ドキュメント『津波の霊たち』  書籍関係

東日本大震災から7年の日に──

[書籍紹介]

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筆者のリチャード・ロイド・パリーは、
英国の「ザ・タイムズ」紙のアジア編集長および東京支局長。
1969年生まれで、20年以上東京に暮らしている。
これまでにアフガニスタン、イラク、コソボなど28カ国・地域を取材し、
イラク戦争、北朝鮮危機、タイやミャンマーの政変などを報じてきた。
2004年のスマトラ沖大地震による津波も取材している。

2011年3月11日の東日本大震災発生直後から
被災地に通い続けたロイド・パリー記者から見た
震災被害の実相と日本文化論ともいえる内容。

目次

プロローグ 固体化した気体
第1部 波の下の学校
第2部 捜索の範囲
第3部 大川小学校で何があったのか
第4部 見えない魔物
第5部 波羅僧羯諦(はらそうぎゃてい)―彼岸に往ける者よ

地震被害の全体像ではなく、
石巻市釜谷地区の大川小学校での被害の真相に迫ると共に、
地震後被災地で相次ぐ「幽霊」の目撃談に触れる。

大川小学校は、
74人の児童と10人の教職員が亡くなった。
助かったのは児童4名と教諭1人。

この震災では75人の児童が学校教師の管理下で亡くなっている。
南三陸町の学校の1人と、あとは大川小学校の74人。
つまり、ほかの全ての学校では、
子供たち全員が安全な場所に避難することが出来た。
なぜ大川小学校の児童だけが犠牲になったのか。

犠牲になった子供たちを探す親たちの描写が涙をそそる。
はじめは生存を信じ、
現場の惨状を目にすると、
遺体を見つけることに心を注ぐ。
その姿は、親である者ならば、
涙なしには読めないものだ。

その中で、
家族が交わした言葉「行ってきます」「行ってらっしゃい」
言葉の意味に触れたところがある。

日本では、家を出るときのお決まりのやり取りがある。
出かける人は「行ってきます」と言う
(文字どおりに解釈すると、
「どこかに行って、再び帰ってくる」という意味)。
家に残る人は「行ってらっしゃい」と言う
(どこかに行って、戻ってきてください」という意味)。
「行ってきます」には、
必ず戻ってくることを約束する感情的要素が含まれているのだ。


われわれが日常的に交わしている会話。
その意味を英国人によって初めて教えられた気がする。

大川小学校の児童の親たちは、
その言葉を交わし、
しかし、子供たちが戻ってくることはなかった。

途中から、大川小学校の問題は、
異なる様相を呈する。
「大川小学校で何が起こったか」を知りたい親たちへの
「説明会」で、
校長が保身に走り、生き残った唯一の教諭の説明が
後で嘘だったことが分かったからだ。
繰り返し行われる説明会で、
校長は決して「過失」を認めようとしなかった。

その悲しみを癒すものなどなかった。
遺族は何か謎めいたものを求めていたわけではなかった。
その場にいた職員たちがもっと繊細な心の持ち主であれば──
形式にとらわれず、
パニックに呑み込まれることもなければ──
説明会は180度ちがう方向に向かっていたかもしれない。
保護者たちが望んだのは、
自分たちの悲しみへの理解、
喪失に対する小さな認識だけだった。
“役所の一部門”ではなく、
仲間の人間に接しているという感覚だけだった。


子供を失った一人の父親は言う。

「調べれば調べるほど、いろいろなことが明らかになってきます。
救うことのできた命だったのではないか、
とますます思えてくる。
津波は巨大な災害でした。
けれど、こんなふうに大勢の子どもたちの命が奪われたのは、
一校しかないんです。
全国で一校だけ。
大川小学校だけです。
これが事実です。
この事実を説明できるのは“失敗”の二文字だけです。
子どもたちの命を救うことができなかった、という学校の失敗。
教師たちは失敗した。
なのに謝罪もなければ、きちんとした説明もありません。
津波・・・その被害は甚大で、みんな苦しんでいます。
でもそれにくわえて、
われわれは子どもをこのように失うという
苦悩を経験しなくてはいけない。
それがすべてなんです。
そのことだけなんです。
子どもたちがどう死んだのか、
それだけなんです」


筆者は、こう書く。

個人としては、教育委員会の職員たちは
不屈の忍耐力と自己犠牲の精神をもつ人々だった。
彼らがいなければ、
絶望的な情況がさらに何倍にも悪化したにちがいない。
ところが大川小学校のケースのような失敗に直面したとき、
個人的な親切心と共感は、
共同体としての本能──
外部からの攻撃から組織を護ろうとする本能──
に凌駕された。
反論の余地のない批判にさらされると、
堅苦しい形式という鱗のなかに身を隠し、
お役所言葉という鉤爪を武器にして、
組織はもとの萎縮した姿に戻ってしまった。
その瞬間、教育委員会に勤める
親切で勤勉な地元の男女の顔はどこかに消えてしまった。
彼らの忠誠心は、
公共心や良識よりも高い次元にある大義へと向けられた。
それは、組織の評判がさらに傷つけられることを防ぎ、
なによりも裁判所での法的攻撃から
自分たちを護るという大義だった。
 

結局、大川小学校で死亡した23人の児童の遺族は、
石巻市と宮城県を相手とする
民事訴訟を仙台地方裁判所に提起した。
それは震災から数えて3年目の前日、2014年3月10日。
法的に訴訟を起こすことのできる最終日だった。

中盤から、被災地に起こった心霊現象に言及する。
それをいやすための僧侶の活動も紹介する。
中には被害者が憑依した女性を徐霊する光景まで出てくる。
筆者が冷静な記者でありながら、
この点に踏み込んだのは、
何か英国人の気質があるのだろうか。

そのうちの胸打つ一例を書く。

仙台のタクシーに乗り込んできた
悲しげな表情の男性は、
もう建物が存在しない住所を行き先として告げた。
途中、運転手がバックミラーを見ると、
後部座席は空(から)だった。
それでも彼は運転を続け、
倒壊した家の土台のまえに車を停めた。 
それから丁重にドアを開け、
眼には見えない乗客が
かつての家に向かって降りていくのを待った。


印象的だったのは、
全国から招かれて被災状況を話す講演に出かけた人が、
「参加者の意識が低い」ことに衝撃を受け、傷つく姿。

筆者は強烈な地震にもかかわらず、
倒壊した建物がほとんどなかったことに触れ、
日本の耐震技術の素晴らしさを讃える。
また、避難所での秩序立った動きを称賛する。
一方、裁判を起こした人々に対する無言の威圧など、
日本社会独特の仕組みも言及する。
そして、政治の頑迷さも批判する。

核心にあるのは、日本の市民と
その代表者たる指導者とのあいだに存在する、
かつてないほどの断絶


と言うのは、あたっている。

更には、次のように述べる。

私としては、
日本人の受容の精神には
もうしんざりだった。


日本生活20年の外国人記者でも、
まだ日本人の本質を理解していなのか、
自分たちの価値観を押しつけるのか、
と少々残念だった。

2016年10月26日、
裁判は原告側の勝訴で終った。
裁判所は14億にのぼる損害賠償金の支払いを市と県に命じた。
津波に対する予見について、
学校側の落ち度は認めないものの、
広報車が津波の危険を広報して回った時に、
津波の危険を察知したはず、ということだった。
市と県は控訴、原告側も控訴して、
裁判は高等裁判所に持ち込まれている。

外国人が東日本大震災の深層に迫るドキュメント。
瞠目させられるところもあり、
本書に描かれる被災者たち、
中でも大川小学校で子どもを失った親たちの悲しみは、
胸迫るものがある。

訳者はあとがきで、次のように述べる。

本書には日本人論という側面はもちろんのこと、
死生観や宗教観についての
哲学書、多様性をもつことを説く啓蒙書という
一面もある気がした。


なお、東日本大震災を扱った書籍で、
次の本が素晴らしいので、過去のブログで紹介する。

石井光太著「遺体」





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