えると、

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神田川へ入ります。
その入り口にあるのが、

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有名な柳橋

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ここで三味線の音色が。

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船を止めると、

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船宿と佃煮の小松屋の四代目店主、
秋元治さんが乗船してきました。

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古い写真を使って、柳橋の説明をします。
これが一つの話芸。
とても粋な感じでした。

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昔は木の橋だったと分かります。

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この写真の男の子が店主の子供時代。

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お嬢さんの三味線に合わせて、
「梅は咲いたか」を披露してくれました。
その3番の歌詞が
「柳橋から 小船を急がせて
橋をくぐって 船はゆらゆら 波任せ
船から上って 吉原へご案内」
と柳橋を唄ったもの。
とてもいい声でした。

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これが本題。
佃煮の販売。
船宿のおみやげに佃煮を作って販売したのが評判に。
旬の材料だけ使って、
しっかり味付け。

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手むきあさりも穴子も高かったので、
↓の二つを購入。

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味は濃い目ですが、
食品添加物の味がせず、超おいしい!

ご一家に見送られて、神田川を北上。

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柳橋についの動画は、↓をクリック。

https://youtu.be/wlX9BP7F3g4

小松屋のホームページは↓。

http://www.tsukudani.net/

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このあたりは屋形船が多くあります。
柳橋から舟遊びをしつつ、吉原へ、が
昔のお大尽のコース。
柳橋芸者が有名ですが、
今は一人もいないそうです。

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神田川は、三鷹市井の頭恩賜公園内にある
井の頭池に源を発した川。
隅田川に合流するまで流路延長24.6q。
都心を流れているにも拘らず全区間にわたり
開渠であることは極めて稀だといいます。
橋の数は140もあります。

高度経済成長期には生活排水の流入により水質が悪化し
「死の川」と呼ばれることもありましたが、
下水道網、下水道処理施設の整備が進み、
元々湧水が多いことなどから
近年は水質が大幅に改善し、
鯉や鮎、鮒などが生息するようになりました。

これは浅草橋

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川というより、運河ですね。

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神田ふれあい橋の向こうに総武線が走ります。

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パワースポットの神社。
勝負運、出世運、金運がアップするそうです。

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これは万世橋

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コンクリートを囲った板の跡が残っています。

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昔、ここに万世橋という駅がありました。
その駅舎が残っています。

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昌平橋は3つの橋で構成。

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総武線の線路をくぐり、

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やがて見えて来たのは、

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聖橋
手前にあるのは、丸ノ内線の鉄橋。

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只今、丸ノ内線が通過中。

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聖橋は、船から見上げた時が一番美しく設計されたとか。
このクルーズでないと見ることが出来ません。

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すぐ脇のお茶ノ水駅は工事中。

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聖橋と駅をはさんでのお茶ノ水橋
明治24年に初の日本人設計の橋として架けられました。

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このあたりは、谷が深く、
お茶の水渓谷と呼ばれています。

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いつも地下鉄から見下ろしている景色を下から。

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この建物は、

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順天堂病院

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東京ドームホテル

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水道橋
東京ドームに行く時は、駅から手前の斜めの橋を渡ります。

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ちらりと見えた東京ドーム

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ここで西に折れて、日本橋川に入ります。
春になると、桜が咲きます。

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神田川の派川(分流)。

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ほぼ全流路に渡って首都高速道路の高架下を流れています。

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地図では、川があるようには見えません。

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隅田川合流点の近く、
亀島川を仕切る日本橋水門付近でようやく川面が開けますが、
空を望める川面は僅か500m弱しかありません。

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日本橋川は、江戸時代、経済・運輸・文化の中心として栄え、
堀の両側には河岸が点在し、
全国から江戸・東京にやってくる商品で賑わいました。

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ガイドさんから、
「この橋は何と読むのでしょう」
とクイズが。
漢字検定1級レベルだそうです。

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答は、くぐった反対側に書いてありました。

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このあたりは、昔、台所町といったそうです。

他のクルーズ船とすれ違います。

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このルークという船は、
以前、目黒川クルーズに参加した時乗りましたね。

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この桟橋は、千代田区役所のもの。
防災用のもののようです。

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一ツ橋。
昔は丸太一本の橋だったそうです。

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江戸城の石垣。

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このあたりでは、
皇居の内堀(清水濠)に30mまで接近しています。

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諸藩の大名に普請を分担させたため、
石にマークが刻印されています。

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神田橋。
地名の由来は橋が多いですね。

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JRの線路の橋。

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旧国鉄の紋章が刻印されています。

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工事中の区間。

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いよいよ終点が見えて来ました。

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麒麟は、このように見えます。

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獅子の顔。

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日本橋川は、
首都高速道路に流路を覆われているため、
河川としての景観を害していると嘆く人がおり、

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首都高速の高架橋を撤去の上、
橋や護岸などの水辺環境を整備して
観光地化するという構想が活発化しているといいます。
ソウルの清渓川みたいにするのでしょうか。

それにしても、高速道路をどうするのでしょう。

船着場に到着。

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知らなかった東京を知った、川の旅。
2時間程。

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大変勉強になりました。


『夫の後始末』  書籍関係

[書籍紹介]

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昨年(2017年)2月3日、作家・三浦朱門氏が逝去。

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その介護と看取りをつづったのが、
妻の曽野綾子さんによる本書である。
第1部「変わりゆく夫を引き受ける」が介護を、
第2部「看取りと見送りの日々」が看取りをつづっている。
「週刊現代」に連載したものを単行本化。

当時、三浦朱門91歳、曽野綾子85歳
典型的な「老老介護」だが、
誰もが直面しなければならない「老い」と「死」を
正面から受け止め、粛々と綴っている。
その毅然とした覚悟に、
姿勢を改めさせられる思いがする。

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まだ中年の頃、
私は尊敬する老医師
(聖路加国際病院名誉院長の日野原重明氏のこと)から、
人間の最期に臨んでやってはいけないことを
三つ教えられたことがあった。
○点滴乃至は胃瘻(いろう)によって延命すること
○気管切開をすること
○酸素吸入。
若い人が事故で重体に陥ったような場合は、
もちろんあらゆる手段を使って、
生命維持を試み、
それを回復に繋げるべきだが、
老人がいつまでも点滴で生き続けられるものではない。
また気管切開をすると
最期に肉親と一言二言話をするという
貴重な機会まで奪うことになるから
絶対に止めた方がいい、
と私は教えられたのだ。


そして、こう書く。

私たち人間は、寿命だけは、
神でも仏でもいい、
人間をはるか遥か離れた偉大な存在に決めてもらうのがいい、
と考えていたのである。
それが人間の分際というものであった。


更に、こう書く。

私たちは自然に老い、
生命の糸が燃え尽きる時に死ねばいいので、
こんな簡単な話はないと思っていた。


朱門さんも日頃、
「長生きさせなくていいよ」とかねがね言っていたという。

ただ、死期が近づくにつれて、
朱門さんが食べなくなることに対しては、
曽野さんは胸を痛めたようだ。

食物があるのに、食欲がない、という状態は、
飢餓に苦しむ人々から見たら、
天国の境地である。
もっとも、本当に飢餓の状態が深刻になった子供たちもまた
食欲を失う。
私は飢餓の年のエチオピアで、
救援物資のお粥を入れたボウルを膝の上に載せたまま、
全く食べようともしない子供たちをたくさん見た。
(中略)
エチオピアの飢餓の子たちは、
決して声をあげて泣かなかった。
ただ食欲は失っていた。
それだけが、彼らの、
現世に対する強烈な拒否の表現だった。
生きるに値(あたい)しない現世というものがある、
と彼らは骸骨が見えるようになった
無表情な顔で言っていたのだ。


介護の内実について、このように書く。

奉仕とは、うんことおしっこの世話をすることなのた。
それ以外は、人に仕えることではない、
と私の知人の神父は言った。
これは私にとって決定的なことだった。
奉仕というのは他人に対する行為だが、
家族に関して言えば、
「看病」つまり看取りだ。
その看取りの基本は、
排泄物の世話なのである。


葬儀は、「前のとおり」に行われた。
「前のとおり」とは、
朱門の父母と曽野さんの母を送った時の葬儀と同じ形、
という意味だ。
曽野さんの家は、
夫の父母と自身の母の同居で、
その3人を介護し、この家から送り出したのだ。

私の母が一番若くて83歳、
朱門の母が89歳、
父が92歳で亡くなったのだから、
明治生まれの世代としては、
全員天寿を全うしたと言ってもよかった。
私たちは自宅で、亡き人たちと直接血縁のある僅かな甥や姪、
それから晩年に我が家で世話をしてくれた人たちだけで、
見送ったのである。
それが我が家の葬式の原型になっていて、
その送り方が、私たちは好きだった。
静かに世間を煩わせることなく、
ほんとうに心の通じ合い、
その最期を知っていてくれる人たちだけと過ごせたからである。


葬儀のミサはボリビアから帰国中の倉橋神父が執り行った。

神父は人間の死は決して生命の消滅ではなく、
永遠に向かっての新しい誕生日だということを
説教の中で述べられた。
この思想は、
ほんとうはカトリック教徒全員の中にあるもので、
死の日は「ディエス・ナターリス(生まれた日)」という
ラテン語で呼ばれるのである。
それから半分南米人らしくギターもお上手な神父は、
突然祭服の下から、
ハモニカを取り出して
「ハッピー・バースデー・トゥ・ユー」を吹いて下さったので、
私たちは全員で合唱した。
そしてミサが終った時、
「こんな明るいお葬式ってあるものなの!?」
と言う人もいた。


朱門さんが亡くなった後の生活について、
次のように書いている。

※私のような年齢の者でさえ、
朱門がいなくなった後の静かさは想像できなかった。
朱門は別に、騒々しい性格ではなかった。
家にいる時は、大抵本を読んでいるか、
コンピューターに向かっていた。
テレビもあまり見なかった。
音楽も聞かない。
友人を招くということもない。
だから朱門は、夕暮れのように静かな人だった。
別に寂しくはないのだという。
一人生きて、したいことがあり、
精神の食事のような読書もたくさんできて、
「自足している」
という言葉が一番その状態をよく表していたように思う。

今後のことについて。

私らしさを失わずに、整理して、
できれば端正にこの世を終わりたい、
というのが私の希望だ。
(中略)
今イラクでIS(イスラム国)との局地戦にさらされている土地から
逃れられない人たちは、
明日まで安全に生きられることだけが唯一の希望だろう。
できればその上、壊れていない家で眠ること、
飲料水や食料が手に入ること、
時々は洗濯ができることなどを希望しているかもしれない。
日本人は全員が、
イラクの難民たちの悲願を、すでに手にしている。
私たちは、自分よりも恵まれない人の存在を
絶えず意識し、謙虚に残された生を生きるべきなのである。


まさしく「賢人」と私が付けるにふさわしい生き方である。

今、日本は団塊の世代が70代に突入した。
あと10年も経てば、
全国で夫が妻を、妻が夫を介護し、看取る、
ということが起こるに違いない。
その基本は「うんことおしっこの世話をする」ことだという。

我が家も例外ではない。
我が家では夫の方が妻より長生きだ、と勝手に決めているが、
その妻の介護と看取りについて、
新たな覚悟を与えてくれる本だった。

↓は、若い頃のご夫妻。

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以下、目次を記す。

まえがき 夫を自宅で介護すると決めたわけ

第一部 変わりゆく夫を引き受ける

わが家の「老人と暮らすルール」
夫の肌着を取り替える
布団が汚れたら、どうするか
八十五歳を過ぎた私の事情
夫の居場所を作る
食事、風呂、睡眠のスケジュール
モノはどんどん捨てればいい
夫が突然倒れた時のこと
よく歩く、薬は控える、医者に頼らない
介護にお金をかけるべきか
「話さない」は危険の兆候
介護にも「冗談」が大切
明け方に起きた奇跡
夫に怒ってしまう理由
散々笑って時には息抜き
「食べたくない」と言われて
老衰との向き合い方
「奉仕」とは排泄物を世話すること
温かい思い出と情けない現実

第二部 看取りと見送りの日々

夫の最期の九日間
ベッドの傍らで私が考えていたこと
戦いが終わった朝
息子夫婦との相談
葬式は誰にも知らせずに
お棺を閉じる時の戸惑い
夫の遺品を整理する
変わらないことが夫のためになる
広くなった家をどう使うか
遺されたメモを読み返す
心の平衡を保つために
納骨の時に聞こえた声
「夫が先」でよかった
人が死者に花を供える理由
夫への感謝と私の葛藤
「忘れたくない」とは思わない


映画『オンリー・ザ・ブレイブ』  映画関係

このブログのアクセス数に異変が起こりました。
一昨日(7月6日)の午前9時からアクセス数が増加し始め、
昨日(7月7日)一日で1万4千を越えました。
新記録です。

調べてみると、2015年の3月20日に
「麻原の三女と四女」という記事があり、
そこにアクセスが集中しています。
つまり、麻原の死刑後、
検索でこの記事を見つけて訪問して来たもののようです。

その記事は、↓をクリック。

麻原の三女と四女

思いがけない麻原効果でした。


[映画紹介]

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消防士を扱った映画に「バックドラフト」(1991)という名作があるが、
本作に登場するのは、森林消防士。
アメリカは山火事が頻繁に起こり、
住居に迫る火の映像などがよく報道される。
本作は、大規模な山火事に立ち向かった森林消防隊の決死の活動を描く、
おそらく初めての作品。
実話に基づく。

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主人公は、
アリゾナ州プレスコット市の森林消防隊の指揮官マーシュ。
山火事の現場で、火勢を読み、
迎え火を焚いて火をもって火災を抑え込もうと提案するが、
現場の指揮権を持つ米国農務省の“ホットショット(精鋭部隊)”に、
「“市”レベルの消防隊員が余計な口出しをするな」と言われる。
実際、火はマーシュの読み通りに広がり、
肝心のホットショットが退避してしまった現状を見て、
くやしい思いをする。
     
“ホットショット”になりたいという夢を抱いたマーシュは、
市の消防署長で親友でもあるデュエインに、
自分たちのチームを“ホットショット”に認定してほしいと相談する。
地方自治体の消防隊が“ホットショット”に昇格した前例はないが、
デュエインに説得された市長は、審査を受けられるよう手配する。

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やがて、チリカウア山脈で発生した火災の現場で
認定審査を受けることになった。
火を食い止めるために、
マーシュは炎の“燃料”となる木々を焼くという判断を下すが、
審査官はその方法を認めない。
激しい口論となり、マーシュは審査官に
「あんたは黙ってろ!」と怒鳴ってしまう。

結果は、マーシュの提言が正しかったが、
審査官の心証を悪くしたため、
合格は絶望的だった。
副官ジェシーや隊員は、
「審査がダメでも俺たちは森を救ったんだ」と誇らしげに胸を張った。

審査発表の日、
「君たちのボスは生意気だが、君たちは最高の消防士だ」という
審査官からのメッセージと共に
“ホットショット”への昇格が告げられる。

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新たに「グラニット・マウンテン・ホットショット」と命名された隊員たちは、
消火活動で活躍するが、
2013年、
アメリカ史上最も恐ろしい、山を飲み込むような巨大山火事が待ち受けていた。
果敢に防火に挑戦するが、火の周り方は予想を越え、
隊員たちは、「防火テント」を被って火の通過を待つが・・・

という話に若い隊員マクドナウの話がからむ。
麻薬にセックス、窃盗と、堕落した日々を過ごしていたマクドナウは、
別れた恋人が妊娠している事を知り、人生を建て直すために
マーシュ率いる森林消防隊に応募する。

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更に、マーシュの家庭の問題も描く。
危険な仕事ゆえに子供を作らないと決めていたが、
妻は心変わりし、子供を欲しがると共に、
危険な消防隊の仕事をやめるように迫る・・・

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という人間ドラマの部分はややありきたり
それはさておき、
山林消防隊員の仕事は興味津々である。
炎の拡大を防ぐために、
木を伐り、道をならし、帯状の防火地区を作る作業は、
江戸時代の火消しが、
延焼を防ぐために、
火事現場から離れた家屋を倒壊させる姿に通じるものがある。
なによりも、町を守り、住居と住民を守るために
危険を省みず、果敢に火の中に飛び込んでいく消防隊員の姿は、
胸を打つものがある。
男っぽい、体臭がむんむんするような映画である。

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本作では、5件の山火事が描かれるが、
火事現場を作り上げ、撮影するには、
大変な苦労があっただろうと思わせる映像が続く。
実際の火、特殊効果の火、CGの火
三種を織り交ぜて使っているという。
物語の中で防火テントが再三紹介され、
必ず最後に絡んで来ると予想したが、
250度まで耐えられるというテントだが、
あんなもので大丈夫か、と心配した。

指揮官エリック・マーシュを演じるのは
アカデミー賞候補俳優ジョシュ・ブローリン
渋い役者が渋い演技で映画全体を引き締める。
20代の頃、アリゾナ州のボランティア消防隊で
3年間消火活動を経験したという。
エリックの妻アマンダを演じるのは
アカデミー女優のジェニファー・コネリー
プレスコット市消防署長のデュエインを演じるのは
アカデミー俳優ジェフ・ブリッジス

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メガホンを取るのはジョセフ・コシンスキー

米国には約107の森林消防隊があり、
各隊は20名の消防隊員で構成されている。
グラニット・マウンテン・ホットショットは2008年に認可を受け、
米国で初めての地方自治体によるホットショット隊となって、
山火事と戦うために国中を飛び回った。
実際に活動していたのは6年間。
平均年齢は27歳
映画の最後に、亡くなった隊員19名の写真が紹介されるが、
みんな若かったんだな、と実感させられる。
やはり、他者のために犠牲になった人々の姿には、
胸を打たれるものがある。

5段階評価の「4」

予告編は↓をクリック。

https://youtu.be/A3vsP6Rc3zk

TOHOシネマズ日比谷他で上映中。

タグ: 映画

オウム真理教の死刑執行  様々な話題

オウム真理教による一連の事件をめぐって
死刑が確定していた麻原彰晃はじめ7人の死刑が、
昨日執行された。

今、麻原彰晃と呼び捨てにしたが、
麻原彰晃死刑囚
などという呼び方は本当に変だと思う。

1980年代半ばまでは、
放送も新聞も逮捕された段階で呼び捨てにしていたが、
呼び捨てにされた人が名誉毀損で裁判に持ち込んだ例もあり、
次第に呼び捨てを避けるようになった。

その理屈は、
被疑者は無罪を推定されている立場であり、
基本的人権の観点から呼び捨ては適正でない、
ということのようだ。

ならば、裁判で有罪になれば、
呼び捨てでもよさそうなものだが、
一度出来上がった形は元には戻らない。

従って、逮捕段階では○○容疑者、
裁判が始まると○○被告、
判決が下りると、
○○受刑者、○○死刑囚などという呼び方になる。
大韓空港爆破事件の犯人に至っては、
金賢姫元死刑囚という妙チキリンな呼び方をしていた。

今回の死刑執行については、
遅きに失したという印象が強い。
刑事訴訟法では、
判決確定の日から6ヶ月以内
法務大臣の命令で執行しなければならないのだが、
共同被告人であった者に対する判決が確定するまでの期間は
算入されないこととなっており、
今年1月、最後の裁判が終わったことにより、
その枷は外れた。

あとは法務大臣の判断によるのみで、
執行を決断した上川陽子法務大臣は、
女性ながらエライと思う。

このたびの執行に対しては、いろいろなことを言う人々がいるが、
法律の定めに従い、
粛々と執行する
ことのどこが悪い。
悪いのなら、法律の改正を言うべきだろう。

なお、未だに執行待ちの死刑囚は約120人程おり、
死刑囚には懲役は課せられないから、
ただ漫然と生きている人々に
国のお金(税金)が使われているのである。
執行延長の理由として最大を占めるのは、
再審の請求で、
これが延命の理由になっている。

↓は、死刑囚の独房。

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人の命を奪っておいて、
自身のうのうと生き長らえるのは理不尽で、
公正な裁判で情状酌量も経た上で
死刑判決が出たのなら、
あとは法律に従い、すみやかに執行してもらいたい。
死刑が執行されたところで、殺された人の命は戻らないが、
残された遺族の感情は多少でもやわらぐことだろう。

アメリカでは、死刑執行に
被害者の遺族を立ち会わせるところもあるくらいだ。

EUが麻原彰晃らの刑が執行されたことに反対する声明を出した。
「被害者やその家族には心から同情し、
テロは厳しく非難するが、
いかなる状況でも死刑執行には強く反対する。
死刑は非人道的、残酷で
犯罪の抑止効果もない」
とし、
そのうえで「同じ価値観を持つ日本には、
引き続き死刑制度の廃止を求めていく」
とした。

大きなお世話
死刑が非人道的であるなら、
その原因である殺人行為は非人道的ではないのか。
奪われた命はどうしたら償えるのか。
遺族の感情はどうなるのか。
反対論者は、自分の身内が残忍な殺され方をされても
なお主張出来るかを経験してから言ってくれ。

今回の死刑執行された事件は、
1989年11月の坂本堤弁護士一家3人殺害事件
1994年6月の松本サリン事件(住民8人を殺害)
1995年3月の地下鉄サリン事件(13人を殺害)
など計13の事件で29人を殺害した罪を問われたもの。

国家転覆を図って、
毒ガスを製造し、
それを散布して無差別殺人をもくろむ、
という前代未聞の凶悪犯罪だ、
死刑判決も執行も当然のことだ。

インターネット上では
「執行まで長すぎる」
「ひょっとしたら執行されないんじゃないかと思ってた」
などの声が上がっているから、
執行によって一つの正義が貫かれたことは確かだ。

遺体引き取りの課題、
麻原の神格化などの問題が残るが、

(その後、麻原彰晃が生前「遺灰を四女に」と、
死刑執行後の遺体の引き渡しについての意思を示していたことが、
判明した。
四女は麻原に対して批判的な立場なので、
悪利用されることはないだろう)

あきれるのは、継承した団体がいまだに活動していること。
麻原に帰依しているというが、
写真でも見て分かるように、
うさんくさい、薄汚れた男のどこに帰依の要素があるのか分からない。

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死刑執行によって、真相が分からなくなった、という声もあるが、
あれだけの長期の裁判の過程で分からなかったものが
今更どうしたら分かるというのだろう。
そもそも、「分からない」というのが分からない。

一人の異常な能力を持った詐話師が、
国家転覆の妄想に取りつかれ、
それを世間知らずの高学歴者を巻き込んで、
踏み越えてはならない一線を越えてしまった、
という以上、何を分かりたいのだろう。

犯罪は頭の中にはあっても、
それを実行するには、深い渕を越えなければならない。
殺人、中でも無差別殺人に踏み切るということは、
正常者には出来ないことだ。

異常者の頭の中は、
正常者の想像を越えている。
正常者が異常者の内面を理解しようとしても、
それは無理だ


だから、オウム真理教の一連の事件を
どう理解しようとしても、
高い壁がそそり立っている。

従って、実行した犯罪そのものを裁き、
懲役者は、刑期をつとめて償い、
死刑囚は執行を受ける、
それこそ、法治国家というものだ。


話は飛ぶが、
千葉県松戸でベトナム人の小学3年生を
暴行し、殺害した事件で、
地方裁判所は検察の死刑求刑に対して、
無期懲役の判決を下した。
被告の主張は、
被害者の体内から出た被告の体液のDNAは、
警察が混入させたものだという。
こんな主張を真に受けて無罪を主張した弁護団もどうかしている。
弁護士というのは哀しい職業だ。
彼が犯人であることは、
取り調べに対して一切口を開かなかったことからも明らかだ。

わずか9歳の女の子を
自分の欲望を満たすために連れ去り暴行し、
絞め殺すなど、
一言で言って「人間じゃない」所業。
判決は「わいせつ行為の特異さをもって、
殺害行為の執拗性・残虐性と同じに評価できない」
として無期懲役を言い渡したが、
何を言っているか分からない。

まだまだ将来のある9歳の女の子、
おしゃれをして、恋をして、
結婚して、育児をしたいという
全ての未来の願望を断った犯人に対して
どんな酌量があるというのか。

通学路に立って女の子を物色し、
いやがる女の子を車に押し込んで、
暴行し、殺害した異常な犯罪者に、
どんな猶予すべきところがあるのだろう。


話はオウム真理教に戻るが、
以前にも紹介した
麻原彰晃の三女・アーチャリーのツイッターが炎上しているという。
この女性は、松本麗華さんといい、
麻原の娘であることを実名で明かし、
顔出しどころか、本まで出版した人だ。

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そのことについての本ブログは、↓をクリック。

「止まった時計」

ツイッターの悪意の投稿は、
くだらないものだが、
彼女の次のような記述は問題だ。

7月3日に
「もう少し自由に生きたいと思う、今日この頃…」と投稿。
「麻原死刑囚の三女」「アーチャリー」と呼ばれ続けることへの
葛藤をこう綴った。

「父の娘である限り、オウムと関連付けられ、
自由に発言することもできないのだろうか。
私は私であり、父の付属物でもオウムの付属物でもない。
事件から23年経っても、
私という個性を認められない
その感覚がそもそも差別なのではないのか」

「私はオウムを肯定するつもりはまったくない。
ただ、黒は黒。赤は赤と言いたい。
物事は100ゼロではなく、グラデーションなのではないのか。
オウムに悪いところはたくさんあった。
私もオウムへは入らない。
でも、いいところもあった。
それだけ。
分からないのかなぁ。この感覚」


あまりの自己中心さにあきれるが、
これに対してのネットの反応は次のとおり。

○これを読んだとき、三女自身も問題あると思った。
あんなテロを起こした団体に
「いいところもあった」は許されないこと。

○「分からないのかなぁ。この感覚。」
→分かりません。分かろうと思っても無理でした。

○黙って質素に暮らしてればまだしも、
ドヤ顔で娘です!って感じで
メディアに出てくると、
なんなの?って思われてあたり前だと思う。

○オウムの遊びのように殺された人々のことを思えば
いいところがあったなんて口が裂けても言えないはず。
可愛そうだが偏見でも差別でもなく
私は関係ないと思ってんだろうからそんなことを言ってしまう。
多くの方がなくなり、今まだ後遺症に苦しんでる人がいる。

○被害者の気持ちになれば犯罪者の身内が
テレビに出てるだけで不愉快になりそうな気がする

○覚悟の上での顔出しでしょ?
当然の結果だと思うが

○顔出しして、名前出して、
素性を明かして生きることを選んだのは彼女。
賛否両論あって然るべきなのも分かるけど、
なんだか「こじれてる」感じが拭えない…。

○隠れて細々と暮らせば良い。
ワザワザ人前に出るから叩かれる。

○親は選べない。
誰にも分からない苦しみはあるのでしょう。
ただ、被害者、ご遺族がいて、
生涯苦しみから解放されない可能性も高い中で、
オウムにもよいところがあった、
と言うのは控えた方が良いと思います。
それはそう思っていても、心にしまっておくべき。
オウムがグレーか黒かなど、論じる価値もない。
当時の彼等は誤った思考、行為で
沢山の人を不幸にした。それだけでしょ。

○そもそも立場上ツイッターを使うのが間違ってるんじゃ

○ドヤ顔でメディアに出てくるだけで、
被害者の神経は逆撫でされると思う
現に今やっていることも、オウムのマスコット。
サリンには関わってなくとも、
それ以降のオウムと無関係ではない。

○俺が遺族だったらこの発言を聞いたら冷静でいられないと思う。
大変な運命だと思うが絶対に
オウムにもいいとこがあったなんて言ってはいけない!
罪もない人を赤ちゃん含めて何人殺したと思っているんだ?
分かる訳ねぇだろその感覚!

○これ、喧嘩売ってるとしか思えない。
何人死んだと思ってるのか。
普通に生きたい、静かに過ごしたいと思うなら、
Twitterやめろと言いたい。
やってもいけど、オウムのことは言うべきでない。

○親子の縁なんて籍抜いて切れるし、
呪縛にこだわってるのはアーチャリー本人。
未だに事実から目を背けている、
あなたの生みの親は大量無差別殺人を行なった異常者で
存在自体が許されないもの、
オウムにいいところがあった?
おかしな話、単なる犯罪集団、世の中の悪、

○この子の葛藤は解らないでもないが、
しかし”いいところもあった”とのコメントには、
矢張りこの子は普通の子と違うDNAがあるのかな、
という感じがする。

○かわいそうな人生と思っていたけど
わからないのかなぁーって…
その上から目線はなんだろう。
100ゼロはないって、沢山の命を奪って
今でも苦しんで、人生めちゃくちゃにされた人が沢山いるのに、
思うのは自由だけど
それをつぶやくのは、どうかしてる。
わからないのかなぁー。

○子は親の罪を背負いながら生きていかなければならない。
可哀想ではあるが、それは宿命だと思う。
素性を隠しながら生きていこうとするのが普通だと思うが、
自ら素性を明かしてしまうというところで
普通の人とはズレてるのかなと思う。

○結局、アーチャリーだのチヤホヤされていた
良い思い出が彼女にはあるのでしょう。
生きていれば、教団に担ぎ出される可能性はあり、
世間では、彼女の存在は疎むものでしかない。
本など出版する自己中心さが世間で
バッシングされても当然だと思う。

そして、↓決定打

○やっぱ父親に似てるね





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