羽生選手パレードと回顧録『日本統治時代を肯定的に理解する』  書籍関係

今日の仙台
県民栄誉賞を授与された後、
羽生結弦選手は、
東日本大震災からの復興に役立ててもらおうと、
宮城県と仙台市に500万円ずつ寄付金を贈りました。
立派。

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続いて、羽生結弦選手の二連覇祝勝パレード

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沿道には市民だけでなく、
他県や外国からも人が詰めかけ、

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その数、10万人余

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そのうちの一人が、わが娘。
「ゆづる、ゆづる」という歓声に、
娘は「バーフバリ、バーフバリ」という歓呼の声を重ね合わせ、
「まるで王の凱旋のようだった」と。

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ツイッターで「ゴミは持ち帰ろう」と回り、
「後がゴミだらけだったと言われて、
羽生くんを困らせてはならない」
との心情から、
みながゴミを拾って帰ったため、
ボランティアがゴミ掃除に出ても、
わずかなゴミしか集まらなかったといいます。
羽生ファン、おそるべし。

↓は当日の河北新報。

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パレード費用をまかなった、Tシャツ。

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無料の観光ガイド。
メルカリで千円で売られています。

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娘が買い求めたもの。

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そして、「仙台で買ったことに意味がある」
というプーさん。

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こういう時の行動力は、
父親の遺伝です。


[書籍紹介]
   
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朴贊雄(パク・チャンウン)氏は1926年ソウル生れ。
45年旧制京畿中学卒業。
51年ソウル大学法学部、
64年ニューヨーク大学行政大学院卒業。
落下傘遊撃隊員として朝鮮戦争に参戦し、
諸大学で教鞭を取った後、
朴正煕政権時代に75年カナダに移住
国外から韓国民主化運動に力を尽くす。
2006年、住んでいたトロントで路上強盗に遇い、死去。

本書は筆者により日本語で書かれたもので、
折々に書かれたものをまとめたものである。

本書の表紙裏には、次のように書かれている。

終生、韓国の民主化を追求しつづけた1人の知識人が、
20歳で終戦を迎えるまでの
日本統治下での青春の日々を回想。
開明的な祖父や学生時代の恩師の思い出とともに、
創氏改名、独立運動の実際を、
驚くほど率直、公正な筆で綴る。
そこから浮かび上がってくるのは、
現代化し始めた京城の、
おっとりとした街の佇まいのなかで営まれる穏やかな日常であり、
それは「虐政を施された植民地朝鮮」という
一般通念から想起される光景とはかけ離れたものだったのである。
戦後教育によってつくられた、
日韓合併に対する一面的な見方を克服し、
肯定的側面を直視することこそ、
真の日韓親善に繋がると信じて書き遺された、
渾身の一冊である。
 
                           
ここに書かれたことが全てである。

冒頭で、このように書く。

「日本人は平和愛好の弱小民族である韓国を
銃剣で踏みにじって植民地化し、
三十六年間、虐政を施しながら
土地と農産物を仮借なく収奪した。
南北すべての朝鮮人は、
当時の亡国の辛さを思い浮かべると、
今でも身の毛のよだつのを覚える」
これが今の南北朝鮮人の決まり文句となっている。


しかし、それは韓国が戦後教育で作り上げた像であって、
実際は違う、と筆者は述べる。

@当時は強国による植民地獲得戦の時代で、
 現代人が今の国際規約や国際慣習の尺度で当時を裁くのは
 不当である。
Aもし韓国がロシアや中国の植民地になっていたとすれば、
 もっと悲惨であって、
 それよりも日本の植民地になった方がはるかによかった。
B抵抗運動は
 1919年3月1日の独立万歳デモ事件以降なりをひそめ、
 日本政府は朝鮮統治を当初の武断政治から
 文治政治に変更して以降、
 おだやかな統治が続き、抵抗運動はなかった。
C日本の統治のおかげで、文明開化が急速に進み、
 学校が建ち、道路、橋梁、堤防、鉄道、電信、電話等が建設され、
 国民の生活水準がみるみるうちに向上した。
D日本統治時代に人口は2倍になり、貿易額は40倍になった。
E徴兵制は戦争末期まで朝鮮には適用されなかったが、
 志願兵を募ったところ、大変な倍率で競争だった。
 それほど日本人としての意識があった。
F朝鮮には、政争も腐敗も弾圧もない、
 かつてない天下泰平の時代だったのである。

そして、こう書く。

今の若い連中は
教科書や小説等の影響を受けて
「当時の朝鮮人は皆、日本を敵国と見なし、
ことあるごとに命を投げ出して独立運動をした。
日本の特高が全国的に監視の目をゆるめず、
多くの愛国者が次々と捕らえられて処刑された」
という自己陶酔的な瞑想に耽っているが、
これはウソである。


しかし、その時のことを知る人々は歳を取り、
証人として話す機会もない。
しかも、教育の結果、反日世論が形成され、
日本統治時代の良さを発言するだけで、
社会的指弾を受ける中、
証言することもはばかわれるのが実情である

この本に含まれる文章を書いたのは、
そのような風潮に対して、
少しでも正したい、という意図からであるという。

本書は、

T 日帝時代、僕自身の体験
U 日帝時代とは何だったのか
 
の二部に分かれ、
Tでは、子どもの頃から20歳までの経験をつづる。
そこでは、学校での日本人教師の思い出が多くさかれている。
日本人教師は大体は優秀で、子どもを愛する気迫があり、
なつかしい気分で包まれている。
戦後、恩師の消息を探り、
文通した手紙も掲載され、
日本統治時代の教育が大変うまくいっていたことが分かる。

僕は日本植民地時代に送った、
この人生の一こまを、
楽しかったと追憶し、
基本的にはすべての教師に感謝する気持ちでいる。
日本本土の日本人学生らに劣らぬ
立派な教育を受けたと信じている。


Uでは、統治時代と戦後の様々な問題に言及するが、
中で「創氏改名の実際」という部分が興味深かった。

創氏改名は、
日本が朝鮮人に強制し、名前さえ奪った、と言われているが、
この部分を読んで、ほう、そういうことだったのか、と瞠目した。

日本人の名前は
通常二文字の苗字と2〜3文字の名前から成っている。
それに対して朝鮮の名前は
一文字の苗字と2文字の名前で成っている。
つまり、名前を見ただけで日本人から朝鮮人か判明する。
それに対して、名前を見ただけでは、
日本人と区別がつかないようにしようというのが、
総督のアイデアだったという。

こうすると、その名前だけでは
朝鮮人と日本人の区別がつかなくなり、
それだけ両民族が近づいたことになると考えたわけだ。
僕はこれを、
南総督の好意から出た発想であると受け止める。
朝鮮文化の抹殺を図る陰謀や悪意からきた仕業だとは考えない。


しかも、戸籍は旧名の李や金でいいというのだから、
アイデンティティーまで奪うわけではない。
為政者にとっては、
日本人と朝鮮人の区別が明確な方が統治はしやすい。
それに反して、日本名を名乗らせることで、
差別をなくし、格差をなくする意図があったのだが、
悪く取ればいくらでも悪い取ることは出来る。

また、ハングルを奪ったと言うが、
朝鮮の学校ではハングルの授業も教科書もあったのが事実である。

慰安婦については、
軍の強制などなかったと断言する。

軍当局が強制狩り込みをしなくても、
口コミを通して多数の女性が、
その稼ぎ高に惹かれて集まってきたことを意味するのではないだろうか。


として、当時の慰安婦が兵隊の20倍も30倍もの稼ぎを手にしていたことを記す。

そして、反日感情は、戦後作られたものだという。

韓国における反日感情というのは、
植民地後期においては
上流下流の階層を問わず、
全く見当たらなかったものである。
この反日感情は
終戦後、李承晩大統領が個人的偏見と
政治的策略のもとに煽りに煽った結果である。


著者は戦後、北も南も独裁政治が続いたことを書き、
中でも北の暴政の前に同胞が苦しんでいる、と見定めている。
だから盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権が
北に対して金品を送っていることを
恥辱的としている。

韓国を見ていて不思議に思うのは、
北の暴政に対して、
南の人民が怒りを感じていないである。
まさに筆者の言うとおりだ。

韓国人らは民族主義という哲学ならざる哲学を振りかざして、
同族が同族を弾圧、喝取、虐殺する
国家権力の犯罪には目をつぶり、
日本人の韓国侵犯だけを声高にあげつらう。
これは価値観の順位の喪失であり、
哲学の喪失である。
これがわからない民族は、
自治能力なき劣等民族と断定せざるを得ない。


そして、韓国人として、同胞の体質を嘆く。

僕は、僕の一生の経験にもとづいて、
韓国人には自治能力なきがゆえに
民主主義を実践できないものと判断する。
ある国またはある民族が自治に成功するためには、
その社会の構成員が
正直、誠実、公正にして開放的であり、
残忍であってはならない。
ところが韓国人には
かかる徳目が先天的に欠乏している。


最後の方で、考えてもみなかった問題提起に驚いた。
それは、
韓国が日本の敗戦後、
独立せずに日本に留まったらどうなったか
という提起である。
こんな問題を言い出した人は初めてだ。
それについては、こう書く。

韓国が日本の一部として残ったならば、
韓国は世界列強の監視の下に、
日本の植民地の地位から脱却して、
過去の植民地としての差別から立ち直って、
名実ともに日本の一部となって
政治も経済も共に発展したであろう。


全体を通じて、
日本統治の良かった点も悪かった点も書かれており、
「全部良かった」「全部悪かった」の
どちらも間違いであるという当然の結論が出ている。
ただ、歴史は正直に見なければいけないということだ。

このような考えの人が韓国にいることに心強い感を持つが、
その主張が韓国世論の上に浮上することがないのは残念でならない。

最後に「解説」として、
著者の三弟が
「行き過ぎた反日は韓国自身を害する」という文を寄せている。

このブログで紹介した関連書籍については、
↓をクリック。

「日本の朝鮮統治」を検証する

朝鮮総督府官吏の最後の証言





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