平昌冬季オリンピックをめぐって  政治関係

平昌冬季オリンピックは閉幕しましたが、
次のような記事をみつけましたので、
紹介します。

まず、
「北美女歌舞団の既視感」
という、
加地伸行大阪大名誉教授のコラム。

(前半省略)

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美女と楽団とが北朝鮮から韓国へ送り込まれてきたのである。
このできごと、近ごろのことばでいえば、
老生に〈既視感(デジャビュ)〉を与えた。
すなわち、かつてどこかで視(み)たようなできごと−
老生、日ごろ親しんでいる古典『論語』の中にそれはあった。

今から約2500年前、
孔子は、魯(ろ)国に生まれ育った。
成長後、政治家となり善政を布(し)くことによって、
人々の幸せを実現しようとした。
いろいろ苦労があったが、
50歳を超え、閣僚となり、天命の重さを知った。
そこで全力を尽くしたので、
人々は誠実となり、
しだいに魯国は強国への道を歩むようになってきた。

これが面白くなかったのが隣国の斉(せい)国であった。
いつの時代でもそうだが、隣国が強くなることは好まれない。
そこで斉国は、孔子のまじめ路線の妨害を図った。
すなわち華やかな衣装をまとい、
音楽に合わせての舞踊に巧みな美女80人に加えて
立派な馬の4頭立(だて)馬車30台を
魯国に贈(おく)ったのである(『史記』孔子世家)。

この美女歌舞団は、魯国の首都郊外でにぎやかに開演した。
ぱっとその評判が立ち、魯国の人々は魅了され大人気。
それを伝え聞いた首相格の季桓(きかん)殿は、
人目につかないように、わざと粗末な服装で観(み)に行き、
なんと3日も仕事を忘れ、政庁に現れなかった。

孔子のまじめ路線はこうして崩れゆく。
孔子は辞職し、理想政治の実現場所を求めて
長い流浪の旅立ちとなった。十数年。

現代韓国人の北朝鮮美女歌舞団への熱狂ぶりは、
右の故事と重なる。
北朝鮮に追従する文政権に
批判的なまともな人々には居場所がなくなり、
韓国の理想のありかたをもとめて
苦難の旅がこれから続くことであろう。

目の前の出来事を見て、
すぐに論語が浮かぶなど、
博識というのせ、すごいですね。


次は、産経新聞ソウル駐在客員論説委員の
黒田勝弘さんのコラム。

愛国主義という興奮の低下

平昌五輪が25日、閉幕する。
韓国にとってこの種の大規模国際スポーツ大会は
1988年のソウル五輪、
2002年のサッカー・ワールドカップ(W杯)に次ぐ。
韓国では国際大会出場の選手たちは「国家代表」といわれる。
社会的に日ごろ強い韓国の愛国主義が、
国際スポーツ大会となると目立つのだが、
今回はどうだったか。

筆者は88年のソウル五輪も02年のW杯も経験しているが、
今回はその愛国主義がどこか後退した感じがした。

ソウル五輪の時、筆者は
「韓国の思い入れが強く韓国のための五輪のようで気が重かった」という
外国人記者の声や、
日本や米国に対する韓国の観衆やメディアの“敵意”を紹介している
(拙著『“板門店の壁”は崩れるか』収録の「韓国人の攘夷と開国」から)。

またW杯では、
ソウル都心を埋めた街頭応援の数十万群衆が
サポーターの真っ赤なシャツを着て絶叫する
「デーハンミングック!」の大歓声と、
準決勝進出の快挙でもたらされた
「国家、民族、歴史に対する自己称賛の嵐」が印象的だった
(同『ソウルが平壌になる!』収録の「ワールドカップ民族主義」から)。

そんな過去の風景からすると今回は穏やかだった。
愛国主義という興奮と熱狂度が下がった背景には
冬季五輪という地味さ(?)や季節もあるが、
それより韓国人あるいは韓国社会のある種の“成熟”が出ているように思う。

やはり30年前にソウル五輪を経験した朝鮮日報の主筆は今回、
「30年前のわれわれの姿が昔のようだ。
韓国人の観衆は世界中からきた人たちと自然に交じり合い、
彼らを好奇心に満ちた目でジロジロ見ることもない」
などとして似たような感想を書いている(21日付のコラム)。

ある大学教授は、若い選手や観衆の新しい流れとして
「国家主義の退潮と個人主義の発散がみられる」
と指摘している(中央日報23日付のコラム)。

いつも話題の日韓戦でも競争意識はあっても
敵意は感じられなかった。
女子アイスホッケーでは負けたが女子カーリングでは勝ち、
スピードスケートの女子500メートルでは
金銀を分け合う風景に、それなりに納得なのだ。

小平奈緒と李相花のたたえあう姿などは、
韓国が負けたにもかかわらず“美談”としてもてはやされた。

韓国人たちの成熟は、タダ乗りで“闖(ちん)入(にゅう)”してきた
北朝鮮に対しても見られた。
例の美女応援団や芸術団には現場をふくめ人々は意外に冷めていた。
以前は物珍しかったが、今回はもう食傷気味で、
かつ「田舎くさい」といい、さ
したる興奮も熱狂もしなかった。

ところで応援団が叫んでいた
「ウリヌン、ハナ(われわれは一つ)」のスローガンには、
実は「米国は出ていけ」という政治的メッセージが込められている。
これは見方によっては五輪憲章違反なのだ。
そこを誰も問題にしなかったのは成熟の副作用(?)かもしれない。

ただ韓国人たちは今回、若者世代を中心に、
逆にあんな全体主義イメージの北と「一つ」にはなりたくない
と思ったはずだ、というのが街で聞く大方の声である。


というわけで、
韓国も国際社会でもまれて、
成熟しつつあるのかな、
と思わせたが、
次の報道を見てがっかりした。

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韓国のテレビ局が日本の国歌「君が代」を流した結果・・・
韓国人の怒りが頂点に!

韓国テレビ局SBSが
2月24日のスピードスケートマススタート競技のメダル授与式で
高木菜那選手が金メダルを獲得。
その授与式の模様を放送し「君が代」を流したことにより
批判が殺到している。

SBAのアナウンサーは「日本国歌が流れます」と説明。
SBS以外のテレビ局KBSは同時間帯にCMを流し、
MBSはマススタート男子で金メダルを獲得した
イ・スンフン選手のリプレイ映像を流した。

韓国メディアが説明するには
「君が代」の歌詞は戦犯の象徴であり、
日帝主義と過去の歴史を称賛する内容。
日本植民地時代の頃、日本人は私達(朝鮮人)に
君が代を歌うように強要したと主張。

このことは韓国のネットメディアも取り上げ、
SBSを批判している。

何とまあ、心の狭い、幼稚な反応だろう。
「政治とスポーツは別」というが、
厳しい闘いの末、勝利した者を称える行為
どうして受け入れられないのだろうか。
国歌といえば、その国の人間が誇りと尊敬をもって歌うものだ。
他の国の人も、それを推し量って尊重する。
心の中はともあれ、
姿勢はそうするのが大人というものだ。
それを「戦犯の象徴」だなどといって貶める。
しかも、自分が生まれていない時代のこと、
反日教育で刷り込まれた内容だ。
過去のことにいつまでもこだわり、
国際的儀礼と他国の文化を尊重し、
理解することの出来ない国に未来はない。

この反応を見る限り、
韓国もまだまだ成熟とはほど遠いと思わされた。






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