講演『システィーナ礼拝堂』  美術関係

私はミケランジェロ「アダムの創造」が大好きだ。

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あのバチカンのシスティーナ礼拝堂

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天井画である。

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もし神様が
「今度、世界中の美術品を全て消滅させることにした。
たが、お前の願いを受け入れて、
一つだけ残すことを許してやろう。
何にする?」
と訊いてきたら(そんなことはあるはずもないが)
即座に
「『アダムの創造』を残して下さい」
と言うだろう。

システィーナ礼拝堂には3度訪れた。
うち1度、同行者から
「好きな人と会っているような顔をしていたよ」
と言われたことがある。

あの空間にいるだけで
陶然としてしまう。

そのシスティーナ礼拝堂について、
美術史家エリザベス・レヴの講演があるので、
観たい方は、↓をクリック。

https://youtu.be/lQflBowgVB4

途中、絵画の実物が沢山写る。

観るヒマのない方は、
↓の講演録をどうぞ。

[解説]

システィーナ礼拝堂は
地球上で最も象徴的な建物ですが、
知られていないことも沢山あります。
美術史家エリザベス・レヴが巧みに案内してくれるのは、
この有名な建物の天井画の全体像、
そしてミケランジェロが生き生きと描いた、
いにしえの物語です。
そして彼が当時の宗教的な図像を乗り越えて、
新しい芸術の海図を作り上げていった様子を教えてくれます。
レヴによれば、ミケランジェロがこの絵を描いて500年経った今、
私たちはシスティーナ礼拝堂によって、
鏡を覗くように世界を見て、
自問するように仕向けられます。
「自分は何者か、そして人生という大舞台で
自分はどんな役を演じているのか?」と。

[講演翻訳]

ローマにいる自分を想像してください。
向かっているのはバチカン美術館。
長いい回廊をゆっくり歩き
彫刻やフレスコ画など様々なものの横を過ぎます。
目指しているのはシスティーナ礼拝堂。
長い回廊と階段と扉を抜けた先に
礼拝堂の入り口が現れます。

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あなたなら何を期待しますか?
広々としたドーム?
天使の聖歌隊?
実はそういうものはありません、
こう考える方がいいかもしれません。
何があるでしょうか?

礼拝堂の壁にかかっているのはカーテンです。
壁に描かれたカーテンに文字通り囲まれます。
これが礼拝堂本来の装飾です。
教会ではタペストリーを使って
長いミサの間寒さをしのぐだけではなく
「偉大なる生の劇場」を表したのです。
この人間ドラマは私たち全員が役割を与えられた
壮大な物語全世界を組み込んだ物語であり
システィーナ礼拝堂の絵画は
3つの段階に沿って展開していきます

ここは当初富と教養を持つ
少数のキリスト教聖職者用に建てられた空間でした。
彼らはここで祈り、ここで教皇を選出しました。
500年前、ここは聖職者のための究極の「男の隠れ家」でした。
ではなぜこの場所が多種多様な文化を持つ人々を
毎年500万人も引きつけ、魅了するようになったのでしょうか。
それはこの狭い空間に
創造性が爆発しているからです。
地政学的な新たな領域の発見という
熱狂的な興奮に触発されて
古くからの教会による布教の伝統に火がつき、
歴史上最も偉大な芸術作品が生まれたのです

この発展は大きな進歩であり、
少数のエリート層に始まり、
最終的には世界中の大衆という観客に向けて
語りかけることになりました。
この進歩は3つの段階を経ていて
それぞれが歴史的な出来事に結びついていました。

最初の段階はかなり限定的で
とても狭い見方しか反映していませんでした。
2つ目の段階はコロンブスの歴史的な航海によって
世界観が劇的に変わることで生じたものです。
そして3つ目の段階は「発見の時代」がかなり進み
教会がグローバル化という試練に立ち向かっていた頃でした。

この教会の元々の装飾は小さな世界を反映しています。
キリストやモーゼの人生を語る活気に満ちた場面があり、
ユダヤ教徒やキリスト教徒の進歩を表しています。
これを発注した教皇シクストゥス4世は
フィレンツェ画壇のドリームチームを結集しました。
そこにいたのはサンドロ・ボッティチェリや
後年ミケランジェロの師となるギルランダイオなどです。
彼らは純粋な色の装飾で壁を覆い尽くしました。
この物語の中に見慣れた光景があるのがわかるでしょう。
ローマにある史跡やトスカナの風景を取り入れることで
はるか彼方の物語を親しみやすくしています。
教皇自身の友人や家族も描き加えられ、
欧州大陸の小さな宮廷の装飾にはぴったりでした。
ところが1492年に新世界が発見された頃には
世界がどんどん広がり、
奥行き40m、幅14mのこの小宇宙も
広がる必要に迫られました。
そしてそれは実現しました。
豊かな創造性とビジョンに恵まれた
一人の天才と素晴らしい物語のおかげです。

この天才こそミケランジェロ・ブオナロッティ。
1100平方メートルある天井の装飾を依頼された時は33歳でした。
彼は苦境に立っていました。
絵画の修行もしましたが
彫刻を極めるために辞めました。
フィレンツェには怒り狂った依頼人が沢山いました。
未完成の依頼を山のように残し、
一大彫刻プロジェクトを期待してローマに行ってしまったからです。
でもその計画は反故になってしまいました。
彼に残されたのはシスティーナ礼拝堂の天井の
装飾的な背景に重ねて十二使徒を描く契約だけでした。
イタリア中どこにでもあるような装飾画です。

ところがこの天才は挑戦します。
人間が勇敢にも大西洋を横断したこの時代に
ミケランジェロは新しい芸術の海図を作ろうしたのです。
彼も物語を伝えようとしました。
ただし使徒の物語ではなく
偉大なはじまりの物語つまり『創世記』の物語です。

天井に物語を描くのは容易な仕事ではありません。
どうすれば19m下から
活気あふれる情景を読み取ることができるでしょうか?
200年間フィレンツェの工房に伝わってきた絵画の技法は
このような物語を描くには不十分でした。

ただミケランジェロの本職は画家ではなかったので
自分の強みを生かすことにしたのです。
彼は空間を群衆で満たす技術を身につける代わりに
ハンマーとノミを手に大理石の塊を彫り
その中から人物像を取り出しました。
ミケランジェロは本質を重視し
物語を伝えるために
躍動感あふれる堂々たる肉体を使いました。

この計画を支持したのは非凡な教皇ユリウス2世でした。
この教皇はミケランジェロの大胆な才能を恐れませんでした。
教皇シクストゥス4世の甥で
30年間芸術にどっぷり浸かっていたので
その力を心得ていました。
歴史上「戦う教皇」の異名をとった彼ですが、
バチカンに残したのは要塞でも砲台でもなく、
芸術でした。
ラファエロの間やシスティーナ礼拝堂、サン・ピエトロ大聖堂や
大規模なギリシャ・ローマ彫刻のコレクションを後世に残したのです。
確かにキリスト教的ではありませんが
このコレクションは世界初の近代的美術館
バチカン美術館の基礎となりました。
ユリウスという人物は、
壮麗さと美を通してバチカンに永遠の意義を与えようと考えました。
その判断は正解でした。
ミケランジェロとユリウス2世という
2人の巨人の出会いが、システィーナ礼拝堂を産んだのです。
ミケランジェロはこの計画に没頭
し3年半で完成させました。
最小限の人員しか使わず、
何時間にも渡ってほとんどの時間を
頭上に手を伸ばして天井に物語を描いたのです。

ではこの天井画を見ながら
物語が世界に広がる様子を見ていきましょう。
芸術と私たちの世界の間にありふれた関係はもう存在しません。
そこにあるのは空間と構造とエネルギーだけです。
9枚のパネルを取り囲むように堂々たる枠が描かれ
絵画的な色彩というより彫刻的な形態に突き動かされます。
私たちは入り口の近く部屋の端に立っています。
祭壇から離れた場所゛聖職者用の入り口がついた柵から
私たちは覗き込んで
遠くにある始まりを探します。
科学的な探求であれ聖書の伝統であれ
私たちはまず原初の光を考えます。
ミケランジェロは原初のエネルギーを
光と闇が分かれる様と
遠くにぼんやりと躍動する姿を
狭いスペースに描き込むことで表現しました。
次にその姿はより大きくなり
左から右へすごい勢いで動いていくのが見えます。
その後には太陽と月と植物が残されます。
他の画家とは違い
ミケランジェロは創り出された物に焦点は合わせません。
創造という行為自体に注目したのです。

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そして詩の休止のように動きは静まり、
創造主は停止します。
何をしているのでしょう?
造っているのは大地でしょうか
それとも海でしょうか?
あるいは自分が造った宇宙やいろいろな宝物を振り返り
ミケランジェロと同じように
天井にある自分の創造物を振り返って「良し」と言っているのでしょうか。

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これで場面は整い
いよいよ創造のクライマックス
男の創造に至ります。

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アダムは暗い背景に明るく描かれ際立っています。
でもよく見ると足は地面の上に力なく置かれ
腕は膝の上に重く寄りかかっています。
アダムには偉大さへと突き進むような内面の輝きがありません。
創造主はその輝きを指先から与えようとしています。
アダムの手との間はわずか1ミリです。

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これを見て私たちは夢中になります。
なぜならもう少しで指が触れ
人間が自分の目的を見つけて立ち上がり
創造物の頂点を極めようとしているからです。

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ここでミケランジェロは変化球を投げます。
もう一方の腕の中にいる人物は?
最初の女性イヴです。
でもイヴは単なる思いつきではなく
筋書きの一部で、
最初からミケランジェロの頭にありました。
イヴを見てください。
腕を神の腕に回すほど親しいのです。
21世紀アメリカの美術史家である私にとって
この時がまさに絵が語りかけてきた瞬間でした。
ここで表現された人間ドラマは
男と女のドラマだと気づいたからです。
だからこそ天井の心臓部となる中心には
アダムの創造ではなく女性の創造が描かれているのです。
確かにエデンの園では2人は一緒でしたし、
堕落する時も一緒。
堂々とした姿が恥ずかしさのあまり前かがみになるのも一緒でした。

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今天井の重要な地点に差し掛かったところです。
教会の中でもこれ以上進めない地点にいるのです。
入り口のついた柵で内部の祭壇には近づけないので
まるで追放されたアダムとイヴのようです。
天井に描かれた後の場面は
人でごった返す私たちの周りの世界を反映しています。

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ノアと箱舟と洪水、
生贄を捧げ神と契約するノア、
彼は救世主かもしれません。
その一方でノアはブドウを育てワインを作って泥酔し
納屋の中で裸で眠りこみます。

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天井画のデザインとしては奇妙です。
生命を創造する神に始まり
納屋で泥酔する男に至るのですから。
アダムと比べてみると
ミケランジェロが私たちをからかっていると思うでしょう。

でも彼はノアの真下に明るい色彩を配置して
暗さを吹き飛ばします。
エメラルド色橙色緋色の預言者ゼカリアです。

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ゼカリアは東から光がさすことを預言し
その瞬間私たちの目は新たな方向へと向けられます。
巫女や預言者たちが列をなして私たちを導いてくれます。
道中の安全を確保する英雄たちに導かれ
母親や父親にしたがって進みます。
彼らが動力となって偉大な人間のエンジンを前進させます。

さてとうとう私たちは天井画の要、
すべてが最高潮に達する場所に至ります。
そこには自分の領域から抜け出し
私たちの空間を蝕む人物がいます。

ここが最も大事な局面、
過去が現在と出会う場所です。
この人物ヨナは3日間クジラの腹の中で過ごしたので
キリスト教徒にとってはイエスの犠牲を通した
人間の復活を象徴します。
ただ毎日ここを訪れる
あらゆる信仰を持った大勢の訪問者にとって
ヨナは遠い過去が今の現実と出会う瞬間を表しています。

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これらすべてに導かれ
ぽっかりと開いた祭壇のアーチにたどり着き
目にするのがミケランジェロの『最後の審判』です。

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世界が再び変容した後の1534年に制作されました。
宗教改革により教会は分裂し
オスマン帝国はイスラムの名を世に広め、
マゼランが太平洋航路を発見していました。
ベニスより遠くに行ったこともない59歳の芸術家は
この新世界にどう語りかけるのでしょう?
ミケランジェロが描こうとしたのは宿命であり
優れたものを後世に残したいという人類共通の普遍的な欲求です。
『最後の審判』というキリスト教的な視点で世界の終わりを語るため
ミケランジェロは驚くほど美しい肉体を持った人々の姿を描きました。

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いくつかの例外を除き、何も身につけておらず、
誰かの肖像でもなく、肉体だけで構成され
この391人の中に、一人として同じ者はいません。
私たちと同じでそれぞれが唯一の存在です。
人々は下の隅にある地面から抜け出し上昇しようともがきます。
昇天した人々は他の人を救うため手を伸ばします。
この素晴らしい場面では
黒人と白人が一緒に引き上げられていて
新しい世界における人間の調和を見事に表現しています。
画面で一番大きな部分は勝者に与えられています。
そこにはスポーツ選手のような全裸の男女がいます。
彼らこそ困難を乗り越えた人々、
つまり困難と戦い障害を克服する人間像という
ミケランジェロの想像の産物です。
まるでスポーツ選手のようです。
男性と女性が途方もないスポットライトの中で
体を曲げポーズをとっています。

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この集団を統率するのはイエスです。
十字架上で苦痛に耐えていた男が
今では栄誉に満ちた天国の支配者なのです。
ミケランジェロが絵画で示したように
苦難や挫折や障害は美徳を封じるどころか生み出すのです。

ところでこれは奇妙な結果を招きます。
ここは教皇の私的な礼拝堂ですが
「ひしめく裸体」と呼ぶのがもっともふさわしいでしょう。
それでもミケランジェロは最高の芸術的言語を使おうとしました。
考えうる最も普遍的な芸術上の言語、
つまり人間の肉体です。
だから不屈の精神や自制といった美徳を示す方法を使うのではなく、
ユリウス2世の見事な彫刻コレクションからヒントを得て
内面的な強さを外から見える力として表したのです。

ところで当時の人はこう書き残しています。
この礼拝堂はあまりにも美しいので論争は避けられないだろうと。
実際そうなりました。
印刷機のおかげで
裸体に対する批判が広まっていることが
ミケランジェロの知るところとなりました。
すぐにこの人間ドラマの傑作は「ポルノ」というレッテルを貼られました。
彼が肖像を2つ描き加えたのはその頃です。
1つは彼を非難した儀典長の肖像、
もう1つは自分自身の肖像をスポーツ選手ではなく
乾いた皮として、苦痛に耐える殉教者の手元に描きました。

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彼が亡くなる年、
数名の人物に覆いが描き加えられました。
彼が説いた栄光は余計なものに邪魔されました。

さて私たちは今この世にいます。
始まりと終わりの間にあるこの空間、
壮大な人間の経験全体に閉じ込められています。
私たちはシスティーナ礼拝堂で
鏡を覗くように周りを見ます。
自分はこの絵の中の誰だろう?
群衆の中にいるのか?
あの酔っ払いだろうか?
あのスポーツ選手だろうか?
そして心躍る美の楽園を出る頃には
私たちは人生最大の疑問を抱くようになります。
自分は何者か、
人生という大舞台で自分はどの役なのか、
という疑問です

ありがとうございます

(拍手)

(ブルーノ・ジュッサーニ)
エリザベス・レヴありがとう。
あなたはポルノの話題を出していましたね。
当時の人々にとってヌードや日常の場面や
不適切なものが多すぎたという点です。
ただ問題はより深刻です。
単に覆いを描き加えたことが問題なのではなく
芸術が破壊される寸前だったんですから。

(エリザベス・レヴ)
『最後の審判』は大きな影響力を持ちました。
印刷術によって誰でも見られるようになったためです。
この問題も1〜2週間で起こったわけではなく、
20年もの期間に渡って続いた問題でした。
教会にはこんな評論や批判が寄せられました。
「教会が我々に生き方を説けるわけがない。
教皇の礼拝堂にはポルノがあるではないか」
こんな批判や、作品を破壊しようする主張がありましたが
ミケランジェロが亡くなった年に
教会はやっと作品を守るための妥協案を思いつきました。
それが30枚の覆いを描き加えるということでした。
ちなみにイチジクの葉を描く習慣は
ここから始まりました。
教会は芸術作品を守ろうとしたのであって
汚したり破壊する気はなかったのです。

(ブルーノ)
今の話はシスティーナ礼拝堂でよく耳にする
ツアーガイドとはまったく違いますね。(笑)

(エリザベス)
どうでしょうそれは宣伝ですか?(笑)

(ブルーノ)
いえいえそうではなく私の意見なのですが
現在芸術を体験する時、いくつか問題があります。
その場で見ようとする人があまりにも多く
500万人が礼拝堂の小さなドアをくぐりますが
それは私たちが今経験したのとはまったく違うのです。

(エリザベス)
そうですね立ち止まって見るのは確かにいいことです。
ただ理解して欲しいのは毎日2万8千人が訪れていた頃
たくさんの人々が一緒に周囲を見回しながら
素晴らしさを感じていた頃だって
500年前の壁画が
自分の周りに立っている人々全員を惹きつけ
みんなが天井を見上げて感動していたのです。
これは時間や地理的空間を超え
私たち全員に本当の意味で美が伝わることを見事に証明しています

(拍手)

ミケランジェロの天井画製作にまつわる過程は、
映画「華麗なる激情」に詳しい。

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ミケランジェロはチャールトン・ヘストン
ユリウス2世はレックス・ハリソンが演じた。
監督はキャロル・リード

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夜中、足場を登って、ユリウス2世が絵を見に来、
アダムの創造を見て、言う。
「この絵は美しいけれど、嘘だ。
人間はこんなに美しくはない」
ミケランジェロはこう答える
「これは罪を知る前のアダム、
神に対して全幅の信頼を寄せていた時の姿です」

また、ユリウス2世は言う。
「戦争に強い教皇などいくらでもいる。
私が後世に名前を残すとしたら、
戦争によってではなく、
お前にこの絵を描かせたということによるだろう」

そのとおりになった。

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