宝の箱・その2・演劇プログラム  身辺雑記

その2は演劇のプログラム
以前捨てたものとは別に、
古いものを、この「宝の箱」には入れておいたようです。

「マイ・フェア・レディ」
(1963年9月 東京宝塚劇場)

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東宝による、
ブロードウェイ・ミュージカルの日本上演第1作

それまでも東宝は「東宝ミュージカルズ」という名称で、
「モルガンお雪」など、ミュージカルの舞台を上演していましたが、
まさに「鳥なき里のコウモリ」で、
似て非なる、単なる「歌入り芝居」でした。

それを、ついに本格的ブロードウェイ・ミュージカルの上演という快挙。
その第1作にこの作品を選んだのは、炯眼と言えましょう。

というのは、
「マイ・フェア・レディ」とは、
1956年3月15日から
1962年9月26日まで
6年6カ月、2717回のロングラン記録を持つ、
大傑作ミュージカルだったからです。

ジョージ・バーナード・ショーの戯曲「ピグマリオン」を原作とし、
作詞・脚本アラン・ジェイ・ラーナー
作曲フレデリック・ロウ
その年のトニー賞もミュージカル作品賞をはじめ、
6部門を獲得しています。
主演はレックス・ハリソンとジュリー・アンドリュース
ジュリーは、当時ブロードウェイでは無名で、
この抜擢で一夜にしてスターになりました。
その時、20歳。

日本の初演のキャストは、
イライザ役に江利チエミ
ヒギンズ役に高島忠夫
ピカリングが益田喜頓
ヒギンス夫人に京塚昌子
フレディに藤木孝
ドゥーリトルに八波むと志
評判を呼び、翌年には同じキャストで再演されました。
この初演の時に、
日本では初めてカーテンコールの習慣が始まったとされています。

実は最初、ヒギンス教授は森繁久弥にキャスティング。
途中で森繁が降りてしまい、高島忠夫に。
ところがチケットには森繁の姿が印刷されていたため、
東宝のスタッフが総出で
森繁の顔が隠れるように日付印を押したそうです。
ヒギンス教授の歌は、
レックス・ハリソンが歌うような語るような歌い方をしており、
森繁はおそれをなしたのでしょうか。
しかし、森繁なら、やりこなせたような気がするのですが。

私の観劇日は9月15日。
当時高校1年生。
料金が高く、3階の後ろの方のチケットしか買えませんでした。


「春香伝」
(1973年4月 新宿コマ劇場)

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時代は少し下りますが、
↑は、江利チエミの新宿コマでの公演のプログラム。
演し物は、韓国の古い伝承による「春香伝」。

実は、当時、学生新聞の編集をしていた私は、
この公演を巡り、彼女にインタビューをしています。
コマ劇場の裏手の喫茶店での1時間ほどのインタビューで、
彼女は後で「今日、とても詳しい人が来たの」
と喜んでいたそうです。
驚いたのは、
カメラマンが撮った写真を見た時。
全部、使える写真。
やはりプロの女優はすごい、と感心しました。


「アンドロマック」
(1966年5月 日生劇場)

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大学に入った年の5月、
「誕生日のプレゼント何がいい?」
と姉に訊かれ、
「『アンドロマック』のチケット!」
と答えて、チケットをゲットしました。

ラシーヌの古典劇を浅利慶太が演出。
平幹二朗、日下武史、市原悦子、渡辺美佐子
ギリシャ時代の4角関係を演ずる舞台。
この4人の素晴らしいセリフが劇場に響きわたり、
酔いました。

当時の朝日新聞は、このように書いています。(抜粋)

日生劇場が上演中の
ラシーヌ作「アンドロマック」は、
外国の古典劇が、
日本でもこのように美しく、面白くやれるのだという、
一つの見本をみせている。

トロイの王妃アンドロマックにふんした市原悦子が、
夫を失った戦いの恐ろしさを回顧し、
わが子と共に敵の手に捕らえられた現在の境遇を嘆く時、
しめつけられるような感動が伝わってくる。

そのアンドロマックの語り口だけで、
トロイの城を包んだぐれんの炎が、
燃えさかり、渦巻くさまが、
劇場の中いっぱいにひろがってくる。

フランス古典劇が、
これほど見事に語られた例は、
はじめてのように思える。
市原だけでなく、
この芝居の他の三人の主役、
平幹二朗、日下武史、渡辺美佐子らのセリフの一つ一つが、
聞きごたえがあった。
ギリシャの英雄にふさわしい
堂々たる容姿の平幹二朗は、
これほどの役者だったのかと驚くほど
これまでの演技をひと回りもふた回りも突抜けた力量を示した。

こうしてみると、
ラシーヌが書いたのは、
遠い異国の、
やたらとむずかしい芸術とやらではなかったようだ。
これまで、このような古典劇がめったに上演されず、
たまにやられても
ガラス越しに物を見るような違和感があったのは、
作品のせいではなくて、
やり方が問題だったのだと、
この「アンドロマック」が改めて教えている。

一句一句にはっきりとした心理的な解釈を与えられた
ラシーヌの長いセリフは、
少しも長さを感じさせなかった。
人の心の中でめまぐるしくぶつかり合うさまざまな想念が、
明せきに語られたことで、
終始、劇的な緊張に快く身をまかせることができた。
これは何よりも浅利演出の功績だが、
それを表現しきった俳優もみごとである。

平、日下、市原、渡辺、この四人の俳優は、
間違いなく、
次の時代の新劇界の第一人者であろう。

開幕当初、空席が目立った動員も、
評判を聞きつけた観客によって
次第に埋まり、
最後は満員の盛況となりました。

大学1年の、貴重な演劇体験です。


「リア王」
(1975年7月 日生劇場)

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アングラ演劇の旗手・蜷川幸雄
東宝に招かれて「ロミオとジュリエット」を上演した1年後に
日生劇場で上演したシェイクスピア劇。
リア王を演ずるのは、市川染五郎(現九代目松本幸四郎)。

「リア王」は、シェイクスピアの中で最も好きな作品で、
いくつか新劇の舞台を観ていますが、
これは度肝を抜かされる舞台でした。
とにかく暴力的で情熱的で、
刺激的でダイナミックで猥雑。

それまで観てきた「リア王」が、
セリフを聞かせようとする
常識の範疇だったのに対し、
舞台の上で肉体がぶつかりあうような、
観客の気持ちをかきむしって
ひきずりまわすような
すごい舞台。

私の演劇経験で最高峰に位置するものです。

2008年の再演時の感想ブログは、↓をクリック。

http://star.ap.teacup.com/applet/shokuniku/20080127/archive


「近松心中物語」
(1979年2月 帝国劇場)

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翻訳劇やミュージカルを排した
日本の創作舞台の最高峰となった作品。

近松門左衛門の「冥途の飛脚」をはじめとする三作品を素材に
秋元松代が脚本を書き、
蜷川幸雄が演出。

これもまた、今まで誰も観たことのない
衝撃の舞台を造形しました。

冒頭、客席通路を通った花魁道中が
大阪の花街に登る演出から始まり、
舞台にエネルギーがはじけます。
そして、忠兵衛と梅川の道行で流れる
森進一が歌う「それは恋」(秋元松代作詞・猪俣公章作曲)。
これほど演歌と舞台が一体化するとは、
誰も思わなかった発想です。
そして、終幕、生き残ってしまった与兵衛に照明がしぼられる間に
スタンバイした群衆によって、
明るくなった舞台に花街の喧騒が再現され、
その中を奥に去っていく与兵衛・・・

夢を見たのではないかと目を疑うような
夢幻の舞台でした。
それを可能にした朝倉摂の装置も見事。

後に役者を代えて何度も再演されたものですが、
この時は初演。
平幹二朗、太地喜和子、菅野忠彦、市原悦子
4人のアンサンブルは、
後の誰がやっても適わない素晴らしさでした。
特に、心中に失敗した与兵衛の目に
幻影として登場する市原悦子のお亀が
奥の方からゆっくり回りながら「よへえさーん」と登場する場面は圧巻。

その後、明治座での再演では、
暗転中に劇場中に吹雪(紙製)が吹き荒れる演出で
明るくなった時、観客をあっと言わせました。

その蜷川幸雄も、
今は、向こう側に行ってしまいました。

蜷川幸雄逝去の追悼的ブログは、↓をクリック。

http://star.ap.teacup.com/applet/shokuniku/20160512/archive


「ジプシー」
(1975年8月 ワシントンDCのケネディ・センター)

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アメリカで初めて観たミュージカルが、これ。
(というのは間違いで、
この前年、サンフランシスコで「オリバー!」を観ていた。
プログラムが残っている、という意味では、アメリカ初)

昔のバーレスクの女王の実話の話。
バーレスクというのは、早い話がストリップ。
そのストリップのダンサーで有名なジプシー・ローズ・リー(本名ルイーズ)の
自叙伝をミュージカル化したのがこの舞台。
ただし、ルイーズが主役ではなく、
そのステージ・ママのローズが主演。

1960年にエセル・マーマン主演で初演。
1962年にナタリー・ウッドで映画化。
1975年版は再演で、主演はトニー賞の常連
アンジェラ・ランズベリー
適役で、この年のトニー賞ミュージカル主演女優賞を受賞。

ローズの一座が落ちぶれてバーレスクに出演し、
ひょんなことでルイーズが出演して肌をさらすことになり、
幕の後ろ側と前側が一瞬に転換する仕掛けの演出。
その初めての舞台で、
ルイーズが次第に演者として目覚めてくるスリル。
そして、終幕のローズとルイーズの確執と和解。
なかなかの人間ドラマでした。

その後、ベット・ミドラーでテレビドラマ化もされています。

日本では、1982年、草笛光子MIEで、
1991年、鳳蘭宮沢りえで上演。
どちらも私は観ています。


「不死鳥伝説」
(1980年8月 新宿コマ劇場)

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この「宝の箱」、演劇部門の最後を飾るのが、
山口百恵引退コンサートへ向けての
全国ツァーの最後(?)の舞台。
毎年8月に行われている「百恵ちゃんまつり」の第6回。

山口百恵のファイナルコンサートは、
1980年10月5日の日本武道館ですが、
そのチケットは取れないと思ったので、
コマ劇場でお別れ。

私がビデオテープレコーダーを買ったのは、
そのファイナルコンサートを録るためでした。

記念アルバムも
その後の様々なCDアルバムも購入。
今聴いても、
その明瞭な歌詞、安定した音程、
そして、真似できないあの声質に驚かされます。

「伊豆の踊り子」公開時には、
学生新聞の映画欄に、
「百恵は、将来、日本映画界を背負って立つ逸材になるかもしれない」
と書きました。
その後の全ての百恵映画はリアルタイムに観ていますが、
ついに「伊豆の踊り子」ほど感銘を与える作品はなかった、
というのが、正直な感想。

なお、映画評の記述は、
裕次郎登場時に、
朝日新聞が「狂った果実」の映画評に
「この裕次郎という青年は明日のスターになるかもしれない」
とあったのを、
真似てみたかったのです。
予言通りになりましたけれど。

押し入れの中の「宝の箱」にまつわる
私の想い出話に付き合ってくれて、
ありがとうございました。





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