小説『火定』  書籍関係

[書籍紹介]

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天平9(737)年に起こった
天然痘のパンデミック
(感染症の大流行)で、
平城京の人口の半数近くが失われた。
権勢を誇った藤原四兄弟も死に、
その後の政局を一変させた。
本書はこの流行に翻弄される人々の姿を描く。
大変な意欲作だが、成功したとはいいがたい。

施薬院(貧しい病人を診察する官立の医院)に勤めていながら、
出世の助けにならないとなんとか逃げ出そうとする蜂田名代
しかし、天然痘の流行の中で
少しでも命を助けようと奔走する医師・綱手の姿に
次第に心を変えられる。

一方、貧家の出でありながら天皇の侍医にまで上りつめたものの
嫉妬から仕掛けられた冤罪で捕らえられ、
牢獄で悲惨な目にあい、
社会に対する復讐心に燃える猪名部諸男
その内心に医師としての情熱がありながら、
復讐心がそれを閉ざす。

この二人の人物を軸に、
牢屋で知り合った宇須は、
疫病の恐怖におののく民衆に取り入って
常世常虫という新興宗教をでっちあげ、
偽の禁厭世札を売るだけでなく、
遣新羅使がこの病気を持ち込んだとして、
民衆を煽動し、異国人排斥の騒乱を起こさせる。

「俺ァ別に銭が欲しくって、
禁厭札を売っているわけじゃねえ。
俺の言葉一つで
大勢が右往左往している様が、
ただ面白くってならねえんだ。
だってそうだろう。
長らく獄にぶち込まれ、
来る日も来る日もどぶさらいばかりさせられていた俺の拵えた神に、
都じゅうの奴らがすがり、
役にも立たねえ札を目の変えて買っていくんだ。
こんな面白えこと、
そう簡単に止められるかよ」


疫病の流行に対して政治は無力で、
宗教も何の役にも立たず、
治療法を探し出そうとする医師の使命感だけが
希望を見出す。

現代に通じる内容で、
当然筆者もその意図があると思われるが、
なにしろ当時はウィルスの存在など
想像も出来ず、疫病の原因は分からず、
呪術や祈祷で対処するような時代だ。
医師たちの奮闘が隔靴掻痒な印象は否めない。

人物の配置、性格設定も
いかにも「置きに来ている」印象で、
心を打たれる感情移入できる登場人物がついに現れなかった。
奈良時代を通じて現代を描く意図は分かるが、
少々空回りしている感はぬぐえない。

タイトルの「火定(かじょう)」とは、
「仏道の修行者が、火の中に自らの身を投げて死ぬこと」
を表す仏教用語。

先の直木賞候補だが、
選考委員の評価は厳しい。

桐野夏生
近代的な価値観を持った人間が、
当時の衣を着て動き回っているような違和感があった。
作者は、この時代と、作者の考える人間の普遍性について、
もう少し説明すべきではないだろうか。

北方謙三
扱われている題材そのものに、現実の力があった。
題材に負けまいと、懸命に闘っている姿も、よく見えてくる。
全体にはメリハリが欠け、やりきれない気分が積み重なってくる。
私は、この世界に馴染めなかった、と言っていいであろう。

林真理子
天平の時代、天然痘の大流行というテーマは大きく重たいが、
飽きることなく最後まで読ませる。
しかしインチキ宗教者と、
それに呼応する人々の描き方が近作の「腐れ梅」とよく似ているのが残念だ。

東野圭吾
状況は深刻かつ壮絶に描かれているのだが、
登場人物たちの行動や心情に共感しにくい。
情景を思い浮かべにくい部分が時折ある。
暴動が起きる経緯も安易な印象。
とはいえ、私は二番目の△とした。
傷が目立つのは、創作しているからだと思う。

伊集院静
構成、語り口、文章もすぐれていて感心しました。
天平の日本人がこれほど闊達で雄弁であったか、
この時代の死生観を含めて疑問を抱きました。

宮部みゆき
私は(「銀河鉄道の父」と友に)「火定」も推しました。
私は「火定」がそうしているように、
基本的には現代人の読者が理解しやすいように書いていいと思うのですが、
タイトルの由来であり、この作品のテーマを象徴する
〈火定入滅〉の思想は大乗仏教のもので、
この時代にはまだふさわしくないのではないかという
(他の委員からの)指摘には「う〜ん」と唸ってしまいました。

浅田次郎
書くことに苦しんでしまったようである。
むろん題材が題材であるだけに、楽しい話になりようはないが、
それでも小説という形にするためには、
まず作者が楽しまねばなるまい。

高村薫
千三百年前を小説の舞台にすることの
基本的な難しさの認識が欠けているのが大問題である。
それゆえにこの作者も、題材の理解の不備を
プロットとキャラクターと文章力で押し切っているのだが、
そうした力技は、小説が小説になる秘密とは相容れない。
小説の破れ目は、破れ目として巧みに活かすか、
細心の手つきで繕うべきものであって、
強引にねじ伏せるものではないからである。

宮城谷昌光
いまの日本人にとって、天平という古い時代は、
関心をもつのがむずかしい時代であり、
そこに斬り込んでいった作者の勇気には敬服する。
少々抽象的ないいかたになるが、
支点は的確にすえられたのに、力点がずれたので、
作用点もちがってしまった。





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