得票ゼロ  様々な話題

新潟県阿賀町で4月23日に行われた町議選で、
得票数ゼロという候補者が出た。

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定数12に対して、現職12人、新人3人の計15人が立候補
有権者は1万373人で、
7854人が投票。
投票率は75.72%だった。
その結果は↓。

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当選者で得票数が1番少なかったのは427票で、
この男性の次に得票数が少なくて落選した候補でも、
246票を獲得している。

得票ゼロの候補者は60歳の無職男性の新人候補。                 
家族はいないのか、親戚はどうしたのか、
ちゃんと選挙運動をしたのか、
等々疑問は残るが、詳細は不明。

少なくとも自分は自分に投票しているはずで、
実際、本人は、
自分の名前を漢字で書いて投票したと言っている。
だとしたら、よほど汚い字で、
「判読不明」として無効票となった可能性があるという。
ちなみに、無効票は100票あった。

男性は取材に対し
「驚いたが、すでに結果が出ていて騒いでも仕方がない」
と話した。
もしかして、自分に投票していないのかもしれない。

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昔は(いつまでかは知らないけれど)、
自分で自分に投票する行為は、
あまりほめられた行為ではない、と思われていた。
事実、子どもの頃の学級委員選挙でも、
自分の名前は書かなかったと思う。

その「自分で自分に投票するのは恥ずかしい行為」
というのを扱った小説に、
菊池寛「入れ札」がある。

国定忠次(忠治)が子分と共に信州路へ逃れていく途中の話。
忠次の心を苦しめているのは、子分の始末だった。
赤城山へ籠った当座は、50人に近かった子分が、
途中次々と脱落し、あるいは捕らえられ、
その時には11人しか残っていなかった。
これ以上、大人数を連れて歩くわけにもいかず、
かといって一人きりになってしまうことも困る。
信州追分の親分の家に、転がり込むにしても、
国定村の忠次とも云われた貸元が、
子分の一人も連れずに、顔を出すことは、
沽券にかかわることだった。
手頃の子分を二三人連れて行くとしたら、
一体誰を連れて行こう。
内心は連れていく子分の心づもりはあったが、
今まで命を捨てて着いてきてくれ子分の中から
二三人を引き止めて他に暇をやることが、
どうしても気が進まなかった。

意を決した忠次は子分を集め、
二三人だけを連れて、ここで別れたいと告げ、
その人選をどうするかを持ちかける。
様々な案が出ては否決されていく中、
忠次は卑怯な提案をする。
子分たちが投票(入れ札)して、
得票数(札数)の多い者から3人だけ連れていこう、というのだ。
自分では決められず、子分たちの手に委ねたのである。

半紙と筆が準備される中、
主人公に焦点が当たる。
稲荷の九郎助
年齢から見ても、履歴(?)から見ても、
忠次の身内では、第一の兄貴分なのだが、
忠次からも子分たちからも軽んじられ、
後輩である浅太郎や喜蔵に追い越されてしまった存在だ。

九郎助は密かに票読みを行う。
浅太郎に4枚(票)、喜蔵に3枚入るとして、後4枚残る。
自分の1枚をのけると3枚。
もし、その中、2枚が、自分に入れられていれば、
3人の中に加わることは出来るかも知れない。
誰が入れてくれるか、
弥助の他には思い当らない。
弥助も九郎助と同様に、古顔だが、
後輩の浅太郎や、喜蔵などが、台頭して来るのを、
常から快からず思っているから、
こうした場合には、きっと自分に入れてくれるだろう。
事実、弥助は筆を渡すときに、
九郎助の顔を見ながら、意味ありげに、
ニヤリと笑った。
「お前を入れたぜ」と云うように。

あと1枚。
その1枚が、九郎助には生死の境、栄辱の境であるように思われた。
入れ札に洩れて、年甲斐もなく置き捨てにされることが
どうしても堪たまらなかった。
浅太郎や喜蔵の人望が、
自分の上にあることが、まざまざと分かることを、
どうしても認められなかった。

催促されて、九郎助は「くろすけ」と書く。

開票結果は、
浅太郎と喜蔵が各4枚。嘉助が2枚。
九郎助は──1枚。

自分以外には、誰も投票しなかったのだ。
あの弥助さえ。

忠次は自分の思い通りの人選が出来たのに満足し、
お金を分け与え、子分たちと別れる。

子分たちがそれぞれの方角に散っていくと、
九郎助も山を下る。
九郎助は、落選した失望よりも、
自分の浅ましさが、ヒシヒシ骨身に徹こたえた。
みんな親分の為を計って、浅太郎や喜蔵に入れたのだ。
そう思うと、自分の名を書いた卑しさが、
いよいよ堪えられなかった。

九郎助の後から声をかける者があった。弥助だ。
一緒に歩きながら弥助は言う。
「浅や喜蔵は、いくら腕っぷしや、才覚があっても、
お前に比べればホンの小僧っ子だ。
十一人の中でお前の名をかいたのは、この弥助一人だと思うと、
俺ああいつらの心根が、全くわからねえや」
怒りに全身を震わせ、弥助を斬ってやろうかと思う。
しかし、弥助の嘘を咎めるのには、
自分の恥を打ち明けねばならない。
口先だけの嘘を平気で云う弥助でさえ考え付かないほど、
自分は卑しいのだと思うと、
頭の上に輝いている晩春のお天道様が、
一時に暗くなるような味気なさを味わうのだった。

この話、好きです

九郎助の、古参であるというだけで、
親分からも子分の仲間たちからも
軽んじられた立場に対する悲哀。
能力もなく、人望もない、自分自身への評価。
そして、自分で自分に投票するという
恥ずかしい行為に対する自己嫌悪と、
弥助の嘘をとがめるには、
自分のしたことを明らかにしなければならないという、
複雑な立場・・・

この痛みを内包しながら、
九郎助は、その後生きていかなければならないのだと思うと、
胸が切なくなります。

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倉本聰に、こんな作品があります。

町会議員に立候補した男(たしか、フランキー堺がやっていた)が、
妻と娘と一緒に選挙運動にいそしむ。
投票結果は──2票しか入らなかった。
自分は確かに自分に投票した。
あと1票は、妻か、娘か。
裏切ったのはどちらか。
結果はどうだったか、忘れました。

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古い話ですが、
その2票で当選した例があります。

1933年(昭和8年)2月11日、

兵庫県多紀軍の後川村(しつかわむら)の村会議員選挙で、
得票数2票で当選者が出た。

当日は猛吹雪で棄権者が約5割もあり、
酒造出稼者も投票に帰ってこなかった。
議員の定数は12。
有権者は221人。
投票数は118票。
得票数の最高は18票、少ないのは2票が4名、1票が1名。
つまり、当選ライン内の11位に4名が並んでしまい、
法規によって(多分くじ引きで)2票の4名の内、2人が当選と決定。

ちなみに、4年後の昭和12年、
同村の村会議員改選選挙の日は暴風雨で、
得票数4票で当選が決まっている。

参院選比例区では、一部の自治体で
比例候補者の得票がゼロだったという例があります。

2016年7月の参院選に比例区で出馬した民進党候補は、
岐阜県本巣市における得票数がゼロだった。

同じ参院選で、
比例区で当選した片山虎之助議員(日本維新の会)も、
愛媛県西条市での得票数がゼロだった。

比例区では、
党名か候補者の氏名のどちらかを記入するため起こった現象。

前者の例では、
同市在住の男性らが、開票作業に疑いがあるとして、
選挙の無効を求めて訴訟を起こした。

後者の例では、                                 
日本維新の会は、少なくとも3人が片山氏に投票したとして、
選挙の無効を求めた訴訟を起こした。

いずれも裁判で却下。
                                        
世の中、いろいろなことが起こるものです。





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