ラオス旅行記@  旅行関係

本日、朝6時36分到着の便でラオスから戻りました。
わずか2泊4日の旅なのに、
1週間も行っていた気分。

では、さっそく、旅行記を始めましょう。

ラオスの予備知識は、3月17日のブログをご覧下さい。

旅行会社は、いつもの阪急交通のトラピックス

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通常、ラオス旅行はルアンパバーンとビェンチャンの2都市巡り5日間で
15〜18万円くらいしますが、
この旅行はルアンパバーン1都市のみの2泊4日で89800円
(燃油サーチャージは別)
とりあえずラオスに行ってみたい方には良い料金設定です。

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航空会社はベトナム航空

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ラオスへの直行便はないので、ハノイ乗り継ぎ

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天気は晴。

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座席は3・3・3。

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私の席は、窓側なのに、窓がない!

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航空会社のレビューを見ていて、
エンタテインメントがないのでは、
と心配していましたが、
ちゃんとありました。

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充実していて、
映画プログラムは63本。
うち日本語で観れるのは、38本もあります。

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食事の和食は、日本積み込みなので、おいしかった。

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1本目の映画は「グッドバイ・クリストファー・ロビン」
A.A.ミルン「クマのプーさん」を書いた誕生秘話と
出版後の息子(クリフトファー・ロビン)の苦悩と確執を描きます。
日本未公開。
これは、私が観なければならない映画。
しかし、やや平凡な出来。

ユアン・マクレガー主演のディズニー映画
「クリストファー・ロビン」
アメリカで8月に公開予定。
こちらに期待。

「グッドバイ・クリフトファー・ロビン」の予告編は↓をクリック。

https://youtu.be/rX1oe9JmtUw

「クリフトファー・ロビン」の予告編は↓をクリック。

https://youtu.be/425M4M3Opkk

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もう1本は、昨年公開済みで見逃した「ベイビー・ドライバー」
アカデミー賞の編集賞にノミネートされたのも納得の、
素晴らしくリズミカルな編集の作品。
特に、始めの方のタイトルバックの2分45分にわたる
ワンカット映像にうなりました。
予告編は↓をクリック。

https://youtu.be/nwR1dArkDMQ

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と、映画を2本観ている間に、ハノイに到着。
所要時間4時間58分。早い。

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ハノイ空港の様子。

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長い通路。

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ベトナム航空のCAさんのアオザイ姿が素敵。

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歓迎のオブジェ。

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ここでルアンパバーンまでのチケットを得る列に。

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普通は成田で2枚のチケットが出るのですが、
ルアンパバーンまではラオス航空なので、
ここで発券してもらわなければなりません。
この列が進まない。
カウンターの中には2名(後で4名に)いるのに、
1人だけが対応。
他の人は手伝おうとはしません。
日本だったら、必ず他の職員も対応するはず。
「お客様を待たせるのは恥」の国ですから。
まあ、お国柄、と思って我慢しましたが、
順番が来るまで1時間45分もかかりました。
ここでの待ち時間は5時間なので、余裕でしたが。

しかし、娘とは別の席。
それを言うと、「一緒の席です」と。
10Aと11Cでどうやって一緒なんだ。

出発ロビー。

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免税店もあります。

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お土産物屋も並びます。

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テレビはサムスンでなく、ソニー。ちょっと嬉しい。

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喫煙室は完全隔離。

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このお店で、

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フォーを食べました。
ベトナムですからね。

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ようやく搭乗時間が来て、ラオス航空に。

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バスで行くと、プロペラ機。

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こんなプロペラでよく飛ぶものです。

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テレビはありません。
座席は思ったとおり、娘とバラバラ。

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途中出たスナック。

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それにしても、これは・・・

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1時間10分でルアンパバーンに到着。

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ホテルに着いた時は、9時を回っていました。

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部屋は、広い。

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ベランダもあります。

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朝になって気付いたのですが、
メコン川に面した、
このホテルで一番良い部屋のようでした。

ヤモリ付き。

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ナイトマーケットに5分の場所でしたので、
行ってみましたが、

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10時を過ぎていたので、
ほとんどのお店が閉店済み。

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商売熱心なお店が営業していました。

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ここの交差点でナイトマーケットは終わり。

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屋台が並んでいます。

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このお店で

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これを注文。

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少しぐちゃぐちゃでしたが、
味は悪くない。
フルーツジュースも。

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帰路見た、民家の壁のヤモリ。

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イモリとヤモリの違いは、
イモリは両生類で、カエルと同じ種類ですが、
ヤモリは爬虫類にあたり、トカゲや蛇と一緒です。

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イモリは体が濡れていて、水中に。
ヤモリは乾燥肌。

井守と家守と書くと、違いが分かります。

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明日は早起きして、
托鉢の見学に。


ラオスに飛びます  旅行関係

今日からラオスに行ってまいります。
娘と一緒。

ラオスって、どこ?
という方もいると思いますが、ここです↓。

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もう少し近くに。

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見て分かるとおり、
東南アジア唯一の内陸国。(海に接しない国)

正式名称は、
ラオス人民民主共和国、通称ラオス。
人口約691万人。
面積は日本の約63%で、
国土の約70%は高原や山岳地帯。
永世中立国。
社会主義国家。
多民族国家で、ラーオ語が公用語。
国旗は↓。

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ラオスの歴史は、
中国南西部(現在の雲南省中心)にあった
ナンチャオ王国(南詔国)の支配領域が南下し、
この地に定住者が現れた時代に始まります。

王国滅亡後の1353年に、
ラーオ族による統一王朝ラーンサーン王国
ファー・グム王により建国され、
その勢力は現在のタイ北東部や
カンボジア北部にまで及びました。
ラーンサーンとは「100万のゾウ」という意味。
昔、ゾウは戦争の際に戦車のように使われていたため、
この国名は国の強大さを示し、近隣諸国を警戒させました。

18世紀にはヴィエンチャン王国、
ルアンパバーン王国、チャンパーサック王国の3国に分裂し、
それぞれタイやカンボジアの影響下に置かれ、
両国の争いに巻き込まれる形で戦乱が続きました。

19世紀半ばにフランス人がインドシナ半島に進出し始めた頃には、
ラオスの3国はタイの支配下にありました。
ラオスの王族はフランスの力を借りて隣国に対抗しようとし、
1893年に仏泰戦争が起こり、
その結果、ラオスはフランスの保護国となり、
フランス領インドシナに編入されました。

第二次世界大戦中は
日本が仏ヴィシー政権との協定により占領しました。
フランス領インドシナは
日本軍の明号作戦によって解体され、
ラオスは1945年4月8日に
日本の協力のもとで、独立を宣言。

しかし、大戦後、
フランスが仏領インドシナ連邦を復活させようとしたことから、
1946年に第一次インドシナ戦争が勃発。
1949年、ラオスはフランス連合内のラオス王国として名目上独立。

1953年10月22日、
フランス・ラオス条約により完全独立を達成しましたが、
独立後、右派、中立派、左派によるラオス内戦が長期にわたり続きました。
ベトナム戦争にも巻き込まれ、
北ベトナムによる南ベトナムへの補給路に使われました。

1973年にアメリカ合衆国がベトナムから撤退。
1974年、三派連合によるラオス民族連合政府が成立。
1975年に南ベトナムの首都サイゴンが陥落すると、
同年12月に連合政府が王政の廃止を宣言。
社会主義国のラオス人民民主共和国を樹立しました。

2013年のラオスのGDPは100億ドル。
一人当たりは1475ドルで、
世界平均の15%に満たない水準。
1日2ドル未満で暮らす貧困層は
国民の60%を超える412万人と推定されています。

↓伝統衣装シンを着たラオスの女性。

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首都はヴィエンチャンですが、
今回行くのは、北部のルアンパバーン↓。

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町そのものが世界遺産、という町です。

メコン川に接しています。

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朝は托鉢風景を見ることが出来ます。

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市場はご覧のとおり、地面置き。

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夜はナイトマーケットというのが開かれ、

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これも楽しみの一つ。

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いろいろ食べて、

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田舎の景色を楽しんで来ます。

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2泊4日という超短期旅行。
20日には戻ります。



小説『銀河鉄道の父』  書籍関係

[書籍紹介]

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宮沢賢治(1896〜1933年 明治29年〜昭和8年)の生涯を描くが、
賢治本人ではなく、
父親である政次郎の側から描くのが特色。
しかも、父(賢治から見たら祖父)の喜助から
「お前は、父でありすぎる」
と警告されたほど、父親としての愛情が深い。

その場面。

「お前は、父でありすぎる」
それが赤痢よりも遥かに深刻な病であるかのような、
憂いにみちた口調だった。

賢治の生家は祖父の代からの質屋だった。
政次郎は小学校の成績は全て「甲」で、
校長から「花巻一の秀才です」
と折り紙をつけられ、本人も
「中学校に進みたいのです」
と希望したが、
「質屋には、学問は必要ねえ」
と一蹴される。

中学校へ行ったところでソロバンが上手になるわけではなく、
質種に値がつけられもしない。
そもそも全国的に、
──本を読むと、なまけ者になる。
というのは、質屋にかぎらず商家の常識にほかならなかった。
本を読むと、ものを考えるようになる。
そんなのは手淫とおなじく、
ただ前途有為な若者から
精をうばう悪習でしかなかったのである。


という時代の話。

賢治の場合も同じ運命をたどりそうになった。
家族会議の場で、
喜助は
「質屋には、学問は必要ねぇ。
中学なんぞより店へ入れ。
店の手伝いをしろ、
お前の父親と同じようにな」

と断定するのに反して、
政次郎は中学進学を認めるのである。
自分でもおどろくほど優しい声で、
「いいよ」

と。

その状態は、その後も続く。
中学をあまり良い成績ではなく(88人中60番)卒業した賢治が
上に進学したいと言うのを断念させ、
店番をさせると、
農家の嫁にいいようにあしらわれて、
稲刈り鎌に高い金を貸す始末。
商売に向いていないのではないかと心配した政次郎は、
上への進学(盛岡高等農林学校)を許してしまう。
そして、卒業後、製飴工場を経営したいと言ってみたり、
学校に研究生として残ったり、
人造宝石の事業を始めようとしたり、
日蓮宗系の宗教団体に入ったり、
腰の定まらない賢治の行く末を案じながら、
ことごとく許してしまう父親像が描かれる。

こういう描写がある。

(いつまで、こんなことを)
ため息をついた。
われながら愛情をがまんできない。
不介入に耐えられない。
父親になることが
こんなに弱い人間になることとは、
若いころには夢にも思わなかった。


妹トシとの深い愛情も涙をそそる。
賢治が創作にのめりこむきっかけが
病床のトシに物語を読み聞かせるためだった、
という動機も描かれる。
しかし、何より、
賢治の創作は、次のようなものだっただろう。

より根本的なのは、
それとはべつの理由だった。
「お父さん」
賢治はなおも原稿用紙の塔を見おろしつつ、
おのずから、つぶやきが口に出た。
「・・・おらは、お父さんになりたかったのす」
そのことが、いまは素直にみとめられた。
(中略)
自分は父のようになりたいが、今後もなれる見込みは、
(ない)
みじんもない。
それが賢治の結論だった。
自分は質屋の才がなく、
世わたりの才がなく、
強い性格がなく、
おそらく長い寿命がない。
ことに寿命については
親戚じゅうの知るところだから
嫁の来手(きて)がない。
あってもきちんと暮らせない。
すなわち、子どもを生むことができない。
自分は父になれないというのは
情況的を比喩であると同時に、
物理的に確定した事実だった。
それでも父になりたいなら、
自分には、もはやひとつしか方法がない。
その方法こそが、
(子供(わらす)のかわりに、童話を生む)
このことだった。
原稿用紙をひろげ、万年筆をとり、
脳内のイメージを追いかけているときだけは
自分は父親なのである。
ときに厳しい、ときに大甘な、
政次郎のような父親なのである。
物語のなかの風のそよぎも、
干した無花果も、
トルコからの旅人も、
銀色の箒星(ほうきぼし)も、
タングステンの電球も、
すきとおった地平線も、
すべてが自分の子供なのだ。


そして、こうも書く。

子供のころから石を愛し、
長じては、
──人造宝石を、売りたい。
という野望を抱いた二十九歳の青年は、
ここでとうとう、ことばの宝石をつくりあげた。
どんな商人にも、
どんな鉱物学者にもなし得ないことだった。
賢治は詩人として、いや人間として、
遺憾なき自立を果たしたのだ。
父親がどう思おうが。


政次郎のような父親像は、
日本の歴史において、
端境期の父親像のような気がする。
厳しさと甘さが同居した父親像。
その後、日本の父親は、甘さだけの姿に落ちてしまったが・・・

大変魅力的な作品で、
一気に読まされた。

先の直木賞受賞作
ほぼ満場一致の受賞だったという。
選考委員の評価は、下のとおり。

桐野夏生
(息子の賢治を)信じつつも失望させられ、
裏切られても愛することをやめられない。
どうしようもない父親の姿が、
ほどよい距離感をもって淡々と描かれている。
その筆致は心地よく強い。
優れた父性小説であると同時に、
賢治の創作の苦しみも伝わる、
感動的な作品となった。

北方謙三
確実な力を感じた。
宮沢賢治は、手強い題材であっただろう。
父の視点から描くことによって、
賢治像だけでなく、
母親や弟妹の姿まで、くっきりと浮かびあがってきた。
小説として、世界の拡がりを持った。
それは普遍を獲得している、ということであろう。

林真理子
東北の素朴で平凡な父親像が、
これほど心をうつとは。
賢治の変人ぶりをあますところなく描き、
そして父親のとまどいをどことなくユーモラスな筆致で描いた。
こうした昔のものを書く時に、
年表をなぞったような小説になる人は案外多いものだ。
が、門井さんの場合は歴史的ことがらが
実になめらかに文章になっている。

東野圭吾
主人公は自分で描く理想の父になろうと懸命で、
うまくいかない時には焦り、
うまくいっている時には褒めてもらいたがったりする。
その俗物な描き方が面白かった。
この作家はミステリ出身でありながら、
視点に対するこだわりが全くないのだが、
それも独特の味になっている。
受賞は予想通りだが、○にしなかったのは、
オリジナリティがどこにあるのか、
私にはわからなかったからだ。

伊集院静
一回目の選考から、文句無しの各選考委員の支持を受けました。
私もその中の一人ですが、
私が何よりこころ打たれたのは、
最終章に近い一節で、母のイチの話として語られる
宮沢賢治が息を引き取る箇所です。
私が門井さんに感心したのは、勿論、
父に対する息子の気遣いもありますが、
うららかな口調と、
敢えて臨終の人間に感情、情緒の表現を入れたことです。

宮部みゆき
宮沢賢治がどこまでもお父さんを愛する息子だったことを、
自分がそのように愛されていると気づかないほど
深く息子を愛している当のお父さんの視点から、
奇をてらわず抑制を効かせ、
平易で明快な言葉で、
そこに日向を置くように暖かく穏やかに綴った作品。
受賞はほぼ満場一致で決まりました。

浅田次郎
宮沢賢治は存在そのものがエモーショナルなので、
実は小説の素材に適さない。
まずそのあたりを十分承知のうえ父親の視点を通して賢治を描いた。
妙案と言えるこの基本構造が、
悲劇を過剰にせずよく制御して、
文学的感動を喚起することに成功した。

高村薫
小説の引き算を教えてくれる手練れの作品である。
作者が本作で目指したのは宮沢賢治の文学的昇華ではなく、
このまますぐに舞台に載せられるような父子の物語である。
まさに門井流の、この適度な軽さもまた、
小説の奥深い秘密だろう。

宮城谷昌光
宮澤賢治という個性と作者の個性が融合する、
その点が少々ずれているとみた。
資料なんぞ放擲して、
門井氏独自の世界のなかに宮澤賢治を引き込んでもらいたかった。
この小説は、行儀がよすぎる。


映画『ナチュラルウーマン』  映画関係

[映画紹介]

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チリサンティアゴが舞台。
ウエイトレスをしながら歌手もしているマリーナは
トランスジェンダーで、
男の体で女の心を持っている。
外見も女性で、
年齢差のある恋人のオルランドと一緒に暮らしている。

マリーナの誕生日を祝った夜、
急にオルランドの容体が悪くなり、
病院に運ぶが、死んでしまう。
死因は動脈瘤だという。
部屋から出した時、オルランドが階段を転げ落ちて
けがをしていたこと、
マリーナが病院から早めに退去したことから、
警察から性犯罪の疑いをかけられ、
尋問や身体検査、裸体の写真を撮られたりの
屈辱的な思いをさせられる。

その上、オルランドの息子や別れた妻が
オルランドのアパートからマリーナに退去を迫り、
車も犬を取り上げられ、
葬式への参列も拒まれ、
その上、罵倒と暴力まで降りかかる・・・

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チリでも性同一性障害に対しての理解が
この程度だとは知らなかった。
排斥されるだけでなく、物理的攻撃まで受けるとは。
そして警察も病院もマリーナの境遇には全く無理解だ。
それにしても、女性の格好をしているマリーナを
彼らが一目で男だと見抜くのは、なぜだろう。

映画はマリーナだけをずっと描き続け、
マリーナは世間の無理解と偏見と差別に
とことんさらされることになる。
こうした置かれた立場をマリーナは敢然として対抗する。
しかし、道路では、運搬人の鏡の中に
歪んだ姿を見せつけられ、
突風はマリーナの行く手をはばむ。

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ただ、マリーナだけにオルランドの姿が見え、
導かれていく。

チリでは葬式から家族が帰った後、
火葬は係員だけでするんだね。
本当かね。
それに、別れた妻に、あんなに権限があるんだ。
まさに異文化を見た思い。

マリーナを演じるのが、
自身もトランスジェンダーの歌手である
ダニエラ・ヴェガという点が
この映画の特色。

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監督が取材中に、
この人を起用することに決めたらしい。
そして、彼女自身の反映のように、
見事にマリーナを造形する。
アカデミー賞の主演女優賞に
ノミネートされなかったのが不思議なくらい。

監督は、セバスティアン・レリオ

ひたすら逆境に耐える主人公に共感するのは、
よく人間が描かれているからだろう。
そういう意味で、題材は深刻だが、
よくできた映画だ。

先のアカデミー賞で
外国語映画賞を獲得。

5段階評価の「4」

予告編は↓をクリック。

https://youtu.be/PJx38Yu2zl4


タグ: 映画

川越に行って来ました  旅行関係

今日は、カミさんと二人で川越に行って来ました。

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新木場から直行電車もあるのですが、
数が少ないので、
小竹向原と和光市で2度乗り換えて、
家を出てから約2時間で到着。

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川越は「小江戸」と呼ばれていますが、
川越藩の藩主が江戸からの帰路、
川越城下の町並みを見て、
「小さな江戸のようだ」
と言った、と伝えられています。

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名所めぐりのバスが便利。

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何回も乗り降り自由の一日乗車券が300円

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ただ、50分に1本という、
本数の少なさが難。

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まず、訪れたここは、

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町のシンボル、時の鐘
16.2mあります。

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寛永時代(1624〜1644)に、
当時の川越藩主・酒井忠勝によって建てられたもの。
明治26年(1893)の大火で焼失しましたが、
翌年に再建されました。
午前6時、正午、午後3時、午後6時に
鐘の音を響かせてくれます。
丁度正午で、聞くことが出来ました。

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鐘の下をくぐると、

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薬師神社があります。

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時の鐘を通過して、
一番街へ。

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古い建物が連なり、
江戸時代にタイムスリップしたかのようです。

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メインの通りなので、
観光客が行き交います。

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着物で散策するのが流行りのようです。

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これは、旧第八十五国立銀行
高さ25メートルのドームがそびえます。
今は埼玉りそな銀行。

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通りから一歩入ると、

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様々な寺院や神社があります。

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仲町の交差点にある

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このお店は、

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豆の専門店。

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試食させてくれるので、
つい買ってしまいます。

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4種も買ってしまいました。

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お店も並び、

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川越の小物を売っています。

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ユニークな商品が多い。

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レンタサイクルも

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人力車もあります。

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これは、川越のマンホール。

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中学生たちの団体も。

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いろいろな横丁があります。

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ここは、菓子屋横丁

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お菓子を並べたお店が軒を連ねます。

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映画館があるというので、行ってみました。

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住宅街の中の

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その名もスカラ座

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明治38年に寄席「一力亭」として誕生。
1905年(昭和15年)に松竹系の映画館となった後、
1963年(昭和38年)に現在の名前になりました。
2007年に前の支配人が引退し、
廃館の危機にありましたが、
土地と建物をNPO法人「プレイグラウンド」が引き継ぎ、
運営再開に必要な資金を賛助会員を募って集めました。

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座席数は124席

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前方3列分の座席を取り払ってカーペット敷きにし、
映画以外のイベントなどにも活用できるようにしました。

↓は音楽イベントの時の写真。

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入場料金は、大人1600円、シニア1100円、
大学生は1000円ですが、
高校生は500円。
この中から映画少年が育っていくのでしょう。

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上映作品は独特の選別をしているようです。

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これは、映画館の上映作品ラインナップのチラシ。

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ミニシアター系の作品が並びます。
メジャーな作品は、近隣の大映画館で観て下さい。
ウチは我が道を行きます、という方針のようです。

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そういうわけで、観客は少ないですが、
大林宣彦監督のトークショーをした時は、
行列が出来ました。

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トイレの下水管が詰まり、
修理費用を捻出できなかった時には、
↓のような募金箱を設置。

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画像がツイッターに投稿されると
映画ファンを中心に拡散。
「急いで川越スカラ座に駆けつけて募金せねば」
「今度行ってみるか、募金ついでに」
といった応援の声が寄せられ、
1万円を入れてくれたお客さんもいたといいます。

↓は、「十戒」を上映した時の、満員の写真。

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お昼は、ここで。

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うなぎは高いので、野菜の天ぷら。

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川越市役所

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その前に立つ太田道灌の像。

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川越城は、太田道真・道灌父子によって
築かれたのです。
江戸城だけじゃなかったんですね。

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その川越城の本丸御殿

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嘉永元年(1848年)、
時の藩主・松平斉典(なりつね)によって建てられたものですが、
明治維新後、大部分が解体されました。
その後、散逸したものを集めて再建されたものです。
県の有形文化財に指定されています。

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料金は100円と格安。

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いろいろな用途の部屋。

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平面図。

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離れに家老詰め所を移築。

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こんなふうに執務したようです。

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中庭がきれい。

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大広間にも入れます。

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こんなものが飾ってありました。

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すぐそばにある三芳野神社

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幕府の直営社でした。

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只今、修復中。

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本当なら、こんなものが見られたようです。

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ここは、「とおりゃんせ」の歌の発祥の地だそうです。

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さて、このバスに乗って駅に戻ろうとしたら、
そのチケットでは乗れない、と断られました。

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どうも似たようなバスがあるらしいく、ややこしい。

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名所めぐりバスの停留所をみつけましたが、

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30分待ち。

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タクシーの姿も見えず、
仕方なしに、カミさんと、しりとりをしながら待ちました。
しりとりなんて、60年ぶりくらい。

ようやくバスが来て、
一番街を再び見ながら、川越駅へ。

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帰りは新木場直行の電車に乗りました。
それにしても、
こんなところから新木場や
横浜まで行けるなんて、不思議です。

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一部しか回れませんでしたが、
小江戸、行けて満足でした。





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