映画『ツォツィ』  映画関係

[旧作を観る]

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アカデミー賞の外国語映画賞の候補作は
どれも粒選りで、外れがない

という持論の私は、
こまめに候補作を見ているが、
2006年受賞作の南アフリカ映画「ツォツィ」は、
何故か見逃していた。

南アフリカのヨハネスブルクにある
旧黒人居住区ソウェトの貧しいスラム街。

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そこにチンピラのリーダー、ツォツィが
自分の過去と本名を封印して、一人で住んでいる。

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偽名の「ツォツィ」は、「不良」という意味だ。
幼い頃から、たったひとり、社会の底辺で生きてきた。
名前も、過去も、未来もなく、
怒りと憎しみだけを心の中に積もらせて。

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ツォツィの仲間は、なりそこない教師のボストン、
冷血でキレやすいブッチャー、
そして幼なじみで人のいいデブのアープだ。
4人でつるんでヨハネスブルク中央駅で獲物を見つけ、
電車の中で、男の財布を奪う。
その上、ブッチャーは命まで奪ってしまう。

そんなツォツィに転機が訪れる。
豪邸が建ち並ぶ住宅街で、
車で帰宅した金持ちの黒人女性を襲い、
銃で撃ち、BMWを盗む。
その後部座席に生後数カ月ほどの赤ん坊が
乗っていたのを発見する。

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赤ん坊を抱き上げ、紙袋に入れて、
スラム街のバラックに帰ったツォツィは、
泣き叫ぶ赤ん坊の扱いに途方にくれ、
近所の乳飲み子をかかえる若い女性ミリアムの家に入り込み、
乳をあげるように命令する。

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ツォツィは赤ん坊を「俺の子だ」と言い、
その名前を聞かれ、
思わず「デヴィッド」と答えてしまう。
それは、自分の本当の名前だ。

こうして、ツォツィの中に、
自分でも知らなかった感情が芽生えて来るのだった。

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こういう話の中に、
ツォツィの過去が次第に現れて来る。

幼い頃、エイズに冒され、寝たきりだった母の手を
ツォツィが握ろうとした時、
暴力的で冷酷な父に拒まれた。
ツォツィが可愛がっていた犬の背骨を
父が蹴り上げてへし折った時、
自分も犬のように殺される、と思わずその場を走り去り、
その日からツォツィは一人で生きることを選んだのだ。

土管が並ぶ丘の上。
昔、ここに流れ着いた時、
土管を住処にしていたのだった。
今も、土管の中には貧しい身なりの子どもたちが住み着いている。

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親から切り離された赤ん坊の姿に、
自分の孤独の人生を重ね合わせたツォツィは、
やがて、赤ん坊を返すために
あの豪邸の前に行くが、
その時、捜査の手はツォツィの近くにまで迫っていた・・・

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周囲に配分された人物がほど良い味付けとなっている。
ミリアムは夫を強盗に殺されており、
女手ひとつで赤ん坊を育てていた。
「金は払う」というツォツィに、
ミリアムは金はいらないと言い、
自分にこの子を育てさせてくれ、と言う。

諍いでツォツィは仲間のボストンを傷つけてしまう。
ツォツィは、ボストンを自分のバラックに連れていき、
ボストンの教員試験のための金を工面すると約束する。
金のために殺人を犯したことをなじったボストンが、
「お前は品位(decency )って言葉知っているのか」
と言ったのがツォツィの心の中に残っており、
教育の必要性を感じていたのだ。

また、ツォツィの“仕事場" 、中央駅で
車椅子に乗った物乞いのモリスも良い味を出してる。
ある日、ツォツィはモリスの後を追い、
足が悪いわけを訊く。
炭鉱で働いていた時に事故で足を失っていたのだ。
ツォツィは、蹴られて背骨を折った犬の話をし、
「犬みたいになって、なぜ生き続ける?」
と問いかける。
ツォツィの中で父親に蹴られて
半身不随になった犬の姿が重なっていたのだ。
赤ん坊を返す決意をした後、
ツォツィは、中央駅で、モリスに金を差し出す。

というわけで、
南アフリカの貧民街に住む一人の少年の生きざまを描くこの作品。
よくある内容といいながら、
これほど胸を打ち、新鮮な感動を呼ぶのは何故だろう。
それは、やはり、人間がよく描かれているからに他ならない。
赤ん坊を養わなければならなくなった環境が
ツォツィの中に何かが芽生えるが、
それは「庇護してやらなければならない存在」を得たからだろう。
それは、自分の過酷な人生を蘇らせ、
この子には同じ道を歩ませてはならない
という思いを生む。
そうした人間ドラマが人の心を打つのだ。
そして、背景には、南アフリカの黒人差別と貧富の差が色濃く匂う。

アフリカ映画初のアカデミー賞外国語映画賞受賞はだてではない。
監督のギャヴィン・フッドは、
その後、ハリウッドに招かれ、
日本公開作品では「ウルヴァリン:X−MEN ZERO」(2009)、
「エンダーのゲーム」(2013)などを撮り、
最近では快作「アイ・イン・ザ・スカイ」(2015)
を生んでいる。
私が「ツォツィ」を観たのも、
「アイ・イン・ザ・スカイ」の監督の過去作ということだからだ。
このように、世界に存在する才能を発掘して
すぐに機会を与えるハリウッドの懐の深さにも感心する。

主人公ツォツィに扮するのは、
オーディションで粗ばれたというプレスリー・チュエニヤハエ
その面構え、存在感が素晴らしい。

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出演もしている歌手ZOLAの音楽もよく合っている。
足なえの物乞い役モリスのジェリー・モフォケン
特異な風貌を生かして、うまい。

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南アフリカ大統領だったネルソン・ マンデラ氏は、
ギャビヴィン・ フッド監督と出演者たちに対面した際、
「自分もかつてはツォツィだった。
南アフリカを世界に知らしめたのはこの作品だ」
と讃えたという。
          
なお、DVDには、「幻のラストシーン」として、
撮影したものの、使用しなかった
異なる2つのラストシーンが収録され、
監督の解説も聞ける。

5段階評価の「4.5」

予告編は↓をクリック。

https://youtu.be/l4xSgtu1X_k


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