宝の箱・その3・日記  身辺雑記

「宝の箱」シリーズ、その2で終わりにしようと思っていましたが、
今日、袋戸棚を整理したら、
思いがけず、もう一つの宝の箱が見つかったので、
掲載します。

まず、6歳の私↓。

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1954年4月1日、
と後面にありますので、
小学校入学を祝って撮った写真のようです。
伊豆長岡駅前の「花島写真館」というケースに入っていました。

↓は、ミケランジェロの「最後の審判」の大カレンダー

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当時、日本テレビが
ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂の壁画の修復事業をやっており、
その修復完成記念のカレンダー。

その翌年、今度は天井画のカレンダー↓。

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↓は集大成の「システィーナ礼拝堂 蘇るミケランジェロ」

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中には、天井画と最後の審判から
250枚の図版が収録されています。

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これだけは絶対古書屋に持っていくことのない、永久保存版。

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最近行ったエジプトに関する写真集↓。

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行く前に見ておくべきでした。

↓は何かというと、

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高校時代に作ったテープ
友人から借りて来たドーナツ盤を
プレーヤーにかけ、
スピーカーの端子からテープレコーダーにつなげて
作ったベスト盤。
6ミリとはテープの幅。

そして、こんなジャケットを手製で作りました。

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裏表で37曲を収録。

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その上、一曲ごとに解説付き。

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悲しき少年兵
1961年1月ヒットパレードに登場し、
2月には1位に。
アメリカではさして評判にならなかった曲ですが、
日本へ来ると俄然大ヒット。
出征して帰って来ても、
恋人は迎えに来てくれなかった、と
ジョニー・ディアフィールドが
感情こめて歌います。

などと書いて、友達に貸しました。

全部で7本作ったようですが、
一体、いつ勉強していたのでしょうか。

↓は音楽番組を創作。

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司会を立て、ゲストを迎え、クイズまでやります。
この時のゲストは「シンギング・ビーバー」で、
遅く録音した声を早く再生しての一人二役。
本当に、いつ勉強していたのでしょう。

今回、段ボール箱を開いて、
思わずうめいたのが↓の日記

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高校入学から始めて、
1963年4月から1978年10月まで
途中の空白をはさんで長期に。
まあ、今のブログも、その延長です。

高校生らしく、
受験や友情や恋の悩みにあふれた
健全な思春期の日記

受験校を決める面接の日、
やはり一番を目指したいと決心し、
翌日、当時名古屋にいた父親に電話したことなどが出てきます。
一昨日書いた、大晦日の「メリー・ポピンズ」の鑑賞のことも。
入試は3月8日から10日まで3日間もかけて実施。
今もそうなんだろうか?

3月8日の試験日の日記に、こうあります。

自分でも驚くほど落ち着いていた。
一次の時は、教室に入れて何もさせずに
30分間も置くなんて、
なんていやなことをするのだろう、
と思っていたが、
今度は、その30分がありがたい。
左のポケットに○○さんの星
(好きだった女の子がくれた星型のお守り)を入れ、
それに触って過ごす30分の間に、
僕の心が洗われたというか、
すごく澄みきった、
何のこだわりもない心になれた。
胸も震えず、すごく落ち着いた、
どんなことが起こってもこわくない、
そういった気持ちになれた。
そこで僕が思っていたのは、
○○さんのことだけだった。
左の手に感じる暖かみ、
その向こうに○○さんの笑顔が見えた。
僕の合格を知ってよろこんでくれている、
あの人の笑顔。
僕が合格したら、あの人が喜んでくれる──
そう思った時、胸が熱くなった。
そうして心は落ち着いていった。

と、思春期真っ只中。

一日目は国語と数学。
感想は「やさしかった」
二日目は英語と日本史で、
感想は「英語は半分くらいか。
日本史は半分よりちょっと悪いだろう」
三日目は物理と化学。
感想は「よくて85点。落ちるか入れるか」

発表は3月21日。
リストの掲示は夜だったので、
学校でトランプ遊びをし、
友達の家で時間をつぶし、
山本(一力)の家を訪ね、
夕方、駒場の教養学部へ。
(当時、合格者の発表はここでした)

駅に着くと、既に発表されていた。
(聞けば、6時10分だったという)
早く見たい気がしたのだろう、駆け足になった。
人が大勢だ。
まわりは暗く、掲示板の前だけがライトに照らされている。
フラッシュがたかれ、カメラのジーッという音がする。
掲示板の方に近づいていく。
「大野」というあたりを探そうとするが、
(当時、発表は番号と氏名の両方で、
番号はアイウエオ順だった)
目がチカチカしてよく見えない。
番号を見ていくと、あった!
5038。○○○○。

当時、東大の合格者はラジオでも実名で読み上げられ、
12チャンネルでは、名前が順に出ました。
だから、その日のうちにクラスメートには合格が知れ渡っていました。

受験の時の「星」のお守りをくれた女の子とは、
交換日記をやりました。

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結局その子とは結ばれず、
その子は浪人時代に一緒に過ごした級友と結婚。

それと、学生時代に編集に関わった学生新聞も大量に出て来て、
映画や演劇の評が掲載されています。

その中で、昨日のブログに書いた「リア王」の演劇評が↓。

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冒頭、客席のドアを開け
荒々しく騎士たちが歓声を上げて飛び込んで来て、
そのまま舞台にかけ上る。
この瞬間から、観客は、
劇の世界にたたき込まれてしまう。
自分の座っているその席も、
この劇世界の空間の中にあることを知らされるのである。
見事な、そしていつもながらの蜷川演出だ。
シェイクスピアのリア王、というより、
むしろ、蜷川幸雄のリア王と言った方がふさわしいくらい、
日生劇場七月の舞台は
蜷川幸雄の体臭でムンムンしている。
登場人物たちは、一様に、
怒りと憎しみ悲しみを全身にたぎらせ、
怒鳴り、わめき、絶叫する。
それと共に高まる劇的興奮と緊張感は、
息もつかせない迫力だ。
役者の肉体の躍動と
叫びに似た台詞、
効果的な照明と哀切な音楽、
どれも、まさしく蜷川演出を構成する要素が
けんらんと舞台に炸裂する。
そして、見事な装置も
この蜷川演出を助けている。(装置朝倉摂)
ごつごつとした岩肌の傾斜舞台を
半球形にすっぽり包む背後の壁。
まるで洞穴の中のような閉ざされた世界に、
淡い光の下で人間の欲望が
悪霊の如くうめき、のたうつ不気味さ。
嵐の荒野で人間の真の姿に目覚め、
裸の狂人を見て、
「人間とはこれだけのものか!」
と叫ぶリア王が倒れる時、
背後の壁は、まっぷたつに裂け、
そこに巨大な太陽が空を覆う。

この劇的衝撃は、
目もくらむような迫力で観客を
人間の業と悲しみと憤りと、
やりきれない運命の縄目の中に誘うのである。
それは、一種、暴力的でさえある。
市川染五郎の好演もあって、
かつてない悲劇的感情が舞台を包む。
悪業が地に満ち、
「もう何でも悪事をしたくなるような」
どうしようもない状況の中で、
人は何に希望を見出そうとするのか?
蜷川演出らしい肉体の衝突の中で、
台詞はまるで無意味であるかのように軽くなる。
シェイクスピアの、
あの深い重い台詞は聞くことができない。
役者の力不足もあろうが、
演出が強烈すぎるのだ。
しかし、それもよかろう。
蜷川が意図したものは、
この希有の悲劇を借りて、
シェイクスピアを再現しようとしたのではなく、
あの新宿文化での悲壮劇の延長として、
現代の我々の絶望と苦悩を
描いてみせたかったのであるから。
しかも、それは成功しているのである。
シェイクスピアの上演の一方向を示したものといえよう。
絶望の果てに、
コーデリアの愛を取り戻しながら、
それでも悲劇の中に陥こんでいく「人間」とは一体何なのか。
「自然の傑作の破壊された」後に来るものは何か。
絶望を越えるものは何か。

おそらくヨブを想定したであろう、
荒野でのリアの姿。
なぜ正しい者が苦しみをなめねばならないのか?
息子に裏切られ、目をくり抜かれたグロースターは
オイディプスの姿か?
そのヨブとオイディプスという、
ヘブライズムとヘレニズムの
最も悲劇的人物が
絶壁で出会う時、
一人は狂人、一人は自殺を欲する目しいとして、
お互いを認めることができない。
この苦悩は、この悲しみは、
なぜ人間の上に課されなければならないのか。

この問いに、
この舞台は安易な解答や妥協を与えない。
ただ見る者は、
その絶望を課さるべく定められた罪を
自己の中に見出すのみである。
「最も年老いた者が最も苦しみをなめた。
若い我々は
これほどの苦しみをなめることは、
たえて無いであろう」
と最後の台詞が語られ、
一人一人が負うべき罪の縄目を知る時、
裂けた天は再び音もなく閉じていく。
閉ざされた世界が、
一人一人の演ずるべき悲劇として、
再び始まるのである。

42年も前の演劇評。
二十代の若書き
もうこんな文章は二度と書けないでしょう。





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