エジプト旅行記J考古学博物館・その1  旅行関係

エジプト最後の日、
↓のような車線の消えた道を行きます。

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こんな光景も見ることが出来ます。

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パピルスの店に連れていかれ、

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お決まりの紙製造の実演会。

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パピルス(papyrus)は、paperの語源です。

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展示品は撮影禁止。

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店の外では、犬が昼寝します。

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建物には、

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衛星放送のアンテナが林立。

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お昼は、この店で。

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エジプトのパン。

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シーフードが出ました。

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飲み物は、ネクター。

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最後の訪問地は、エジプト考古学博物館

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カイロ博物館とも呼ばれ、
収蔵点数は20万点にものぼると言われています。

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1858年に
エジプト考古局の初代長官に就任したフランス人考古学者、
オギュスト・マリエットが、
国外への流出が激しかった遺跡からの出土品の管理を進め、
やがて博物館へと姿を変え、
1902年に現在の建物に移りました。

ギザで建築中の大エジプト博物館に展示物がひきつがれる予定です。

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館内は、↓のチケットを買えば、撮影OKです。

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↓は、ロゼッタ・ストーン。

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ただし、縮小したレプリカ。
本物はロンドンの大英博物館にあります。

館内には、
エジプト全土から出土した遺物が展示されています。

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書記座像

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あれ、ちょっと違うのでは、と思った方、
↓のルーブル美術館所蔵の書記座像の方が有名ですね。

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↓は、カ・アベルの像

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村長の像ともいわれています。
発見されている最古の実物大木像。

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カフラー王像

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頭の後ろをハヤブサが支えています。

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メンカウラー王像

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クフ王像

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あれほど大きなピラミッドを建てた方にしては、
残っている像は、この7.5pの像だけです。

こういう、頭部の失われた像も沢山あります。

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当時の服装が分かります。

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セネブと家族の像

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こういう仲良し夫婦の像も沢山作られました。

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ラーホテプとネフェルトの座像

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スフィンクスも沢山あります。

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ハトシェプスト女王のスフィンクス

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ミイラも多いですね。

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中に入っている人の肖像画。
なかなか写実的です。

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なんといっても、この部屋、ミイラ室

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歴代ファラオのミイラが展示されています。

入るには、別に料金が必要。約800円。

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撮影禁止なので、
拝借したものから、
↓がラムセス二世のミイラ

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偉大な王。でも、何だか気の毒。

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これは、内臓を収めた入れ物。

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こうした像によって、
当時の風俗が分かります。

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40人編成のエジプト人槍隊

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櫓を漕ぐ船

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王の墓のマスク。

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財宝の数々。

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この風変わりな像は、

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アクエンアテンの像

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アメンホテプ4世、イクナトンともいいます。

第18王朝の王で、
在位期間は紀元前1353年?〜1336年?頃。
ツタンカーメンの父だといわれています。

指が異常に長く、顎が尖る、脂肪の付き方が不自然であるなど
マルファン症候群(染色体異変による特殊体形)ではないかと言われています。

アメンホテプ4世は、
アメンを祭る神官勢力が王を抑えるほどの強い勢力になったことを嫌い、
新たなアテン神を崇拝する宗教改革を行いました。

治世4年目(前1368年頃)に
アテン神に捧げる新都アケトアテン(現アマルナ)を建設。
王朝発祥の地テーベ(現ルクソール)を放棄し、遷都しました。
アケトアテンとは、「アテンの地平線」の意味です。
また、自らもアクエンアテン(アテンに愛されるものの意)と名前を変えました。

多神教であった従来のエジプトの宗教を廃し、
唯一神アテンのみを祭る
世界初の一神教を始めたのです。

↓アクエンアテンと彼の家族がアテンを信仰している姿。

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アテンは太陽円盤の形で数多くの手を持って描かれ、
多くの民を救う為のものであると解釈されています。

王妃はネフェルティティ(美しい女性が来た、の意)で、
エジプト三大美人の一人とされています。
(他の二人はラムセス二世の妻のネフェルタリとクレオパトラ7世)

その像が↓。

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アマルナから出土しましたが、
密かに国から持ち出され、
今はベルリン国立エジプト博物館に収蔵されています。

アクエンアテンの宗教改革は、
わずか2代で終焉を迎え、
ツタンカーメンの時代にアメン神に回帰してしまいます。
ツタンカーメンも、トゥトアンクアテン(アテンの生ける似姿の意)から
トゥトアンクアメンに改名してしまいました。

アクエンアテンの宗教改革が失敗した原因としては、
エジプトは元々多神教で、唯一神が民衆には受け入れられなかったことと、
宗教儀式が王に限られ、
民衆が儀式に参加したり、
直接祈ったりすることが出来なかったことが上げられます。

アクエンアテンの治世の時代、
アマルナ美術と呼ばれる、
写実的・開放的な芸術を生み出しました。

↓はエジプトでは少ない絵画。

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エジプトでは、永遠に記録するため、
石に刻まれることが多く、
絵画で描かれることはあまりなかったのです。

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↓は、太陽の光で描かれるアテン神。

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フロイトは、アマルナの住民が
エジプトから脱出したユダヤ人になった、という説を唱えています。

その紹介ブログは、↓をクリック。

モーセと一神教

このアテン神の姿は、
巡り巡って、
聖書にあるキリストの言葉
「天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、
太陽をのぼらせ、
正しい者にも正しくない者にも
雨を降らして下さる」
につながるのかもしれません。

次回は、ツタンカーメンの遺物を紹介します。






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