エジプト旅行記Hアブ・シンベル神殿  旅行関係

今日は、この旅行のハイライト、
アブ・シンベル神殿へ。

朝5時にホテルを出発。
昨夜通ったと同じ道を行きます。

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これは人工の岩山。
この向こうに神殿があります。

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ここをぐるりと回ると、

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見えて来ました。
左が大神殿、右が小神殿

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大神殿は太陽神ラーを、
小神殿はハトホル女神を祭神としています。

ガイドさんの説明を聞いている間に、

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日が昇って来ました。

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海ではなく、
アスワン・ハイダムでせき止められた水による
人工湖、ナセル湖。

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この日の出を見るために、
ホテルを早く出たのです。

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御来光を拝むのは日本人だけらしく、
他に観光客の姿はありません。

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朝日に染まる神殿。

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昨夜の音と光のショーの映像は
ここから投映されました。

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大神殿に向かいます。

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わくわく、わくわく。

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神殿は高さ33m、幅38m、奥行き56mあります。

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この像は、高さ20mあります。

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4体のファラオ像は、
歴代のファラオではなく、
全てラムセス二世の像です。
青年期から壮年期までの4体。

左から2体目の手前にある岩塊は
2体目の頭部の一部。
神殿完成の数年後に起きた地震によって崩れてしまいました。

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ラムセス二世は、
ツタンカーメンから50年ほど後の王。
在位紀元前1279年から1213年といいますから、(異説あり)
66年間の長期にわたってエジプトを治め、
7人の王妃と側室の間に
92人の王子と106人の王女を作ったという人。

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「建築王」と呼ばれ、
沢山の建造物を残しています。

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自己顕示欲が強かった、という説も。

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エジプトの最南端、スーダンとの国境近くにあるため、
3000年もの間、忘れられており、
周辺の岩山の風化が進み、
砂に埋められしまいましたが、
1813年にスイスの東洋学者
ヨハン・ルートヴィヒ・ブルクハルトによって上部が発見され、
4年後の1817年にブルクハルトの知人であった
イタリア人探検家ジョヴァンニ・バッティスタ・ベルツォーニによって
出入り口が発掘されました。
↓は当時を示す細密画。

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初めて中に入ったベルツォーニは
大発見にもかかわらず、不満だったようで、
中には宝物がざくざくあると思っていたにもかかわらず、
わけの分からない壁画ばかりで、失望したそうです。
「世界遺産」などという概念がない時代ですから、
その価値が分からなかったのでしょう。

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実は、この神殿、存亡の危機に。

↓はナイル川の側にあった、昔の位置の写真。

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アスワン・ハイダムの建設計画により、
水位が上がると、
水没してしまう位置でした。

そこで、ユネスコによって、国際的な救済活動が行われ、
1964年から1968年の間にかけて、
約60m上方、ナイル川から210m離れた丘へ移設されたのです。

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移設の方法は、
イシス神殿と同様、
807個のブロックに分割されて、番号を付け
運んだ後、再び組み立てる方法でした。

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オリジナルは、
砂岩でできた岩山を掘り進める形で作られた岩窟神殿ですが、
新たなものは、↓のようなドームを作り、

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その中に神殿をすっぽり収め、
ドームの上は人工の岩山が作られました。

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↓は岩山が出来る前の状態を上空から。

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18年前に来た時には、ドームの中も見学できましたが、
今は安全対策上、中には入れません。

↓今の状態。

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この大規模な移設工事がきっかけとなり、
遺跡や自然を保護する世界遺産が創設されたといいます。

足元にあるのは、
王妃や王子たちの像。
左にあるのが王妃ネフェルトアリの像。

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入り口の左右には、
縄につながれて連れて来られる奴隷たちの姿が描かれています。

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右側はシリア人捕虜、
左側はヌビア人捕虜。
顔つきも体つきも異なって描かれています。

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さて、中に入りますが、

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残念ながら、撮影禁止

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そこで、購入した冊子から抜粋。

大列柱室。
ここに立ち並ぶのもオシリス神の姿をした
高さ9mのラムセス二世像8体。

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庶民も参拝の時、ここまで入ることが許されました。
奥行き18m、幅16.5m。

カデシュ(現在のシリア)での
ヒッタイトとの戦い(紀元前1286〜1269)で
戦車に乗るラムセス二世。
3台の戦車に乗った6人の息子を従えています。

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この戦い、碑文ではエジプトの勝利と書かれていますが、
実際は引き分けで、
世界初の講和条約がされました。
その条文も壁に刻まれています。

アフリカの捕虜を打ちすえるラムセス二世。

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リビア人の捕虜をこん棒で打ちすえ、
踏みつけているラムセス二世。

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ここは前室。

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神聖化された聖なる船の前で儀式を行うラムセス二世。

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奥にあるのが至聖所

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至聖所にある4つの像は、
右から太陽神ラー・ホルアクティ神、神格化されたラムセス二世、、
王の守護神アメン・ラー神、万物の創造主プタハ神。
ラムセス二世は神の仲間入り。

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年に2回
太陽の光が一番奥まで差し込む仕掛けになっています。
4体の像のうち、冥界神であるプタハを除いた3体を
明るく照らし、
この日は、観光の目玉。

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移設の時も、その構造も全く同じにされましたが、
本来はラムセス2世の生まれた日(2月22日)と、
王に即位した日(10月22日)に
この現象が起こるのでしたが、
移設によって日にちがずれてしまっています。

設計段階で、
日が差し込むように作ったとは。
そう思って振り返ると、何か不思議です。

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これで大神殿は終わり。

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今度は小神殿。
幅、奥行きとも17m。
正面の幅28m、高さ12m。

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王妃ネフェルトアリのために建造した岩窟神殿。

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正面の像は、4体がラムセス二世、
2体がネフェルトアリです。

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永遠の命を象徴するアンクの形をした鍵。

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中は、ここも撮影禁止。
なので、写真集から拝借。

広間。

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6本の正方形の柱によって支えられています。

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ハトホル神に花とシストルムを捧げるネフェルトアリ。

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ハトホル神の化身である雌牛に捧げ物をするネフェルトアリ。

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さようなら、アブ・シンベル神殿。

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また280qを走ってアスワンに戻り、
更に飛行機でカイロに。





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