小説『蜜蜂と遠雷』  書籍関係

[書籍紹介]

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ある国際ピアノコンクールを巡る青春群像を描く。
オーディションから本選までを過不足なく描ききる。
1142枚、二段組500ページの大部だが、
引きつけられスラスラ読め、
読んだ上で興奮し、感動するという、
なかなか得がたいい読書体験が獲得出来る。

3年ごとに開催される芳ヶ江国際ピアノコンクール
このコンクールでの優勝者が
世界最高峰のS国際ピアノコンクール(ショパンコンクールのことか)
で優勝しているため、
最近、とみに評価が高まっているコンクールだ。

90人が参加して、
5日間の一次予選をして、
二次予選に進めるのは24人だけ。
3日間の二次予選を経て、
三次予選に進めるのは12人
1日の休みをはさんで行われた2日間の三次予選
本選に進む6人が選ばれ、
2日間のリハーサルの後、
2日間の本選に至る。

まさか一次予選で敗退を想定している応募者はいないから、
本選までの十数曲を全て暗譜し、
練習して臨む。
それも一定の水準になるまで弾き込まなければならない。
全部の曲を同じ完成度にするのは至難の業だ。
大変な労力だが、
それがコンクールというものだ。
しかも一次や二次で落ちれば、
それまでの苦労も準備も全てパーになる。

課題曲、というものが指定されており、
一次予選では、
@バッハの平均律クラヴィーア曲集から
 フーガが三声以上のもの一曲
Aハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンのソナタから
 第1楽章か、第1楽章を含む複数楽章
Bロマン派の作曲家のものから一曲
という条件のもと、
これを20分以内に収めなければならない。
もちろん曲目は事前登録。

二次予選での課題曲は、
@ショパン、リスト(以下略)など
 指定された7人の作曲家の練習曲から
 異なる作曲家のもので二曲
Aシューベルト、メンデルスゾーン(以下略)など
 指定された11人の作曲家の曲から一曲ないし数曲
Bコンクールのための委嘱作品(自作するカデンツァ部分もある)
で、演奏時間は40分以内

三次予選は、
演奏時間60分を限度とし、
各自自由にリサイタルを構成
(ただし、一次予選、二次予選が演奏した曲は除外)

そして、最後の本選は、
指定されたピアノ協奏曲(12作曲家の27曲)中から
任意の一曲を選び、
オーケストラと共に演奏する。

聞くだけで気の遠くなるような話だが、
実際に世界ではこのようなコンクールが行われているのだ。

90人の応募者全員は描けないので、
本書は次の4人の人物に絞り込む。

@養蜂家の父とともに各地を転々とし
 音楽大学出身でなく、
 演奏歴やコンテストも経験がなく、
 自宅にピアノすらない少年・風間塵(かざまじん)、16歳。
 ピアノの大家ユウジ・フォン=ホフマン(故人)に見いだされ、
 推薦を受け、
 書類選考で落とされた者のためのオーディションで
 勝ち残ったピアニストで、
 聞いた審査員に賛否両論を呼ぶ、異色の演奏をする。
 出場後「蜜蜂王子」と呼ばれるようになる。

Aかつ天才少女として国内外のジュニアコンクールを制覇し、
 5歳でコンサートを開き、CDデビューもしながら
 13歳の時の母の突然の死去で
 コンサート会場から遁走して以来、
 長らくピアノが弾けなかった栄伝亜夜(えいでんあや)、20歳。
 「早く大成しすぎた天才」として侮蔑の視線にさらされていたが、
 音大の浜崎学長に再度見出され、その勧めでコンクールに参加。
 コンクールの中で大変な勢いで進化し続けて行く。

B音大出身だが今は楽器店勤務のサラリーマンで
 コンクール年齢制限ギリギリの
 高島明石
(たかしまあかし)、28歳。
 音楽大学出身でかつては国内有数のコンクールで5位の実績。
 卒業後は音楽界には進まず、
 現在は楽器店勤務のサラリーマンで妻娘がいる。
 だが、家には防音の練習室を備え、
 ピアノは、やめることはなかった。
 音楽界の専業者だけではない
 生活者の音楽があるとの強い思いがあり、
 最後との気持ちで、コンクールに応募した。

C名門ジュリアード音楽院のマサル・C・レヴィ= アナトール、19歳。
 日系三世のペルー人の母と
 フランス人の貴族の血筋の父を持つ。
 完璧な演奏技術と音楽性で優勝候補と目され、
 高身長の貴公子然で「ジュリアードの王子様」と呼ばれる。
 幼少の頃、日本にいたことがあり、
 その時、
 アーチャンと呼ばれる一人の少女のピアノレッスンに付き合い、
 それが契機でフランスに帰国後、
 ピアノの世界に入ったという経歴。
 その幼い時の少女が栄伝亜夜だということが
 後で判明する。

この4人を取り巻く人物として、
他の応募者が若干描かれるが、
刺身のツマ程度。
審査員の
ナサニエル・シルヴァーバーグ
嵯峨三枝子(さがみえこ)の
二人は本夫婦。
浜崎奏(はまさきかなで)は亜夜が通う音楽大学の学長の娘で、
同大学でヴァイリオンを学ぶ2年先輩でもある。
亜夜の才能を早くから見抜いており、
コンクールでは亜夜の付き添いとなる。
仁科雅美(にしなまさみ)は明石の元同級生で、
コンクールのドキュメンタリー番組の撮影で明石を担当する。
他に、舞台監督や調律師の存在もいい。

こうした魅力的な人物を配して、
その戸惑い、悩み、成長と脱皮を
コンクルーの中で描く。
その人物の物語以上に
演奏のシーンが素晴らしい。
音楽を文章で表現するなど、
不可能だとも思うが、
様々な切り口で
彼らの演奏を描写する。

たとえば、マサルの演奏を描いた一節。
 
マサルはバルトークを弾くたびに、
なぜかいつも森の匂い、草の気配を感じる。
複雑な緑のグラデーションを、
木の葉の先から滴る水の一粒一粒を感じる。
森を通り抜ける風。
風の行く手に、明るい斜面が開けていて、
そこに建てられたログハウス。
バルトークの音は、加工していない太い丸太のよう。
ニスを塗ったり、細工を施したりはしていないが、
木目そのものの美しさで見せる、
大自然の中のがっちりした建造物。
力強い木組み。素材そのものの音。
森のどこかで斧を打ち込む音が響く。
規則正しく、力強いリズム。
叩く。叩く。腹の底に、森の中に響く振動。
心臓の鼓動。太鼓のリズム。
生活の、感情の、交歓の、リズム。
叩く。叩く。指のマレットで、木を叩く。
叩き続けているうちに、トランス状態になる。
より力がこもり、打ち込む勢いは増す。
いっしんに。無心に、まっしろになって、叩く。
最後の一撃を加え、短い残響を残して音は止む。
静寂。森のしじま。

「音が聴こえるような気がする」
とは、ありきたりな表現だが、
まさにそのとおり。
読んでいる間、音(のようなもの)が頭に鳴り響く。

ピアノ曲を聞きたくなること必至で、
事実、私も後半、家にあるクラシックCD90枚組シリーズの
ピアノ曲とピアノ協奏曲を聴きながら読んだ。

途中のワクワク感と臨場感は半端ではない。
「構想12年、取材11年、執筆7年」との
プレスリリースの言葉が伊達ではなく、
音楽家でもない人が
よくここまて音楽について語れるな、と思う。
それが小説家の力というものだろう。
3年に1回開催される浜松国際ピアノコンクール
2006年第6回から2015年第9回まで、
途中からは執筆に並行して、4度も取材。
毎日、会場の座席で午前9時から夕方まで
ピアノ演奏を聴き続け、この小説に結実したのだという。

最後に本選に残った6人の
ピアノ協奏曲の演目。

ラフマニノフ、ピアノ協奏曲第3番ニ短調
ショパン、ピアノ協奏曲第1番ホ短調
プロコフィエフ、ピアノ協奏曲第3番ハ長調
ラフマニノフ、ピアノ協奏曲第2番ハ短調
バルトーク、ピアノ協奏曲第3番ホ長調
プロコフィエフ、ピアノ協奏曲第2番ト短調

選曲もそれぞれの個性に合わせている。
著者は執筆のために
どれだけの曲を聴いたのだろう。

へたな演奏を聴かされた後の審査員の反応が興味深い。

技術をチェックするために
コンテスタントたちの演奏を聴いていると、
どんなに虚心で聴く努力をしていても、
耳がなんとなく汚れてくる。
澱(おり)が溜まってくるとでもいうのか、
拭っても拭いきれない染みが
耳にこびりつく。
だんだん曲が音の塊と化し、
音楽として聴こえなくなってくるのだ。
しかし、高島明石の演奏は、
ちゃんと音楽として聴こえた。
耳の汚れを一掃してくれ、
耳がリニューアルオープンした、
という感じである。

亜夜の演奏についての記述。

プロとアマの音の違いは、
そこに含まれる情報量の差だ。
一音一音にぎっしりと哲学や世界観のようなものが詰めこまれ、
なおかつみずみずしい。
それらは固まっているのではなく、
常に音の水面下では
マグマのように熱く流動的な想念が鼓動している。
音楽それ自体が
有機体のように「生きて」いる。

明石が本選でラフマニノフを聴きながら、思うこと。

今舞台の上にいる彼も、
何千時間、いや、万単位の時間をレッスンに費やしてきて、
あそこにいるのだと思うと感慨深い、
同志のような気分になる。
コンテスタントだけではない。
後ろにいるオーケストラの団員も、
指揮者も、
子供の頃から気の遠くなるような時間を、
レッスンに、音楽に費やしてきて、
至上の瞬間を求めてここにいる。
凄い。
明石は素直に思った。
膨大な歳月が、情熱が
奇跡的に組み合わさったものを
今自分は目にしているのだ。
これだけ大勢の人たちが、
生涯をかけるだけのものがあると信じて、
この音を生み出しているのだ。
ふと、恐ろしくなった。
音楽家とは、なんという仕事なのだろう。
──なんという生業なのだろう。
なりわい、とはうまく言ったものだ。
まさに業(ごう)、生きている業だ。
お腹を満たすわけでもない、
あとに残るわけでもない。
そんなものに人生をかけるとは、
業としか言いようがないではないか。
そんな人たちが、ここにこんなにもいる。
それも、ここだけではなく、
ホールの外にも、町の中にも、
世界中にも──

本屋大賞受賞
直木賞も堂々の受賞。
本を読む歓びを与えてくれる本だ。
読まなければ、損をする。
おススメ

なお、一番最後のページに
コンクールの最終審査結果が出ているので、
解説を先に読もうなどと、
後ろからページをめくることは厳禁である。


直木賞の選考委員は、一人を除いて好意的だ。

浅田次郎
作者ならではの想像力が遺憾なく発揮された大作であった。
この作家の作品には一読者として長く親しんでいるが、
読み方には少々コツが要る。
作品の出来栄えも、溢れ出る想像力を
物語として包みこめるかどうか、
制御できるかどうかという、
作者自身の精神力にかかっていると思われる。
いわば才能のコントロールとでもいうべき、
困難な作業である。
すなわち作者は本作において、
非凡の才ゆえに強いられる困難を克服した。

宮城谷昌光
氏の候補作品が手もとにとどけられるたびに、
他の候補作品とはちがう俎を用意しなければならなかった。
おなじ俎上に乗らないわけは、
作品そのものが比較されることを拒絶していたからである。
ところが今回の『蜜蜂と遠雷』を読みはじめるとすぐに、
ようやくおなじ俎上に乗った、と安心した。
これは氏の許容量が大きくなったあかしであろう。
氏の作曲家論や音楽作品論について、
読書中に、異論をとなえたり反駁したりしたが、
あとで考えてみれば、そういうことばを誘発させるほど
作品に力があったということであろう。

宮部みゆき
実は、私は「インターミッション」まで読んだところで
インフルエンザで寝込んでしまいました。
何とか体調が戻ってまた読み始めた際、
そこまでの話の流れや登場人物たちのキャラクターが
細部まで心に焼きついていたので、
まったく中断の影響を感じませんでした。
その時点で、この作品の受賞を確信しました。

北方謙三
意味を把握する暇もないほど、
言葉が畳みかけられてくる。
音楽を小説の中で表現するのは至難であろうが、
言葉の洪水の中でそれがなし得ているというのは、
新鮮な驚きでもあった。
愚直なほどに、ピアノコンクールのことだけが
書き連ねられているのだと、
改めて思い返し、
小説は事件を書けばいいものではない、と強く自戒した。

高村薫
登場人物に人間の深みがない点で不満が残った。
(天才とは)十分に言語化できないということであり、
だからこそ天才の姿を描くのは困難なのだが、
作者はそのことに悩んだ形跡がない。
また、数十曲もの楽曲とその演奏を言語化する困難にも、
作者は力業で挑んでいるが、
どんなに大量の比喩が重ねられても、
そこから音楽は立ち上がってこなかった。
これは端的に、言葉の連なりが音楽の響きをもってくるような
文章には仕上がっていないということだろう。

林真理子
今回の受賞作は文句なしに「蜜蜂と遠雷」だなと思いつつ
審査にのぞんだ。
今回は堂々たる具象画である。
よくこれだけ描き切ったと感嘆してしまう。
ピアノのコンテストが主題であるから、
複数のピアニストがそれぞれ複数の曲を弾く。
しかし同じ描写がまるでないのである。
これは本当にすごいことだ。
これだけの人気作家にとっての何回かの候補は、
不本意に感じたこともあったかもしれない。
しかし今回このような傑作で直木賞をおとりになったのだ。
「つらいから」という理由で、
数回めの候補を降りる若い作家は、
ぜひ恩田さんを見習ってほしい。

東野圭吾
最も不満だったのは、
誰ひとり壁にぶちあたることもなければ挫折もしない点だ。
総じてあまりにも仕掛けが乏しく、
ストーリーに山も谷もない印象だ。
しかし私は本作を強く推した。
音楽を文章で表現するのは難しいが、
作者はありとあらゆる手を使い、
いたるところから言葉をかき集め、
その素晴らしさを伝えようとしている。
それがこの小説の読みどころであり、
作者の挑戦だと解釈した。

桐野夏生
長尺にも拘らず、一気に読めるのは作者の筆力故であろう。
特に興味深かったのは、嵯峨三枝子とシルヴァーバーグら、
コンクールの審査員側の関係と心理である。
なぜに、最終審査があの順位になるのか、
選ぶ側の思惑をもっと知りたかった。
でなければ、天才とは何か、
またコンクールとは何のためにやるのか、
はたまた人間にとって音楽とは何か、
という大きな謎に迫れない。

伊集院静
私にはこれが、
たとえ登場人物の大半が若者、子供のような年齢であれ、
人間が描かれているのだろうかと感じた。
そうだ、こんな感情もあり得るな、
と人物設定の枠からはみ出して行く、
小説本来の面白味に疑問を抱いた。
予定調和の物語を読んでいるようで、
氏の持つ小説世界とは別のものに感じられた。
しかし十分に読みごたえもあるし、
受賞にかなうものだった。






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