ノンフィクション『敗れざる者たち』  書籍関係

[書籍紹介]

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沢木耕太郎が昭和47年から51年にかけて、
複数の雑誌に掲載したノンフィクションを
一冊にまとめたもの。
昭和51年刊行だから、
内容は古いが、
描かれた本質は古びていない。

6編の作品が収められているが、
どれもスポーツに関する内容であり、
勝者の陰にいた敗者にスポットを当てている。
実際は敗者だが、
「敗れざる者たち」と題名をつけたところがミソ。

クレイになれなかった男

ミドル級のボクサー、カシアス内藤↓の

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釜山での柳済斗との試合を描く。
カシアス内藤は黒人とのハーフのボクサー。
リングネームの「カシアス」は、
黒人ボクサーということでカシアス・クレイから取った。
そこで「クレイになれなかった男」という題名になる。

16連勝し、20歳で日本ミドル級チャンピオンになった。
翌年、東洋ミドル級チャンピオンになり、
同年、柳済斗に東洋タイトルを奪われてから敗戦が続き、
忘れられた存在となっていた。
それが釜山に招かれて再戦する。
「噛ませ犬」として。

興味を引かれた沢木は内藤に会い、
釜山にまででかけて試合を観る。
凡庸で弛緩した試合で、判定負け。
帰国後会った内藤は、
「たった500ドルのファイト・マネーで、
ブンブンぶっ飛ばすわけにはいかなかったんだよ。
命がかかってんだからね」
とうそぶく。
「いつブンブンぶっ飛ぶの?」と訊くと、
「いつか、そういう試合ができるとき、いつか・・・」

続いて沢木は書く。

以前、ぼくはこんな風にいったことがある。
人間には、“燃えつきる”人間と
そうでない人間の二つのタイプがある。
しかし、もっと正確にいわなくてはならぬ。
人間は、燃えつきる人間と、そうでない人間と、
いつか燃えつきたいと望みつづける人間の、
三つのタイプがあるのだ、と。
望みつづけ、望みつづけ、
しかし“いつか”はやってこない。
内藤にも、あいつにも、あいつにも、
そしてこの俺にも・・・

その後、東南アジアを巡った後、
内藤は再起する。
その現場に立ち会って、
沢木は「一瞬の夏」というノンフィクションを書き上げる。

アリス「チャンピオン」は、
カシアス内藤をモデルにしたものだという。

三人の三塁手

同じ年に同じ無名の県立高校に入学した三人の少年は、
共に三塁手だったのだ。
思いもよらぬ契機から、
彼らはひとつの集団に属する。
誰かが誰かをはじきとばさなくてはならなかった。


「県立高校」とは、千葉の佐倉一高、
長野の松本深志高、大阪の高槻高、
「ひとつの集団」とは、読売巨人軍を意味する。

三人の三塁手とは、
巨人軍に所属した長嶋茂雄難波昭二郎↓、土屋正孝↓を指す。

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スターの長嶋と同時期に同じチームに所属したために、
レギュラーを獲得できなかった難波と土屋。
スポーツの世界についてまわる、
「巡り合わせ」の不運
長嶋を知る人はいても、
難波、土屋の名前は記憶には留まっていない。

長島は英雄だった。
難しい理由は必要なかった。
子供にも即座に理解できる英雄だった。
長島になりたかった。
野球選手になって長島になりたかった。
たとえ野球選手にならなくても長島になりたかった。
少しずつじぶんは長島でなく、
長島になれないのだということがわかってくる。
しかし高校生になり、
大学生になっても、
心のどこかに長島になることができたらと思いつづけてきたにちがいない。
もし長島になれたら・・・。


という記述は、同時代を生きた人間としてはよく分かる。
野球をあまり好きではなかった私でさえ、
東京六大学野球で、
長島が8本塁打の新記録を打った、
という新聞記事を目にしているくらいなのだから。

もしも長島になれたら!
しかし、ぼくらはついに長島たりえなかった。
だからだろうか、
やはりついに長島になりえなかった二人の男に、
強く心を魅かれるのは・・・


長距離ランナーの遺書

長距離ランナーとは、
円谷幸吉
(正しくは、つむらやこうきち)のことである。

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1964年の東京オリンピックの最終日、
マラソンで一位のアベベに次いで国立競技場に戻って来た円谷は、
後から追ってきた、
イギリスのヒートリーに抜かれて銅メダルとなる。

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しかし、銅になったとはいえ、陸上競技で唯一のメダル。
国立競技場にひるがえった日の丸に
胸を熱くした思いは今でも忘れない。

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そして、その3年3カ月後、
円谷が自殺をしたという知らせに
日本中が衝撃を受けた。

更に、その遺書が公開されると、
衝撃は更に深まった。

父上様母上様三日とろろ美味しうございました。
干し柿もちも美味しうございました。
敏雄兄姉上様おすし美味しうございました。
勝美兄姉上様ブドウ酒リンゴ美味しうございました。
巌兄姉上様しそめし南ばんづけ美味しうございました。
喜久造兄姉上様ブドウ液養命酒美味しうございました。
又いつも洗濯ありがとうございました。
幸造兄姉上様往復車に便乗さして戴き有難とうございました。
モンゴいか美味しうございました。
正男兄姉上様お気を煩わして大変申し訳ありませんでした。
幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、
良介君、敬久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、光江ちゃん、
彰君、芳幸君、恵子ちゃん、幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正嗣君、
立派な人になってください。
父上様母上様 
幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。
何卒お許し下さい。
気が休まる事なく御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。
幸吉は父母上様の側で暮しとうございました。

川端康成は、この遺書について、
「相手ごと食べものごとに繰りかへされる
〈美味しゆうございました〉といふ、
ありきたりの言葉が、
じつに純ないのちを生きてゐる。
そして、遺書全文の韻律をなしてゐる。
美しくて、まことで、かなしいひびきだ」
と語り、
「千万言も尽くせぬ哀切である」と評した。

当時の関係者からは
「ノイローゼによる発作的自殺」
「選手生命が終わったにもかかわらず
指導者に転向できなかった円谷自身の力不足が原因」
など様々な憶測が語られたが、
三島由紀夫はこれらの無責任な発言に対し
『円谷二尉の自刃』の中で、
「円谷選手の死のやうな崇高な死を、
ノイローゼなどといふ言葉で片付けたり、
敗北と規定したりする、
生きてゐる人間の思ひ上がりの醜さは許しがたい。
それは傷つきやすい、雄々しい、美しい
自尊心による自殺であつた」

と強い調子で批判し、最後に、
「そして今では、地上の人間が何をほざかうが、
円谷選手は、“青空と雲”だけに属してゐるのである」
と締めくくった。

沢木の筆によれば、
体の不調や指導者の交代や
結婚を自衛隊によって破談にもちこまれたこと、
その婚約者の結婚の報が自殺直前にもたらされたこと
などに注目しているが、
自殺した人の心の内など、
誰が憶測しても測れるものではあるまい。

ヒートリーに抜かれた原因として、
「自分はレース中、
決してうしろを振り向かないから、
ヒートリーが、こんなにぴったりついているとは
少しも知らなかった」
と述べているが、

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円谷が小学校の時、
運動会の徒競走の時、
先頭を走っていて、
後ろを一瞬振り向いたことを、父から
「男が一度こうと決めて走り出した以上、
どんなことがあっても
後を振り返るなんてことを、
するじゃねえ」
と言われた話が載っている。

その父親は、民家を改造して作った「円谷幸吉記念館」で寝起きし、
その部屋の日だまりで日向ぼっこをしながら
浪曲「円谷幸吉物語」を聴くのが好きだったという。
しかし、死の一年前くらいからは
浪曲も聴かなくなり、
ぼんやりと窓の外の景色を見ていることが多くなったという。
その目には何が写っていたのだろうか・・・

イシノヒカル、おまえは走った!

皐月賞のすさまじい追い込みを見せたことから、
ダービーのダークホースと目されたイシノヒカル↓が、
善戦むなしく負けるまでを描く。

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生まれてこの方、
競輪競馬に縁がなく、
ギャンブルといえば、
ブラックジャックしかしたことがない私には、
縁遠い話だった。

さらば宝石

昔、毎日オリオンズというプロ野球チームがあった。
(1957年大毎オリオンズ、1964年東京オリオンズ、
 1969年ロッテオリオンズ、1991年から千葉ロッテマリーンズ)
その「ミスター・オリオンズ」と呼ばれたという選手を取り上げる。

背番号「3」を背負って選手として、
長島より1年長くプレー。
長島と同い年で、
生涯記録も長島と比べてそれほど遜色なく、
川上哲治、山内一弘に次いで
史上3番目に(つまり、長島より早く)2千本安打を記録、
「安打製造機」と呼ばれた人物だ。
その栄光と下降の記録。
理解者を失い、
仲間が次々と消えていった不運の記録。

「E」という仮名で書いた文章は、
最後の一行で実名を明かす──榎本喜八がその名前である。

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ドランカー<酔いどれ>

1976年(昭和51年)2月17日に
両国の日大講堂で行われた
輪島功一↓と柳済斗との

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WBA世界ジュニア・ミドル級タイトル・マッチ15回戦を描く。
輪島にとっては、前年6月に
初防衛戦で柳済斗に敗れてタイトルを奪われた
リターン・マッチだった。

沢木はこの試合に、カシアス内藤にチケットを送っていた。
日本にいるのかも不明で、来ることが期待できないチケットだった。

試合経過は克明に追われ、
15回KO勝ち。
この本で唯一の「勝者」である。

全編、才能がありながら、優しすぎたり真面目すぎたり、
運に恵まれなかったり、機会を逃したりして、
勝者になれなかった人たちの記録。
スポーツには、
勝者のかげに必ず敗者があることを思い知らされる。
そして、敗者の中にも
勝利と言える瞬間があったことを伝えてくれる。

昭和51年当時、
このようなノンフィクションがあったことに驚嘆する。
栄光を掴みそこなった人々へのレクイエムのようである。





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